2011年02月03日
その写真 『必要』???
先日の東京の遊園地での遊具からの転落事故は大きなニュースにもなったが、「もし自分、
(といっても自分自身が遊園地のアトラクションに乗ることはもうあり得ないと思うが) ある
いは身近な人が同じ目に遭ったとしたら・・・」 と考えただけで恐ろしくなるほどの悲惨な
出来事である。犠牲になった男性および近親者の方々には 「お気の毒」 としかいいよう
がないが、当該遊園地はもちろん、全国の同様の遊園地では今回のような事故がニ度と
起こらないよう、徹底的な安全対策を施してほしいものである。
ところでその事件が起きた翌日、某紙夕刊の記事において、以前にも別の報道に接した際
に経験した一種の 「違和感」 を久々に抱かされることになった。それは記事のタイトルの
すぐ横に掲載された犠牲になった男性の写真についてである。前日のTV報道の際、すでに
その方の年齢は34才ということは耳にしていたが、その写真を見た瞬間 「ずいぶん若く見
える人だなあ」 と思わされたのだ。そこで不思議に思いその写真の説明?をよく見てみる
と、そこには 「 (犠牲になった) △△さん (中学時代) 」 と書いてあったので、なるほ
どとすぐ合点はいった。しかし、「ちょっと待てよ。34才の人の中学時代といえば今からもう
20年ほども前のことではないか。しかも (新聞に載せられた小さな写真でもあり) かなり
ぼやけてもいるため、この写真が現在のその方の写真だとわかる人など、ほとんど存在しな
いのではないか」 と考えつくのにも、ほとんど時間がかからなかったのだ。
新聞記事にその字面だけでなく写真もつけることの一般的な意義は、素人ながら一応は理
解しているつもりである。以前、ある小説の中でも、事故や事件が起きるとその直後から報
道機関の記者らが、「当事者の顔写真を手に入れるため必死で奔走する」 ということを読
んだ憶えがある。しかしそれにしても今回のように、撮影してから既に20年も経ており、しか
も一般的に 「その間に人生の中で 『最もその容貌に変化があったと思われる写真を掲載
する』 ことに果たして何の意味があるのか」 については、さっぱりわからない。
以前の同様の例は、TVニュースの一場面であるが、60才代のある主婦が殺害された事件
の報道に関して、映し出されたその被害者の顔写真は (おそらく) 30~40年くらい前と
思われるその女性の結婚式の際のいわゆる 「角隠し」 をつけたものだった。だから事件の
詳細を知るまでは、(写真がかなり古そうなものであるという不自然さは感じたものの) 被
害者はてっきり若い女性だと思い込まされたのである。
一般に報道機関として、このような写真を掲載するにあたり遺族ら近親者の了承を得るもの
かどうかは知らないが、中にはそれ (実体とかなり異なる?被害者らの写真を掲載される
こと) を快く思わない (遺族らがいる) 場合もあるのではないだろうか。
今回のような報道関係の写真にかぎらず、「これには 『これが付き物』 である」 という例
は日常の中にたくさんあるはずだが、それを 「付けた」 ばかりに、かえってその本質的
部分に余計な邪推が入り込む余地を生じさせるのみならず、ともすれば明らかに誤った認
識すら植えつける可能性がある、ということを考えておかねばならない。
飼い主が 「うちの犬です」 と、よその人に
写真を見せる際には、「映りが良い」 ものだ
けにしてほしいと思っている!? こじろう
(といっても自分自身が遊園地のアトラクションに乗ることはもうあり得ないと思うが) ある
いは身近な人が同じ目に遭ったとしたら・・・」 と考えただけで恐ろしくなるほどの悲惨な
出来事である。犠牲になった男性および近親者の方々には 「お気の毒」 としかいいよう
がないが、当該遊園地はもちろん、全国の同様の遊園地では今回のような事故がニ度と
起こらないよう、徹底的な安全対策を施してほしいものである。
ところでその事件が起きた翌日、某紙夕刊の記事において、以前にも別の報道に接した際
に経験した一種の 「違和感」 を久々に抱かされることになった。それは記事のタイトルの
すぐ横に掲載された犠牲になった男性の写真についてである。前日のTV報道の際、すでに
その方の年齢は34才ということは耳にしていたが、その写真を見た瞬間 「ずいぶん若く見
える人だなあ」 と思わされたのだ。そこで不思議に思いその写真の説明?をよく見てみる
と、そこには 「 (犠牲になった) △△さん (中学時代) 」 と書いてあったので、なるほ
どとすぐ合点はいった。しかし、「ちょっと待てよ。34才の人の中学時代といえば今からもう
20年ほども前のことではないか。しかも (新聞に載せられた小さな写真でもあり) かなり
ぼやけてもいるため、この写真が現在のその方の写真だとわかる人など、ほとんど存在しな
いのではないか」 と考えつくのにも、ほとんど時間がかからなかったのだ。
新聞記事にその字面だけでなく写真もつけることの一般的な意義は、素人ながら一応は理
解しているつもりである。以前、ある小説の中でも、事故や事件が起きるとその直後から報
道機関の記者らが、「当事者の顔写真を手に入れるため必死で奔走する」 ということを読
んだ憶えがある。しかしそれにしても今回のように、撮影してから既に20年も経ており、しか
も一般的に 「その間に人生の中で 『最もその容貌に変化があったと思われる写真を掲載
する』 ことに果たして何の意味があるのか」 については、さっぱりわからない。
以前の同様の例は、TVニュースの一場面であるが、60才代のある主婦が殺害された事件
の報道に関して、映し出されたその被害者の顔写真は (おそらく) 30~40年くらい前と
思われるその女性の結婚式の際のいわゆる 「角隠し」 をつけたものだった。だから事件の
詳細を知るまでは、(写真がかなり古そうなものであるという不自然さは感じたものの) 被
害者はてっきり若い女性だと思い込まされたのである。
一般に報道機関として、このような写真を掲載するにあたり遺族ら近親者の了承を得るもの
かどうかは知らないが、中にはそれ (実体とかなり異なる?被害者らの写真を掲載される
こと) を快く思わない (遺族らがいる) 場合もあるのではないだろうか。
今回のような報道関係の写真にかぎらず、「これには 『これが付き物』 である」 という例
は日常の中にたくさんあるはずだが、それを 「付けた」 ばかりに、かえってその本質的
部分に余計な邪推が入り込む余地を生じさせるのみならず、ともすれば明らかに誤った認
識すら植えつける可能性がある、ということを考えておかねばならない。
飼い主が 「うちの犬です」 と、よその人に
写真を見せる際には、「映りが良い」 ものだ
けにしてほしいと思っている!? こじろう