2011年02月27日
『奇跡の脱出』???
人の運命というのはさまざまで、「ほんのちょっとした偶然によりその生命を断たれてしまう人」
もいれば、「とんでもない事故に遭っても軽傷程度で済んでしまう幸運人」 もいる。
さて、昨日某紙に 「車で50m転落、奇跡の脱出 高山の御母衣ダム」 というタイトルの記事
があったが、その内容は、
・・・・・・・ 23日午後3:20頃、高山市の御母衣 (みぼろ) ダム湖沿いの国道156号線で
大阪府松原市の男性会社員 (42才) の乗用車が、対向車を避けようとしてガ
ードロープを破り、ダム湖に転落した。約50m落ち、県防災ヘリが救助。男性は腰
などを打つ軽傷を負った。
高山署によると、転落した車は半分が水に浸かり、男性が携帯電話で110番して
救助を求め、車内から自力で脱出した。ダム湖は雪解け時期を前に水が抜かれ、
車は湖畔の斜面を滑り落ちた格好。 「水が浅く、浸かるだけで済んだ。水がたま
ていたら水没していたかもしれない」 と同署。対向車が中央線を越えたという。
搬送先の病院で取材に応じた男性によると、ハンドルを切って以降の意識はほと
んどなく、医師は奇跡的と話したと言い、「救助を待つときに地元の人が上から、
『大丈夫か』 と声をかけてくれたことは覚えている。温かさを感じた。感謝の気持
ちを伝えたい」 と話している・・・・・・・・
というものである。
この記事を読んでまず思い出したことがある。それは自分がまだ小学校3~4年生くらいのとき
の (ここまではすごくないが) 似たような体験である。そのある冬の日は祖父母と自分の3人
で自動車で出かける用事があったのだが、途中通った峠の下りにあるカーブの凍結していた路
面で運転者の祖父が手繰っていたハンドルが効かず、道路わきから7~8mほどの緩やかな崖
をスルスルと自動車が横向きのまま滑り降りていってしまったのだ。そのまま崖の下端近くの
大きな岩のところまで落ちた勢いでひっくり返るようになった車の屋根が尖った岩のてっぺんに
当たり、また勢いよく元に戻って静止したのだが、その激しい衝突によりフロントガラスは粉々
になり、ボディも相当ボコボコになった憶えがある。ケガとしては割れたガラスで指を切ったくら
いで済んだのが 「不幸中の幸い」 というべきだが、その数秒間は 「恐怖を感じる」 というよ
りむしろ 「何が起こっているのかよくわからない」 というのが正直なところだった。まだ10才
前後だったころのことにしては我ながらよく覚えている (思い違いしているところも多分にある
として) ものだと感心?するが、なかなか貴重な経験になったことは疑いない。
さてこの男性の事故についてだが、50mもの高さ分を落下して軽傷で済んだのはやはり驚嘆
に値するだろう。また現代だからそういうことは考えにくいが、もし携帯電話がなければ、ある
いはつながらなければ、救助を呼べないまま何日も経過した可能性もあったし、ダムの水が抜
かれていた季節の事故だったことも生死に関わる点で極めて大きな幸運といえるのは間違い
ない。「これを奇跡と呼ばずして、何が奇跡か」 といってもよいような出来事でもあるが、事故
に遭ったときの生命身体に関わる危険にかぎらず、人生においては、「実は自分自身にその
自覚がないだけで、『奇跡的に』 とまではいえなくても 『 (幸運な) 偶然がいくつか重なる
ことにより』 助けられている場面は少なくない」 のかもしれない。
飼い主の不注意により、以前生命にかかわる危機
に瀕した際に、何とか一命を取り留めたのは偶然
などではなく 「自分自身の能力によるもの」 だ
と主張したい!? こじろう
もいれば、「とんでもない事故に遭っても軽傷程度で済んでしまう幸運人」 もいる。
さて、昨日某紙に 「車で50m転落、奇跡の脱出 高山の御母衣ダム」 というタイトルの記事
があったが、その内容は、
・・・・・・・ 23日午後3:20頃、高山市の御母衣 (みぼろ) ダム湖沿いの国道156号線で
大阪府松原市の男性会社員 (42才) の乗用車が、対向車を避けようとしてガ
ードロープを破り、ダム湖に転落した。約50m落ち、県防災ヘリが救助。男性は腰
などを打つ軽傷を負った。
高山署によると、転落した車は半分が水に浸かり、男性が携帯電話で110番して
救助を求め、車内から自力で脱出した。ダム湖は雪解け時期を前に水が抜かれ、
車は湖畔の斜面を滑り落ちた格好。 「水が浅く、浸かるだけで済んだ。水がたま
ていたら水没していたかもしれない」 と同署。対向車が中央線を越えたという。
搬送先の病院で取材に応じた男性によると、ハンドルを切って以降の意識はほと
んどなく、医師は奇跡的と話したと言い、「救助を待つときに地元の人が上から、
『大丈夫か』 と声をかけてくれたことは覚えている。温かさを感じた。感謝の気持
ちを伝えたい」 と話している・・・・・・・・
というものである。
この記事を読んでまず思い出したことがある。それは自分がまだ小学校3~4年生くらいのとき
の (ここまではすごくないが) 似たような体験である。そのある冬の日は祖父母と自分の3人
で自動車で出かける用事があったのだが、途中通った峠の下りにあるカーブの凍結していた路
面で運転者の祖父が手繰っていたハンドルが効かず、道路わきから7~8mほどの緩やかな崖
をスルスルと自動車が横向きのまま滑り降りていってしまったのだ。そのまま崖の下端近くの
大きな岩のところまで落ちた勢いでひっくり返るようになった車の屋根が尖った岩のてっぺんに
当たり、また勢いよく元に戻って静止したのだが、その激しい衝突によりフロントガラスは粉々
になり、ボディも相当ボコボコになった憶えがある。ケガとしては割れたガラスで指を切ったくら
いで済んだのが 「不幸中の幸い」 というべきだが、その数秒間は 「恐怖を感じる」 というよ
りむしろ 「何が起こっているのかよくわからない」 というのが正直なところだった。まだ10才
前後だったころのことにしては我ながらよく覚えている (思い違いしているところも多分にある
として) ものだと感心?するが、なかなか貴重な経験になったことは疑いない。
さてこの男性の事故についてだが、50mもの高さ分を落下して軽傷で済んだのはやはり驚嘆
に値するだろう。また現代だからそういうことは考えにくいが、もし携帯電話がなければ、ある
いはつながらなければ、救助を呼べないまま何日も経過した可能性もあったし、ダムの水が抜
かれていた季節の事故だったことも生死に関わる点で極めて大きな幸運といえるのは間違い
ない。「これを奇跡と呼ばずして、何が奇跡か」 といってもよいような出来事でもあるが、事故
に遭ったときの生命身体に関わる危険にかぎらず、人生においては、「実は自分自身にその
自覚がないだけで、『奇跡的に』 とまではいえなくても 『 (幸運な) 偶然がいくつか重なる
ことにより』 助けられている場面は少なくない」 のかもしれない。
飼い主の不注意により、以前生命にかかわる危機
に瀕した際に、何とか一命を取り留めたのは偶然
などではなく 「自分自身の能力によるもの」 だ
と主張したい!? こじろう