2010年04月30日

『釈明』 の必要などあるのか???(その2)

昨日の 「こじろう117」/ 「『釈明』 の必要などあるのか???(その1)」 では、

先日TVで放映された 「餃子の△将」 の新入社員研修の様子につき、ネットなど

で批判的な声が上がり、それに対して 「△将」 側が釈明文を掲載したことにつ

いて私見を述べた。その趣旨は、 「『△将』 の研修についての考え方や方針は

至極真っ当なものであり、批判される筋合いでもなければ、ましてその批判に対し

て釈明などする必要は全くない」 というものである。

今日はさらに研修を受けている新入社員の立場からまず述べてみる。批判にある

ように、たとえその研修が 「軍隊式」 であろうが 「洗脳」 であろうが、そもそも

これは自らその会社に入社を希望し、自分自身の自由な意志によって受けている

研修なのである。つまり、研修がいやならいつでも自分からリタイアすることも自由

なのだ。研修の様子の中で、ある新入社員が「私は数多くの企業の採用試験を

受けことごとく落とされ、『△将』 に拾ってもらった身です」 というものもあったが、

それまでの自分の生き方や甘い考え方では社会に通用しないということに自ら気

づき、研修を通じて 「自分をたたき直してもらおう」 という気持ちをもって参加してい

る若者も少なからずいるのはまちがいない。すなわち、昨日も述べたように、「△将」

側と 「新入社員」 側がこの研修について 「合意」 の上で行っているという言い

方ができるのはもちろんのこと、お互いがそれぞれ大きなメリットを享受できる関係

になっているとさえいえるのである。だからそういう実態を批判するという行為は、

一種の 「僻み」 や 「妬み」 の現れである、といわれても仕方がない。

また 「△将」 の釈明文のなかに、「現代の若者は家庭や学校で 『挨拶・礼儀』

などのしつけがなされていない」 というものがあったが、自分の考えではそれらは

本来家庭で、つまり保護者の責任でなされるべきものである。だから問題にしたり、

批判したりする対象はまず、そういうことを学校や職場で指導せざるをえない原因

をつくっているような保護者や家庭であろう。だからそれを無償で (どころかおそ

らく研修中であろうとも給与を支払って) 指導してくれる企業の姿勢に感謝すべ

きであるとさえいえるのではないだろうか。

深刻な外食不況といわれるなか、昨年においては全国550店舗 (フランチャイズ

含む) のすべてで黒字を計上したという偉業は、「△将」 のこのような社員教育

に対する姿勢と無関係であるとは決して言えないだろう。

何ごとにおいても 「過ぎたるは及ばざるがごとし」 ということはあてはまるもの

であり、こういう研修の厳しさにも当然 「限度」 というものは存在する。その意

味では、あまりに行き過ぎのものは批判の対象になるのもやむをえない。しかし、

その本質を十分に見ようとすることもなくして、つまり表層的な部分だけをとらえて

批判や非難をするのは全くの見当違いである。

( 4月29日 「こじろう117」 ) 参照


「過ぎたるは及ばざるがごとし」と
いうことを飼い主によくわかってほ
しいと思っている!?  こじろう












  


Posted by こじろう117 at 00:16Comments(4)ペット

2010年04月29日

『釈明』 の必要などあるのか???(その1)

昨日のニュースで、「新入社員 『スパルタ研修』 に批判、『餃子の△将』 が

釈明文を掲載」 というものが配信されていた。

記事によると、今月11日某TV系の情報番組で同社の新入社員研修の様子

放映されたが、その研修内容は

1.研修中の5日間は携帯電話、テレビ、新聞、タバコは禁止。

2.朝は6:30からランニングを行い、夜は23:00に消灯。

3.挨拶の接客基本動作やオリジナルの 「△将体操」などで合格点をとらないと

  修了が認められない。

4.3分間の 「私の抱負」 スピーチが課せられ、他の社員の前で 「私の抱負

  は1年後チーフになり、店長になることです。絶対になります!」 などと絶叫

  し、それについて合格・不合格がある。

などというものである。

この様子を観た視聴者らにより、ネットなどでこの研修について 「洗脳だ」 「ブ

ラックだ」 「軍隊式だ」 というような “批判的書きこみ” が多数あったため、

△将側が 「弊社新入社員研修について」 という釈明文を掲載したという。

それには、

1.挨拶・礼儀を社会人として身につけなければならない。現代の若者は家庭や

  学校でこうした 「しつけ」 をされることが少なく、叱られたことのない人も多い

  ため、通り一遍の無難な研修だけでは学生気分から脱却させることはできない。

2.今の若者は、「汗をかかない」 「感謝を知らない」 といった傾向があり、研修

  では 「感謝を知ること」 を一番に教えたい。仲間に励まされながら自分の弱

  さに向き合い、最後に感動を分かち合う。仲間あっての自分を知り、感謝を知

  ることが真の目的である。

というようなことが述べられている。

一応自分もYouTubeでその放送の一部を観てみたが、同社経営企画室のコメント

にもある 「テレビではインパクトのあるだけ部分を取り上げて編集している」 つ

まり 「研修の苛烈な部分をことさら強調している」 という感は否めない。もっと

も視聴率至上主義のTV局にとってそれは当然のことである。

しかしそれにしても自分の観た、感じた限りでは、取るに足らない細かな問題を

いちいち取り上げることはさておいて、同社の基本的な考え方は完璧な正論で

あり、「本当に素晴らしいものである」 としか思えないのである。また、一民間

企業が (研修) 社員との合意の上で合法的に行っていることについて、外部

からとやかく言われる筋合いもなければ、まして 「釈明」など誰に対して、いか

なる理由をもってしなければならないのか、という疑問が湧いてしまうのである。

以下、さらに具体的なことについては、明日4月30日の 「こじろう117」 で

述べることにしたい。


飼い主による中途半端な「しつけ」に
大いに不満を抱いている!?こじろう





  


Posted by こじろう117 at 00:15Comments(4)ペット

2010年04月28日

『ナウ』 はダメで、『なう』 はOK???

先日、この4月に始まった連ドラを観ていると、登場人物の “twitter” (ツイッター)

の 「つぶやき」 の中に、 「△△なう」という表現がいくつも出てきてとまどってし

まった。たとえば、「渋谷なう」 とか 「ランチなう」 というようなものである。

「なう」 といえば古くは万葉集にも出てくる文語における打ち消しの助動詞 「なう」

や、口語でも名詞の語幹等について動詞をつくる 「なう」 、たとえば 「あきなう」

(商う)、「になう」 (荷なう) などがあるが、まさか流行の最先端?を走るツイッター

の中ではそれはないだろう、それでは果たしてどんな意味なのだろう、としばし悩まさ

れることとなってしまったのである。

自分の周囲にいる20代~30代のいく人かにも聞いてみても、皆 “ポカン”とした顔

をしていたので、もしかしてこの 「なう」 は英語の “now” つまり、「今」という意味

なのではないか、と推測するのにそれなりの時間がかかってしまった。結局、ハイティ

ーンでツイッターに詳しいMasKさんに聞いたところ、たしかにその通りだということで

あり、ホッとする?ことになったが、「渋谷なう」 なら 「今、渋谷にいる」、「ランチなう」

なら 「今、ランチしている」 という具合らしい。 「なう」 が “ひらがな”になっている

ところが、その意味をわかりにくくしていた原因だと思われる。

それはそうとその後、 「この若者ツイッター用語?の 『なう』が、『今』という意味

だとすれば、それは約30年前、一世を風靡した、『ナウい』と同じではないのか」 と

気づくのにそれほど時間はかからず、いつものようにムダで無益な?オヤジ世代の 

激しい “怒り”? につながってしまったのだ。

「ナウい」 は今や 「死語」 とされ、もし万一若者の前で少しでも口にしようものな

ら徹底的に “バカにされ”、かつ “蔑みの目”で見られるのがオチなのに、カタカナ

がひらがなに変わるだけの 「なう」 の方だけが流行の最先端で 「もてはやされる」

のはいかにも不公平でフザケた話ではないのか、ということである。

とは言ってみても、その 「死語」 の 「ナウい」も、登場した当時は上の世代・年代

の方々からは眉をひそめられながらもその流行語としての地位?を確立していった

わけであり、「流行りことばというのは遅かれ早かれそういう運命をたどるものだ」 と

考えれば、溜飲も下がるというものであろう。


最近の“流行りことば”を飼い主が
安易に使っていることを、快く思わ
ず不機嫌になる!?   こじろう






  


Posted by こじろう117 at 00:32Comments(0)ペット

2010年04月27日

明らかな 『ムダ』 は許されない!!!

官公庁の行うことにはいろいろと 「?」 というものがあるが、昨日の朝、そのことを身

近に感じさせられるものが仕事場に届いていた。それは経済産業省から送られてきた

「△△統計調査のお願い」 というタイトルの封筒にA4サイズの書類が20枚ほど入

った郵便物である。

差出人は経産省所管の某庁長官で送付先の基準は、「総務省 『事業所企業統計調査』

名簿等を基に標本調査論に基づき、無作為抽出方法により選定」 となっている。その

調査の 「趣旨」 には “某庁長官名” でいかにも「もっともらしい」ことが書かれていた

が、問題はその中身である。調査する方はそのことに関する専門的業務に携わっている

ことにより、 「当然」 の内容であっても、調査される側の一般事業所の立場からすれ

ば、そう簡単に回答できるものでなく、またその回答方式も煩雑で面倒なものである。

いいかえれば、この調査を依頼された企業 (担当者) のうち、的確に回答できるとこ

ろがはたしてどれくらいあるのだろうか、またその回答・回収率は一体どの程度のものな

のだろうかと、思わず考えこんでしまうような内容なのである。

この手の統計調査は年に数回送付されてくるが、思い出せる範囲では今回の経産省の

他、厚労省、国交省関連が多いような気がする。もちろん行政の遂行や政策の立案を行う

うえで、さまざまな実態を把握するための統計調査は不可欠である。その意味でそれらの

大半については基本的に問題ないとしても、やはり中には調査することの 「意義」やその

「効果」 につき (ゼロとはいわぬまでも) かなり疑問視されるものもあるのではと推測

されるのだ。

だからそういうものは 「何かの明確な目的のための調査」 でなく、「『調査』 (という

仕事を作り出す) のための調査」なのではないか、とさえ考えられるのである。

また本来、それなりに信憑性の高い統計とするためには、やはりそれなりのデータが必

要となるのだろうが、先ほどのような内容のものはその回答・回収率がそれほど高くな

いと考えられることから、調査対象先も相当の数が必要となる、つまりその送付の費用

だけでも大変な額になることが予想されるのである。民間企業なら同じような調査の必

要があったとしても、「費用対効果」 考えればとても同じことはできないのだ。

調査に限らず、たとえ多少 「ムダ」 になる可能性があるようなことでも、時には実施し

なくてはならないのが行政というものである。利潤の追求を第一にする民間企業との最大

の違いはその点にあるといってもいいだろう。

しかし、「結果としてムダになってしまうことがある」 というのではなく、「最初からムダで

あることを承知で行う」 としたらそれは全く筋の通らぬ話である。

現在、「事業仕分け (第2弾)」 まっただ中である。「事業仕分けなどと大げさに言って

みても、実際に数字に現れる数字は大したことはない」 などと揶揄する声も聞こえて

くることもたしかである。しかし、やはり国民の血税をたとえほんの少額であっても

 「ムダ」 にすることはできないのである。今回の仕分け対象は独立行政法人という

ことであるが、どう見ても庶民感覚にそぐわないような 「天下り」 や 「渡り」によって

ごく一部の人間が “不条理” な利益をむさぼっている実態に、国民がさらに厳しい

目を向ける 「きっかけ」 となるだけでもその意義は小さくないだろう。


各種統計による 「犬の習性」に
あてはまらないことが多いという
自覚のある!?    こじろう









  


Posted by こじろう117 at 00:45Comments(0)ペット

2010年04月26日

『目に入れたくない場面』!!!

日曜日の昼、たまたま午前中TVで放映されていたグルメ番組で 「ラーメン」 の特集を

目にしたので、予てから一度訪れたいと思っていたラーメン専門店を家族2人で訪ねるこ

とにした。

そこは数年前にいわゆる 「脱サラ」 した中年の店主とその夫人が二人だけで切り盛り

しているという小さな名店として地元の情報誌などでも何回か紹介され、またネットのクチ

コミなどでもその味の良さだけでなく、「店主夫妻の “アットホーム” な心遣い、つまり

そのサービスが気持ちよい」 ということも高評価のようだった。たしかに一般的にはいく

らその店が清潔で料理が美味しくても、店側の態度が悪くては訪れたくないもので、サ

ービスというのはその店の評価をもっとも大きく左右するものともいえよう。

混雑は予想していたが、ピークと思われる時間を少しずらしていったため、幸い待たずにテ

ーブル席の一つにすぐつくことができた。カウンターの向こうにある厨房では店主がホール

に常に目を配り、客に挨拶をしながらも真剣な表情で調理をし、また夫人も自然な笑顔で

注文を尋ねたり、できたものを運んだりするキビキビした姿は、たしかにクチコミ通りだと

感心しながら眺めていたそのとき、 “事件?” は起こったのである。

自分らが注文を終えた直後くらいに、ある (おそらくその店は初めてと思われる) 初老の

男性が一人で入店し、空いていたカウンターの席に座った。店主夫人は他の客と同じよう

に笑顔で水を運びながら注文を尋ねたのち、それを確認しカウンター越しに店主に向かっ

て 「△△一丁お願いします」 といったところまではよかったのだが、その直後その男性

が差しだした1枚のハガキ (のようなもの) を見た途端に表情が少し曇った (ように見

えた) のである。店主夫人はそのまま厨房内に入っていきそれを店主にも見せたようだが、

それから店主がその男性をチラッと見た際に、明らかにそれまでの他の客を見る目と違う表

情のようにこちらから見えてしまったのだ。どうやらその男性が差しだしたハガキ?は、店側

が情報誌等に “懸賞” として提供している 「お食事無料券」 のようなものだったと推測

されるのである。

その後、その男性は運ばれてきた注文品を黙々と食べ、われわれより早く店を出て行った

が、なんと決まり文句である、運ばれてきた際の 「お待たせしました」 と、店を出ていく際

の 「ありがとうございます」 という二言が、その男性に対してだけは発せられなかったの

である。(実際には発せられていたのかもしれないが、少なくとも自分らには聞こえなかった

のだ。)

その男性と店側のやり取りの一部始終がすぐ近くにいた自分らには “否応なしに” 目や

耳に入ってきてしまったことで、なんだかこちらが気まずくになってしまったのはいうまでも

ない。おかげで結局、楽しみにしていたせっかくのラーメンの味もよくわからないということ

になってしまったのである。

もしかしたらその男性と店側には自分らの知らない事情 (たとえばその 「お食事無料券

(と思われるもの)」 の有効期限が切れていたとか) などがあったのかもしれない。しかし

それにしても、こちらとしてはできれば 「目に入れたくない場面」 であったことは間違いが 

ない。

日常生活の中では、好むと好まざるとにかかわらず偶然目にしてしまうことがあるものだが、

逆に自分の不用意なさまざまな行為によって、思いがけず他人に不快な思いなどをさせる

ことのないよう日頃からその言動には注意していなくてはならない、という思いを強くさせら

れる出来事であった。


飼い主にいわれることで、できれば
「耳にしたくない」ことがたくさん
存在する!?      こじろう





  


Posted by こじろう117 at 00:37Comments(0)ペット

2010年04月25日

『怖くて、とてもいえない』???

最近TVや雑誌などでコンビニエンスストア (以下、「コンビニ」) の 「スイーツ類」が非

常に充実しているということを目にするようになった。実際、先日出かけるついでに家族か

ら買ってくるように頼まれた某コンビニの数種類のスイーツ (ロールケーキ、エクレア等) 

を食べてみたところ、150円~200円という安価では考えられない品質で、街なかの洋

菓子専門店顔負けともいえるような美味しさにビックリしてしまったほどである。

さて昨日のこと、雑誌などを買いに行く用事が別のコンビニにあったので、先日のことを思

い出してその店のスイーツコーナーで物色、やはりこの前と同じロールケーキなどを手にし

ていそいそとレジに持ち込んだ。このコンビニタイプのロールケーキはまん中にタップリと

クリームがあるため、それをすくうためにスプーンを使うようなのだが、先日のコンビニで

は最初から商品にテープでプラスチックの大きめのスプーンがついていたのに対し、こちら

のコンビニではレジで商品と一緒に渡してくれるシステムであった。ところが、よく見ると

渡してくれたスプーンが先日のものと比べてかなり小さいタイプで、プリンのようなものな

らともかく、このロールケーキには合わないのではと思い、「すみません大きめのスプーン

に替えてくれませんか」 と言おうとしたが、「すみません・」とまで言いかけた瞬間にそ

のレジの中年?女性スタッフと目が合い、何か 「キッ」と睨まれた?ような気がしてしま

ったのである。結局その続きのことばを待っているスタッフに 「いや、なんでもありません」 

と謝るようにして精算を済ませ、逃げるようにして店を出るハメになってしまったのだ。

そのコンビニは家の近くでもあるためちょくちょく立ち寄ることがあり、また入れ替わりの

激しい学生のアルバイト店員などを普段見ることもなく店長以外は主婦(風)のスタッフが

多いため、すでに顔なじみになっている人も何人かいるのだが、どうしてもそのうちの一人

が自分にとって 「怖い?」 存在であるのだ。もちろん先ほどのスタッフである。具体的

に何かされるわけではないし、大手のコンビニなので言葉遣いや軽い会釈などもマニュアル

通りに徹底されていて、その点そのスタッフだけ特別不快というわけではないのだが、なん

となく表情が 「冷たい」 というか 「なじめない」 感じがするからなのかもしれない。

またそのコンビニではレジが3か所あり、常時3名ほどのスタッフがいるのだが、なぜか

レジの順番待ちなどの関係で自分はその人にあたることが多いようで、昨日もその例にもれ

なかったというわけである。もっともあの場面で大きめのスプーンを頼めばおそらく替えて

もらえた可能性は高いと思うのだが、もしあの冷たい表情で 「できません」 などと万一

いわれてしまったらどうしよう、という妙な?防衛本能が自分に働いたのが本当のところで

あろう。

「人は見かけによらない」 とか 「人を見かけで判断してはならない」 などはいうまでもな

く人間関係を構築していくうえで大切なポイントである。しかし、現代のコンビニをはじめと

とする小売店などでは、一般的にはその場かぎりの 「売る側」 と 「買う側」 という関係

にすぎないため、どうしても 「見た目」 が大事になるどころか、「見た目の印象がすべて」

という言い方すらできてしまう。もっともそのスタッフからすれば、「自分には全くそのような

(冷たい) 表情をしているつもりはないのに勝手に決めつけないでほしい」 と反論?する

のだろうが、こういうことは本来相手側が判断すべきことである。その後同じそのコンビニを

利用していると思われる知人に聞いてみたところ、実はその人もその女性スタッフを苦手と

していたということで、自分だけが 「変わっているのではない」 と少しホッとした次第でも

ある。

というようなことを言いながらも、かくいう自分自身、そのようなつもりは全くないにもかかわ

らず、「怒っているようで怖い」 などと思いがけないことをいわれることがしばしばあること

を否定できないのだ。昨日のようなケースを他人のこととして批評などしている場合ではな

いのかもしれない。


見かけはやさしそうでも、よその犬が
少しでも近くによると激しく威嚇し、
驚かれてしまう!?    こじろう





  


Posted by こじろう117 at 00:45Comments(2)ペット

2010年04月24日

『非難 ・批判』 VS 『決断』!!!

先日、プロ野球T球団のK本選手(42歳)の連続フルイニング出場記録がついにスト

ップしてしまったというニュースが流れた。足かけ12年という長きにわたり、競争が

激しく厳しいプロ野球の世界で1イニングも休まずに1492試合出場し続けたわけで

あるが、次に続く選手が日米合わせてもその記録をはるかに下回る930試合という

ことからして、それがいかに偉大な記録かわかるというものである。

「連続出場」 というような記録はいつかは必ずストップするものであるが、K本選手

のような “超大物” となると、周囲の気の遣いかたもそれは尋常ではないだろうし、

今回は本人からの強い (欠場の) 申し出があったことを考慮しても、実際にスタメン

オーダーから外す立場の監督としてはその 「決断」 により、記録ストップを惜しむ

ファンや関係者らの “身勝手” かつ “無責任” かつ “理不尽” な非難および

批判の矢面に立たされる可能性もあった (実際はともかくとして) わけであり、そ

の心中は穏やかざるものがあったのではと想像できる。

K本選手の記録とは異なるが、「監督の決断」 といえば、まだ記憶が薄れていない

ところで2007年の日本シリーズ第5戦 (ドラゴンズ VS ファイターズ)での投手

交代事件?のことを話題に出さないわけにはいかない。

ドラゴンズ先発の山井大介投手は日本シリーズの、しかも日本一を決める試合という

大舞台において、なんと8回終了時までパーフェクトピッチングを続けていたが、あと1

イニングでシリーズ史上初の 「完全試合達成」という9回表になると同時に落合監督

は同投手に代えて絶対的 “守護神” 岩瀬仁紀投手を起用。結局その岩瀬投手が同

イニングを3者凡退に抑え、「2人の投手による継投での完全試合達成」という、これこ

そシリーズはおろかプロ野球史上初の “珍大記録” を打ち立てることになった。

この落合監督の山井投手に対しての “非情” とも思える 「決断」 ならぬ 「英断」

については賛否両論が巻き起こり、特にその直後は日本一の栄冠を勝ち取った功績

もそこそこに、同監督に対する 「非難」 や 「批判」が圧倒的に多かったようである。

しかしその後、山井投手の8回終了時のコンディションが明らかになったり、日本一

経験監督らの多くが、「当然の采配」 とコメントするにつれ、それら (非難や批判)

も一気に収束するに至った。

野球などのスポーツの世界に限らず、とにかく周囲や外部というのはあれやこれやと

無責任で理不尽な批判などをするものである。批判される側の当事者とすれば、周囲

や他人にはわからない 「内部の事情」 というものは普通に存在するはずだが、それ

を明らかにすることができない場合もあれば、また明らかにすることを必ずしもいさぎ

よしとしない場面もある。だから落合監督の例のように、「わかる人にわかってもらえ

ればいい」 とか 「いずれ歴史がその正当性を証明してくれる」 という信念を有して

「決断」 にあたればいいのだが、実際にはそう割り切るのもなかなか難しいことであ

ろう。

いかえれば、そういう信念をもつことができる、割り切りができる人こそが、「真の

リーダー」 として重大な 「決断」 や、さらには 「英断」 といったことを、たとえ

一刻を争うような突発的な出来事に対してでさえも、的確に下すことができるとい

うものなのだろう。

それにしても、ある意味最もその 「決断力」 を要求される我が国の現リーダー

については、ここ1~2日の 「高速道路の料金制度問題」 一つとってみても、

周囲の声にいろいろと左右されてしまって、「決断」 どころか、朝と夕で“ガラリ”

ということが変わってしまうようである。

一国の首相にとっては、「友愛」 も大事だが、 他の人にはできない 「決断」 と

という本来の仕事をしっかりしてもらわなければ困るのである。


飼い主の毎朝の勝手な “決断” に
よって散歩のコースが変わることに
“とまどい” を隠せない!?
             こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:22Comments(0)ペット

2010年04月23日

『全く無意味』?『本末転倒』?

以前、「国際線旅客機に乗るとフリードリンクサービスの際、飲めもしないのにビール

(アルコール)を必ず注文し、結局口をつけただけでほとんど残してしまう人」 のこと

を書いたことがある。その人の日常の行動基準から察するに、「どうせ無料なのだか

ら、安い (と当人が思い込んでいる) ソフトドリンクなど頼めば 『損である』」という

ような理由だと思われるが、ほとんど飲まずに残すくらいなら、たとえ安いと思っても、

(どのみち代金を支払う必要がないのだから) 最後まで飲むことのできるソフトドリ

ンクを頼めばよいのにと思うのだが、どうしてもそのあたりの 「独特の感覚」 は理

解しがたいものがある。

また以前、ある人に 「私はレンタルのCDやDVDを貸し出し期限ギリギリまで返却し

ない主義?だ」 と聞いたことがある。その理由が 「なかなか返却するための時間が 

とれない」 とか 「返却するのを忘れてしまう」 というのではなく、「7泊8日分の代金

を支払っているのだから、ギリギリまで借りていないと 『損である』」ということのよう

だったが、その感覚もよくわからない。もし返却期限日に突発的な用事が入ったり、

うっかり忘れてしまったりすれば延滞料金が発生し、まさに 「全く意味のない」余計 

な出費がかさむことになり、結局その方が 『損になる』可能性が高くなるだろう。

それなりの階数(10階以上)のあるマンションなどに住んでいると、上層階の住人は、

どうしてもエレベーターを使うことが日常になる。自分もたまたま8階に住んでいるの

で、下るときは少しでも健康のことを考え (ほとんど“気休め程度”にすぎないが)

なるべく階段を使うようにしていても、さすがに 「1階からの上り」についてはエレ

ベーターを使うことになる。単独で乗ることがほとんどだが、たまに他の人と乗るとき

は、なぜか2階に住む人たちと一緒になることが多い。その人たちは通常は特別重い

荷物をもっているとか、足腰が弱いとかいうことはなさそうで、また間違いなく自分よ

りも若く健康そうである。もちろん乗り込もうとするときにたまたま1階にエレベーター

がある、つまりそのドアがすぐ開くようなときに乗り込むのは自然なことである。

しかしすでに上層階に向かってエレベーターが動き始めているときは、その後それが

再び1階まで下りてくるのにはそれなりの時間がかかるもので、それでもその (2階の)

人たちは必ずといっていいほどそれを待っていて乗り込み、すぐに (当然) 2階で降り

るのである。エレベーターのすぐ横には階段があり、それを使ったとしたらエレベーター

を待っているだけの時間を使って自室のソファに寝転がってTVのスイッチでもいれるこ

とができそうなくらいなのに、である。

自分もかつて別のマンションの3階に、その前には2階に住んでいたが、「エレベーター

が来るのを待つ間がもどかしい」 というせっかちな性格も手伝ってか、重い荷物がある

などの特別な場合を除いてはほとんど階段を利用していた。

もちろん2階に住んでいるからといってエレベーターを使うことに何か問題があるわけで

はないし、まさか 「同じように管理費などを払っているのに自分だけエレベーターを使

わなければ 『損になる』」 などとその人たちが考えているとは思いたくもないが、意

地でも?エレベーターを使うことで、「時間を相当ムダ使いしている可能性もあるのでは」

などと余計な心配をしてしまうのである。

「法に触れない」 あるいは 「他人や周囲に迷惑をかけない」 という前提のもとでは

基本的にどういう行動をとろうとその人の自由である。しかし中には (自覚があるなし

にかかわらず) それが 「全く無意味」 であったり 「本末転倒」であったりする場面

をよく目にすることがある気がする。

もっとも自分自身も、家族から日常 「どうしてそんなことに一生懸命になったり、熱くな

ったりするのか全く理解できない」 などといわれる場面が少なからずあるのを否定で

きない。だからこのようなことを書くと、「まずは自分のその (周囲にとって) わけの

わからない行動から見直せ」 と言われそうで、実のところ今後悔しているのである。

2月5日 「こじろう117」 を参照)




飼い主から見て、「なぜそんなことに
執着するのか」ということが数多く存
在する!?        こじろう  


Posted by こじろう117 at 02:15Comments(0)ペット

2010年04月22日

『それで済む話なのか』???

開幕まで10日を切った上海万博で、PRソングに日本のシンガーソングライターOさん

のヒット曲が盗作されていたとの疑惑が出ている問題で、「19日中国上海市の万博

事務局から同曲を 『PRソングとして使用したい』 との申請があり、O さんの事務所

が使用を認めた」 という記事およびその続報を某紙で読んだ。「万博事務局側が

『事実上の盗作を認め』 正式にOさんの曲の使用手続きを踏んだ」 格好で、問題

が長引けば万博イメージ低下とともに当局批判を助長しかねないとみて、異例の対

応をとった、ということのようである。

さらに続報には、中国ではこのことをきっかけに 「気前のいい人だ」 とOさんの好

感度が上がり、その曲が売れるようになったということも書かれているが、この問題、

「このまま “決着” ということで本当にいいのか」、つまり 「今さら申請をし、承諾

されたからといって 『それで済む話か』 」という疑問を簡単に消すことは到底でき

きないだろう。

「盗作」 とは文字通り、立派な 「窃盗」 である。一般的にたとえばある店でそこ

の商品を万引きし、それを店側に見咎められ詰問された際に、「それなら正式に

購入することにして 『代金を支払います』」 といえば無罪放免になるということ

はいくら中国でもありえないだろう。むしろ中国では 「窃盗」 に関する罪は日本

よりはるかに重く、その額によっては 「死刑」 になることすらあるといわれてい

るくらいなのだ。

しかも今回の場合、「万国博覧会」 という、中国の威信をかけた国際的大イベント

に関する重大な問題である。 「気前のいい人」 などと言われてよろこんでいる場

合なのかと思いたくもなる。

というのも、中国では今までにもこういった 「著作権」 に関することにとどまらず、

「知的財産権」を明らかに侵している事例が枚挙に暇がないほどあるからだ。つま

り当局としても企業・個人としてもその権利侵害に対する意識が非常に薄いので

はないかと思われ、今後も同じような事態が発生する可能性は極めて高いと言わ

ざるをえないのである。

21日朝の某TV番組では、そういった中国の実態を具体的に取り上げていた。まず、

中国には 「カバーソング」 ということばは存在しない。つまり他国の人が作曲し

たものをほぼそのまま (実質的に) カバーして、中国人の作曲者名がついた曲と

して発売しているのである。それがもともと日本人アーティストのものだけで2000

曲以上はあるという。それでも最近は 「著作権」 に関する取締りも一応は強化?

されているというが、以前は完全に野放し状態で、オリジナルソングのイメージは完

全に失われているものが多いという。たとえばサザンオールスターズの 「真夏の果

実」 という曲では 「四六時中も好きといって」 というフレーズの部分が 「お金持ち

になれますように」 という意味の中国語の歌詞になっているというのである。

さらに今回の盗作疑惑については (当然のように?) 中国国内ではほとんど報道

されていないようだが、ネットの世界では万博PRソングの中国人作曲者に対して、

「13億人の中国人の恥。厳罰に処するべきだ」 とか 「市中を引きまわして死刑

にすればよい」 というような過激な書き込みが多くなっているという。しかしこれ

についても、もともと中国には数10万人規模の 『ネットやらせ書き込み部隊』が

存在するといわれており、(2月17日の 「こじろう117」・・・「“究極の”やらせ」

 参照) 今回も中国当局や万博事務局への非難をかわすために作曲家個人に

すべての罪を “なすりつけようとしている” 可能性を否定できない。

今回いくら盗作をした張本人がその作曲家個人だとしても、それをPRソングとして

正式に採用し使用して実際に万博をPRしてきたのは万博事務局および中国当局

である。一個人に非難を集中させて 「とぼけきろうとする」 のを簡単に認めるわけ

にいかないのではないか。こういうことが今後も平然と行われるとすれば、世界最

大の人口を擁し、今年中にはGDP世界第2位になろうとする名実ともに “超大国”

について、結局 「どこをどう信じたらいいのだろう」 となってしまい、それではあま

りに情けないというものだろう。


以前、イタズラの濡れ衣を着せられて
叱られ、その後に飼い主の謝罪を受け
た際に、「それで済む話なのか」と激
しく怒ったことのある!? こじろう

  


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2010年04月21日

『異様さ』 の正体???

現政権の目下最大の難題ともいえる米軍普天間飛行場移設問題。すでに 「こじろう117」

でも何回も触れてきたテーマであるが、自ら設定した 「5月末期限」 が日に日に迫りくる

なか、今やこれが 「首相にとっての5月危機」 などとささやかれる始末で、政権が窮地に

追い込まれていくさまは、支持者であろうとなかろうと思わず目を覆いたくなるような様相す

ら呈している。

つい先日鹿児島県の徳之島で開かれた 「15000人集会」 はそんな政府の迷走に拍車

をかけるようなものであったともいえよう。たしかに自分の日常の生活場所近くに突然米軍

の基地 (飛行場) が移設されるかもしれないと聞けばそれだけで誰でもビックリするだ

ろうし、また少なからず生活環境も変わる可能性が高いことに 「大きな戸惑い」 を覚える

のも当然であろう。だから現在の徳之島の住民の多くの心中は穏やかざるものであること

は容易に想像できる。

しかしそれはそれとして、今回の (徳之島にとってはかなり大規模な) 「反対集会」に若

干なりともその 「異様さ」 を個人的に感じてしまうのはなぜだろうか。

その一つはまず、あの反対集会をもってそれがあたかも 「島民全体の総意」 であるかの

ように喧伝されている点である。物事には本来必ずといっていいほど 「賛否両論」が存在

するものだが、この問題でも当然島民のなかにはたとえ少数派でも、基地移設の見返りと

しての地域振興策を期待する、つまり移設を 「少なくとも一つの選択肢として検討してもよ

い」 あるいはさらに 「前向きに検討してもよい」 と考えている人がそれなりにいて不思議

ではないのである。事実、ある報道によれば、そういった必ずしも移設に反対でない人たち

にとって今 「ものがいえない」 「何かいえば “村八分” にされてしまう」 というような

ピリピリした雰囲気が島じゅうに漂っているという。たしかにあの集会の様子をみればそれも

“さもありなん” と感じてしまうのも無理はない。

2つ目に、個人的にはこれに最も問題意識を抱いてしまうのだが、集会に参加している10

才前後くらいのそれなりの数のこどもたちが、「移設反対」 などと書かれた“鉢巻き”を

頭に巻き、さらに首から同じことが書かれたボードのようなものを吊るしている姿である。

もちろんこどもといえども、小学校の高学年にさしかかればいろいろと社会のことも理解で

きるようになるし、逆に徐々に政治などにも関心を持つことが要求される年頃でもある。ま

たこのような集会に参加する権利もあれば、その意見もそれなりに尊重されなければならな

いだろう。

しかし、本当にそのこどもたちは今回の基地移設に関して判断に必要な知識を有し、その是

非や良し悪しについて十分な検討・吟味を行ったうえで参加しているといえるのだろうか。

もっともそういう意味でいえば、こどもに限らず大人の中にも自分自身のしっかりとした意

見を有して参加している人が果たしてどれだけいるのかを訊いてみたい気にもなってくる。

察するところ、参加しているこどもたちのほとんどは、おそらく 「移設反対」 の保護者

に (無理やりとはいわないが)会場まで連れてこられた、つまりその保護者と十分な話し

合いもせずによくわからないままに、鉢巻きを巻かされ、ボードを吊るされて 「反対派の

一員」としてかりだされた?といえるわけで、こどもとすればたんなるイベント的、お祭り

的感覚で参加している可能性が高いのである。主催者側の発表である “15000人” 

の中にはそういった参加者もかなり含まれているのではないだろうか。

またマスコミもマスコミで、そういうこどもたちにわざわざマイクを向けてそれらしいコメ

ントを引きだしては、「徳之島の将来を担うこどもたちもこのような (反対の)意見です」

と強引にまとめあげようとしているかに見えてしまう。

個人的に徳之島に米軍基地を移設した方がよいなどというつもりは毛頭ないし、むしろ政府

の迷走のせいで本来必要のない混乱に巻き込まれている徳之島の人々は大変気の毒であ

るとさえ感じているのが偽らざる本心である。しかし、やはり自分たちの主張をする際には

それなりの筋を通すことも必要である。島民の大半が移設に反対で、賛成派はごく少数だと

しても、 「反対でないものは “島民に非ず” 」のような雰囲気が (マスコミの報道の仕方

も含めて) 一方的に作り上げられるのはやはり 「異様」である。またまだ十分に物事の

本質を見極める力を有していないと思われるこどもまで強引に動員し、反対運動のための

の道具?として使っていることがあるとしたらそれは決して認められないことになるのである。


飼い主宅の“家族の一員”として、
時には自分の意見も取り入れてほ
しいと願っている!? こじろう









  


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2010年04月20日

『最低限のルール』 では???(その2)

昨日の「こじろう117」でも書いた大阪府の市立小学校で起きた 「学級崩壊リポート

非難され 『ショックで通院』」の件の続きである。報道の内容をすべて鵜呑みにするこ

とはできないし、そこまでに至る経緯や背景がわからないと判断できないこともあるが、

一応報道からわかる範囲という前提で、今日は学校側の犯した 「重大な失態」 を中心

に述べてみたい。

それはまず第一に、“女性保護者”の授業参観リポートそのものを保護者会で配布した

ことである。報道では 「(問題の)児童名をペンで消したが、消し方が雑だったことで

その児童名が特定された」 というニュアンスであったが、ここで児童名を “消した”と

か “消し方が雑だった”ということはどうでもいいことである。こういう場合は保護者か

らのリポートの現物(そのコピーなども含む)は、具体的に児童名が入っている、入って

いないにかかわらず、あくまでも “参考資料”として学校関係者の目だけにとどめておく

のが常識である。保護者会に配布資料が必要だとするならば、それは学校側が改めて

作成し直すのが筋だといえよう。つまり 「その作成・配布に関わる全責任は学校側が 

背負う」という形にするのが当然であり、それこそが 『最低限のルール』 というもの

である。

昨日も書いたが、女性保護者のリポートに個人的な思惑や都合のよい脚色が全くなく、

信憑性が高ければ高いほどその作成者は周囲から秘匿され、保護されなければなら

ない。なぜなら保護者間で、リポート作成についての「犯人?」探しが行われるであろう

ことは普通に考えて明らかであるし、また表面上は犯人探しが行われないにしても、作

成したのは誰なのかとお互いに疑心暗鬼になり、将来に禍根を残すことにもなりかねな

いからである。

第2に、“5人の保護者”に対してリポート作成者の名前を明かしたことに加え、さらには

その女性保護者を非難したり、謝罪させるなどという機会を与えたことも言語道断であ

る。もちろん 「保護者間で学校外で “勝手にやったこと”」と言い逃れをする可能性も

あるが、それならそれでそこに校長が同席していることの説明がつかない。もし、学校

側として女性保護者の名前を明かしてしまったことに責任を感じ、「何とか女性保護者を

(5人のモンスターたちから)守り、救わなければならない」 として校長がその現場を

突きとめて駆けつけたということであったとしても、実際には2時間以上にもわたり校長

自身はほとんど発言しなかったということをもって結局はたんなる 「お飾り」として同席

していたにすぎず、何の役にも立っていなかったといっても言い過ぎではないだろう。

第3に、これは特にいいにくいことであり、またあたりまえといえばそのとおりであるが、

今回の訴訟に関しておそらく最終的には “和解” というような形で決着がつくとして

もそこで支払われる額の元は国民・市民の税金である。つまり、今回の大失態をしで

かした校長をはじめとする学校関係者の懐は少しも痛まないのである。

今の時代、教育の現場にいるスタッフは 「“非常識の塊” のような一部の保護者」を

抱え、従来とは比較にならないほどのストレスに苛まされていることはよく理解できるし

同情せざるを得ない面も少なくない。しかし、どのような業務においても 「これだけは

遵守しなくてはならないという 『最低限のルール』」 は存在するものである。報道の

内容が事実と大きく異ならない限り、この 『最低限のルール』 を守れなかった学校

関係者、特に責任者である校長に対する同情の余地はないだろう。また、市教委の無

責任と思える対応も見過ごすことはやはり難しいような気がする。


自分のしでかしたイタズラのことを
非難された際に、「逆ギレ」という
ルール違反で対抗する!?こじろう







  


Posted by こじろう117 at 00:48Comments(0)ペット

2010年04月19日

『最低限のルール』 では???(その1)

18日午後Y新聞社配信のニュースに、「学級崩壊リポート非難され 『ショックで通院』」と

いうものがあった。その報道の内容は以下のとおりである。

<大阪府の市立小学校で、学級崩壊状態のクラスをめぐって学校側の不手際による保護

者間のトラブルがあり、保護者の女性の一人が精神的なショックで通院するという事態

に発展。その後その女性は市に慰謝料など1800万円の損害賠償を求める訴訟を起こ

している。

事件は2年前。同小学校の6年生のクラスで授業が成りたたない状態になり、学校側は

保護者に授業参観を呼びかけた。その女性保護者は5日間授業を見学し、授業中の立ち

歩き、掃除をさぼった様子などを児童10人の名前入りでリポートにまとめた。

学校側は児童名をペンで消し、リポートを翌日の保護者会で配布したが、消し方が雑だ

ったことで児童10人の名前が特定された。そこで10人の保護者のうち5人がリポート

を書いた保護者の名前を答えるように学校側に要求、校長が女性の名前を伝えたため

女性は喫茶店に呼ばれ5人から2時間以上にわたり謝罪を求められた。その際校長も

同席したがほとんど発言しなかった。

女性は急性ストレス障害と抑うつ状態の診断を受けたという。市教委は 「つらい思いをさ

せた」と非を認めながらも 「訴訟への対応は検討中」とのことである。>

報道の内容を長々と書かざるをえなかったが、これをもってしてもこの事件?の本質を見極

めて論ずることには無理があるだろう。事実関係に問題がなかったとしても、そのことが起

きるまでの経緯や背景がわからないからである。たとえば「謝罪させられたという保護者の

女性と他の保護者との関係が日常どのようになっていたのか」 「提出されたリポートは本

当に客観的で公平なものであったのか」 ということなどがはっきりしない限りは、一概に

“5人の保護者” だけが 「けしからん」と断ずることにはいささか問題があるからだ。

そこで仮定として、その女性保護者が非難されるようなことは基本的にはない、つまり名前

をあげられた児童らの問題行動が事実であり、リポートの内容に脚色などが全くないとした

ら、5人の保護者は今流行り?の いわゆる “モンスターペアレント” そのものだと決めつ

けてなんら差し支えはないだろう。ただし、この手の話そのもの、すなわち自分(の子ども)

側の非は完全に棚に上げておいて理不尽極まりない要求をする、というような例はもはや

たくさんありすぎて、それらにいちいち立腹したり、コメントしていたりしたら、それこそ

「身体がもたない」 のが本音というくらいである。

それゆえ、この件でこれ以上保護者間のことについて言及するのは止めるとしても、やはり

見過ごすことのできないのは、学校側の 「極めて重大なミスと無定見」 および「その後の

対応」といったものである。(もちろんこれも報道されている内容と学校側の認識に齟齬がな

いことが前提である) これについては 「学校というものが 『教育に携わる機関』 である

から」 ということ以前の問題であり、一般社会における 「最低限のルール」を大きく逸脱

するというものであるが、続きは20日の 「こじろう117」で述べることにしたい。


飼い主から日常浴びせられる暴言など
により、強いストレスを感じることは
あっても、食欲に影響を及ぼすことは
決してない!?      こじろう







  


Posted by こじろう117 at 00:16Comments(0)ペット

2010年04月18日

『悪人面』 は永遠にさらされる???

週刊誌やTVのワイドショーなどでは、その話題の中心となっている人物の写真が掲

載されたり、映像が流されたりするものであるが、それは必ずしも “そのとき” の

話題と直接関係のある写真や映像であるとは限らない。週刊誌では 「売上げ」 を

伸ばす、ワイドショーでは 「視聴率」 を稼ぐのが至上命令であるため、一応許容

される範囲で読者や視聴者に最大限のインパクトを与えるようなもの、つまりその人

物の 「キャラクターやイメージを最もよく表しているもの」 を出すのは当然のことと

いえるのかもしれない。

従来よりその粗野な言動や傍若無人の振る舞い、数々の不祥事などにより衆目を

集め、また反感を買ってきたうえに、先月末の世界タイトルマッチ直後に日本ボクシ

ングコミッションの事務局長らを “恫喝” したことによってこれまで以上に厳しい

処分を下された形の “K田3兄弟” の父親であるが、すべては自らがまいた種で

あり、まさにこれこそ “自業自得” の見本といえるものであろう。

しかしそれにしても今回その件に関する週刊誌の記事に掲載されている写真 (すべ

ての週刊誌をチェックしたわけではないが) といえば、どう見ても最新のものでは

なく、(最新のものが入手できなかったのかもしれないが)“K田父”のかつての凶暴

性などを強調している何度も見たことのある写真ばかりが使われていることに気づ

く。またTVで流されるその件に関する映像でも、やはり数年前の “K田一家” の

「やりたい放題」の最盛期や絶頂期、つまり視聴者が最も “眉をひそめる”ような、

いいかえれば “TV的に最も面白い”場面が何度も繰り返し流されているのである。

“K田一家”のことを擁護したり、彼らに同情するつもりは微塵もないが、こういう報道

の仕方では、彼らのような存在は今後“永遠に”その 「悪人面」や 「チンピラ面」が

週刊誌やTVの前にさらされ、その粗暴で下品極まりない言行のイメージだけが読者

や視聴者に植えつけられることになるだろう。

まあ、これまでスポーツマンとして最も恥ずべき行為である対戦前の相手へのひど

い侮辱・侮蔑と威嚇、世間をなめきったような生意気な態度で、観ている人を 「こ

れ以上ないほどに不快にさせてきた」 ことを思えばそれもやむを得ない、つまり

それだけひどいことをしてきたことへの応報だと考えれば、少なくとも “K田一家”

については世間も納得するというものかもしれない。しかしやはり一般的にはあまり

固定的なイメージを植え付けるような写真や映像ばかりをいつまでも使い続けるのは

好ましいとはいえないだろう。


飼い主が自分の仔犬時代の写真を見
ては、「あの頃は本当に可愛かった
のになあ」などといっているのを複
雑な思いで聞いている!?こじろう

  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(2)ペット

2010年04月17日

『理解不能』 ???

個人的に所有・使用する権利のある自動車はどのように装飾などしようと、基本的には

自由である。商用車でもない自動車に “ド派手”な色の塗装で模様を描いたり、“スポ

イラーのお化け”みたいなのを取りつけても、それが法に触れない限り、また周囲から

どのような目で見られているかを気にしない限りはその人の勝手であり、他人からいろ

いろいわれる筋合いのものではない。

さらに自動車の室内ともなれば、その所有・使用者のいわば「自由空間」といえるもの

であり、より一層の個性の発揮?も許されるだろう。したがって、自動車の室内が“土

足禁止”で、乗り込む際に靴を脱いでスリッパに履き替えて運転などするにしても、周

囲から 「そんなに“面倒”なことをわざわざしてまでも自動車の室内を清潔に保ちたい

とは、よほど “きれい好きな人” で、住んでいる部屋などにも塵ひとつないのではな

いか」 とか、「スリッパなどを履いたり、靴下だけのような状態でアクセルやブレーキ

を踏むのは大変なのに、よほど運転技術に自信のある人なのだろう」などと思われた

いという “計算”があろうとなかろうと、他人がとやかく言う資格はない。

しかしそんななかでも、(法律的にどうかということも含め) 「これだけは絶対に受け

入れ難い」 あるいは 「理解不能」であるひとつの事柄を、個人的に見過ごすわけに

はいかないのである。

それはフロントガラスの周辺、特にダッシュボード一面に敷かれた、毛足の長い(5~

6センチくらいの)“ファー”? “ムートン”? のようなもの、さらにその上に並べられ

た “ぬいぐるみ”? の類であり、またルームミラーに吊るされた “アクセサリー”

のようなものである。それも一つや二つでなく、所狭しと “これでもか”と並べたり、

吊るしたりしている自動車もあるのだ。

そのような状態ではおそらく正面はもちろん、斜方の視界もかなり妨げられるだろう

し、走行中にそれらが落下して、ブレーキやアクセルの操作に支障をきたす可能性も

あるだろう。またイザという時のエアバッグの作動に影響を与える可能性が大きいと

も考えられる。

なぜ今さらそんなことを話題にするかといえば、つい十数時間前、まさにその種の自

動車で “かなりのレベル?のもの”に遭遇したからである。それはまだ20才くらい

の若い女性 (もっともそうでないとしたらそれはそれで大変恐ろしい)、の運転する

自動車で、横断歩道を渡ろうとしている自分の前を左折していったのだが、その際ル

ームミラーから吊るされている20~30センチはあろうかといういくつかのアクセサリ

ーのようなものが “ふりこ”のように左右に激しく揺れていたのである。おそらくその

状態で前方などまともに見えるはずはなく、一体どんな神経をしているのかと思わざ

るをえなかったのだ。日常的にああいう状態の中で、しかもまだ運転免許を取得して

数年程度しか経っていない状況で、それなりに交通量の大きい市街地を堂々と運転

できるその技術と度胸に感服?しなければならないのだろうか。

自動車の運転をするうえで、各方角の視界をしっかりと確保することは法的にも求め

られるものであるが、もしそうでない状況で事故につながったとして、その運転者自

身の身体がどうなろうと、またその自動車がどんなに傷つこうとそれは自業自得であ

る。また、そういうことをして教養程度を推し測られたり、精神構造を疑われたりする

ことがあっても、それこそその人の自由であり勝手である。

しかし、自分が安全運転や安全歩行をしているにもかかわらず、そのような無責任極

まりない自動車に衝突されたり、はねられたりするとしたらたまったものではないの

だ。まったくもって 「冗談じゃない」ということになる。

もうだいぶ以前になるが、当時流行していた “厚底ブーツ”なるものを履いたまま自

動車を運転し、ブレーキを踏めなかったのかアクセルが戻らなかったのかはわからない

が、とにかく重大事故を起こした若い女性がいて大きなニュースになった覚えがある。

本人がそういう状態で運転をして 「怖い」という自覚がないのだとしたら、その周囲

にいる仲間たちが何かしらの注意や忠告をしてあげることが、そういう人たちの間で大

切にされる? 本当の「仲間意識」というものではないだろうか。

自動車を運転することは、「遊びに行くための手段」ではあっても、「遊びそのもの」で

は決してないのである。


自分の部屋?を装飾されることを
極度に嫌い、すぐそれらを破壊し
てしまう!?     こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:01Comments(4)ペット

2010年04月16日

『思い込み』 は“禁物”!!!

先日の衆院財務金融委員会における K井金融郵政改革担当相(73歳)と自民党の

K泉衆院議員(29歳)の“因縁”の対決の様子は大きく報道された。そのニュースを直

接観れなかった自分はその後YouTubeで確認したが、父親以上に年齢差のある海千

山千のクセもの? K井大臣を相手に、K泉議員の方が優勢であったという見方が一般

的なようである。ことに 「支持率0%の政党に今の民主党は振り回されている」 VS

「支持率で政治が行われるのなら政治家はいらない」 とのクライマックス?では、やは

りどう見てもK井大臣の方が分が悪いと感じた国民が多かったのでないだろうか。

この“世襲の典型・代表”ともいえるK泉ジュニアについては以前(1月30日)「こじろ

う117」でも書いたことがあるが、K井大臣に対決後のコメントで、「人の心理をくすぐる

のは父親譲りでうまい」と評価?されたことからもわかるように、今や瓦解寸前ともいえ

る自民党にあって、日を追うごとにその存在感を増しているかの雰囲気もあり、これから

はいわゆる“上から目線”を自重し、“謙虚さ”を身につければ、一般社会ではともかく

として、「政界」という特殊な場所では案外“大物”になる要素を兼ね備えているのかも

しれない。

さて、先ほどの「支持率」について、たまたま某紙15日朝刊に某国立大学教授によ

る、「内閣支持率依存・・・世論測る新たな指標を」という投稿記事があった。

今の時代、各世論調査による内閣や政党の支持率の数字がかなりの頻度で発表され、

国民の多く、特に政治家自身がそれに「振り回されている」感があることは否定できな

い。その教授はこの現状を「世論調査民主主義」と呼び、「永田町のみならず、社会全

体に何かことが起きると直ちに世論調査の内閣支持率が報道され、それに皆が『納得

する』のが一つのサイクルになっている。今や政治家の世論調査依存は“重症”である」

という趣旨の分析をしていた。

世論調査は文字通りその時点における世論をそのまま反映するものであり、いわば民

意の動向をとらえる唯一のアンテナともいえるものである。しかし、当然のことながら、

その都度すべての国民を対象に調査をしているわけではない。

個人的に問題だと思うのは、その世論調査における支持率の数字だけをもって、その

結果を知らされた一般市民が、「その通りかもしれない」から「たしかにその通りだ」

となってしまうことである。日常から政治の動向というものに強い関心を抱いている

人はそれなりにいるだろうが、大半の国民は必ずしもそうでない。

だから世論調査の結果、たとえば「内閣支持率が△△%」と出た瞬間に、「今の内閣

はその程度か」と決めつけてしまう、つまり自分の目や耳で政治の実態を把握するの

でなく、支持率そのものを「実態」としてとらえ、その通りだと「思い込む」ことが往々に

して行われているのである。

もちろん世論調査は、基本的に無作為に抽出された有権者を対象にして行われるもの

で、それなりに正確な民意が反映されることを否定するつもりはない。だからここで言い

たいのは、その調査の「正確さ」や「信憑性」ということについてではない。大切なこと

は「支持率(民意)」=「自分の意見」とすることではなく、あくまでも「自分自身の意見」

をもつことである、ということなのだ。

政党や個々の議員が世論調査による内閣や政党の支持率の変動に一喜一憂するの

は構わないし、またそうせざるをえないのはよくわかる。しかし、一般国民、市民は民主

主義社会の一員として、表面的な数字のみに安易に流されるのでなく、自らの意思と

考えをもって政治に参画していくのが本来であろう。『思い込み』は“禁物”である。


飼い主の『思い込み』により、数々の
迷惑を被っていることを何とかしてほ
しいと考えている!?   こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:48Comments(0)ペット

2010年04月15日

『警察手帳見せろ!』とは なかなか・・・

13日午前、新潟県加茂市で80才代の雑貨店主の女性から、「警察官を装った男に

バッグを盗まれた」との110番通報があった。

報道によれば、同日午前10時頃警察官を名乗る男が店を訪れて名刺のようなものを

見せ、「ニセ札の捜査をしているので現金を見せてほしい」と言った後、手渡された一

万円札などを点検するしぐさをしながら30分ほど女性と雑談。その後スキを見て現金

数万円、預金通帳、印鑑などが入った女性のバッグ2つを持って逃走した。同市内で

は先月上旬、ニセ札5枚が発見される事件が起きていたいう。

80才代の「おばあちゃん」ということを差し引いても、客観的には「なぜそんな“ニセ警

察官”にだまされるのか」と言いたいところでもあるが、実際これと同じケースで (たと

え金品を奪われるところまでいかないにしても)、「はたしてどのくらい多くの人がその

男を “ニセ警官として”最初から最後まで毅然とした冷静な対応ができるのか」はなん

ともいえないところではないだろうか。

その理由としては、

1.振り込め詐欺のような電話による接触ではなく、実際に突然目の前に立って「警

  察です」とか「刑事です」とかいわれれば、普通は無視するわけにもいかないどこ
  
  ろか、緊張したり圧力を感じて疑う余裕などなくなるものである。また仮に怪しい

  などと思ったとしても、(たしかに警官だという証拠として)「警察手帳を見せてく

  ださい」などと面と向かっていうのは相当の勇気を必要とするものである。

2.ついひと月ほど前に、本当のニセ札事件が同市内で発生していることからして、

  「捜査に協力してください」というニュアンスで迫られたら、なかなか断ることは

  できないものである。

3.最初は警戒しても、30分も雑談すればお年寄りでなくても次第に気を許してし

  まう可能性がある。

などである。

だから、普段いくらTVドラマや映画などで“ニセ警官”が出てくる場面を見ては、「だ

まされるやつがいるからなあ」などとバカにしていても、日常から警察などの捜査機

関の関係者と接触している人でもない限りは、上記1.や2.のようになるのは普通

のことだと考えられる。

もっとも、“そうなってしまうこと”こそが、日頃犯罪などとは無縁である 「善良なる

市民」 ということの何よりもの “証拠”といえるのかもしれないのであるが。


散歩の途中で制服警察官の姿を見た
だけでなぜか “身構えてしまう”こ
とのある!?     こじろう






  


Posted by こじろう117 at 00:33Comments(0)ペット

2010年04月14日

心配? 『69.6歳のポーズ』!!!

活字やネット上の文字ならまだしも、TVのニュースなどで「ミンシュ」、「ジミン」などに

続いていきなり、「タチアガレ」などというのが耳に入ってきたらビックリしてしまうので

はないだろうか。

去る10日、H沼元経済産業相(70歳)を代表、Y謝野元財務相(71歳)を共同代表と

する新党「たちあがれ日本」の結成が正式に発表された。メンバーはいずれも自民党の

出身で閣僚や党の主要ポストを歴任したことのある“重鎮”であるが、それだけにまず目

を引くのが平均70歳(正確には69.6歳)という年齢である。

つい先日(4月8日)の「こじろう117」でも書いたばかりだが、今や60代~70代前半

などという年齢は、「働き盛り」とはいわないまでも、まだまだ「現役」といってもいいとこ

ろはある。まして今回の新党の発起人で顧問格でもあるI原東京都知事は77歳であり

ながら、全く年齢による衰えを感じさせないどころか、相変わらずさまざまな物議を醸し

てはますます意気軒高なところを見せている。高齢者が元気なことは社会にとって普通

に考えて喜ばしいのは疑いのないことである。

しかし、この新党、結党趣意書にある「日本復活」や綱領にある「自主憲法制定」などと

いうテーマは、一朝一夕に成就できるものではない。今回その立ち上げに際して参加を

呼びかけた中堅や若手にことごとく嫌われ?敬遠されてしまったという経緯も考えると、

いずれ(せいぜい10年くらいのうちに)引退となったときに、誰がその意志を引き継い

でくれるのか、という疑問はどうしても残ってしまう。

さらにはこの新党について、「呉越同舟」などと表現しているマスコミもある通り、もともと

国家観や理念、政策が異なるメンバーが政党要件に必要な5名を確保するためにとりあ

えず結集したというイメージは拭えない。事実今回代表、共同代表(この「共同代表」と

いう肩書?は初めて聞くものだが)となった2人も、郵政民営化問題や経済政策につい

ては依然その見解に隔たりがあるままなのだ。

結局共通しているのは、「“非自民の立場”で“民主を倒す”」という部分だけで、いわゆ

る「大義が見えない」、「自民党と政策面での差がない」という評価が一般である。

もっともこれだけ政権与党が迷走を続け、もたついているなかで、政権奪取への迫力が

一向に感じられない自民党にいても何の進歩もない、と考えるのは普通であるが、いず

れにせよこのままでは政党として国民の支持を十分に得ていくのは困難であろう。ゆえ

に、民主党の“黄門様”こと元衆院副議長であるW部氏のこのメンバーに対する「家出

老人」という呼び方はあまりにひどすぎるにしても、「シルバー新党」や「ロートル軍団」、

「立ち枯れ日本」などと揶揄されるのもいたしかたない、といったところである。

まあいろいろ言いながらも、ある意味この新党がどのようなものであろうとも自分自身

にはほとんど関係ないが、それでもつい余計な心配をしてしまうのは避けられない。そ

れは今回の記者会見の写真を見た時のことである。メンバー(5人+I原都知事)がい

かにも“ぎこちない”妙なかたちで「手をつないでいる」ポーズをとっているのだが、こう

いう場面では「お決まり」のものであり、また「マスコミの要望にこたえて」というのも

わかるとしても、70歳の人たちがするにはあまり格好のよいものではない。また格好

うんぬんはともかく、年齢が年齢なだけに「こんな無理なポーズを何秒も続けて腕でも

ひねって痛めてしまったらどうするのか」とつい考えてしまうのである。

気持ちはいくら若くても、やはりご老体には変わりないのである。


飼い主の要求するポーズでは決して
写真に収まらない!?  こじろう












  


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2010年04月13日

『サービス強化』 も結構だが!!!

つい2日ほど前、某紙に 「自動車教習所サービス合戦 (顧客の満足度で勝負) 」 と

いうタイトルの記事を見つけ、その 「サービス強化ぶり」 に驚いてしまった。

たとえばN県内のC自動車学校では、合宿教習中、教習生は系列の会社が経営する

“スポーツクラブ” のトレーニングマシンやプール、スーパー銭湯などを無料で利用で

きる他、合宿施設はバスルーム・洗濯機・電子レンジなどを備え、さらにセキュリティも

万全な個室でまさに一流・高級ホテルをしのぐ居住性、快適性があるらしい。

また同じくI教習所では女性専用の合宿施設を設けたり、期間中に “ケーキバイキング”

等のイベントも開催される。さらに別の教習所では合宿ではなくても、自宅や勤務先まで

送迎してくれたり、受け忘れを防ぐため、教習の日程を携帯にメール送信してくれるなど

のサービスもあるようで、完全に “至れり尽くせり” 状態といえよう。

少子化による 「免許取得適齢期」 を迎える若者の減少や、特に大都市圏などで深刻

な若者の 「車離れ」 という現実に直面し、各自動車学校や教習所がいわば 「生き残

り」 をかけて 「他所に負けないサービスの提供」 による教習生の取り込み競争が激

化しているのも必然の流れではある。

いかなる業種・業界においてもサービスが強化されるのはマイナスではないし、競争に

よる切磋琢磨やレベルアップは自由主義経済における理想的産物である。しかし、この

記事を読んだことで、個人的には一つだけ簡単に払拭できない懸念が生じていることも

またたしかである。

それは当然のことながら、自動車教習所 (学校) の根底にあるのはあくまでも 「教

習」 だということである。自動車に限らず、 「教習」 は楽しく受けた方がいいことはも

ちろんだが、本来の目的は 「教習によって必要な技能や知識、責任感覚をしっかりと

身につける」 こと。ことに自動車を運転するということは 「場合によっては人の生命す

ら奪う可能性もある “走る凶器” を手繰る」 ということである。だから時にはその 「難

しさ」 や「厳しさ」 「責任の重さ」 をそれなりの “つらい思い” の教習のなかで体得

することも必要である。したがって教習生集めに躍起になるあまり、自動車教習所の本

分が損なわれることは絶対に許されることではない。

また特に 「合宿教習」 についてはもう数十年の歴史があるが、かつては 「限られた

日程の中でほぼ確実に修了できる」 ということから、その教習修了生の運転技術を危

ぶむ風潮もあり、 「 “合宿組” だから彼の運転する自動車にはあまり乗らない方が

いいぞ」 などと冗談めかした話を聞いたこともある。

もちろんこれは一種の偏見であり、またひとくくりにして断ずることなどはできないこと

であるが、もし、その “環境的なことがら” 、つまり “付随のサービス” にとどまらず

教習の内容そのものに手心が加えられる、つまり免許が取得しやすくなるようなことが

ほんの少しでもあるとしたらそれは 「言語道断」 である。

自動車免許の問題以外にも、たとえば数年前から “大学全入時代” などといわれる

なか、特に一部の私立大学にはやはり 「生き残り」 がかかっているという現状からか、

「 『名前さえ書ければ合格する』 という大学入試が存在する」 などということが、ま

ことしやかにささやかれてもそれほど違和感を抱かない教育関係者も多いという。そ

れでも大学の場合はその当事者個人の問題であり、他人にとってはどうでもいいこと

といってしまえばそれまでである。しかし先述のとおり、自動車の運転に関しては生半

可な技能や知識、責任感覚では周囲に大変な迷惑がかかるのだ。

「あの教習所は “サービス” がすばらしい」 という評判なら結構だが、「あの教習所

は “卒業しやすくて” すばらしい」 という評判は決してあっては困るのである。個人

的に勝手な懸念が 「現実」 にならないことを願うのみである。


飼い主に食事の量に関する『サービス強化』
をしてほしいと思っている!? こじろう  


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2010年04月12日

『マナー』? 『不衛生』? 『エコ』?(その2)

兵庫県姫路市教育委員会の同市の市立小学校に対する「給食の紙パック牛乳をストロー

で飲ませるように」という“異例の指示”に関して、昨日はその原因となった一部保護者ら

からの改善要望にあった、「食事の“マナー”としてふさわしくない」、「不衛生だ」という

ことについての私見を述べた。(昨日の 「こじろう117」 参照)

今日はまず、学校側のもともとの言い分であった「環境保護(エコ)」について検証して

みたいと思う。

今や世の中空前の“エコブーム”といわれるなか、たかがストローといえどもそれなりの

数となればゴミの処理も大変であるし、また資源のムダ使いだというのも事実であろう。

しかしストローが必要かどうかの議論は、もともと牛乳を“紙パック”で提供するという

ことが前提である。かつて(少なくとも30年以上前)は給食に出される牛乳といえば、

“ビン”に入っているのがあたりまえであった。いつ頃から“ビン”から紙パック”にな

ったのかは知らないが、以前耳にしたところによるとその理由については、ビンの

場合は回収・洗浄・乾燥というプロセスのなか、より“手間”と“コスト”がかかることと、

紙パックの場合はリサイクルができるからということだった。実際にその通りかどう

かは確認していないが、それなら紙パックも無条件でリサイクルできるわけではなく、

回収時の洗浄・乾燥の手間にとどまらず、別の製品に“つくりかえる”ということから

すれば、むしろそのままの形で使える“ビン”の方がよほど手間はかからないだろう。

話はそれるが、“エコ”の関係ではほかにもいろいろとトンチンカンな例もあるようだ。

もうしばらく前のことであるが、「森林保護」の題目のもと、ある超大手企業がイメー

ジアップの目的もあり社員食堂をはじめとしてその社有の全飲食施設で“割り箸”の

使用を一斉にとりやめ、洗って使える“塗り箸”を導入したことがあった。すると、その

企業の重要取引先の一つでもある“割り箸関連の製造業者”より、その企業の営業

部門に対して、「割り箸に使われている木材はいわゆる間伐材であり、森林破壊には

関係ないどころか、むしろ森林保護に貢献しているではないか」という趣旨のクレーム

がつき、あわてた営業部門が飲食施設担当の総務部門にはたらきかけした結果、数

週間後には全社、元の“割り箸”に戻されたとのである(現在のように日本国内で使用

される“割り箸”のほとんどが中国産になる以前のことである)。このこと自体の是非

についてはともかくとして、今の世の中にはこのような「“エコ”の本質が一体どこに

あるのかわからない」例は枚挙に暇がないほどあるのではないだろうか。

環境保護やエコというのは、たしかに今や地球規模的問題として真剣に取り組まなけ

ればならないのはもちろんである。しかし、「なんでもかんでも“エコ”」というような風

潮にはいろいろと疑問の声があがっているのも事実である。“エコ”という「錦の御旗」

を振りかざしたさまざまな活動が“利権”の温床になる、つまり特定の政治勢力や企業・

団体の利益と無縁ではなくなるという問題も存在するからである。

この件について腑に落ちない最後の点は、今回3月に出たばかりの一部の保護者の

改善要望が、ひと月経つか経たないかのうちに「教育委員会からの指示」につながっ

たいうことである。教育の現場にとって、保護者の意見を積極的に吸い上げ、またさ

まざまな問題に迅速に対応することも当然必要なことであろう。しかし、いろいろ述べ

てきたようにこの問題は「こうしてください」「ハイ、すぐそのようにします」という単純

なものではないはずであるし、それほど緊急性を要するものでもないと思われる。

今回の一部の保護者らが、いわゆる「モンスター・・・」かどうかはともかくとして、とり

あえずその場をしのごうとする安易な対応だったとはいえないだろうか。今回考えら

れるいくつかの問題点をクリアする方法の一つとして、たとえば給食の牛乳はしばら

く児童らに「マイカップ」を家庭から持参させて、他のメニューであるスープ類(汁もの)

と同様な提供の仕方というのも考えられるはずである。よく検討もせずに姑息な手段

をとることで後でその“つけ”を支払わされることは先の企業の例にもある通りだ。

またこういうことこそ、大人同士の“かたい頭”だけで考えるのではなく、たとえば高

学年生に一つの「自分たちに直接関係する学習テーマ」として児童自身で考えさせ

てみるのもまさに「生きた教育」というものではないだろうか。


与えられた食料は必ず完食し、食器まで
ピカピカにすることで“エコ”に貢献し
ているつもりの!?     こじろう













  


Posted by こじろう117 at 00:09Comments(4)ペット

2010年04月11日

『マナー』?『不衛生』?『エコ』?(その1)

兵庫県姫路市教育委員会が「同市の市立小学校に対し『給食の紙パック牛乳を

ストローで飲ませるように』という“異例の指示”を出していた」という報道を耳にした。

もともと同市内の約8割の小学校では環境保護の観点より「ストローはゴミになる

から」ということで、児童に直接パックに口をつけて牛乳を飲むように指導していた

ところ、先月一部の保護者たちより「食事の“マナー”としてふさわしくない」 とか、

「不衛生だ」ということで改善要求が出された結果、上記のような“指示”につなが

ったというのである。しかし、個人的にはそれを聞いてどうしてもすんなり納得でき

ない点が出てきてしまうのだ。

まずは一部保護者の言い分である「食事の“マナー”としてふさわしくない」という

点である。食事に関するマナーといえば、たとえばフランス料理や日本料理などで

それぞれ古くから踏襲されているもの、つまり格式、形式ばったものではなくても、

少なくとも「周囲の人を不快にさせてはいけない」という暗黙のルールは当然存在

する。学校でもその教育の一環として「給食」がとりいれられていることもあり、

食事のマナーを指導するのはあたりまえである。しかしそれはそれとしても、この

「ストローを使って飲む」というのは、はたして「食事のマナーの問題」といえるの

だろうかという疑問は生じてしまう。本来どのような料理でもその“正餐”にストロー

が登場する場面はおそらくないだろうし、一部カクテルのようなものはともかくと

して、ソフトドリンクなどでもストローが使われるほうがむしろ“カジュアル”である、

と感じるのは間違っていないだろう。

したがってここでストローを使う使わないというのはマナーの問題ではなく、パック

牛乳のような飲み物を「口に入れやすく」とか「こぼしにくく」するためにストローを

使いたい、というのが筋ではないかと思われるのだ。

次にこれも保護者側の言い分で「不衛生」だというもの。これについてはパックの牛

乳に口をつけて飲むのは「不衛生だ」とした場合、それでは自販機などで購入した缶

飲料に同じように口をつけて飲むのは「不衛生ではないのか」と問われたら、その答え

に窮してしまうのが普通だろう。缶飲料にあまりストローを差して飲む姿は見たことは

ないし、個人的にはどちらかといえば紙パックよりも“金属”である缶に口をつける方に

抵抗を感じるのが実際である。ただし改善要求をした保護者が、「自分の子どもには

缶飲料に直接口をつけて飲ませるような“下品”なことは一切許していません」という

ようなことなら話は別であり、もっともなことではある。しかし「マナーうんぬん」の問題

と併せて、一般にはその人の「主観」に属するマターといえばいえないこともなく、スト

ローを使いたい人は使えばいい、という程度の問題であるようにも思えてしまうのであ

るのだが。(以下、この件に関する「環境保護」、「エコ」、「利権」などについての分析

と結論については、12日の「こじろう117」に続きます)


「犬にとってのマナー」とはどういう
ものなのか、常日頃から自問自答して
いる!?         こじろう







  


Posted by こじろう117 at 00:09Comments(0)ペット

2010年04月10日

『共倒れ』は 必至か???

今月初旬、民主党は常任幹事会で夏の参院選の第二次公認候補9人を正式発表した。

そのうち6人は「改選議席が2つ以上の選挙区は“複数擁立”」というO幹事長の方針に

沿った“一選挙区2人目”の候補者である。各県連の党本部に対する“懇願”?も聞き入

れられず、“剛腕”O幹事長の「例外は認めない」というゴリ押し?が通ったかたちといえ

よう。

このことを聞いて真っ先に思い出すのは、今から12年前当時の自民党橋本内閣が、参

院での自民単独過半数回復に向け、党の実力者であった野中広務幹事長代理の仕切

りにより今回同様の“複数擁立”を企てたときのことである。その結果はことごとく裏目に

出て「共倒れ選挙区」が続出、自民党は惨敗し、橋本首相は結局引責辞任に追い込ま

れることになった。

先の6人のうちの1人はN県のT島氏である。N県では現職閣僚(防衛相)でもあるベテ

ラン参院議員K沢氏の4回目の出馬がもともと決まっており、民主党内の『共倒れ』は考

えにくいと思われるが、そのK沢氏も今回の“2人目擁立”については明らかな不快感

を示しているといわれている。県連側の戸惑いや党本部との不協和音も隠すことはと

てもできないようだ。

またN県での民主党といえば、昨年10月、N市の市長選において全く理解不能でちぐ

はぐ、かつトンチンカンな候補者擁立を行い、市長選を「これ以上ない」という形でかき

回すだけかき回した“歴史的大失態”を忘れるわけにはいかない。(昨年10月26日の

「こじろう117」参照)

そのときと今回は全く事情は異なるとはいえ、政権を奪取してからの民主党の戦略

や手法は党本部・地方を問わず、思わず首を傾げてしまうようなものばかりが目に

ついてしまい、昨年の総選挙で同党に投票した人たちの期待に応えるどころか、神

経を逆なでするようなことばかりしているといっても言い過ぎではないだろう。

内閣・政党ともにその支持率が急落中という状況下の民主党N県連にとって、来たる

参院選での唯一の明るい?材料といえば、先日の自民党元農相W林氏の前代未聞

の“魔が差した大事件”による辞任騒動だろうか。W林氏の後継として立候補が確実

な長男のK太氏陣営にとっても、予期せぬことで全国的に大注目を浴び、さらには世襲

批判の矢面にまで立たされるという格好にもなったのは、誤算中の大誤算であろう。

しかし、実際そのことで選挙結果にどれほどの影響が出るか、つまり民主党の複数

当選に有利にはたらくかといえば、その保証は全くないといってもいいのである。

いずれにせよ、現在の民主党の状況をみるかぎり、強引とも思われる“複数擁立”

は全国各地で『共倒れ』を引き起こす危険性が十分であることは疑いようがない。

今まで「選挙に強い」ということを最大の武器としてその存在感を誇示し続けてき

たO幹事長が、「剛腕」とならぶもうひとつのニックネーム?である「壊し屋」の本領

発揮となる日が刻一刻と近づいてくるような気がしてならない。

さらには「民主党の参院選勝利のための最良、最高の方策はそのO幹事長自身の

早期辞任である」という同党内部でささやかれている声に、首相およびO幹事長

はどう答えるのかということへの興味も尽きないのである。


飼い主宅の「壊し屋」として、数々の
損傷の跡を残している!? こじろう



  


Posted by こじろう117 at 00:17Comments(0)ペット

2010年04月09日

払拭できない 『疑念』!!!

去る6日、中国当局により麻薬密輸罪で死刑判決を受けていた邦人男性の刑が執行

された。日中国交回復以降約40年で初めてのことだという。さらに9日には同罪によ

る他の3人の邦人死刑囚の刑執行も確実視されているようでもある。

日本国内には「麻薬の密輸で死刑は重すぎる」という意見もあるが、中国にはかつて

「アヘン戦争」という極めて苦い歴史があり、麻薬犯罪には厳罰をもって臨む姿勢が

あることは当然のことといえよう。また中国国内での犯罪は中国の法律によって裁

かれる前提からしても、日本政府が本来どうこう言える筋合いではない。

実際、死刑制度が存続している数少ない先進国の一つである我が国で、昨年1年間

に7人の死刑執行がなされたなかの一人は中国人であり、しかもその際中国政府に

事前通告などしていないのである。むしろ今回中国政府が事前通告をしてきたとい

うことの方が“配慮”?があったと解すべきであろう。とはいえ、もちろん他の外交上の

かけひきに利用される可能性が大きいことも否定できないが。

我が国では裁判員制度が開始され早くも1年が経過しようとするなか、死刑制度の存

続・廃止の議論は今まで以上に高まっていくであろうが、個人的にはそのことにつ

いて現段階で見解を述べるつもりはない。まして歴史・文化・風土・習俗など大き

く異なる他国の罰則が厳しいかそうでないかにつき、勝手に言及する立場にないし、

またその資格もないだろう。

しかしそれはそれとして、今回の関連で完全に払拭することができないのが、死刑

判決に至るまでの経緯、つまり死刑囚に対して本当に公正で適正な捜査や裁判が

なされたかどうかという『疑念』である。

某週刊誌の記事によれば、たとえば今回死刑執行された男性は、最初に中国公安

当局に拘束された際の当局側の通訳が“いい加減”で、自分の話したことが誤訳され

たと以前反論している。また別の覚せい剤がらみで中国で起訴された邦人の元被告

は「(覚せい剤を)買おうと思った」と日本語で供述したのを、「買った」と断定的に通訳

されたと証言している。単なる誤訳だとしても容認できないが、そこに何らかの政治的

意図などが隠されているとしたら言語道断である。

前述のように、中国国内で厳罰とされることに手を染めたものが中国の法律に則って

処罰されることは当然であるが、犯罪者とはいえ一人の人間として正当な捜査や裁判

を受ける権利をないがしろにされることは認めることはできないだろう。

15年ほど前、リチャードギア主演の「レッドコーナー」という米国映画が上映され観賞

したことがあるが、中国国内で犯罪の濡れ衣を着せられた主人公が、極めて一方的で

反論の余地のない中国の裁判で窮地に立たされるという場面があった。もちろん映画

の中のことであり、それがそのまま現在の中国の司法の実態であるということはいえ

ないが、もしそれに類することが少しでもあればこれほど恐ろしいことはない。さらに

中国は共産党が“司法”までも司る一党独裁体制下にあるため、死刑執行ということ

さえ政治と無縁でないことも公然の事実である。内実が見えにくいなか、公正な裁判

などを受ける権利が保障されているのかという『疑念』を払拭すべく、中国側に情報

公開や手続きの透明性を求めることはどうしても必要であろう。


イタズラの濡れ衣を着せられたことを
今でも根に持っている!? こじろう







  


Posted by こじろう117 at 00:46Comments(0)ペット

2010年04月08日

中年は まだ『こども』か???

先月下旬、宮崎県で小学校の校庭にミカンの苗木約130本を植え、校庭を使えなく

した無職男性と共犯の男性3人が6日、威力業務妨害容疑で逮捕されたとのニュース

を目にした。4人とも容疑を認めているらしく、主犯の男性は「自分の土地に植えて何

が悪いのか」、共犯の男性らは「悪いことだとは思ったが、お金をもらったのでやった」

と供述しているという。

その小学校と主犯の男性とは、約20年にわたり校庭の土地所有権をめぐりいろいろ

とトラブル等があったということだが、そのこと自体のいきさつや法律的判断について

は報道の内容だけからではなんとも言えないし、その資格もない。ただ、驚いたのは

(興味を抱いたのは)その容疑者らの年齢と犯行の中身との関係である。

主犯の男性が59歳、共犯の男性の最高齢は78歳ということであるが、イマドキの

60~70代の高年齢者による犯罪はそう珍しいことでもない。しかし、重機を用いた

ことや4人で行ったことを鑑みても、短期間に130本もの苗木を植えるというのはそ

の年齢の人たちにとってはやはりなかなかの重労働ではないかとも思われる。また、

それ以上に単なる空き地や公園の広場ならともかく、春休み中であったとはいえ、よ

りによって日常フルに使用される小学校の校庭でそれだけのことをするという「発想

力」と「行動力」にある意味“感心”?“敬服“?してしまうのである。

もっとも、いかなるいきさつや理由があろうとも、このような行為は法律的、倫理的、

社会的に許されるものではないし、また容疑者らを擁護するつもりも毛頭ない。しか

し、その「バイタリティ」?は、少なくとも彼らより若い中年の自分にはないものであ

るのはたしかなことだ。

自分らが子どもの頃の60代の人といえば、もうすでに「おじいさん」、「おばあさん」

というイメージが強かったが、現在は平均寿命もずいぶん伸びたとはいえ、また個人

差ももちろんあるにせよ、60歳などという年齢は「まだまだ人生これからが本番」と

いう感覚が普通である時代になった、ということだろうか。

そういう観点では、われわれの年代などはある意味まだ“こども”のようなものであり、

日々の生活で「疲れてしまって」とか「もう年齢が年齢だから(ムリできない)」などと

愚痴めいたことをいえば、高年齢者の方々から「このワカ(若)者めが」ならぬ、「この

バカ者めが」と一喝されてしまうというものかもしれない。


人間でいえばもう“青年”であるが、
いつまでも“少年”の心を失いたく
ない!?        こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年04月07日

『カメ』 になりたい???

大手ランドセルメーカーの「クラレ」よる、小学校に今春入学する児童を対象にした

「『就きたい職業』についてのアンケート」結果が5日発表された。

そのベスト3は男子が、

第1位・・・スポーツ選手、第2位・・・警察官、第3位・・・運転手・士

女子が、

第1位・・・お菓子屋さん、第2位・・・花屋さん、第3位・・・芸能人・タレント

であった。

時代が変わっても、こういうことに関するランキングはそれほど変わるものではない

ようで、男女の第1位はそれぞれ12年連続で同じということである。

まだ物心がついたばかりの小さなこどもが、「職業」(アンケートではそのことば

自体は用いていないだろうが)をどのようにとらえているのかは大変興味深いと

ころであり、またその職種を選んだ背景や理由をいろいろと想像してみるのも楽

しいものである。

いつの時代でもこどもに人気の職業は、「純粋なあこがれ」に基づくものが主で

あり、男子で第1位のスポーツ選手、女子で3位の芸能人・タレントなどはその

最たるものであろうが、それは小さなこどもには極めて自然な選択であるとも思

われる。

もう40年ほど前になるが、TVで「アテンション・プリーズ」というスチュワーデス

(当時)を主人公とするドラマが放映され大ヒットしたことがある。その頃は飛行

機に搭乗したことのある人はまだ極めて少ない時代でもあったので、そのドラマ

を観るまでは「スチュワーデス」という職業名すら知らない人も多かったと思う

が、その年以来しばらくの間、女子の「将来就きたい職業」の第1位はダントツ

で「スチュワーデス」というのが続いた記憶があるほどで、昔も今もいかにも「こど

もらしい」といえばその通りであろう。

しかし、決して「たかが小さなこどもの考えること」と侮ることもできないものがあ

るのもまた事実なのだ。大人のようにいろいろと体面を気にしたり、他人によく思

われようと考える邪念?がない分だけ、本物で純粋な感性が反映される可能性

が高いからである。

だいぶ以前のことであるが、自分の子どもが小学校低学年の時のクラス文集の

中にやはり「将来の夢」というコーナーがあり、ほとんどのクラスメートは今の人気

ランキング上位に入る職業名を書いていたが、ある男児K君のものは「『カメ』

になりたい」となっていた。それを初めて見たときは、まだ小学校低学年生とは

いえ、あまりに突拍子もない内容に、おそらく“ふざけて”“うけようとして”書いた

ものだと疑わなかった。しかしあとになって見返したときに、もしかしたらこのK君

は大変に鋭い感性と洞察力さらには先見性の持ち主なのではないか、と考え直

させられたのである。

そのK君としてはおそらく、「この殺伐とした世の中で時間に追われ、せせこまし

く過ごしたり、他人の目や意見に左右されて生きるのではなく、『カメ』のように

悠然とした足取りで人生を送ることを願っていた」のではないだろうか、というこ

とである。当時まだ7~8年ほどの人生経験しかなかったK君、もし本当にその

通りだとしたら、“恐るべしK君”と驚嘆せざるをえない。



以前公園で散歩中に「カメ」に遭遇し、
その悠然とした足取りを目にして一瞬
たじろいでしまった!?  こじろう



  


Posted by こじろう117 at 00:19Comments(0)ペット

2010年04月06日

『昭和スタイル』 復活???

今春卒業の大学生の就職内定率は過去最悪のわずか80%、つまりせっかく大学

を卒業しても5人に1人は職に就けないという“超氷河期”を迎えた就職戦線。入試

偏差値が70を超えるほどの超名門校の学生ですら、かつての“神通力”が通用しな

いような状況であるという。

そんな中、既に来春採用予定者の選考・面接も本格的に始まったが、このほど超大

手有名企業15社の現役人事部長らに“本音”で語ってもらった「企業が求める人材

像」や「選考ポイント」等をまとめた本が某ジャーナリストによって上梓され、注文が

殺到している旨の記事が週刊Bに出ていた。

その記事(本の内容等)によると、内定がとれるか否かのキーワードは「根性」「礼節」

「配慮」を重んずる『昭和スタイル』であるという。

昭和から平成にかわり既に20年以上の年月を経たが、その間社会は大きくIT化し、

いわゆる高度情報社会へと変貌してきた。それに伴い、昭和時代の学生よりイマドキ

の学生の方が数段長けているコンピューターや携帯を駆使した情報収集能力や分析

能力のレベルと、これは以前からの評価項目でもあるチャレンジ精神、コミュニケー

ション能力などが“選考のポイント”であり、「内定への決めて」かと思いきや、昨今

のように企業が採用できる人数が極端に少ない、つまり特に厳しい選考をせざるを

えない時期には、必ずしもそうでないというのだ。

というのもいくらIT化が進んでも、やはりビジネスの現場は人と人とのぶつかり合い

による“交渉・説得・理解”がその基本にあることは変わらないからである。

そのため最終的には、「粘り強い」=「根性」、「礼儀正しい」=「礼節」、「気が利く」

=「配慮」が最終的に必要とされる要素となる、つまりそれらこそが就職活動にお

けるかつての『昭和スタイル』そのものだということになる。

われわれのような学生時代~就職期を「昭和」という時代の中で過ごしてきた世代に

とってはこういうことを耳にすると、たしかにそのような要素を兼ね備えている(可能性

の高い?)「体育会系」の学生の方が“就職に有利”などといわれた時代を思い出して

は懐かしさがこみ上げてくるし、なんだか親近感も湧いて今の学生を応援したい気持

ちも強くなってくるというものである。

しかし反面、IT関連ではとてもじゃないが太刀打ちできない今の若者に、せめて「根性」

くらいは負けたくないというのもまた本音かもしれず、その心中はそう単純でもないよ

うだ。


「平成生まれ」でありながら、その頑固さや
オヤツをねだる手法などに「昭和スタイル」
が垣間見える!?       こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:13Comments(2)ペット

2010年04月05日

「あまりにもヒドイ 『過ち』」では???

どんな業務でも「過ち」を100%防ぐことは難しいが、それでもそれぞれの業務に

おいて「この『ミス』だけは絶対にしてはならない」ものが存在するということは以前

(2月24日)の「こじろう117」でも述べたとおりである。

たとえば報道に携わることを本業とするTV局にとって、“誤報”はあってはならない

ものであるが、特にそれが人の生死に関わることだったり、またその報道の関連に

よって人の生死が左右されるようなことは絶対に許されない、ということになる。

エイプリルフールの翌日、天下のキー局である“Tテレビ”が報道番組の放送中にプロ

野球「G球団のKコーチが急死」との字幕スーパーを数十秒間表示するということがあ

った。実際には練習中に突然のクモ膜下出血によって倒れたKコーチが病院に搬送

され“治療中”であったわけで、事実その番組のアナウンサーはそのように(“治療中”

ということを)伝えていたにもかかわらず、字幕スーパーの部分については「誤報」を

流してしまっていたことになる。

その後同局は別のニュース番組で訂正と謝罪のコメントを出し、誤報の理由として「急

に飛び込んできたニュースで混乱していた」と釈明?したようであるが、そもそもニュ

ースのほとんどは「急に飛び込んでくる」性質のものであり、到底受け入れ難い言い訳

にすぎないだろう。また仮にそれが前日の“4月1日”のことだとしても、とてもジョーク

にはできない類のものである。

T局については特にここ数年、ボクシングのK兄弟に関する極端な偏向報道や、捏造報

道等により視聴者の大きな批判の的となってきた。しかしそれらのことをその後も平然

とし続けるという体質などにより、同局は視聴率において他ライバル局の後塵を拝する

ことにもなったが、いわばそれは“自業自得”といえることでもある。

しかし、単なる自業自得などといえないものとして同局が15年ほど前に起こしたO真理

教関連の「S本弁護士一家殺害事件」における“大失態”を忘れることはできない。当時

T局の看板番組「NEWS23」のキャスターを務めていた故筑紫哲也氏はその際に「T局

は今日死んだに等しいと思う」との名言?を残しているが、まさに放送局として“万死に

値する”、“放送免許を返納すべき”ともいえる大きな過ちであったといえよう。

今回の(字幕スーパー上のものとはいえ)「存命中の人を勝手に殺してしまう」という、

いわば“歴史的大誤報”を見れば、T局が過去の教訓を全く生かしてないどころか、その

捏造(やらせ)体質から抜け出すことができていない、さらには「虚実の区別」がつか

ないほどまでになってしまったとしか思えないのである。

「たかが字幕スーパー上の一つのミスにうるさいことをいうな」という向きの意見もある

だろうが、自分にごく近い人が突然まさに生死の間をさまようような病に倒れ、想像を

絶するような精神状態でいるときに、全国に放映されるTVで、こともあろうに「急死」

等というニュースを流されてしまうことを、「混乱していたからしょうがない」と受け流す

ことのできる人は果たしてどれくらいいるのか疑問である。

「わざとではなかった」などという小学生にも通用しないような言い訳に終始してきた

今までの体質を全面的に改め、今回のような絶対にしてはならない「あまりにもヒドイ

『過ち』」を2度としないような体制を早急に作り上げないと、T局自体が「急死」する

日が近いと思われても仕方ないだろう。


自分の食事の時間や量を間違えられる
のは、飼い主側の「あまりにもヒドイ 
『過ち』」だと主張する!?こじろう



  


Posted by こじろう117 at 00:29Comments(0)ペット

2010年04月04日

『理想』と『反面教師』!!!

4月もすでに3日が経過したが、この2~3日は真新しい?スーツに身を包んだ

「新社会人」と思われる若者の姿が目立ち、またTVニュースや新聞記事でも企業

の入社式や官公庁の入庁式等の様子を盛んに報じていた。

一般に新たに企業などに属した場合、そこにはその新人を指導・管理する上司や

先輩がいるものだが、毎年恒例の“新社会人”を対象とした「理想の上司(2010

年版)」がつい先日発表された。今回の理想の(男性)上司ベスト3は、

第1位・・・ 関根勤、第2位・・・山口智充、第3位・・・唐沢寿明  である。

これから実社会に出ていく新社会人にとって、何が「社会」で、何をもって「理想

の上司」と考えているのかはよくわからない。また選んだ基準もまちまちであろう。

だが、さりとて毎年のこれらのアンケート調査がまったくナンセンスなものである

とも言い切れないのである。

上司と部下の関係に限らず、人間関係を良好にする大きな要素の一つに「やさしく

笑顔で接してくれる」というものがあると思うが、その意味では1~2位にTV等で

「(本気で)怒ったところを見たことがなく、いつも笑わせてくれやさしい」と思われる

いわゆる“お笑いタレント”が登場することには納得できるだろう。ただし、実際に

自分にとって何が“本来の”「やさしさ」であるのかは、社会経験のまだない新社会

人にわかるはずもなく、結局それは自分がいずれ上司や先輩になり、逆の立場で

部下や後輩を指導するときになって初めて理解できるものなのかもしれない。

また、最も「頼りにされない上司」とは、「自分の出世・昇進が何より大事」「部下を

自分の出世・昇進のための道具と考えている」「自分がかつて部下だったころのこ

とを忘れている」などであろう。第3位に俳優の唐沢寿明氏が登場したのは、つい

先月まで放映されていた高度成長期の総合商社を舞台にしたTVドラマで主役を演

じたからではないかと思うが、そのドラマの中での氏の役柄は、たしかにイザと

いう時に部下と一緒に悩み苦しみながら問題を解決したり、常に部下を守り、責任を

(上司である)自分がとるのを本分とするものであった。

新社会人自身の努力もさることながら、社会にとって大事な「金の卵」を無事に孵し、

立派に成長させられるかどうかはやはり上司や先輩の指導にかかっているといって

も過言ではないと思われる。しかし、世の中には部下や後輩のことを思い、親身にな

って指導してくれる「理想の上司」ばかりがいるわけではない。むしろ職場や組織に

よっては「頼りにできない上司」の方が多いところもあるだろう。

新社会人にとって難しいが大事なことは、そういう時にそれを「反面教師」とできるか

どうかである。いずれ立場が変わって自分が部下や後輩を指導することになった際

に、かつて自らが受けた“仕打ち”を繰り返すようでは自分自身の成長はないどころ

か、かえって年齢を重ねてしまっている分、より退歩した社会人になってしまうこと

になる。

「理想」はあくまでも「理想」であり、「現実」とは異なるくらいのことは新社会人とい

えどもある程度は理解していると思うが、とはいえ「理想」を純粋に追い求めること

ができるのもまた新社会人だけの“特権”といえるのかもしれない。

上司や先輩は自分では選ぶことはできないが、たとえいかなる上司のもとに仕える

ことになろうとも、「なんでもかんでも人のせいにしない」を信条に努力すれば必ずそ

れなりの道は開けてくるものなのである。


「理想の飼い主」とは、自分が欲しい
だけのオヤツを与えてくれる人である
と信じてる!?      こじろう







  


Posted by こじろう117 at 00:17Comments(0)ペット

2010年04月03日

『開いた口が塞がらない』???

自民党参院議員でN県区選出のW林元農相の「身代わり投票」問題は2日、当人から議

員辞職願が提出されその後の参院本会議で辞職が許可された。W林氏は「魔が差した」

と繰り返すのみで前代未聞の不祥事についての具体的理由を述べようとしていないが、

まさに議会制民主主義の根幹を揺るがすような大問題である。このままW林氏一人の

辞職をもってこの問題は決着、などとということは到底許されないものであろう。

さらに開いた口が塞がらないのは、今回のW林氏の早期?(辞職)決断に対し、自民党

内に「いさぎよい」「自民党には不祥事に対する自浄能力がある」「民主党とは違う」など

と、来たる参院選に向けてのアピールに利用しようとする思いや動きすら出ているいう

ということである。どうしてそういう方向にすぐ話を都合よく転換できるのか、国会議員

(特に自民党)の先生方の“常識”とは一般市民には本当に理解し難いものである。

一般に有権者が他人の投票用紙を使って一人で2回投票(身代わり投票)をしたとした

ら、その当人が公職選挙法違反により処罰されるのは常識である。それと同じことが

国権の最高機関たる国会で、しかも重要法案の採決で計10回も行われたのである。

またいくら「初めてのこと」と言ってみたところで、普通に考えてそうは思えない、つまり

(W林氏自身のことでなくても)身代わり投票的なことが参院で恒常的に行われている

のでは、との疑念くらいは小学生でも持って不思議でない。その意味においても今回の

「魔が差した」との理由説明一点張りは受け入れ難いものである。

重大な罪を犯した人間がそのことを糺されたときに、「私がやりました」と白状し、就いて

いる役職等を辞任すればそれをもって「いさぎよい」などとという評価を得られるほど一般

社会は甘いものではない。

加えていえば今回の件で腑に落ちないものに身代わり投票をされた?側である“参院の

首領”A木氏の行動がある。W林氏に身代わり投票を依頼するという事実がなかったと

いう話は信ずるとしても、重要法案の採決という国会議員にとって最も大切な職務に

優先するどれだけの用事があって席を立ったというのだろうか、という疑問をもたれる

のは必然である。

W林氏が今回の件で辞職するのは至極当然であるが、問題の根底にある部分を曖昧に

したままで、その場しのぎ的に迅速な?決断や処理を自らの有利な方にはたらかせよ

うとしても、そんな姑息な手法に騙され躍らされるほど今のほとんどの有権者は愚かで

はない。昨日も書いたばかりだが、迷走を続け、国民の理解を得られないような政策

を次々と生み出す現政権に国民は呆れていても、結局それに代わるだけの実力を有し

ていないどころか、自ら回復不可能のような失態を繰り返しては国民の方を向いてい

ないと思われる前政権党に投票しようとする人が増えてこないのは、やはり仕方のな

いことなのだろう。


オヤツを前にすると、「開いた口が
塞がらなくなる」!?  こじろう















  


Posted by こじろう117 at 00:01Comments(0)ペット

2010年04月02日

『根拠』は何なんだ(その2)???

1日のTVニュースで、この6月からの高速道路の上限料金制について報道されていた。

普通車の場合は休日、平日、走行距離にかかわらず、その利用料金の上限を2000円

にするなどというものである。従来の休日上限1000円に代わるものだというが、今度は

その他の割引制度が一切廃止されるという。レジャー関係の話だけならともかくとして、

日常の通勤や業務に各割引制度を活用してきた個人、企業にとっては大きな負担増にな

る可能性も高い。

いかなる政策にも賛否両論は存在する。それなりの数の人間がいれば利害は必ずしも一

致するものではないからだ。だから、その政策がそれぞれの個人にとって都合のよいも

のでなくてもやむをえないことは一般常識のある人であればそれなりに理解できるだろ

う。

しかし、それでも(自分にとって都合のよくないことでも)やはり納得のいく説明をしても

らうことは必要である。つまり、それなりの根拠や理由が明らかにされることを求める

のは納税者、国民としての当然の権利である。

その前提でいえば、今回の高速道路料金の上限2000円、およびその他の割引一切廃

止の根拠ははたしてどういうものなのかを、政府としてはっきり示す必要があるのでは

ないだろうか。もともと先の総選挙でマニフェストの主要項目でもあった高速道路無料

化(その政策そのものに対しては反対の世論が大勢を占めていたにせよ)との整合性な

どについても国民の納得のいく説明はされていないのである。政権発足後のさまざまな

迷走ぶりに拍車をかけるものであるといっても過言ではないだろう。

これ以上の「その場しのぎ的」で「ちぐはぐ」な政策が打ち出されるようでは、来たる参院

選での国民の審判の結果は明らかである。しかし、かといってそれに対抗すべき野党第

一党の“相変わらずぶり”もなんともいえないのだが。


飼い主の「しつけ」にもそれなり
の根拠を示してほしいと思ってい
る!?        こじろう



  


Posted by こじろう117 at 02:34Comments(0)ペット

2010年04月01日

『恐ろしさ』 さえ感じてしまう!!!

自らの失態を棚に上げるだけでなく、推測の域を出ない犯人像を実名で発表する。

法治国家の捜査機関としてあまりに無責任で乱暴なやり方に納得がいかないどころ

か、『恐ろしさ』 さえ感じてしまう国民も多いのではないか。

事件が未解決のまま公訴時効を迎えた15年前の警察庁長官銃撃事件につき、警視

庁が「O真理教(当時)の信者グループが教祖の意思の下で実行した以外考えられな

い」と結論づけたとの報道は、各方面でたくさんの批判の声を集めている。

15年前の事件当時、O真理教が反社会的、暴力的なさまざまな組織犯罪に関与して

いたことはもはや否定しようがない事実とされている。地下鉄サリン事件をはじめと

する世間を震撼させるような凶悪な犯罪を極めて身勝手な理屈により正当化、実行し、

その犠牲になったり被害に遭った善良な市民は数知れず、また未だに事件の後遺症

に悩む関係者も少なくない。組織的テロともいえる同種の犯罪をニ度と許してはいけな

いというのは国家としての大きな課題でもある。

しかし、だからといって実行犯や共犯者を特定できるだけの証拠をそろえることがで

きなかった、つまり容疑者不詳のまま書類送検した事件を、一連のO真理教の事件と

一緒くたにして、その犯行と決めつけ発表することが許されるわけではない。もっとも

警察内部で現在もどのような見解を持っていようが、必ずしも世間一般の知ったこと

ではないが、少なくとも捜査本部を指揮した警視庁公安部長自ら正式な記者会見上

で発表することが一般常識を有する国民の理解を得ることは到底できないだろう。

自らの失態に対する批判を回避しようとして他にその責任をなすりつける。組織間、

個人間を問わずよくみられる構図といえるかもしれないが、それは人間社会で最も醜

悪な一面である。絶対的な権力が背後に控える捜査機関がそういうことを平然と行う

ような国家はとても“民主国家”とはいえないだろう。

警視庁はその“体面”や“公益のためという建前”を捨て去り、15年間にわたる一連

の捜査の迷走ぶりをしっかりと検証したうえで反省し、改めて国民に説明する責任を

果たす必要があるだろう。


自分のミスはできれば棚に上げたい
と思いつつ、結局は自白せざるをえ
ない状況に陥る!?   こじろう

  


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