2011年02月28日

パトカー20台、『大逃走劇』???

「カーチェイス」 といえば、米国のハイウエイなどで警察車両が容疑者車両を猛スピード

で追跡し、最後はその追跡された自動車が何かに激突して “御用”  となる場面をよく

TV番組で目にすることがある。しかし、わが国において20台ものパトカーやヘリコプター

を用いて警察が20代の一主婦の運転する車を追跡する場面というのは、それほど例が

ないように思う。しかも、その直接の (もともとの) 容疑が 「たかが一時不停止」 の

違反だと聞けば・・・・

先日某紙に、「子ども4人乗せて警官はね、12kmも逃げた母」 というタイトルの記事が

あったが、その内容は、


・・・・・・・岡山県警岡山南署は23日、倉敷市の無職女性N容疑者 (28才) を公務執

      行妨害の疑いで逮捕した。発表によるとN容疑者は22日午後2:10頃、岡山

      市内の国道2号線で乗用車を運転中、一時停止の標識を無視したのを同署員

      に見つかり逃走。その後同市内の国道180号線で渋滞により停止した際、降

      車を求めてきた同署男性巡査部長 (45才) に向かって車を急発進させ、巡

      査部長をはねて足に軽傷を負わせた疑い。

      N容疑者はその後も逃げ、県警はパトカー約20台とヘリコプターで追跡。約30

      分後、約12km離れた倉敷市の路上で電柱に衝突したところをとり押さえられ、

      道交法違反 (一時不停止) の疑いで現行犯逮捕されていた。

      同署によると、N容疑者は無免許で車には子ども4人が同乗していた・・・・・・・


というものである。

「人間、追いつめられると何をしでかすかわからない」 ということについては、つい先日この

「こじろう117」・・・80mの 『ダイブ』!!!・・・で触れたばかりだが、この事件についても

まさに、警察にとって 「予想外」 の展開を見せた結果的に 「大逃走劇」 といえるものだ

ろう。しかし、それにしてもこの28歳の女性、逃走の途中から 「もう何が何だかわからなく

なってしまった」 ということか、あるいは 「こうなったらとことんまでやってやるつもり」 の

どちらだったのかは不明だが、冒頭にも述べたように、この 「大逃走・大追跡劇」 の元は

たかが (といっても、立派な違反であるが) 「一時停止をしなかった」 だけのことである。

パトカー約20台およびヘリコプターまでを使ってと聞けば、「“指名手配中の凶悪殺人犯” 

の追跡か」 ぐらいを思い浮かべがちであるが、まあ逃げる側もよく逃げたといえるし、追い

かける側も意地になって?よく追いかけたものであると、双方に対してある意味感心してし

まうほどである。だが大したことにならなかったことを手放しで喜ぶわけにも到底いかない。

まず、追いかけた警察側である。この12kmにも及ぶ大追跡劇で、巡査部長以外のケガ人

が出た形跡がないのもまた奇跡と思われ、それはそれで結果的には結構であるが、逆にもし

追跡が原因で事故が起きていたり誘発されていたりした場合には一転 「(もともと) たかが 

『一時不停止』 程度の容疑者を捕まえるためだけなのに、なぜこんな大掛かりなことを・・・」 

という批判の嵐に見舞われることになるのは必至である。

さらにこのN容疑者。今後それなりの刑事および民事双方の法律的処分・処罰に加え、社会

的制裁も受けることになるが、すべて自業自得といえる。ただし、問題なのはこのN容疑者

の子どもたちについてである。アクション映画さながらのカーチェイスに付き合わされ、生命の

危険にさらされたうえで、受けた精神的ショックは尋常なものではないと推測される。また今

後しばらく母親が捜査等のため拘束される間、(少なくとも母親には) 放ったらかしにされて

しまうのである。28才という年齢で4人がすべて実子だとすれば、乳幼児も含まれていて不

思議でないが、彼らには何の罪もないのは当然、まだ、母親のこの不始末を 「反面教師」 

として学習することすらできない年齢である。このN容疑者にとってこの事件を起こしたことに

よる “道義的責任” は、その “法律的責任” とはとても比較できないほどに重いものとい

えるだろう。


予防接種に出かける際、飼い主との間で
「大逃走劇」 を展開する!?
              こじろう





  


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2011年02月27日

『奇跡の脱出』???

人の運命というのはさまざまで、「ほんのちょっとした偶然によりその生命を断たれてしまう人」

もいれば、「とんでもない事故に遭っても軽傷程度で済んでしまう幸運人」 もいる。

さて、昨日某紙に 「車で50m転落、奇跡の脱出 高山の御母衣ダム」 というタイトルの記事

があったが、その内容は、


・・・・・・・ 23日午後3:20頃、高山市の御母衣 (みぼろ) ダム湖沿いの国道156号線で

       大阪府松原市の男性会社員 (42才) の乗用車が、対向車を避けようとしてガ

       ードロープを破り、ダム湖に転落した。約50m落ち、県防災ヘリが救助。男性は腰

       などを打つ軽傷を負った。

       高山署によると、転落した車は半分が水に浸かり、男性が携帯電話で110番して

       救助を求め、車内から自力で脱出した。ダム湖は雪解け時期を前に水が抜かれ、

       車は湖畔の斜面を滑り落ちた格好。 「水が浅く、浸かるだけで済んだ。水がたま

       ていたら水没していたかもしれない」 と同署。対向車が中央線を越えたという。

       搬送先の病院で取材に応じた男性によると、ハンドルを切って以降の意識はほと

       んどなく、医師は奇跡的と話したと言い、「救助を待つときに地元の人が上から、

       『大丈夫か』 と声をかけてくれたことは覚えている。温かさを感じた。感謝の気持

       ちを伝えたい」 と話している・・・・・・・・


というものである。

この記事を読んでまず思い出したことがある。それは自分がまだ小学校3~4年生くらいのとき

の (ここまではすごくないが) 似たような体験である。そのある冬の日は祖父母と自分の3人

で自動車で出かける用事があったのだが、途中通った峠の下りにあるカーブの凍結していた路

面で運転者の祖父が手繰っていたハンドルが効かず、道路わきから7~8mほどの緩やかな崖

をスルスルと自動車が横向きのまま滑り降りていってしまったのだ。そのまま崖の下端近くの

大きな岩のところまで落ちた勢いでひっくり返るようになった車の屋根が尖った岩のてっぺんに

当たり、また勢いよく元に戻って静止したのだが、その激しい衝突によりフロントガラスは粉々

になり、ボディも相当ボコボコになった憶えがある。ケガとしては割れたガラスで指を切ったくら

いで済んだのが 「不幸中の幸い」 というべきだが、その数秒間は 「恐怖を感じる」 というよ

りむしろ 「何が起こっているのかよくわからない」 というのが正直なところだった。まだ10才

前後だったころのことにしては我ながらよく覚えている (思い違いしているところも多分にある

として) ものだと感心?するが、なかなか貴重な経験になったことは疑いない。

さてこの男性の事故についてだが、50mもの高さ分を落下して軽傷で済んだのはやはり驚嘆

に値するだろう。また現代だからそういうことは考えにくいが、もし携帯電話がなければ、ある

いはつながらなければ、救助を呼べないまま何日も経過した可能性もあったし、ダムの水が抜

かれていた季節の事故だったことも生死に関わる点で極めて大きな幸運といえるのは間違い

ない。「これを奇跡と呼ばずして、何が奇跡か」 といってもよいような出来事でもあるが、事故

に遭ったときの生命身体に関わる危険にかぎらず、人生においては、「実は自分自身にその

自覚がないだけで、『奇跡的に』 とまではいえなくても 『 (幸運な) 偶然がいくつか重なる

ことにより』 助けられている場面は少なくない」 のかもしれない。


飼い主の不注意により、以前生命にかかわる危機
に瀕した際に、何とか一命を取り留めたのは偶然
などではなく 「自分自身の能力によるもの」 だ
と主張したい!?          こじろう  


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2011年02月26日

早すぎる 『将来を悲観』???

今から20年ほど前。バルセロナ五輪の競泳女子200メートル平泳ぎで、日本代表の当時

14歳で中学生だった岩崎恭子選手がまさか?の 「金メダル」 に輝いた際に、競技後の

インタビューで 「今まで生きてきた中で、一番幸せです」 という “名言” が残された。こ

の世に生を受けてまだ14年しかたっていない中学生から自然に発せられたその一言は、

瞬く間に日本中の話題をさらった反面、すでにその時点で何十年も生きていた?大人たち

の多くは 「オレなんか、その何倍も生きていても、幸せらしいことなんか一つもないのに」 

と、その胸中はなかなか複雑だったのではないだろうか。

さて、先日某紙に 「中3男子、交際断られ女子生徒殺そうとした疑い」 というタイトルの

記事があったが、その内容は、


・・・・・・・ 埼玉県警入間署は17日、同級生の女子生徒を殺害しようとしたとして、同県

      富士見市に住む市立中学3年の少年 (15才) を殺人未遂容疑で逮捕した。

      少年は数日前、女子生徒に交際を求めて断られたといい、 「将来を悲観し、

      相手を殺して自分も死のうとした。刃物は15日に買った」 と供述しているとい

      う。女子生徒にケガはなかった。

      発表によると、少年は16日午前9時20分頃、通学する中学校内で同じクラス

      の女子生徒 (15才) に果物ナイフ (刃渡り約9.7センチ) を突きつけて殺

      害しようとした疑い。女子生徒は逃げ、少年は担任の男性教諭がとり押さえた・・

      ・・・・・・・・・・


というものである。

前述の岩崎選手のケースとは全く異なり、一緒にすればファンらに叱られてしまうような事 

例ではあるが、これらに共通するのは、 「14~5才の年齢で、その何倍もの年月を生きて

きた大人が語るようなことを平然と口にする」 ことである。 「将来を悲観する」 というのは、

「まだ自分自身に将来がある人」 がすることで、それなりに若くなければできない?のは

その通りである。しかしそれにしてもまだ15才、物心ついて10年もたっていないような中学

生で、しかも 「一度やニ度?交際を断られたぐらいで言うこと」 としては、少なからず違和

感を抱いてしまってもいたし方ないというものだ。

もっとも、「失恋による心の痛みやつらさ」 は誰でも経験する可能性のあることで、まだ世

間のことがよくわかっていない10代中盤の少年が、「それだけ “真剣に” 相手のことを

想ってしようとしたこと」 ともいえ、同情する向きもあろうかというところだが、「自分自身の

将来を悲観する」 のは勝手として、相手の女子生徒までもがその巻き添えを食わされた

のでは、女子生徒およびその家族とすれば 「冗談じゃない」 となるのも当然である。


「その日のオヤツをいかに多くもらうか」
に必死で、「将来を悲観しているヒマ」
など全くない!?      こじろう













  


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2011年02月25日

今どき 『ヘイ、彼女』???

公のスペースや飲食店内などで、周囲にそれなりの数の人がいるのに傍若無人に振る舞った

り、不快に感じることを大きな声で口走る人間というのをたまに見かけることがある。

そういう連中のなかには、「ただの常識知らず」 もいれば、「目立ちたいだけの人間」 もいる

だろうが、そこに居合わせる無関係な人々からすると 「本当に迷惑な話」 である。

さて先日某紙に 「従業員に 『ヘイ、彼女』  注意され暴れた無職男を現行犯逮捕」 という

タイトルの記事があったが、その内容は、


・・・・・・・埼玉県警飯能署は21日、傷害の現行犯で飯能市の無職の男S容疑者 (27才) を

      逮捕した。同署の調べによるとS容疑者は21日午後3時半ごろ、同市内のコーヒー

      チェーン店で女性従業員 (27才) に、「ヘイ、彼女」 と声をかけたところ、別の男

      性従業員 (27才) から、「こちらはそういう店ではないので、そういう声かけはやめ

      てください」 と注意されたことに腹を立て、男性従業員の顔面を一発殴って前歯を折

      るケガをさせた疑い。その場で店長  (31才) が取り押さえ、駆けつけた同署員に

      引き渡した。

      S容疑者はたびたび来店しては女性の店員や客に声をかけていたため、マークされて

      いた・・・・・・・


というものである。

この記事のタイトルを見ただけの状態では、「この事件の容疑者はさぞかし年配のオヤジだろう」

と思わされたが、記事の中でその年齢が27才と知ったときは、「今どきの若者が 『ヘイ、彼女』 

なんて言い方をなぜ知っているんだ」 という素朴な疑問に変わっていた。

まあそれはともかくとして普通、(その店のもともとの雰囲気にもよるし、極めて品がないことはた

しかだが) 女性店員に対して 「カノジョ」 とか 「オネエチャン」 という呼び方を一回したぐら

いで、いきなり注意されることはあまりないようにも思えるが、「たびたび来店しては女性の店員

や客に声をかけていた」 ということから、それまで店の方でも相当に迷惑がっていただろうこと

がうかがえる。もちろん 「コーヒーチェーン店」 側にとってこういう人物は 「大変困ったイヤな

客」 ということになるのだろうが、それで本当に迷惑を被るのは、 「わざわざ時間を使って来

店し、お金を払って静かに一人でコーヒーを嗜んだり、友人らと他愛もないおしゃべりを楽しみた

い普通の客」 の側である。こういう輩に同じ空間にいられると、たとえ直接何かされなくてもそ

ちらが気になってしまい、「せっかくのコーヒーの味わいなど、どこかにすっ飛んでいってしまう」 

というものだ。

「周囲から遮断された自分 (達) だけの空間」 の中で何をしようが、誰を何と呼ぼうがそれは

自由である。しかし、そうでない場所では 「自分ひとりの身勝手な行動により、他人を不快にさ

せたり、その場の雰囲気を悪くしない」 というのは、社会における最低限のルールである。


「今どきのラブリーな名前」 で呼んで
もらえないことに、複雑な思いを抱いて
いる!?          こじろう





  


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2011年02月24日

自宅で 『通り魔』???

「通り魔事件」 といえば、「繁華街など人通りの多い路上」 で起こされるものだと思い込ん

でいたが、「通り魔 “的” 事件」 にまでその範囲を広げると、「自宅でのんびりくつろいでい

るときでさえ」 その被害に遭う可能性が十分にあるようだ。

先日の某紙に 「北九州殺人容疑者、1件ずつ回り無施錠宅探す」 というタイトルの記事が

あったが、その内容は、


・・・・・・・ 北九州市小倉北区のマンション4階の1室で19日、会社員女性Nさん (24才)

      が殺害された事件で、殺人容疑で逮捕された同じマンションに住む職業不詳の男

      (36才) が、3、4階の各戸を一軒ずつ回り、たまたま無施錠だったNさんの部屋

      に侵入したとみられることが、捜査本部への取材でわかった。

      福岡県警は 「通り魔的犯行」 とみて動機などを追及している。

      男の逮捕容疑は、19日午後、Nさんの部屋に侵入し包丁のようなもので胸や腹を

      数回刺して殺害した疑い。Nさんには防御創がほとんどなく、抵抗できないまま殺

      害されたとみられる。男は20日の逮捕後の取り調べに対し、容疑を認める供述を

      しているが、意味不明の言動も繰り返している・・・・・・・


というものである。

この容疑者、「はたして刑事責任を問えるのか」 という状況もあるように思えるが、いずれに

しても、捜査本部の発表通りだとすれば、「カギのかかっていない部屋の住人であるならば、 

容疑者にとって (襲う対象は) 誰でもよかった」 ということになるため、被害にあった女性

は本当に運が悪く、気の毒としかいいようがない。抵抗した痕跡などがほとんどないことから、

睡眠中にいきなり襲われた可能性などが高いと思われるが、そうだとすれば 「若い女性が、

夜しかも自宅で睡眠中などに、なぜカギもかけずにいたのだろうか」 という疑問が生じるのは

自然のことといえよう。 「ついうっかりカギをかけ忘れた」 という可能性は捨てきれないが、

一人暮らしの女性が帰宅した際の施錠というものは普通、習慣的に (無意識的に) 行なわ

れるものだろうから、それもまた考えにくく、何か裏の事情があるのだろうか。

一般的に他人の家に侵入するというのは、空き巣狙いのような 「物盗り」 や 「女性に対す

る性的暴行」 または 「怨恨による暴行」 などの目的や動機を持っているものだと思うが、こ

の事件のように、「 (襲うのは) だれでもよい」 というまさに 「通り魔 “的”」 な性質のも

のは大変に始末が悪いといえよう。

こういう報道を見聞きすると、「たとえ自宅内であってもゆっくりくつろげないのか」 と考え、何

かせつなくなってしまいがちだが、今回のようなものと 「普通の (路上の) 通り魔」 と異な

るのは、自宅の場合は 「カギさえしっかりかけておけばまず大丈夫」 ということである。

いわゆる 「いなか」 といわれるような地域に行くと、「普段 (その家人がいるのに) 玄関

にカギをかけておくこと」 は基本的になく、そこを訪ねた人が 「なぜ、カギをかけていたんだ。

すぐ入れなかったじゃないか」 などとその家の住人に文句?をいうようなこともあると聞くが、

今の時代、変わった人の予期せぬ行動に対処するためにも、地域を問わず、たとえほんのわ

ずかの間でも、「カギをかけるに越したことはない」 と言わざるを得ないだろう。


「少しの間なら大丈夫」 と飼い主が玄関の
カギをかけずにいる際、「その油断がいけな
い」 と言わんばかりに警告する!?
                こじろう



  


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2011年02月23日

『胎児への虐待』???

現代の最も大きな社会問題の一つといってもよい、「こどもへの虐待」 については、この

「こじろう117」 でもかつて何度か取り上げたことがある。しかし、その 「虐待」 の対象

としてまだこの世に出てきていない 「胎児」 までもが含まれると聞けば、その瞬間は驚

きを隠せなくても不思議ではないだろう。

先日共同通信配信の記事に 「 『胎児への虐待』 防げ、 日本医師会が対策検討」 と

いうタイトルのものがあったが、その内容は、


・・・・・・・ 虐待によって死亡する0歳児が増えており、その中でも生後1カ月未満が多く、

       妊娠中の “胎児への虐待” を含めた対応策が必要として、日本医師会は

       本格的な検討を始めた。

       同会の専務理事は 「一般的に虐待は出生後に始まるが、妊娠中に芽生え

       る虐待の兆候を発見したり、胎児の健康を損なう行為を虐待とみなしたりし

       て、早めに対応すべきだ」 と指摘している。

       2008年度に、心中を除き虐待が原因で死亡したと厚生労働省が確認した

       18才未満は67人で、0歳児が39人 (58%) を占めた。うち26人は生後

       1カ月未満で、その中でも生後1日以内で死亡した子どもが16人いた。

       親への聞き取り調査などを通じた検証によると、死亡につながった虐待行為 

       は 「身体的暴力」 「放置」 などで、1ヶ月以内に死亡した子どもでは75%

       は親が妊婦健診を受けておらず、81%は母子健康手帳の発行を受けてない

       と判明、69%は望まない妊娠だった。

       同理事は 「妊娠中に胎児に関心を払わないことが、その後の虐待につなが

       っている可能性が高い」 と分析。

       また妊婦健診を受けずに産気づいてから初めて医療機関へ飛び込むと、死

       産したり新生児の健康状態が悪く早期に死亡したりする恐れもあり、同理事

       は 「これを胎児への虐待ととらえると、虐待死の数はさらに増える」 と指摘

       する・・・・・・・


というものである。

「こどもへの虐待」 で最近は、母親からというよりむしろ父親、それも実際にはそのこどもと

血縁関係のない、「母親の内縁の夫など」 によるものが多くなっているように個人的には感

じている。われわれ男性には妊娠する能力や機能といったものが備わっていないため、女性

が懐妊中の試練、苦労、つらさや、さらにはそれらを乗り越えての出産時のよろこびにつき、

いくら理解しようとしても限界があり、それゆえに偉そうなことを言える資格や権利はまったく

存在しない。だがだからこそ、イザ自分に関わる女性 (特に夫人や交際中の女性など) が

懐妊した際には、その女性にとって 「本当に幸せな出産」 となり、また 「生まれてくるこど

もの人生が輝かしいもの」 となるように、「いろいろな意味での準備や後押しをいとわない」

という義務および責任を男性側が負うのは当然である。

この 「胎児への虐待」 というのは出生前のことだけに、一見たしかに女性の側にしか関与

しないようにも思えるが、少なくとも直接的にはそうだとしても、実際は上記の理由により男

性側にその原因の多くがあるといっても言い過ぎではないだろう。もちろん、中には懐妊し

た女性が相手の男性にその事実を知られたくないなどの事由が存在することもありうるが、

そうでない場合は、懐妊から出産、その後の子育てに至るまでその責任の少なくとも半分は

男性 (一般的には父親) の側にあるともいえるのだ。身体面では女性側が一方的に背負

わなくてはならない一連の試練がない分、男性側としては精神面で最大限の試練を味わう

べきである。

上記を踏まえると、「胎児への虐待」 というものがあるとすればその大きな要因は 「実際

に懐妊中の女性よりも、むしろその女性を支えるべき男性側にある」 といって差し支えない

だろう。


「飼い犬への虐待」 のニュースをTVなどで
目にする度に、「許せない」 という気持ち
になる!?           こじろう



  


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2011年02月22日

『警官人形』 から 『警官パネル』 へ!!!

今から30年ほど前までは、制服を着た 「おまわりさん」 を近くで見ると、それだけで緊張

したり安心したりと、特に子どもにとって警官にはそれなりの 「存在感」 というものがあった

ように思う。それが昨今といえば、警察関係者の相次ぐ不祥事、または警察官自身が容疑

者となる犯罪の多発等により、そういった感覚はすでに薄れてしまっているどころか、むしろ 

「警察官の制服を着ているからといって、安心して近づいてはいけない」 などと子どもたち

に教えなくてはならない現状すらあるようだ。

ところで先日、某紙に 「 『ひったくりに注意』  しゃべる警官のパネル登場」 というタイト

ルの記事があったが、その内容は、


・・・・・・千葉県警船橋署は17日、音声でひったくりへの注意を呼びかける警察官の等身大

     パネル 「ボイスポリス」 を船橋市のスーパー前に設置した。

     パネルの近くを人が通るとセンサーが感知し、「ひったくりが多発しています。注意

     しましょう」 などと注意を促す音声がパネルのスピーカーから約10秒間流れる。

     同署によると、ひったくりの被害者の大半は女性であり、買い物帰りが多いことか

     ら、スーパーに協力を求めて設置した・・・・・・


というものである。

この記事を見て、まず思い出したものがある。それはその昔、国道沿いや主要道路の路肩

などでよく見かけた 「警官の姿をした人形」 や 「夜間、自動車のヘッドライトの光が当た

った際に、警官の制服の一部のように見える板状のもの」 である。スピードの出し過ぎな

どの交通違反の防止に 「警官が見ている」 と思わせるためのもので、最近はほとんど

見かけなくなった懐かしい風景?の一部でもあるが、いつも通行する道路の決まった場所

にあるため、ほとんどの人には最初からそれは人形とか板だということがわかってしまって

いた。さらには雨や風などの風化作用およびイタズラなどにより、それなりの年月を経ても

はやその原型をとどめておらず、「化け物」 扱いすらされたりするものもあった。それゆえ、

運転免許を所持していない当時の自分のような子どもですら 「この人形はまったく役に立

っていないただの粗大ゴミだな」 と (今となっては申し訳ないが) 感じたものである。

今回の記事にあった 「警官のパネル」 についてはただ突っ立っているものでなく、最新

のハイテクを駆使した? 「音声が出るもの」 で、しかも被害者側の立場に立っているこ

ともあり、昔の 「警官人形」 のようなことはないと思うが、それなりの予算をかけて設置

されたものでもあろうから、ぜひ 「本当に役に立つ」 ものであると願いたい。

またそれ以前に、「警察関係者による不祥事についての報道を見聞きしない日が全くない」 

という昨今の現状をまずは何とかしてくれないと、「警官人形」 にせよ 「警官パネル」 に

せよ、それを見るたびに 「蹴飛ばしたくなる」 なんていう人が現れてもおかしくないので

ある。


犬の形をした人形を目の前に、「ボクの
オヤツはあげないぞ」 と言わんばかり
に敵意をむき出しにする!? こじろう

       


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2011年02月21日

『新?香典返し詐欺』!!!(その2)

「こじろう117」・・・『新?香典返し詐欺』!!!(その1)・・・の続きである。

(その1) では千葉県の消防士が、ある斎場で行われていた通夜に、弔問客を装って実際

は1円玉しか入っていない香典袋 (6袋) を受付に渡し、「香典返し」 として計1万円余り

の現金をだまし取ろうとした新しい?詐欺事件を紹介した。

この詐欺を企んだI容疑者。犯罪行為に手を染めたことはもちろん許されないが、その手口

はなかなか斬新?で、「冠婚葬祭の盲点ともいうべきところを上手く突いたもの」 ということ

は否定できない。だが、そのなかで生ずる疑問や納得いかない点もいくつかある。

まず第一に、「せっかく 『香典返し』 を受け取るところまで成功したのに、なぜその後わざ

わざ疑われるような行動をとったのか」 つまり 「他の弔問客と同じように焼香など普通に

していれば怪しまれる可能性はより小さかったのでは」 という点である。

これについては、一般的に犯罪者の心理である 「その現場から一刻も早く (逃げ) 去り

たい」 というものによるのではないかと推測されよう。たしかに今回、怪しまれた直接の要

因は焼香をせずにそのまま去ろうとしたことのようだが、さりとて、のんびり?焼香をしてい

る間に香典袋の中身を確認されないとも限らない。I容疑者が実際にどういうつもりだったか

は不明であるが、この点で 「しばらくその場に残って行動の不自然さをなくすか」 「一刻も

早くその場を去ってしまうか」 のどちらがベターかは一概に言えず、その時の “運” にも

左右される 「一種の賭け」 といえたかもしれない。

第二の疑問は、香典袋の中に 「1円玉のみ」 を入れておいたことである。これはその香典

返しの方式?により、「意味がある、ない」 がハッキリしてしまう。まず、その (香典返しの) 

の額が香典の額にかかわらず “一律” 、つまり同額となっていた場合であるが、その際に

は、たとえ1円であっても、「 『香典』 を渡したことには変わりない」 すなわちその香典返し

を受け取る権利?、理由が一応は存在することになる。もっともI容疑者がそこまで考えてそ 

うした (1円玉を入れておいた) かどうかは全くわからないし、それにしても世間的には、認

められる話でないことは明らかであるが。

また、のし袋の裏面や中袋に書かれた香典の金額に対し、たとえばその “半額” を香典返

しとするような場合は、中身との整合性がなくなるのでまったく意味をなさないこととなり、こ

れは最初から明らかに 「だます」 という意図が読み取られてしまうものとなる。

昨今は特に都市部においては、専門の葬祭センターなどでの法事が一般?であり、受付に

限らず随所にいわゆるプロの目が光っている可能性が高いとはいえ、今回のようなケースに

おいてこういう詐欺行為につながる 「怪しさ」 を事前に察知したり、見抜くことができるのか

どうか、また仮に 「怪しい」 と思ったとしても即座に声をかける、あるいはさらには取り押さ

えるというような具体的行動に移せるのかどうかを考えた時、それはかなり難しいと推測さ

れるだろう。

以上の検討等を踏まえて結論を急げば、今回のI容疑者による 「新?香典返し詐欺」 の類

は、一旦 「香典返しの現金を手に入れる」 という第一段階における成功確率は高いものが

予想される。だが 「その後、そのままプロ (葬祭センターのスタッフなど) の目をすり抜け

て、その場を無事?去る」 という第二段階では、相当の難関が待ち構えているといえる。さ

らには香典袋がそのまま置いていかれることや、犯人の容貌がそれなりの人数に直接認識

されるなど、その犯罪の “証拠” となるべきものが多く残されるというリスクも高い。したが

ってアイディアそのものは高評価?の対象となっても、実行に移した際の最終的な成功率に

高いものは期待できそうにない。しかも、今回のI容疑者の詐欺行為が仮に成功していたとし

ても、それで得られる収穫?はせいぜい1万円余りであり、「冒したリスクに見合うだけの

もの」 とはお世辞にもいえないのだ。

今回の報道で事件のことを知り、「自分もやってみよう」 という模倣犯予備軍が、浅はかな

行動に出て、このI容疑者の二の舞にならないことを祈りたいものである。


イタズラをした直後、「一刻も早くその場
から逃げ去りたい」 という雰囲気を隠せ
ない!?           こじろう










  


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2011年02月20日

『新?香典返し詐欺』!!!(その1)

ごく普通の商店や飲食店などで精算 (支払い) を “現金” で行う際、それを受け取る

店側としては、その金額を (1円単位まで) 確認するのが一般的である。後になってか

ら 「多すぎた」 とか 「足りなかった」 というトラブルになっても現金精算の場合は証拠

が残らない、という理由が大きい。

しかし一方で、たとえば 「祝儀」 とか 「香典」 の類では、のし袋に金額が書かれてい

ても (それが普通であるが) 受け取る側 (受付スタッフ) が、その場で (目の前で)

その中身を確認することはまずしない (できない) だろう。

さて先日、某紙に 「消防士、焼香せずにバレる・・・香典返し詐取容疑」 というタイトル

の記事があったが、その内容は、


・・・・・・・通夜に弔問客を装って訪れ、「香典返し」 の現金をだまし取ったとして、千葉

      県警旭署は16日、銚子市消防本部消防士長I容疑者 (33才) を詐欺容疑

      で逮捕した。

      発表によるとI容疑者は同日午後5:15分頃、同県旭市の斎場で行われてい

      た通夜に弔問客を装って訪れ、受付の男性に架空の名前を欠いた3人分の香

      典を手渡し、3人分の 「香典返し」 計1万500円を受け取り、だまし取った

      疑い。I容疑者はスーツに黒ネクタイで訪れ、渡した香典袋は通夜と告別式の

      計6袋で、それぞれには1円玉しか入っていなかった。

      香典を渡したにもかかわらず焼香をせず斎場を出たため、男性が不審に思い、

      香典袋の中身を確認、連絡を受けた女性従業員がI容疑者に声をかけて取り押

      さえた。

      銚子市消防本部によると、I容疑者はこの日は非番で休みだった・・・・・・・・


というものである。

自分自身にはそういう経験がないが、「 『香典返し』 が現金」 という地域や風習がある

ということは、今までにも耳にしたことは何度かある。冠婚葬祭の様式やその考え方はそ

れぞれなので、それ自体については何もいうことはない。

しかしそれにしてもこのI容疑者、結果的には失敗したが、 「現金による 『香典返し』 と

いう風習」 の盲点?を突き、(大変不謹慎で無責任な言い方であることを承知のうえで) 

なかなかうまいこと?を考えついたものであると、ある意味感心してしまう。

昔からいわゆる 「火事場ドロボウ」 「ご祝儀ドロボウ」 とならび、同じくそのドサクサに

つけ入る 「香典ドロボウ」 というのは珍しくないが、I容疑者のアイディアが現実化した

新しいタイプ?の “詐欺” については、「こじろう117」・・・『新?香典返し詐欺』!!!

(その2) で、明日詳しく検証してみたいと思う。


その日のオヤツの量について、飼い主との間
で毎日、 「少なすぎる」 とか 「イヤ十分だ」
とトラブルになる!?      こじろう




  


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2011年02月19日

『20万円のツーショット』!!!

「何の、どんなところにその価値を見出すか」 というのは人それぞれで当然異なるだろうし、

他人がとやかくいう筋合いもなければ、基本的にその資格もない。

しかし、それでも普通に考えて、「うーむ。なぜそれにそこまで価値を置くのか」 と首を傾げ

ざるを得ないものが少なからず存在する。

先日、時事通信配信の記事に 「AKBの撮影権売るとウソ  詐欺容疑で高校生逮捕」 と

いうタイトルのものがあったが、その内容は、


・・・・・・ 人気アイドルグループ 「AKB48」 のメンバーと一緒に写真撮影ができる

      「ツーショット券」 を譲ると持ちかけて、代金をだまし取ったとして警視庁少

      年事件課は16日、詐欺の疑いで埼玉県の高校2年の男子生徒 (17才)

      を逮捕した。

      同課によると、男子生徒はインターネットで複数の人に取引を持ちかけ、こ

      れまでに合わせて約30万円をだまし取ったとみている。

      「ツーショット券」 は生写真セットやCDの特典として同封されることもあり、

      券があればコンサート後にメンバーと2人でインスタント写真を撮影できる。

      入手が難しく、ファンの間では “約20万円” で取引されることもある。

      男子生徒は 「ツーショット券は高値で売れると思った」 と話し、容疑を認

      めているという。

      逮捕容疑は昨年11月、交流サイト 「ミクシィ」 の掲示板で、実際には持っ

      ていないツーショット券の譲渡を持ちかけ、応じた東京都内の男性 (17才) 

      から約5万円をだまし取った疑い・・・・・・・


というものである。

15~20才の少年がアイドルに夢中になること自体は、なんら特別なことではないし、むしろ

何かの陰湿な非行に手を染めているよりは、いろいろな意味で健全ともいえるだろう。また、

あこがれのアイドルと2人だけの写真が撮れるとなれば、そのよろこびもひとしおであると思わ

れる。また、「何にどれくらいの金銭を支払うか」 という基準も人それぞれであるのもたしかで

ある。しかしそれにしてもたとえばまだ高校生くらいの年齢でその (ツーショット写真に収ま

る) ためだけに、20万円もの (15~20才にとっての) 大金を払おうとする行為について、 

「ああ、そんなものか」 とすんなり受け止めることは (旧世代人間としては) なかなか難し

いというものではないか。

しかし写真とは、その保存の仕方さえ注意すれば一生残せるものである。その時はもちろん、

それから何年たってもたとえば 「自分はあの頃、最も輝いていた国民的アイドルと2人だけ

で生写真を撮ったんだ」 ということを励み?にし、それを宝物にして持ち歩くことで人生が充

実したものになるとすれば、その投資は必ずしも高くつかないという考え方もできるだろう。

だが再びそれにしてもで、数十年前にやはり当時のアイドルに夢中になっていた先輩?から

は、どうしても 「うるさい余計な一つのアドバイス」 をしたくなってしまうからやっかいである。

それは、「そのアイドル自身も変わっていく」 ということである。その容姿は当然のこと、さら

にかつての “清純さ” が、そのかけらもなくなってしまったという例は枚挙にいとまがない。

そんなとき、「ボクは当時、今やこんなヒドく変わってしまった (失礼!) 人と2人で写真を

撮るためだけに、なぜあんな大金をはたいたのだろうか」 などと自己嫌悪や自暴自棄に陥

いるかもしれないという覚悟が必要なのだ。

もっとも、そんなことを今青春まっただ中にいる若者に言ったところでピンとくるはずもないし、

「オジサンたちは、まず自分自身が世間から嫌われたり、家族から見放されることのないよ

うせいぜい気をつけた方がよい」 と言われ、落ち込むことになるのは明らかなので、この話

はこのくらいにしておいた方が無難というものだろう。


飼い主との 「ツーショット写真」 を
撮ろうとすると、いつもなぜか顔をそむ
けてしまう!?       こじろう  


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2011年02月18日

身近すぎて・・・『言えない』???

最近TVで流れている某自動車メーカーのCMで、個人的に大変気に入っているものがある。

登場人物は 「友人以上、恋人未満といった関係」 を連想させる雰囲気を持った若い男女

で、自動車をはさんで立ったまま、女性の側が携帯のメールを (男性に見えないように)

打つところからそのCMは始まる。そこで男性の方が (そわそわして?) 「誰にメールして

いるの」 と尋ねると、女性側が 「あなたよ。近くにいても、直接言えないこともあるの」 と

意味ありげに返答し、その文面を送信する。直後男性側が (ドキドキワクワクしながら?)

送信されたメールの画面を見ると、そこには 「 (ズボンの) チャックが開いてる」 という

文字が書かれていて、「ガーン!」 となるというオチである。

普段TVのCMを真剣に?観るということはあまりないし、特に録画した番組ではCMはすべ

てスキップしてしまうのだが、なぜかこのCMについてはそれが流されるたびに目を奪われ

てしまい、ほんわかと楽しい?気持ちになってしまうのが不思議である。

ところで、このCMに出てくる 「近くにいても直接言えないことがある」 というのはたしかに

その通りだが、日常の中ではむしろ 「近くにいる (身近な関係である) からこそ、直接言

えないことがそれなりあるのでは」 と、個人的には考えてしまう。

ここでいう 「近く」 というのは、たとえば親子間や夫婦間であり、「直接言えないこと」 と

いうのは、たとえば 「ありがとう」 や 「ごめんね」 などという日常ありふれた何気ない一

言である。もちろん相手が家族など最も身近な人であっても、感謝すべきことについては礼

を述べたり、謝罪すべきことについては詫びを入れる、しかもそれを 「相手の目を見て」、 

「声に出して」 するのは人間としての常識や礼儀である。しかし、それがイザとなると身近

すぎることがジャマしてしまうようで、「照れくささ」 や 「気恥ずかしさ」 が前面に出て、実

際は 「なかなかことばとして出てこない」 ことはないだろうか。

その点、この 「メール」 という手段を用いると、「ありがとう」 とすんなり伝えられるどころ

か、夫婦間でそれが 「ありがとうございました」 となっても、全くといっていいほど違和感

・異和感がなくなるのである。それはいわゆる 「難しい年ごろの子ども」 と親との関係に

ついてもあてはまるだろう。

もっとも、かつてこの 「メール」 という手段がなかった時代でも、直接言いにくいことは短

い手紙やメモにして伝えるということはそれなりにあったハズではあるが。

昨今、いわゆる 「携帯依存症」 などということが社会問題化し、何かと批判を受けること

も多い、この 「携帯メール」 であるが、何事にも 「予期せぬところにその使い道がある」 

ということを、一本のCMを通じて、改めて感じさせられた次第である。


ことばが話せるならば、飼い主に直接言いたい
ことが山ほどある!?       こじろう  


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2011年02月17日

80mの 『ダイブ』!!!

個人的に最も気に入っている映画の一つ 「逃亡者」 の中に、「殺人の濡れ衣を着せられた

ハリソン・フォード扮する主人公の外科医が、連邦保安官補に追いつめられた際に、数十m下

のダムの水の中にダイブする」 1シーンがあり、何度観てもハッと息を呑んでしまう名場面

だが、「いくら絶体絶命のピンチでも、現実にそういうことができる人はまずいないだろう」 と

今までは思っていた。しかし、やはり世の中にはいろいろな人がいて、俄かには信じられない

ことを平気で?するものである。

先日の某紙に 「職質受け重要参考人逃走、80mの崖飛び降り・・・」 というタイトルの記事

があったが、その内容は、


・・・・・・・先月21日午前7:45頃、奈良県川上村の国道169号をパトロール中の吉野署員

      が、建造物侵入容疑で行方を追っていた住所不定の男 (36才) を見つけ、職務
      
      質問しようとした。

      男は突然走りだし、崖 (高さ80m) から飛び降りたが、約30m下の岩場に引っ

      掛っているのが見つかり、約3時間後に防災ヘリコプターで救助された。男は全身

      を強く打っており重傷。

      同署などによると、同11日に同署管内で発生した建造物侵入事件の重要参考人

      として男の行方を追っていた。男は職務質問を受けそうになると逃げ出し、約100

      m先のフェンスのすき間から崖下に向かって飛び降りた・・・・・・・


というものである。

おそらく 「わずか8mの高さ」 でも足がすくんでしまうだろう高所恐怖症の自分にとっては、

「高さ80メートルの崖」 の上から下をのぞくことさえ怖くて、想像すらできない。

この記事の男がその崖、および高さのことを事前に知っていたのかどうかはわからないが、

いずれにせよとてつもなく 「無謀なこと」 をするものである (と少なくとも個人的には思え

てしまう) し、さらにその容疑の通りだったとして、はたして 「それが命をかけて80mもの

高さから飛び降りることに見合う?ほどの重大犯罪だったのか」 という疑問も普通に生じ

てしまうというものだ。

またこういう可能性を考えると、追いかける方もそれはそれで大変である。パトカーなどで

違反車両などを追跡する際には十二分な注意が必要なことはよくわかるが、走って逃げる

人を追うのにもこのようなことを想定しなくてはならないとしたら、それはそれで尋常ならぬ

神経を遣わざるを得ないというものだろう。

「人間、追いつめられると、何をしでかすかわからない」 ということを、常に頭の片隅に入れ

ておく必要がありそうだ。


飼い主に叱られた際に 「何をしでかすか
わからない」 雰囲気のある!?
               こじろう













  


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2011年02月16日

自分だったら 『避けられたか』???

交通事故関連の報道を見聞きする際に、その当事者 (一般的に加害者とされる側) が、たと

えば飲酒運転などをしていたとなればそれはもう論外で、強い非難の対象となる。だが、中には

「それではもし自分が同じ状況で運転していたとして、本当にその事故を避けることができたで

あろうか」 と思われるものもたまにある。

先日、中日新聞に 「国道で81才男性はねられ死亡 愛知県豊川市、トラック運転手逮捕」 と

いうタイトルの記事があったが、その内容は、


・・・・・・・ 14日午前2:45頃、愛知県豊川市の国道1号で、追い越し車線を自転車で

       逆走していた同県岡崎市の無職男性Kさん (81才) が大型トラックにはね

       られ、外傷性ショックで2時間後に死亡した。

       豊川署は自動車運転過失傷害の疑いで、運転していた同県豊橋市のトラッ

       ク運転手S容疑者 (67才) を現行犯逮捕、同過失致傷容疑に切り替えて

       調べている。

       現場は片側2車線。同署によるとS容疑者は 「自転車は無灯火だった」 と

       話している。Kさんの家族は 「なぜそんな時間にそんな場所を自転車で走っ

       ていたのかわからない」 と話している・・・・・・・


というものである。

自動車を運転する際には、「予期せぬ突発的なことが起きてもそれに対応できるだけの慎重さ」

が求められるのはいうまでもない。それは自動車という 「走る凶器」 の恩恵に浴する者として

の最低限の義務でもある。まして歩行者や自転車など、一般に交通弱者と呼ばれる相手の場

合には、その責任度合いがより強くなるといわれて当然だ。

しかし、実際に公道で運転する際にはやはり 「想定しろと言われても現実にはなかなか難し

い」 というものがあるのも事実である。たとえば高速道路 (自動車専用道路) などで、「本

来は走行するはずのない自転車」 が、しかも無灯火で目の前に飛び出してくるようなことは普

通は考えないであろうし、いちいちそこまで想定していたら高速道路にかぎらず、怖くて運転な

どできるものではない。

今回の事故については 「高速道路」 ではないにせよ、実質的には国道1号線という自動車

専用といってもいいような道路 (歩行者や自転車には専用の通行帯があると思われる道路)

で、しかもその追い越し車線側となれば、まず自転車などが走っている、しかもそれが逆走、

つまり自分の方に迫ってくるというのは想定しにくいといえるだろう。ましてS容疑者が主張す

る通り、 (自転車側の) “無灯火” が事実だったとしたら、 「それではもし自分がS容疑者

と同じ状況で運転していたとして、その事故を起こさずに済んだだろうか」 と考える人が多く

ても不思議でないのではないだろうか。少なくとも自分自身は、「イヤ、それでも自分なら予め

そのようなことを想定して事故は絶対に回避できたハズ」 と言い切る自信は残念ながら全く

ないと白状せざるを得ない。

もっとも昨今の、特に高齢者を当事者とした似たような事例 (高速道路における逆走など) は

もはや珍しいことではないといえる実態を常に考慮しなくてはならないことに加え、ステアリング

を握って公道を走る者として 「どのような突発的状況に際しても常に危険を最小限に食い止め

るため、 『最大限の注意と交通弱者に対する細心の配慮』 を欠かすことが許されないのは

当然である」 ことからすれば、 「これまでは 『想定外』 であったことでも、今後は 『想定の

範囲』 に入れなくてはならない」 と、しなくてはならないだろう。


日常、飼い主が何か細かなミスをした際に、
「自分だったらそのようなことを避けられる
ハズだ」 という蔑みの目?で飼い主を見つ
める!?            こじろう

  


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2011年02月15日

『三文芝居』 は通じない???

日常生活の中で、「とっさにその場を取り繕う」 場面というのは (程度の差こそあれ) 誰でも

それなりに経験しているだろう。 しかし、「何かを演ずる」 というのは、考えているほど簡単な

ことではなく、それを口に出すか出さないかは別として 「どうもおかしいぞ」 とか 「 (すべて

ではなくても) うそをついているな」 などと相手に見抜かれている可能性は非常に高い。まし

て、複数の人間が絡んで準備もなしに 「ひと芝居をうつ」 となれば、その不自然さは際立ち、

上手くいくことはまずないだろう。

さて先日、某紙に 「ひき逃げ後、妻を身代わりにする? 静岡県警警部補を逮捕」 というタイ

トルの記事があったが、その内容は、


・・・・・・・追突事故を起こして逃走し妻を身代わりにしたとして、静岡県警静岡中央署は13日、

      自動車運転過失傷害と犯人隠避教唆などの疑いで、県警富士署刑事2課警部補、

      T容疑者(46才) を逮捕した。県警によるとT容疑者は事故を起こしたことは認めて

      いるが 、「 (逃げたわけでなく相手の) 車を探していた」 などと容疑を一部否認

      しているという。

      県警によると、T容疑者は12日午後7時頃、同市内の県道交差点を乗用車で右折

      する際、男性会社員 (55才) の乗用車に衝突。そのまま逃走し自宅から呼び寄

      せた妻に身代わりを頼んで事故現場に向かわせ、警察官にウソの説明をさせた疑

      いがもたれている。男性と同乗の女性会社員 (40才) はいずれも約1週間のケガ。

      T容疑者の車には中学生の息子が同乗していたが、ともにケガはなかった。

      この日、T容疑者は非番で息子のテニスの試合からの帰りだったという。妻の説明が

      現場の状況とかみ合わないため、静岡中央署員が問いただしたところ、妻が 「警察

      官の夫が運転していた」 と説明。身代わりが発覚した。

      同署員が帰宅していたT容疑者に任意同行を求めた際、その呼気から1ℓ中0.15

      ㎎以上のアルコールを検出。同署は酒気帯び運転の可能性も視野に入れて捜査を

      進めており、妻からも犯人隠避容疑で事情を聴いている。

      T容疑者は 「妻が (自分の話を) どう取ったかわからない」 とも供述。身代わり

      を依頼したことを否定している・・・・・・・・・


というものである。

この事件、詳細についての本格的捜査の結果はまだわからないが、いずれにしても当該県警

に所属する警部補が起こした人身事故ということに加え、犯人隠避教唆さらには酒気帯びの

疑いまで出てきているとなれば、(いくら昨今、警察官の不祥事は枚挙に暇がないとはいえ) 

とてつもない大問題といえよう。他人事とはいえ、これからの静岡県警全体でのさまざまな処

理や関係者の処分の問題を考えると、それだけで恐ろしくなってしまうほどである。

T容疑者としては事故直後に、そういう 「自分だけにとどまらない大変な失態」 ということが

脳裏をかすめ、とっさにその場しのぎの 「ひと芝居」 を考えついたのだと思われる。しかし、

それもやはりその演技者が自分一人だけならともかく、夫人まで巻き込んだことで次々と綻び
 
が露呈し、さらなる深みに嵌っていってしまったといえるだろう。加えて最も身近な家族 (夫人

および息子) からの信頼を大きく損ねた可能性も高く、 「こんなことなら最初から正直に申し

出るべきだった」 という心境に陥っていることは想像に難くない。まさにこれこそ 「後悔先に 

立たず」 の典型であると思われる。

今回のような犯罪に関わるケースは、事前にいくら周到に準備したとしても、そのすべての点

で矛盾を生じさせない、つまり首尾よく事が運ぶことは考えにくい。T容疑者は普段から自らの

警察官としての地位や面目を失わないため、「イザというときは (自分の身代りを) 頼むぞ」 

くらいのことは夫人と打合せ済みだったかもしれない。しかし、仮にそうだったとしてもやはり 

「瞬時にその場の状況に合わせた “演技” をこなすことは至極困難である」 ということまで

は想定していなかったに違いない。結局、素人による特に 「何か後ろめたいときの演技」 は、

所詮いわゆる 「三文芝居」 に過ぎず、すぐに馬脚を露すことになることは疑いない。

人間、突如崖っぷちに立たされたとき (と、いってもT容疑者の場合は自らの不徳が招いた

自業自得そのものであるが) こそ、「悪魔のささやきに耳を貸さない」 ことが何よりというこ

とであろう。


「注射嫌い」 なため予防接種の当日、飼い主
に対して 「三文芝居」 を演ずるものの、結局
見抜かれてしまう!?        こじろう  


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2011年02月14日

『車に轢かれる・・・』!!!

昨日午前10時頃、市街地の幹線道路の信号のある交差点で、青信号になったので歩行者

として横断し始めた直後、勢いよく左折してきた乗用車とあわや “接触!”  ということが

あった。その車の運転者は20~30代の女性と思われたが、右手に持った携帯電話を耳に

あてたまま左腕一本でハンドルを回し、こちらを一瞥することもなくそのまま走り去って行って

しまった。おそらく横断中の歩行者を轢きそうになったことなど全く気にしないどころか、心の

中では 「何、このどんくさいオヤジは!」 くらいに思っていたか、あるいは (電話相手との)

話に夢中で、横断中の歩行者など全く眼中になかったのかもしれない。

さてたまたま先日、「 “携帯運転” の摘発、過去最多 モラル低下の声も」 というタイトル

の記事を山形新聞に見つけていたが、その内容は、


・・・・・・・運転中に通話したり、画面を注視する “携帯運転” をしたとして、昨年山形県警

      が摘発した件数は約12000件で、過去最多になったことが先日県警交通課の

      調べで分かった。“携帯運転” は2004年11月から摘発対象となり、翌05年に

      は約5600件を摘発したが、その後5年間で当時の倍以上に増えたことになる。

      08年には、同県内で 携帯を手に持って通話しながら運転していた女性がハン

      ドル操作を誤るなどをして対向車線にはみ出し、大型トラックと正面衝突して死亡  

      する事故が起きている。

      摘発されると5万円以下の罰金が課せられるが、さらにその行為が原因でハンド

      ル操作を誤ったり、信号を見落としたりして歩行者や他の車に危険を生じさせた

      場合は罰金にとどまらず、3カ月以下の懲役が課せられる場合もある・・・・・・


というものである。

この記事は山形県に関してのものであるが、他の県においても諸状況に大した差はないと

思われる。罰則が適用され始めた当初はそれ (携帯電話を使用しながらの運転の危険性) 

に対する意識もそれなりに高かったと思われるが、6年も経過してくると 「少しくらいなら大      

丈夫」 とか 「よほど運が悪くなければ摘発などされることはない」 などという自分勝手な

理由により違反行為に手を染めるドライバーが出てきたことは想像に難くない。

「違反により摘発されるかどうか」 は、その法規を犯している当人の問題であり、ある意味

「勝手にしてくれ」 というところだが、困るのはその行為によって迷惑を被ることになる周囲

の方である。“携帯運転” の危険性については今さら改めて確認するまでもないほどだが、

注意力の低下による危険認知の遅れは誰が考えても明らかであり、歩行者にしても周囲を

走る自動車にしても、直接間接を問わず事故原因を作られたり、事故に巻き込まれたりする

とすれば本当に迷惑な話である。

また、さらにいえば 「走行中でなければ、つまり停車中であれば問題ない」 という単純な

考え方も困りものである。というのも、運転中に携帯の呼び出し音がなった (と思われる)

際に、「ところかまわず駐停車」 して応答する人などがいるからだ。それまで普通に走って

いた自分の前を行く自動車が急にブレーキをかけたり、また停車する場所を探してか、急に

不自然な動きをして 「ドキリとさせられる」 ことがたまにあるが、その中に、かかってきた

電話に出るためのものが多く含まれているだろうことは容易に推測できる。また、歩行者や

他の自動車にとって大変に迷惑となるような場所に停車したまま、結構長い時間にわたり

携帯で話し続けている人を見かけることも少なくない。その当人にとっては 「走行中でない

のだから危険でない」 ということでも、周囲にとってはその強引で身勝手な駐停車によって

別の事故が引き起こされる大きな危険性が生じているのである。

つい20年くらいまでは、一般に携帯電話を所有、使用している人はほとんどいなかったわ

けであるが、その当時と比較して、自動車などで移動中に 「どうしても連絡をとらなければ

ならないということが日常生活で増えた」 ことは、冷静に考えてありえないだろう。もともと

(携帯電話が) 無くても済んでいた用件にすぎないのである。運転中、たとえすぐ応答しな

くても呼び出し音がなればそれだけで注意力は散漫になる。電源を切るか、ドライブモード

にするかはともかく、電話は目的地に到着してから、あるいはそれなりの駐車スペースが

きちんと確保された場所でお願いしたいものである。


飼い主が電話で話していることが気に
なって仕方がなく、ついソワソワして
しまう!?        こじろう










        


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2011年02月13日

『何でもあり』 への抵抗感!!!

「どんぶりもの」 といえば、まず 「天丼」 「かつ丼」 などを思い浮かべる人が多いと思わ

れるが、実際には 「△△新どんぶりコンテスト」 なる催しもあるように、 どんぶりと呼ばれ

る食器に盛られたご飯の上に何かを 「乗せる」 ことで、結局はなんでもかんでも  「○○丼」

が出来上がってしまうのはたしかであるし、かといってそうやって新たに作られた 「 『○○丼』

は 『どんぶりもの』 とはいえない」 と決めつけることもまた難しい。

世の中にはこれと同じように、とりあえずその先頭や末尾に、ある単語 (先ほどの例でいえ

ば、末尾に “丼” ) を付けることにより、とりあえずは 「それらしく」 見えたり聞こえたり

するものの、やはり “???” というものが存在する。

先日あるTVのトーク?番組を何気なく眺めていた際のこと、それぞれのコメンテーター?の

机上に肩書と名前の書いてあるボード?が置いてあるなか、一人の中年?男性のもので、

「女子大生アナリスト ◇◇氏」 というものが目にとまった。 「アナリスト」 といえば、まず

思い浮かぶのが 「証券アナリスト」 であるが、他にもたとえば情報処理関係で 「システム

アナリスト」 くらいは耳にしたことがある。しかし、それではこの 「女子大生アナリスト」 と

は一体なんぞや、という疑問が生じるのにほとんど時間はかからなかった。

その肩書を目にした直後思い浮かべたのは、昨今の就職氷河期を反映した女子大生の就職

動向などを (文字通り) “分析する” 人である。しかし何のことはない、実際にはただ単に

「 “女子大生” が好きで、その見かけの品定めをする」 だけの、「変なおじさん」 にすぎな

かったのだ。もっとも、その時自分自身はその番組を真剣に観ていたわけではなく、それが

どちらかといえば 「お堅い番組ではない」 ということに気付いた瞬間、すぐ納得させられた

わけであるが。

「アナリスト (analyst) 」 は、 「分析者」 とか 「評論家」 という意味で遣われることから

すれば、何かを 「分析したり評論したりする人」 は、とりあえず何でも 「○○アナリスト」 と

呼んで間違いとはいえない。しかし、やはり 「女子大生アナリスト」 は極端な例としても、ま

た 「完全な自称」 はともかく、各種メディアで出す肩書としては、一応はそれを見た人、聞い

た人がある程度納得のいく 「○○アナリスト」 にしてほしいものである。

今から20年ほど前、 「湾岸戦争」 に関するニュースなどで 「軍事評論家」 という肩書を

初めてTVで目にして以来か、大きな航空機の事故が起きた際には 「航空評論家」 が登場、

その後現在に至るまで目にする 「○○評論家」 「○○ジャーナリスト」 の種類は厖大なものが

ある。個人的に 「自称」 で使うのは結構であるが、その肩書を公に出す際には 「何でもか

んでも○○評論家」 のようなものはできるだけ避けないと、「評論家」 という職業全体の価値

をさらに下落させるのは間違いない。

もっとも広辞苑などには 「評論家」 の意味の一つに、「 (評論ばかりして) 実際は何もし

ない人」 という例が載っており、あくまでも 「自嘲的」 「自戒的」 に自らその肩書を用いる

のは大いに結構である。


飼い主が 「イヌというものは・・・」 などと、
「犬のことをいかにも理解している」 かの
ように述べるのに対し、「わかっていないくせに」
と冷めた目で見ている!?      こじろう

  


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2011年02月12日

『口に出せないこと』 を平然と!!!

業務、プライベートを問わず、普段寡黙な人が突然発する (予期せぬ) 一言というのは

大変衝撃的であったりするものだが、それは周囲を 「ドキリ」 とさせるのみならず、加え

て 「気まずい」 雰囲気を作り出しかねない。

さて、先日週刊Pに 「長老集う名球会総会で野茂氏 『名球会は結局何するところ?』 」

というタイトルの記事があったが、その内容は


・・・・・・・日本国内が斎藤祐樹フィーバーに揺れる中、球界の “長老” たちはある騒動

      に見舞われていた。

      「名球会で、大騒動が起きているらしい。年末の総会の爆弾発言が引き金と言

      われているようだ」 (スポーツジャーナリスト)

      名球会といえば、2009年創立以来会長を務めてきた金田正一氏が勇退し、王

      貞治氏が第2代会長に就任した。先の総会が行われたハワイのホテルの一室

      では約30名の王会長をはじめとする名球会の錚々たるメンバーがテーブルを

      囲んでいたが、“爆弾発言” はその席上で飛び出した。発言主は今回が初参

      加の野茂英雄氏 (元近鉄、ドジャース他=2009年入会) である。

      「発言内容は 『名球会は結局、何をするための組織なのか。もっと社会貢献を

      するべきではないのか』 といった、名球会の活動に疑問をぶつけたものだった

      ようです。寡黙で知られる野茂氏が率先して口を開いたことで、ビックリした会員

      も少なくなかったでしょうね」 (同前)

      しかもそれに続く形で、古田敦也氏や野村謙二郎氏といった若手会員らも続々

      と発言した。新参者の若手が重鎮たちにモノ申す・・・体育会系の世界では基本

      的にタブーであるだけでなく、名球会にとっては、「総会での発言」 は今までほ

      とんどなかったという経緯もある。

      「金田会長時代、総会はスタッフに会計報告をさせ、10分くらいでシャンシャン

      で閉会していた。挙手して質問でもしようものなら、会長に 『文句があるなら

      オレの事務所に来い』 と一喝される。そのため誰も発言しようとはしなかった」

      (球会関係者)

      かつてある会員が今回の野茂氏のように 「ゴルフばかりやっていないで、もっと

      社会に貢献するようなことをやった方がいい」 と提言したものの聞き入れられず、

      その会員は総会はおろか行事一切に参加しなくなった経緯もある。

      今回の総会の内容が外部に漏れなかったことはさまざまな憶測を呼んだ。 「今

      回は特に散会後、“他言は無用” という緘口令が敷かれたと聞いています」 (前

      出のスポーツジャーナリスト)・・・・・・・


というものである。

今やその 「存立の危機」 に瀕しているといってもいい日本相撲協会のような “公益法人”

でもなく、純然たる民間の一団体 「名球会」 の体質や社会貢献の問題については、いくら

「長年の熱心なプロ野球ファンの一人」 を自認?する自分でも特に興味はないし、そもそも、

あれこれモノ申す資格も権利もないが、この総会のやりとりそのものについてはなかなか面

白いと感じるところはある。

まず冒頭でも触れたように、寡黙な人間が大勢の前でイキナリ周囲を 「ドキリ」 とさせる発

言をすることは取りたてて珍しいことではない。ただ、それをするにはその人なりの 「勇気」

や 「覚悟」 などを必要とすることが一般的だと思われるが、こと、この野茂氏に関していえ

ば、勇気や覚悟、また総会の雰囲気もどこ吹く風、ただ思いついたことをそのまま 「口に出し

た」 可能性がかなり高いといえるだろう。その後は和製大リーガー (十分な活躍をしている、

あるいは、してきたかどうかは別にして) が数え切れないほど?出てきたが、この野茂氏が

ドジャースに初入団した当時は、 (日本人史上初の大リーガーではなかったが) まだ 「日

日本が大リーグで本当に通用するのか」 という否定的、懐疑的な見方がかなり多かった、つ

まり 「まだ、誰も成し得ていない (ような) ことに果敢にチャレンジできる」 のが彼だった

わけで、その点、今回の発言も 「誰にもできそうにないことを、深く考えずに (失礼!?) 

『さらっと』 やってしまう」 彼の性格からすれば何も不思議なことはないといえるだろう。

「その場の雰囲気を壊さない」 、現代風にいえば 「その場の空気を読む」 ことが人間社会

の基本原則であることは今も昔も変わらない。しかし、必要以上にそれが尊重されると、「い

つまでたっても好ましくない因襲や慣例が改められず、その組織等にとって進歩がない」 と

いうことにつながるのもまた否定できないものだ。営利、非営利を問わず、その組織の代表者

とかリーダーといわれる人たちは 「気がついたら自らが 『ハダカの王様』 になっていた・・」 

とならぬよう、そのあたりを常に念頭においた運営が求められるというものである。


人間のことばが話せるなら、おそらく 
「口に出せないこと」 を平気で口走り
そうな!?        こじろう






  


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2011年02月11日

『次から次へと』 よくもまあ!!!

「振り込め詐欺」 の類が世間一般に登場するようになってすでに久しいが、「人の信じる心」

につけ込んだこの手の犯罪による被害はとどまるところを知らないどころか、次から次へと

新手の詐欺が登場し、その技術レベル?はますます向上しているとしか思えない。

先日の某紙に 「 『詐欺被害者の会』 名乗る詐欺、72才が被害」 というタイトルの記事

を見つけたが、その内容は、


・・・・・・・埼玉県警本庄署は7日、同県本庄市の無職女性 (72才) が 「詐欺被害者の

      会」 を名乗る男らにキャッシュカードをだまし取られ、現金150万円を引き出され

      る被害に遭ったと発表した。

      発表によると5日夜、男から 「お宅のキャッシュカードから50万円が引き出され

      ている。会の者が行くから、カードを渡して」 などと女性宅に電話があった。女性

      は約30分後、自宅を訪ねてきた男にカード1枚を渡した。

      7日夜、不審に思った女性が同署に相談。ゆうちょ銀行の口座を確認すると、計

      150万円が引き出されていた・・・・・・・


というものである。

「警察官や金融機関の職員などを名乗るこの手の詐欺」 が横行しているのはすでによく

知られた話で、関係当局からも警戒が呼びかけられているが、「 『詐欺被害者の会』 を

名乗る詐欺」 というのは自分としては初めて耳にしたものである。 「こういう連中はよくも

まあ次から次へといろいろなアイディア?を生みだすものだ」 とある意味感心してしまう?

くらいだが、以前この 「こじろう117」 でも何回か述べたことのある、 「それだけの発想

力を何か別の 『まともなこと』 になぜ生かせないのか」 という点も、もはや疑問として感

じなくなってしまったことが複雑な思いに通ずるのは否定できない。

しかしそれにしても改めて考えさせられるのは、「このように何もかもが俄かには信じられな

い世の中に成り下がったのは一体いつ頃からなのだろうか」 ということである。自宅などに

かかってくる見知らぬ番号の電話については、それが何ら怪しい用件のものでなくても、出る

前に 「ある種の強い疑いや警戒心を抱かざる得ない」 のが普通であるし、まして直接自宅

に人が訪ねてきた場合には、その人がたとえ警察官の制服を着用していたとしても、一応は 

「はたして本物の 『警察官』 なのだろうか」 くらいの用心が必要なのも、今や珍しい話と

はいえないだろう。

小学生でも高学年ともなれば、「人を見たら泥棒と思え」 という類のことわざを学習するのが

普通だと思うが、「そんなことを今さら教えられなくても、毎日TVでニュース番組などを眺めて

いれば、イヤでも身についているよ」 などと言われてしまいそうなのは何とも嘆かわしいかぎ

りである。

( 「こじろう117」・・・もう 『電話には出られない』???・・・参照)


「次から次へとよくもまあ、イタズラを
考えつくものだ」 と、飼い主を呆れさ
せている!?        こじろう

   


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(4)ペット

2011年02月10日

『ワンコ』 さまさま???

ペットとして “犬” を飼う理由は人それぞれでさまざまだろうが、たいていは (少なくとも

飼育し始めた当初は) 「癒しを求めて」 ということが多いような気がする。しかし、もしそれ

(飼い主および周囲の人々を癒すこと) にとどまらないどころか、たとえば経営している会社

の業績そのものに多大な貢献をしているとなれば、これはまさに 「ワンコ さまさま」 とい

うことになるだろう。

先日の某紙に、「社内で犬、歩いてますけど!・・・でも売上げ4倍」 というタイトルの記事が

あったが、その内容は、


・・・・・・・社長が事務所に愛犬を放し飼いにした結果、社員がリフレッシュされ、売り上げが

      大幅に伸びた会社が大阪市内にある。

      動物と触れ合うことで心身の健康維持を目指す 「アニマルセラピー」 の事業所

      版ともいえ、労働者の心の健康が社会問題になる中、同様の取組みが広まりつ

      つある。

      この会社は大阪市西区の情報会社 “I”。同社は行政文書を記号に置き換える業

      務などを行い、ビルのワンフロアにある事務所では、約40人の女性社員がデータ

      入力のためパソコンに向き合う。そこへヨークシャーテリアのヌクちゃん (雄、1才)

      が駆け寄ると、社員は少しだけ手を止め犬をなでる。

      社員らは1時間に1万5000字を打ち込むため、ストレスがたまりやすく、体調不良

      を訴えて休業したり退社したりする社員もいた。同社の社長 (65才) は 「何か

      社員を癒す方法はないか」 と思案。

      自宅で4匹の犬を飼育する愛犬家でもあり、「アニマルセラピー」 で元気を取り戻

      す高齢者がいることを知ったため、2009年8月から就業時間に愛犬を連れてきて

      社内で飼い始めた。

      ヌクちゃんは職場を “視察” し、終業時にはお見送りもする。笑顔が生まれ次第に

      長期休業する社員もなくなった。同社の売り上げは飼育前の2年前に比べ約4.4
      
      倍に伸びたという。

      社員らは 「ヌクちゃんのおけげでホッとできる」 とよろこぶ。社長は 「ここまでの

      売り上げ増にはビックリ。社員の健康も維持でき、ありがたすぎる」 と話す・・・・・

      ・・・・・・・


というものである。

TVなどを観ていると、よく 「看板犬」 といわれるような “犬” をつないでいる各種ショップ

が出てくることがあるが、「数十人もの人が一緒に働く職場で、しかも放し飼いにしているとい

うケースはあまりないのでは」 と推測される。というのも、それなりの人数になってくれば中

には 「犬が好きでない」 とか 「犬アレルギー」 の人がいる可能性も考えられるからだが、

この事業所についてはその点の心配もないようで、その光景は大変にほのぼのしたものが

目に浮かび、全く無関係な自分自身も勝手に楽しくなってしまうほどである。

「 (2年前に比べ) 売上げが4倍になった」 というのが、まさか単純に 「ヌクちゃんのおか

げ」 ということもないだろうが、同社の社長として、「自分自身の飼い犬が社員の心の健康

向上に貢献しただけでなく、業績にまで結びついたそのよろこび」 は、たとえ 「こじつけ?」

と揶揄されようとも、それを補って余りあるものといえるだろう。

「業績の (大幅な) 向上」 に直結するかどうかはともかく、少なくとも 「人々の心身の健

全化に犬をはじめとする動物が貢献するこのような動き」 がますます活発になっていくのは、

なかなか素晴らしいことである。だがこういう話を聞くと、実際に犬を飼育しているものとして

「それでは自分の飼い犬は、どのような社会貢献ができるであろうか」 とすぐ考えてしまう

のも自分だけではないだろう。しかし、自分自身 (の飼い犬) については残念?ながら、

「 『貢献』 より前に、まずは他人に 『迷惑をかけない』 ようになるのが先決」 と思い直

すのが精一杯のようである。もっともそれも、 「もともとは 『飼い犬自体の責任』 でなく、

すべては 『飼い主 (自分自身) の責任』 であるということを否定できないのが情けない

ばかりだ。

「写真を見る限りは、『おとなしそうな犬』 なのにねえ」 と言われるのも、今に始まったこ

とではないが、それでも自分にとってはすでに 「 『こじろう』 のいない人生は考えられな

い」 となってしまっているだけに、「犬の魅力 (魔力?) とは本当に 『すごい』 もの」 

しみじみ感じざるを得ない今日この頃である。


飼い犬自身は飼い主を選べないのだから、
「飼い主は飼い犬のために一生懸命尽す
べきだ」 と主張したい!? こじろう

  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(6)ペット

2011年02月09日

『凶悪犯罪者』 の “器”???

以前、「こじろう117」・・・『資質』 を疑われる???・・・で、 「 “強盗” という凶悪

犯罪を企てたのはよいが、結局その “凶悪犯罪者” としての資質?に欠けていた、と

思われるせいで “御用” となった男の事件」 をとりあげたことがあるが、先日もまた

同じように、どう見ても 「凶悪犯罪者の “器” ではない」 と思われる男による、マヌ

ケな銀行強盗事件についての記事を某紙に見つけた。

タイトルは 「 『金を出せ』  『出せません』・・・・・退散した銀行強盗」 というもので、

その内容は、


・・・・・・・警視庁八王子署は先月31日、さいたま市の無職の男O容疑者 (53才) を

      強盗未遂容疑で現行犯逮捕した。

      発表などによると、O容疑者は同日午前11時頃、八王子市の 「H銀行八王

      子支店」 で、カウンター越しに女性行員に包丁を突き付け、「金を出せ」 と

      脅した。男性行員 (55才) が 「金は出せません」 と断わると、何も取らず

      に歩いて逃げ、近くにある警視庁の 「横山地域安全センター」 の職員に取

      り押さえられた。行員や客にケガはなかった。

      O容疑者は、「生活保護を打ち切られるかもしれないと思い、まとまった金がほ

      しくて銀行に押し入った」 と話している・・・・・・・


というものである。

“犯罪者の器” に触れる前に、この記事を読んでまず敬服したと同時にドキリとさせられた

のは、H銀行八王子支店の55才男性職員の 「ひとこと」 である。強盗犯が目の前で凶器

を突き付けながら 「金を出せ」 と迫ったのに対し、「金は出せません」 と即座に却下?す

るというのは、「できそうでなかなかできないこと」 と思われるからだ。よほどこのO容疑者の

言動に迫力がなく、また本当に具体的凶行に及ぶとは考えられないという雰囲気を感じたの

かもしれないが、こういう場合は犯人の言い分を即座に却下するのではなく、とりあえず何か

落ち着かせる一言を述べるのがマニュアル的対応ではないのか。すなわち、一瞬で犯人の

いかにも頼りない?雰囲気を感じ取って、要求を却下したとしたらそれはそれでその眼力は

尊敬に値するものとなるが、逆に万が一 (凶器を突き付けられている) 女子行員が、逆上

した犯人によって切りつけられるような事態になっていたとしたら、それはそれで大変な責任

問題となっていただろう、ということである。

まあ、何はともあれ結果的には 「このO容疑者は、とても銀行強盗という 『凶悪犯罪』 を

成せるような “器” ではなかった」 ことが幸いし、支店と行員それぞれが救われた?とい

うことになるのは否定できない。

銀行強盗にかぎらず、かつてはいわゆる凶悪犯罪を企てる人間というものは、それが成功し

ようとしまいと、「悪人としての “資質” を備えている者」 が多かったように (自分で勝手

に) 思い込んでいたが、昨今その種の報道に接する限り、 「気の弱そうな?普通の?市

民」 が、一般的に 「まず成功しないような犯行に手を染める」 ことが多いようで、それは

それでなかなか複雑な思いに至る、というものではないだろうか。


自分は 「凶悪イタズラ」 に手を染められる
“器” ではないと自覚している!? こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2011年02月08日

警察の 『裏切り』???

「強盗の犯行前に意を決して警察に出頭し、その計画を暴露した。しかしそのまま実行する

ように (捜査官から) 働きかけられ、現場で逮捕に協力した・・・」 。特に海外の映画や

TVドラマではよく見られるシーンである。だが、わが国でも “現実に” そういう事例がある

と聞けばある種の驚きを隠せない。しかも結局 「その協力者が他の犯人らとともに現場で

取り押さえられたうえに20日間も拘留され、実名で共犯者として報道までされた」 となれ

ば、 「ええー?、それはないだろう」 と感じても決しておかしくはないだろう。

先日某紙に 「おとり捜査に協力して逮捕された原告、2審も勝訴」 というタイトルの記事

があったが、その内容は、


・・・・・・・知人が企てた強盗計画を佐賀県警に知らせて 「おとり捜査」 に協力したのに、

      逮捕され精神的苦痛を受けたなどとして、佐賀市の中古車販売業H氏 (39才)

      が佐賀県に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が3日、福岡高裁であった。

      古賀寛裁判長は、捜査の違法性を認めて33万円の支払いを命じた昨年8月の

      1審、佐賀地裁判決を支持し、県側の控訴を棄却した。

      1審の判決などによると、H氏は2007年7月、暴力団幹部から強盗への協力を

      持ちかけられたが、犯行予定日に佐賀署に行き計画を告げた。しかし、署員から

      そのまま計画に加わるように言われ、別の男らと予定の民家に到着した際、捜査

      員らに取り押さえられた。H氏は強盗予備容疑で逮捕され、20日間の拘留後に

      不起訴となった。

      1審判決は 「自首してきた者に犯罪の一部を行なうよう求めることは、許される

      限度を超えていて相当性を超えている」 と、捜査の違法性を認定。H氏の逮捕を

      実名で発表したことも 「誤った内容を発表しており、裁量権を逸脱して違法」 と

      した・・・・・・・・・


というものである。

この事例が、「厳密な意味でいわゆる 『おとり捜査』 にあたるのかどうか」、 またそうだ

として 「その (おとり捜査の) 違法性についてはどう解釈するか」 を今ここで論ずるつ

もりはない。もっとも、この件に関して地元の別紙では、2審の裁判長により 「佐賀県警側

が実質的に犯罪行為をそそのかして作りだしており、違法」 すなわち 「佐賀県警による

実質的犯罪教唆」 と断じられたことはすでに報じられている。

だが法律上の解釈はともかく、このH氏が 「警察に 『裏切られた』 」 ということについて

は衆目の一致するところだろう。一応警察側の “言い分” としては 「協力者H氏の事件

後の安全を確保しなければならない。すなわち、H氏が 『仲間?を売った』 ことを俄かに

(仲間に) 悟られないようにするという目的をもってH氏も一緒に逮捕した」 というような

ものが考えられる。しかし、その後の20日間という長きにわたる拘留、および共犯者として

の実名発表は、その目的をはるかに逸脱しているといえよう。「犯人らを逮捕さえできれば、

あとはどうなってもよい」、 つまり、「自分たちの都合のみを優先し、協力者 (といっても

一般的な善意による 『協力者』 とはいえないが) の人権を完全に無視した手法」 と、

市民に解釈されても仕方ないし、H氏からすれば、まさに (月並みで品の無い言い方で 

あるが) 「警察に裏切られた」 という怒りを覚えて当然であろう。

小説や映画などの世界の中でだけでなく、日常的にこのような事例が実際どれほどある

のかは不明だが、「何を信頼し、何を疑うべきなのか」 がよくわからなくなっている世の

中というものは本当にややこしく、また困りものである。


飼い主の 「甘い言葉」 を信じた後に、
「裏切られた」 という感情を何度も抱い
た憶えのある!?       こじろう

  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2011年02月07日

『狙い』 は悪くない???

自分にはそういう経験がないのでよくわからないが、ギャンブルなどで 「勝った」 ある

いは 「当たった」 ときの 「うれしさ」 は (その金額にもよるが) 相当なものであろ

うと推測される。一方、それで有頂天になった際の 「無防備さ」 も日常の比ではない

だろう。

さて先日某紙に 「大当たりパチンコ客狙い、スリ30年 67才男逮捕」 というタイトル

の記事があったが、その内容は、


・・・・・・・大当たり中のパチンコ客の上着から財布を抜き取ったとして、警視庁捜査3課

      は窃盗の疑いで西東京市の無職A容疑者 (67才) を逮捕した。昭和56年

      頃からパチンコ客を専門に狙う手口でスリを重ねていたという。

      同課によるとA容疑者は 「生活保護は受けていない。暮らしのため商い (ス

      リ) をやった」 と供述。新宿などでも同様の犯行を繰り返していたとみられる。

      スリ犯特有の視線を客に送るA容疑者を捜査員が発見、犯行を確認して取り押

      さえた。

      逮捕容疑は先月28日午後3時頃、港区新橋のパチンコ店内で客の男性 (60

      才) の上着の外ポケットから現金2000円が入った財布を盗んだとしている。

      パチンコ店のスリ被害者は遊技に熱中して被害に気付かず、自分で金品を落と

      したと勘違いしてしまうケースが多いといい、同課は注意を呼びかけている・・・・・・・


というものである。

このA容疑者。今までにも逮捕歴があったかどうかはこの記事からだけでは不明だが、30

年もの歳月を 「スリ」 という仕事?一筋で過ごしてきたとすれば、それはそれで感心?

してしまう。また生活保護も受けずにそれで暮らしてきたとなれば、(腕がいいからだろうが)

「スリ」 という職業?も、本人が “商い” と称するほどに 「うま味」 のあるものというこ

となのだろうか。

さて、A容疑者が 「専ら狙った」 という 「(大当たり中の) パチンコ客」 であるが、記事

の中にある 「遊戯に熱中して、スリに遭ったことにも気付かない」 のは非常によくわかる。

「スリで狙う “獲物” 」 としては、(被害に遭った人たちには気の毒だが) いわば最適

といえるカモだろう。

人間、自分にとって何かよいこと、夢中になれること、うれしいことがあるときは一般に最も

「無防備」 になるものであり、そこにこそ最強 (最凶) の 「魔手」 が忍び込んで来やす

いことを忘れてはならないのだ。


お気に入りのオヤツを目の前に出さ
れた時に、明らかに 「無防備さ」 を
露呈してしまう!?    こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(2)ペット

2011年02月06日

『私的流用の問題』 ではない!!!

落ちている金を拾った場合、「その金額の大小にかかわらず警察に届けなければならない」

ことは、おそらく未就学児童のほとんどですらわかっているだろう。また 「占有離脱物横領」

という刑法上の罪名までは知らなくても、一定期間以上勝手にその金を保管し、まして使途

にかかわらずそれに手をつければ、当然立派な?犯罪となるのは常識以前のことである。

さて先日、「客が落とした金流用 岐阜競輪場、警察に届けず消耗品購入」 というタイトルで

岐阜新聞配信の記事があったが、その内容は、


・・・・・・・岐阜市が運営する岐阜競輪場で、場内で客が落とした金を警察に届け出ずに不正

      に保管し、消耗品などの購入費に充てていたことが1日までにわかった。

      保管金の存在が明らかになった昨年末の時点で金は20万円程度あったとみられ、

      市は内部調査委員会で保管の経緯や使用実態を調べている。

      競輪場関係者らによると、場内で客が落とした金は小型の金庫にまとめられ、施

      設の修繕資材などの購入費に充てられていた。金庫は場内の案内係に置かれ、

      競輪場の従業員らが消耗品を購入した際のレシートを持ってくれば現金を受け取

      れた。

      出入金を記録した帳簿などは残っておらず、市の調査委は保管の経緯などを職員

      から聞きとりをして調べている。市幹部は 「不適正な事務処理をして捻出した裏

      金ではない。私的流用も確認されていない」 としている。

      市の調査委は近く調査結果を公表する予定。同競輪場に関しては、架空の修繕

      工事による不適正な事務処理があるなどして、同調査委が調べていた・・・・・・


というものである。

記事を読んでまず開いた口がふさがらないのは、市幹部による 「とんでもなく見当外れで

不見識なコメント」 である。冒頭にも述べたように、今回競輪場が保管し流用していたのは

まぎれもなく、「落とした客の個人的な金銭」 であり、 「裏金でない」 とか 「私的流用は

無い」 とは次元の異なる問題である。それを 「競輪場が組織的に使っていた」 、「職員

が個人的に使っていた」 というのはある意味どうでもいいことなのだ。さらに、いずれにせ

よ帳簿も記録も無い状況でろくに調べもせず?どうしたら 「私的流用は確認されていない」 

などと言い切れるのかについても不可解極まりない。

岐阜市という大きく立派な自治体が運営 (経営) する施設では本来考えられないことだが、

百歩譲ってたとえばその競輪場の責任者をはじめとする職員が皆、「場内で客が落とした金

を職員が拾った場合、1週間以内に警察に届け出る必要があること」 また 「不正な保管や

拾得金の使用は刑法の 『占有離脱物横領』 にあたること」 を知らなかったとしよう。しかし、

それならそれで、もし落とし主が後日現われて、「拾った金を返してほしい」 というような申し

出を受けたとしたら、どういう対応をするつもりなのだろうか。まさか 「そんな金は一切無か

った」 と、とぼけたり、「使ってしまってもう無い」 と開き直ったりするつもりなのだろうか。

それとも 「一度拾った金は、こっちのものだ」 として、追い返すというのだろうか。

悪意のあるなしに拘わらず、他人の金を流用するという 「犯罪」 に手を染めながら 「私的

流用はない」 などということを平然と言い放つ人が幹部として通用してしまう 「お役所」 と

いうところは、現代の先進国日本の中にあって、むしろなかなか貴重な存在といえるかもしれ

ない。


「一度もらったオヤツは自分のもの」
として決して手放そうとしない!?
            こじろう



  


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2011年02月05日

それなりの 『代償』!!!

人の道を外したことや無分別なこと、またよく考えもせず浅はかな行為に及ぶことなど

をすれば、やはり 「それなりの 『代償』 を支払わされることになる」 のは避けられ

ないようだ。

先日某紙に 「元浮気相手方のカギ穴に接着剤?・・・鹿児島市職員、逮捕」 という

タイトルの記事を見つけたが、その内容は、


・・・・・・ 鹿児島県警は1日、鹿児島市の市職員K容疑者 (39才) を建造物損壊、

      住居侵入容疑で逮捕した。

      発表によると、K容疑者は1月28日午前11時頃、市内の介護士の女性が

      住むアパートに侵入し、玄関ドアのカギ穴に瞬間接着剤のようなものを流し

      込んで壊した疑い。「別れた腹いせにやった」 と容疑を認めているという。

      K容疑者には妻がいるが昨年11月まで女性と交際。女性は今年1月、アパ

      -トの階段に中傷ビラが貼られたり、自転車が壊されたりしたことから、県警

      に相談していた。

      K容疑者はこの日、「県庁に行く」 と伝えて市役所から出た。女性宅の監視

      カメラに犯行に及ぶ姿が映っていた・・・・・・・・


というものである。

鹿児島市の市職員という立派な肩書と家庭を有し、しかも39才という年齢からしても、この

男の一連の行為はあまりに嘆かわしいものであるのは疑いない。動機は 「別れた腹いせ」 

ということで、その別れた経緯はわからないが、自転車を壊すのはまだしも (もちろんそれ

も許されることではないが)、 「中傷ビラを貼る」 などというのは、人間として最も卑劣かつ

下劣な所業といってもいいだろう。また逮捕の直接の容疑につながる 「女性宅の玄関ドア

のカギ穴に瞬間接着剤のようなものを流し込んだ」 というのも、その目的は全く想像できな

いにせよ、極めて陰湿かつ悪辣な嫌がらせと断定できるものである。

だがそれでは、今回の被害者となった女性について一方的に同情できるかといえば、それ

はそれで難しい面もあるといわざるを得ないだろう。まずこの男に妻がいるということを知っ

て交際していた (可能性はかなり高いと思われるが) 場合であるが、やはり 「不倫とい

う人の道に外れた行為の代償は、(ここまで異常でなくても) それなりに支払わなくてはな

らない」 ということで、完全に自らの不徳が招いた結果と言わざるを得ない。

また妻がいることを知らなかった場合である。これは少々レベル?が高くなってしまうが、相

手はこれだけの激しい行動に訴える男である。この女性の年齢については記事からは不明

であるが、20代前半くらいまでならともかく、それ以上の年数の社会経験を積んでいるとす

れば、こういう男と本格的?な交際を始める前の段階で 「その異常性を見抜く眼力」 とい

うものもそれなりに要求されるといえるだろう。


飼い犬にとっては 「イタズラの代償は
は支払う必要がない」 と開き直って
いる!?         こじろう



       


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(2)ペット

2011年02月04日

あまりの 『マヌケぶり』 に同情???

映画やTVドラマのシーンには 「ずいぶんマヌケな犯人だなあ」 というものがよく出てくるが、

現実に起こった事件にも、その 「マヌケぶり」 に、思わず笑ってしまうものが少なくない。

先日の某紙に 「スーパー強盗、責任者倒して金庫開けられず・・・」 というタイトルのものが

あったが、その内容は、


・・・・・・・札幌市東区のスーパーで先月29日、拳銃などを手にした男2人が押し入った強盗

      致傷事件で、男らが最初に夜間責任者のマネージャーをバールで殴り倒したこと

      で金庫の開け方がわからなくなっていたことが31日、北海道警札幌東署への取材

      でわかった。

      同署によると、男らは先月29日深夜、店舗裏の無施錠だった従業員通用口から

      押し入り、2階の会議室内に侵入。部屋に潜んでいたが、人影に気づいた同店の

      マネージャー (60才) が様子を見に来たため、頭を複数回なぐり、ケガを負わせ

      た。男らは倒れたマネージャーが所持していた財布や店の鍵束を強奪し、その後

      廊下で鉢合わせした男性アルバイト従業員 (19才) を 「金庫はどこだ」 と脅

      迫し、金庫がある一階の部屋に案内させた。

      金庫は鍵とダイヤルで施錠する仕組みだったが、男らは開け方がわからず、マネ

      -ジャーに金庫の解錠方法を聞きながら一階とニ階の間を4往復。しかし結局は

      断念して逃走した・・・・・・・・


というものである。

この犯人ら、わざわざ (本物かどうかは不明だが) 拳銃まで用意し、また部屋に潜んでいた

など、それなりに計画性?を持っていたようなフシもあるだけに、「金庫内の現金などを奪う」

という唯一最大の目的を、完全な自分らのミスにより 「果たせなかった」 のは、何とも情け

ないというかマヌケであるとしか言いようがないだろう。もっとも 「なぐられたマネージャーしか

金庫の解錠ができない」 ことを最初からわかっていたわけではないだろうから、「ツイテいな

かった?」 というところも多分にあると思われる。

冒頭のように、まさに小説やTVドラマの脚本さながらといえるような 「現実の出来事」 であ

るが、「悪事はそう簡単には成し遂げられるものではない」 ということを (なぐられたマネー

ジャーには気の毒であり、また不謹慎ではあるが) 「笑い話」 に変えて (世間に) 教えて

くれた分だけ、この犯人らに対して若干は同情してあげてもいいかもしれない。


飼い主がたまに見せる 「マヌケな失敗」
を冷めた目で眺めている!? こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(2)ペット

2011年02月03日

その写真 『必要』???

先日の東京の遊園地での遊具からの転落事故は大きなニュースにもなったが、「もし自分、

(といっても自分自身が遊園地のアトラクションに乗ることはもうあり得ないと思うが) ある

いは身近な人が同じ目に遭ったとしたら・・・」 と考えただけで恐ろしくなるほどの悲惨な

出来事である。犠牲になった男性および近親者の方々には 「お気の毒」 としかいいよう

がないが、当該遊園地はもちろん、全国の同様の遊園地では今回のような事故がニ度と

起こらないよう、徹底的な安全対策を施してほしいものである。

ところでその事件が起きた翌日、某紙夕刊の記事において、以前にも別の報道に接した際

に経験した一種の 「違和感」 を久々に抱かされることになった。それは記事のタイトルの

すぐ横に掲載された犠牲になった男性の写真についてである。前日のTV報道の際、すでに

その方の年齢は34才ということは耳にしていたが、その写真を見た瞬間 「ずいぶん若く見

える人だなあ」 と思わされたのだ。そこで不思議に思いその写真の説明?をよく見てみる

と、そこには 「 (犠牲になった) △△さん (中学時代) 」 と書いてあったので、なるほ

どとすぐ合点はいった。しかし、「ちょっと待てよ。34才の人の中学時代といえば今からもう

20年ほども前のことではないか。しかも (新聞に載せられた小さな写真でもあり) かなり

ぼやけてもいるため、この写真が現在のその方の写真だとわかる人など、ほとんど存在しな

いのではないか」 と考えつくのにも、ほとんど時間がかからなかったのだ。

新聞記事にその字面だけでなく写真もつけることの一般的な意義は、素人ながら一応は理

解しているつもりである。以前、ある小説の中でも、事故や事件が起きるとその直後から報

道機関の記者らが、「当事者の顔写真を手に入れるため必死で奔走する」 ということを読

んだ憶えがある。しかしそれにしても今回のように、撮影してから既に20年も経ており、しか

も一般的に 「その間に人生の中で 『最もその容貌に変化があったと思われる写真を掲載

する』 ことに果たして何の意味があるのか」 については、さっぱりわからない。

以前の同様の例は、TVニュースの一場面であるが、60才代のある主婦が殺害された事件

の報道に関して、映し出されたその被害者の顔写真は (おそらく) 30~40年くらい前と

思われるその女性の結婚式の際のいわゆる 「角隠し」 をつけたものだった。だから事件の

詳細を知るまでは、(写真がかなり古そうなものであるという不自然さは感じたものの) 被

害者はてっきり若い女性だと思い込まされたのである。

一般に報道機関として、このような写真を掲載するにあたり遺族ら近親者の了承を得るもの

かどうかは知らないが、中にはそれ (実体とかなり異なる?被害者らの写真を掲載される

こと) を快く思わない (遺族らがいる) 場合もあるのではないだろうか。

今回のような報道関係の写真にかぎらず、「これには 『これが付き物』 である」 という例

は日常の中にたくさんあるはずだが、それを 「付けた」 ばかりに、かえってその本質的

部分に余計な邪推が入り込む余地を生じさせるのみならず、ともすれば明らかに誤った認

識すら植えつける可能性がある、ということを考えておかねばならない。


飼い主が 「うちの犬です」 と、よその人に
写真を見せる際には、「映りが良い」 ものだ
けにしてほしいと思っている!?  こじろう






  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(4)ペット

2011年02月02日

『効果』 は期待薄???

その当人は 「斬新で素晴らしいアイディアだ」 と自信?を持っているのかもしれないが、

客観的に見て、その “効果” についてはかなり疑問視せざるを得ないことに手を染める

人は結構いるようだ。しかし、さらにそれが反社会的で罪に問われるような手段となれば、

これはもう、「救いようもない」 といえるものになる。

先日某紙に 「よそが満室ならウチに来るかも・・・・・ウソの予約13回」 というタイトルの

記事があったが、その内容は、


・・・・・・・福岡県警久留米署は先月27日、佐賀県鳥栖市のホテル経営会社役員K容疑

      者を業務妨害の疑いで逮捕した。

      発表では、昨年10~11月、インターネットの宿泊サイトに架空名義で登録し、

      久留米市内のビジネスホテルにウソの宿泊予約を計13回行い客室の確保など

      をさせ、業務を妨害した疑い。

      K容疑者の会社は久留米市内でビジネスホテルを経営。「自分のホテルにも客

      を呼び込むため、昨年9月から続けていた」 と供述しているという。別のホテル

      にも架空の予約をしたとみて調べている・・・・・・・


というものである。

昔から悪質なイタズラや嫌がらせで 「架空の出前注文をしてはその飲食店および届け先

にされた家庭などに損害を与えようとする」 ものがあると聞くが、その場合はその行為者

には基本的に利益をもたらさないのは明らかである。今回のケースでは一見すると行為者

に利益をもたらすようにも思えるが、実際はどうだろうか。

福岡県久留米市といえば、人口30万を超える “中核市” である。宿泊施設の数はおそ

らく全体で相当の数に上るだろうし、ビジネスホテルの類だけでも数十件は下らないと推

測される。したがって街なかに数件のホテルしかないような小さな町村での話ならともか

く、一軒やニ軒のホテルを満室にしたところで、その分自分の (経営している) ホテル

の客が大幅に増えるなどということはまず考えられないだろう。その発想は、「受験生が

自らの志望校合格のために、受験当日になるべく多くの他の受験生が体調不良にでもな

るように願う」 程度のレベルで、少なくとも逮捕される危険を冒してまで行なう価値は全く

存在しないと思われる。

たとえばスポーツの世界でも、勝利のための一手段として相手の嫌がることを (反則に

ならない範囲で) 行なうことに、たしかに有効な部分はあるだろう。しかし、それはあく

までも正攻法による攻撃の補足的なものであり、それだけで勝利をつかめるほど甘いも

のではない。まして反則を犯してしまえば、勝利をつかむどころか、退場、ヘタをすれば

永久追放の憂き目に遭うことにもなるだろう。

ビジネスの世界でもそれは同様である。他人の足を引っ張って通用するのは 「政治の

世界」 のことくらいしかないのだ。


オヤツを少しでも多くもらおうとして
アイディアを練るものの、その効果に
ついては疑問視されてしまう!?
             こじろう


  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2011年02月01日

教えたのは 『誰だ』???

つい先日、 「こじろう117」・・・『用心しろ』 と言われても???・・・で、善意や親切心

などにつけ込んだ犯罪について取り上げたばかりだが、それと似たような窃盗事件につ

いての記事を某紙に見つけた。

タイトルは 「 『赤飯ノ作り方オシエテ』 高齢者に声をかけ窃盗」 というもので、その

内容は、


・・・・・・・スーパーなどで高齢女性に片言の日本語で話しかけ、油断している間に盗みを

      繰り返したとして、ペルー人グループ5人が埼玉県警捜査3課などに逮捕されて
      
      いたことが関係者への取材でわかった。

      埼玉県北部などで昨年夏以降、同様の事件を約100件起こし、被害総額は数

      百万円に上るとみられる。外国人風グループによる同様の被害が相次いで確認

      され、県警が防犯カメラの画像分析などを進めて割りだし、昨秋に逮捕していた。

      被告らは昨年7月、前橋市のスーパーで女性客に日本語で話しかけ、女性が買

      い物カートから離れたすきに、現金8万4千円の入った手提げバッグをカート内か

      ら盗むなどした疑い。

      高齢者の女性ばかりを狙って、「赤飯の作り方教えて」 などと話しかけていた。

      「声かけ」 「盗み」 「見張り」 「移動に使う車の運転役」 などの役割を分担

      し、近づいてきた店員にも声をかけ注意をそらしていたという・・・・・・・


というものである。

高齢者の女性がスーパーで買い物中、外国人から 「赤飯の作り方を教えてほしい」 と

声をかけられれば、それがたとえいきなりのことであっても少なくとも完全無視はできない

だろう。なぜなら、その依頼?の内容が、具体的でかつ、「誰に対してでもいい」 という

ものでないからである。その外国人がそれなりの演技派であるとすれば、「異国の地で、

日本の文化に慣れ親しもうと努力しているようだ。ここは冷たくしないでぜひ協力してあげ 

たい」 くらいとっさに考えてもおかしくないだろう。したがって、数多いこの手の窃盗・強盗

犯罪の中でもこれはなかなか頭脳的なものといういい方もできる。

しかし、そもそもそれが本当に片言の日本語しか話せない外国人だとすれば、「お赤飯」 

という具体的、(この場合の) 効果的なことばを自ら考えて用いる可能性は限りなくうす

い。つまりそういうことを教えた日本人がいるということである。海外の観光地の土産物店

街や繁華街の裏通りに一歩足を踏みいれたりすると、(こちらが日本人だと見当をつけて) 

片言の日本語で話しかけてくる現地の人間がいるが、まともな日本人なら決して口にしな

いような品のない、下劣なことばを平気で?使っていることがある。おそらくその意味もよく

理解していないのだろうが、そういうときに 「一体全体こういう変なことばを教えた日本人 

は誰なんだ」 という、怒りに似た感情を抱かざるを得ないことが多い。

今回の一連の事件も、直接的な容疑者は当事者の外国人らであるが、「本当の悪」 はそ

の彼らに 「悪知恵」 を授けた日本人であるといって差し支えないだろう。


人間のことばは話せないが、それらを
聞いて理解することには、それなりの
自信をもっている!?   こじろう


  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット