2010年09月30日
『自作自演』 は難しい・・・???
毎日毎日、全国のいたるところでさまざまな犯罪は起こり、容疑者らが逮捕されるもの
だが、その中に少なからず存在するのがいわゆる 「狂言犯罪」 である。その一例が、
先日の産経新聞配信の 「ローソン強盗は自作自演 栃木県警が逮捕 目撃情報なく
バレル」 というタイトルの記事に書かれていた事件であり、その内容は
・・・・・宇都宮市のコンビニエンスストア 「ローソンH店」 において今年5月男性店長
が襲われて売上金約443万円が奪われ、けがを負ったとされる強盗傷害事件
で、栃木県警捜査1課と宇都宮南署は27日午前、店長が事件を自作自演した
疑いが強まったとして、偽計業務妨害の疑いで同県壬生町、同店経営者で店長
の男性 (36才) を逮捕した。
調べによると、同容疑者は5月31日午前10:40頃、経営するコンビニで
「強盗です。売上金443万円を奪われた」 とウソの通報をし、宇都宮南署
などの業務を妨害した疑いがもたれている。
同署によると、同容疑者は駆けつけた署員に、“犯人” の特徴を 「身長175
センチで30才くらいのガッチリした体格の男」 と説明していた。ただ、目撃
情報などまったく出てこないなど、不審な点が多かったという。詳しい動機など
を調べている・・・・・
というものである。
まずこの記事を読んでの素朴な疑問は、4か月も前に起きた事件がなぜ今頃になって
「自作自演」 と判明したのだろうかということである。いろいろな人物や背景が複雑に
絡み合うような事件であればともかく、記事を読む限りはどこにでも転がっていそうな
単純?なものとしか思えないが、店長の話していたことに対するいろいろな裏付け捜査
に時間がかかったということで一応承知したい。
それはそうと、やはりこの手の事件でいつも感じることは 「結局自作自演はうまくいか
ない」 ということである。この事件の詳しい動機や背景は捜査中ということのようだが、
単なるアルバイト店員などではなく、事件の主人公は?一応 “経営者” としての店長
である。経営状況が思わしくなくて自暴自棄的にこの狂言強盗に手を染めたという可能
性もあるとはいえ、もし失敗すればそれまで築きあげてきたものをすべて一瞬にして失う
どころか、周囲の人たちにも大変な迷惑がかかることは容易に推測できることなのだ。と
なれば、よほど綿密な計画を練っていたのではないかと思われるのだが、たとえその通り
だとしても結局はこのように失敗するのがオチである。
「 『真実』 ではないことをあたかも 『真実のように』 見せかける」 ということは、一見
簡単なようだが、それがどんなに用意周到なものであっても当人の気づかないところに必
ず 「不審点」 や 「ほころび」 が存在するのであろう。
「自作自演の “強盗”」 はともかくとして、日常生活でも、やはり 「作り話」 というのは
どうしてもどこかに矛盾が生ずるものである。それをしている当人は相手や周囲をしっかり
欺いているつもりでも、「実はすでに 『偽り』 だということを悟られている」 ことほど恥ず
かしいことはないのだ。
“HONESTY PAYS IN THE LONG RUN.” というのは、どの時代にあっても疑いのな
い真理なのである。
飼い主に対する 「自作自演」 を見破られ
逆切れすることのある!? こじろう
だが、その中に少なからず存在するのがいわゆる 「狂言犯罪」 である。その一例が、
先日の産経新聞配信の 「ローソン強盗は自作自演 栃木県警が逮捕 目撃情報なく
バレル」 というタイトルの記事に書かれていた事件であり、その内容は
・・・・・宇都宮市のコンビニエンスストア 「ローソンH店」 において今年5月男性店長
が襲われて売上金約443万円が奪われ、けがを負ったとされる強盗傷害事件
で、栃木県警捜査1課と宇都宮南署は27日午前、店長が事件を自作自演した
疑いが強まったとして、偽計業務妨害の疑いで同県壬生町、同店経営者で店長
の男性 (36才) を逮捕した。
調べによると、同容疑者は5月31日午前10:40頃、経営するコンビニで
「強盗です。売上金443万円を奪われた」 とウソの通報をし、宇都宮南署
などの業務を妨害した疑いがもたれている。
同署によると、同容疑者は駆けつけた署員に、“犯人” の特徴を 「身長175
センチで30才くらいのガッチリした体格の男」 と説明していた。ただ、目撃
情報などまったく出てこないなど、不審な点が多かったという。詳しい動機など
を調べている・・・・・
というものである。
まずこの記事を読んでの素朴な疑問は、4か月も前に起きた事件がなぜ今頃になって
「自作自演」 と判明したのだろうかということである。いろいろな人物や背景が複雑に
絡み合うような事件であればともかく、記事を読む限りはどこにでも転がっていそうな
単純?なものとしか思えないが、店長の話していたことに対するいろいろな裏付け捜査
に時間がかかったということで一応承知したい。
それはそうと、やはりこの手の事件でいつも感じることは 「結局自作自演はうまくいか
ない」 ということである。この事件の詳しい動機や背景は捜査中ということのようだが、
単なるアルバイト店員などではなく、事件の主人公は?一応 “経営者” としての店長
である。経営状況が思わしくなくて自暴自棄的にこの狂言強盗に手を染めたという可能
性もあるとはいえ、もし失敗すればそれまで築きあげてきたものをすべて一瞬にして失う
どころか、周囲の人たちにも大変な迷惑がかかることは容易に推測できることなのだ。と
なれば、よほど綿密な計画を練っていたのではないかと思われるのだが、たとえその通り
だとしても結局はこのように失敗するのがオチである。
「 『真実』 ではないことをあたかも 『真実のように』 見せかける」 ということは、一見
簡単なようだが、それがどんなに用意周到なものであっても当人の気づかないところに必
ず 「不審点」 や 「ほころび」 が存在するのであろう。
「自作自演の “強盗”」 はともかくとして、日常生活でも、やはり 「作り話」 というのは
どうしてもどこかに矛盾が生ずるものである。それをしている当人は相手や周囲をしっかり
欺いているつもりでも、「実はすでに 『偽り』 だということを悟られている」 ことほど恥ず
かしいことはないのだ。
“HONESTY PAYS IN THE LONG RUN.” というのは、どの時代にあっても疑いのな
い真理なのである。
飼い主に対する 「自作自演」 を見破られ
逆切れすることのある!? こじろう
2010年09月29日
『無防備・大胆』 で逆に救われる???
いわゆる 「汚職」 とそれを構成する 「贈収賄」 「たかり」 などというものは、古今東西
を問わず存在するものであるが、法秩序の整った国家や社会においてそういう類のものは
「本来こっそり、こそこそ、と絶対に証拠が残らぬよう巧妙になされるものである」 と、少な
くとも個人的には考えていた。
そういう意味で27日某紙朝刊に載った厚労省課長補佐関連の贈収賄事件は、その無防備
さとか大胆さに度肝を抜かれるものであった。そのタイトルは 「 『息子の授業料助けて』
厚労省課長補佐 メールで現金要求」 というもので内容は、
・・・・・コンタクトレンズ (CL) 診療所への指導・監査にからむ贈収賄事件で、大阪府
警に収賄容疑で逮捕された厚生労働省課長補佐 (50才) が 「息子の授業料
の一部を助けてほしい」 などと、携帯電話のメールで現金を要求していたことが
26日、捜査関係者への取材でわかった。
府警捜査2課は、同容疑者がCL販売店経営会社役員 (55才) = 贈賄容疑で
逮捕 = と日常的に連絡を取り合いながら監査の情報交換や現金の授受を繰り
返していたとみて、癒着が深まった経緯を捜査する。
捜査関係者によると、課長補佐は今年3月ごろ会社役員に携帯メールを複数送信。
「お願いがあります。息子の授業料100万円の一部を助けてもらえないですか」
「オランダ、スペインに出張します。よろしくお願いします」 などいずれも金の振り
込みを要求する内容だった。
入金を済ませた会社役員が 「出張気をつけて行ってください」 などと応じると、
課長補佐は 「確認しました。助かります」 「いろいろ物入りな時にありがとうご
ざいました。今後も協力します」 と返信したという。
課長補佐名義の銀行口座にはこの時期、会社役員の名前で20万円前後の金
が数回振り込まれていた。すでに特別医療指導監査官から異動していたが、引き
続き監査を受けないための助言をしていたとみられる。
捜査2課は26日、課長補佐を大阪に移送し送検。CL販売会社などを家宅捜索した。
課長補佐は北海道出身。旧社会保険庁に1979年に採用された・・・・・
というものである。
この記事についてはその後続報も配信され、その 「たかり」 の実態が続々と登場しては
あきれるばかりであるが、従来の贈収賄事件と比較して若干の違和感を抱かされるのがこの
メールの内容である。これだけ詳細に記事に書かれていることからして、収賄側か贈賄側の
どちらかの携帯に保存されていたのではないかとも思われるくらいであるが、万が一そうだ
とすれば、かなり大胆かつ無防備ということになろう。またそこで使われている表現なども、
いわゆる隠語などを用いず、しかも具体的に 「息子の授業料」 とか 「助かります」 な
ど直接的なもので、ここまでくるとある意味そこには 「罪悪感」 とか 「後ろめたさ」 のよ
うなものは微塵もないのではと勘繰りたくなるほどである。あまり考えたくないことではある
が、この課長補佐、旧社会保険庁出身ということから、 「いかにその組織 (旧社保庁)
が不祥事の温床として長い間存在してきたか」 の証左となるかもしれない。 (「こじろう
117」・・・『不祥事の温床・巣窟』 の解体・廃止!!!・・・参照)
ただ妙な言い方にはなることを承知でいえば、今回のようなケースはその 「無防備さ」 や
「大胆さ」 「間抜けさ」 によって、こういう事件が起きては困る一般市民の側からすれば、
むしろ救われている?といえるかもしれない。本当に悪質で困るのは 「目に決して触れな
いところで、巧妙に、決して証拠を残さない汚職」 であることに疑いはない。
イタズラの証拠を残さぬように努めても
結局は飼い主に見抜かれてしまい、その
になって右往左往する!? こじろう
を問わず存在するものであるが、法秩序の整った国家や社会においてそういう類のものは
「本来こっそり、こそこそ、と絶対に証拠が残らぬよう巧妙になされるものである」 と、少な
くとも個人的には考えていた。
そういう意味で27日某紙朝刊に載った厚労省課長補佐関連の贈収賄事件は、その無防備
さとか大胆さに度肝を抜かれるものであった。そのタイトルは 「 『息子の授業料助けて』
厚労省課長補佐 メールで現金要求」 というもので内容は、
・・・・・コンタクトレンズ (CL) 診療所への指導・監査にからむ贈収賄事件で、大阪府
警に収賄容疑で逮捕された厚生労働省課長補佐 (50才) が 「息子の授業料
の一部を助けてほしい」 などと、携帯電話のメールで現金を要求していたことが
26日、捜査関係者への取材でわかった。
府警捜査2課は、同容疑者がCL販売店経営会社役員 (55才) = 贈賄容疑で
逮捕 = と日常的に連絡を取り合いながら監査の情報交換や現金の授受を繰り
返していたとみて、癒着が深まった経緯を捜査する。
捜査関係者によると、課長補佐は今年3月ごろ会社役員に携帯メールを複数送信。
「お願いがあります。息子の授業料100万円の一部を助けてもらえないですか」
「オランダ、スペインに出張します。よろしくお願いします」 などいずれも金の振り
込みを要求する内容だった。
入金を済ませた会社役員が 「出張気をつけて行ってください」 などと応じると、
課長補佐は 「確認しました。助かります」 「いろいろ物入りな時にありがとうご
ざいました。今後も協力します」 と返信したという。
課長補佐名義の銀行口座にはこの時期、会社役員の名前で20万円前後の金
が数回振り込まれていた。すでに特別医療指導監査官から異動していたが、引き
続き監査を受けないための助言をしていたとみられる。
捜査2課は26日、課長補佐を大阪に移送し送検。CL販売会社などを家宅捜索した。
課長補佐は北海道出身。旧社会保険庁に1979年に採用された・・・・・
というものである。
この記事についてはその後続報も配信され、その 「たかり」 の実態が続々と登場しては
あきれるばかりであるが、従来の贈収賄事件と比較して若干の違和感を抱かされるのがこの
メールの内容である。これだけ詳細に記事に書かれていることからして、収賄側か贈賄側の
どちらかの携帯に保存されていたのではないかとも思われるくらいであるが、万が一そうだ
とすれば、かなり大胆かつ無防備ということになろう。またそこで使われている表現なども、
いわゆる隠語などを用いず、しかも具体的に 「息子の授業料」 とか 「助かります」 な
ど直接的なもので、ここまでくるとある意味そこには 「罪悪感」 とか 「後ろめたさ」 のよ
うなものは微塵もないのではと勘繰りたくなるほどである。あまり考えたくないことではある
が、この課長補佐、旧社会保険庁出身ということから、 「いかにその組織 (旧社保庁)
が不祥事の温床として長い間存在してきたか」 の証左となるかもしれない。 (「こじろう
117」・・・『不祥事の温床・巣窟』 の解体・廃止!!!・・・参照)
ただ妙な言い方にはなることを承知でいえば、今回のようなケースはその 「無防備さ」 や
「大胆さ」 「間抜けさ」 によって、こういう事件が起きては困る一般市民の側からすれば、
むしろ救われている?といえるかもしれない。本当に悪質で困るのは 「目に決して触れな
いところで、巧妙に、決して証拠を残さない汚職」 であることに疑いはない。
イタズラの証拠を残さぬように努めても
結局は飼い主に見抜かれてしまい、その
になって右往左往する!? こじろう
2010年09月28日
『冗談じゃない』!!!
ほんのちょっとした “冗談” のつもりが、 「冗談じゃない」 という事態に発展すること
は珍しくない。しかし、それが生命・身体が危険に晒され、しかも教育現場でのこととなれ
ば、とても笑って済まされることではないだろう。つい先日、産経新聞に掲載された記事に、
「 『特製クッキー』 実はホウ酸団子 高校生が誤って食べ病院に搬送」 というタイトル
のものを見つけたが、その内容は、
・・・・・大阪市内の府立高校で、家庭科の女性教諭 (53才) が自宅で作ったゴキブリ
駆除用の “ホウ酸団子” を女子生徒が誤って食べ、救急車で搬送されたことが
24日わかった。生徒は市内の病院に搬送され胃洗浄を受け回復しているという。
府教委によると、教諭が21日午前8時すぎ職員室でホウ酸やうどん粉で作ったホウ
酸団子25個を置いていたところ、女子生徒が 「これ何?」 と質問。教諭が 「特製
クッキー」 と答えた後、目を離したすきに女子生徒が机の上にあったホウ酸団子を
口にした。
生徒はすぐに吐き出したが、市内の病院に搬送。胃の洗浄を受け現在は回復してい
るという。校長はこの教諭に口頭で注意した。
教諭は 「軽率だった。反省している。言葉遣いには今後気をつけていきたい」 と
話しているという・・・・・
というものである。
この “ホウ酸団子” というもの。実際にどの程度の毒性や身体への有害性があるのか知ら
ないが、「ゴキブリの駆除用」 に作られたと聞いただけで、少なくとも絶対に 「口に入れる」
どころか 「口に近づける」 ことすらしたくないシロモノである。
この短い記事の内容からでは、教諭の日頃の様子や生徒との関係などまったくわからないの
でなんともいえない部分もあるが、現実に “学校” から救急車で搬送され病院で手当てを受
けるに至った事態は深刻であり、「軽率だった」 とか 「今後言葉遣いには気をつけていきた
い」 などという程度の 「ノンキなコメント」 で済まされるのかという疑問を簡単には払拭で
きない。高校生にもなって教師の 「冗談かそうでないかの区別もできないのか」 という見方
もあるだろうが、それは今回のようにそれが危険物に関わる場合には一般に通用しない考え
方といえる。ましてまだ経験の浅い新米教師などならともかく、この教諭に関しては53才とい
う、社会人としてもまさにベテラン中のベテランである。その豊富な人生経験のなかで 「万が
一こういうことになったら・・」 ということを十分に予測できる、イヤ予測できなければならない
社会的立場にいると考えるべきである。この教諭の処分等についていろいろと言及する資格
はないし、そもそもそのつもりもないが、府教委および教育界としてはこの事件を通じ、単なる
一教諭の軽率行動によるものと捉えるのではなく、特に少年少女の生命・身体の安全を預か
る教育現場における同様の事故の再発防止に真剣に取り組むべきであろう。
教育の現場に限らず、日常生活のあらゆる場面には通常では考えもしない 「さまざまな危険」
が転がっているということ、さらには何気ない 「軽口」 が時に大変な事態を惹起する可能性
があるということをこの事件を通じての個人的教訓としたい。
飼い主がたまに発する 「軽口」 を
「冗談じゃない」 という思いで聞い
ていることのある!? こじろう
は珍しくない。しかし、それが生命・身体が危険に晒され、しかも教育現場でのこととなれ
ば、とても笑って済まされることではないだろう。つい先日、産経新聞に掲載された記事に、
「 『特製クッキー』 実はホウ酸団子 高校生が誤って食べ病院に搬送」 というタイトル
のものを見つけたが、その内容は、
・・・・・大阪市内の府立高校で、家庭科の女性教諭 (53才) が自宅で作ったゴキブリ
駆除用の “ホウ酸団子” を女子生徒が誤って食べ、救急車で搬送されたことが
24日わかった。生徒は市内の病院に搬送され胃洗浄を受け回復しているという。
府教委によると、教諭が21日午前8時すぎ職員室でホウ酸やうどん粉で作ったホウ
酸団子25個を置いていたところ、女子生徒が 「これ何?」 と質問。教諭が 「特製
クッキー」 と答えた後、目を離したすきに女子生徒が机の上にあったホウ酸団子を
口にした。
生徒はすぐに吐き出したが、市内の病院に搬送。胃の洗浄を受け現在は回復してい
るという。校長はこの教諭に口頭で注意した。
教諭は 「軽率だった。反省している。言葉遣いには今後気をつけていきたい」 と
話しているという・・・・・
というものである。
この “ホウ酸団子” というもの。実際にどの程度の毒性や身体への有害性があるのか知ら
ないが、「ゴキブリの駆除用」 に作られたと聞いただけで、少なくとも絶対に 「口に入れる」
どころか 「口に近づける」 ことすらしたくないシロモノである。
この短い記事の内容からでは、教諭の日頃の様子や生徒との関係などまったくわからないの
でなんともいえない部分もあるが、現実に “学校” から救急車で搬送され病院で手当てを受
けるに至った事態は深刻であり、「軽率だった」 とか 「今後言葉遣いには気をつけていきた
い」 などという程度の 「ノンキなコメント」 で済まされるのかという疑問を簡単には払拭で
きない。高校生にもなって教師の 「冗談かそうでないかの区別もできないのか」 という見方
もあるだろうが、それは今回のようにそれが危険物に関わる場合には一般に通用しない考え
方といえる。ましてまだ経験の浅い新米教師などならともかく、この教諭に関しては53才とい
う、社会人としてもまさにベテラン中のベテランである。その豊富な人生経験のなかで 「万が
一こういうことになったら・・」 ということを十分に予測できる、イヤ予測できなければならない
社会的立場にいると考えるべきである。この教諭の処分等についていろいろと言及する資格
はないし、そもそもそのつもりもないが、府教委および教育界としてはこの事件を通じ、単なる
一教諭の軽率行動によるものと捉えるのではなく、特に少年少女の生命・身体の安全を預か
る教育現場における同様の事故の再発防止に真剣に取り組むべきであろう。
教育の現場に限らず、日常生活のあらゆる場面には通常では考えもしない 「さまざまな危険」
が転がっているということ、さらには何気ない 「軽口」 が時に大変な事態を惹起する可能性
があるということをこの事件を通じての個人的教訓としたい。
飼い主がたまに発する 「軽口」 を
「冗談じゃない」 という思いで聞い
ていることのある!? こじろう
2010年09月27日
『不平・不満・要求』 の前に!!!
「若者の声」 なるコーナーが新聞や雑誌に登場することは珍しくない。小学生でも高学年
ともなれば、学校での教科学習とは別に、社会についてさまざまな興味を抱き考える機会
をもつことは極めて重要である。まして、間もなく社会人となる20才前後の若者ともなれば
真剣に社会と向き合い、意見を有することが求められるものだ。しかし、それがただ単に客
観的・傍観者的に世間を見てはそれに対して一方的に不平・不満を述べたり、批判・非難・
要求を繰り返すだけのものなら、むしろそれは必要のないものとさえいえるだろう。
先日某紙の朝刊に20才直前の若者を対象とした 「世の中に言いたいこと」 というコー
ナーがあったが、それは 「担当記者の意図は一体何なのか」 と思わず訝ってしまうよう
な内容で、愕然とさせられるものであった。
その 「世の中に言いたいこと」 の数例を列挙すると、
1. 就職先を増やしてほしい。税金を上げるな、消費税下げろ。物価もう少し安くして。
2. 今の世の中みんなが苦しい。少しでも多くの人が救われる日常がほしい。
3. 将来誰もが就職できる世の中にしてほしい。
4. 今の政治は国民のための政治ではない。国民のことを最優先に考えた政治に変えて。
5. 学生は給料が安い。学生だからって給料が安いのは不満。
というようなものである。
「世の中に言いたいこと」 を求められて、実際に考えていることを率直に述べた若者たち
のことを非難するつもりは基本的にない。しかし、そういう意見を求めるにあたってのプロ
セスやフォローが十分にないとしたら、このような企画はまったくもって意味をなさないど
ころか、有害であるとさえいえるだろう。
たとえばまず上記の1.であるが、「就職先を増やしてほしい」 はまだともかくとしても、
「税金を上げるな、消費税下げろ。物価もう少し安くして」 とただ一方的に要望するので
は、まったくもって小学生低学年以下のレベルである。「なぜ税というものが国家や社会
にとって必要なのか」 「消費税を上げる (下げること) は、その時勢にあってどのよう
な意味をもつのか」 「 “物価” の概念・本体とはそもそも何なのか」 というような根本
的部分について何も考慮せずに、「ただ表面的に自らの出費を抑えたい」 と騒ぎ立て
るのでは、ショッピングセンターで幼児が目についたものを片っ端から指さして 「あれ買
って。これ買って。と駄々をこねている」 のとなんら変わりはない。
2.や4.にしても、その指摘には 「何に対してそう思うのか」 という具体的なことが
まったく見えない。「今の政治は・・・」 というが、本当に真剣になって普段から 「現在
の政治の実態をわかろうと努力などしているのだろうか」 という疑念はぬぐえない。せ
めて毎日、新聞の見出しくらいは読んでいての意見だと思いたいが、具体的な根拠も何
も持たずただなんとなくすべてを 「政治のせい」 と考えているのではないだろうか。
3.や5.については、これもただ 「何も苦労せずに就職したい」 とか 「とにかく給料
は高い方がいい」 という極めて短絡的、無責任的な言い分にしか聞こえない。「いか
なる職種であっても、それに就くためにはそれなりの技能や技術の習得が必要であり、
それなりの努力、修練があって初めてなせるものである」 「報酬 (給与) に差異が
生ずる理由はどこにあるのか」 ということをなにも理解していないとしか思えない。
これから社会に出ようとする若者である。もちろんまだ 「わからないことだらけ」 であ
るのは当然である。しかし、それならそれで最初からいろいろと 「これが気に入らない」
「こうしてほしい」 などと一方的に 「不平・不満・要求」 だけを述べさせるのもまたお
かしな話である。若者にこういうこと (「世の中に言いたいこと」) を発言させるからに
は、まずその前提として 「その世の中のことをどれだけ知ろうと日々努力しているのか」
「自分はその世の中でどのような責任を果たしていくのか」 「その世の中を自分は具体
的にどのように作っていきたいのか」 ということを考えさせることが不可欠である。そうで
なければ、たとえば政治や行政に対して批判的なことをいうばかりで、選挙にすら行ったこ
とがなかったり、自分自身の目や耳でその事象の本質を探ろうとせずに表面的なゴシップ
や風評に踊らされているだけの 「無責任社会人が今後も量産されていく」 ことが避けら
れないのだ。
「飼い主に言いたいこと」 は、山ほど
あるが、一方的に 「不平・不満・要求」
を述べることを潔しとしない!?
こじろう
ともなれば、学校での教科学習とは別に、社会についてさまざまな興味を抱き考える機会
をもつことは極めて重要である。まして、間もなく社会人となる20才前後の若者ともなれば
真剣に社会と向き合い、意見を有することが求められるものだ。しかし、それがただ単に客
観的・傍観者的に世間を見てはそれに対して一方的に不平・不満を述べたり、批判・非難・
要求を繰り返すだけのものなら、むしろそれは必要のないものとさえいえるだろう。
先日某紙の朝刊に20才直前の若者を対象とした 「世の中に言いたいこと」 というコー
ナーがあったが、それは 「担当記者の意図は一体何なのか」 と思わず訝ってしまうよう
な内容で、愕然とさせられるものであった。
その 「世の中に言いたいこと」 の数例を列挙すると、
1. 就職先を増やしてほしい。税金を上げるな、消費税下げろ。物価もう少し安くして。
2. 今の世の中みんなが苦しい。少しでも多くの人が救われる日常がほしい。
3. 将来誰もが就職できる世の中にしてほしい。
4. 今の政治は国民のための政治ではない。国民のことを最優先に考えた政治に変えて。
5. 学生は給料が安い。学生だからって給料が安いのは不満。
というようなものである。
「世の中に言いたいこと」 を求められて、実際に考えていることを率直に述べた若者たち
のことを非難するつもりは基本的にない。しかし、そういう意見を求めるにあたってのプロ
セスやフォローが十分にないとしたら、このような企画はまったくもって意味をなさないど
ころか、有害であるとさえいえるだろう。
たとえばまず上記の1.であるが、「就職先を増やしてほしい」 はまだともかくとしても、
「税金を上げるな、消費税下げろ。物価もう少し安くして」 とただ一方的に要望するので
は、まったくもって小学生低学年以下のレベルである。「なぜ税というものが国家や社会
にとって必要なのか」 「消費税を上げる (下げること) は、その時勢にあってどのよう
な意味をもつのか」 「 “物価” の概念・本体とはそもそも何なのか」 というような根本
的部分について何も考慮せずに、「ただ表面的に自らの出費を抑えたい」 と騒ぎ立て
るのでは、ショッピングセンターで幼児が目についたものを片っ端から指さして 「あれ買
って。これ買って。と駄々をこねている」 のとなんら変わりはない。
2.や4.にしても、その指摘には 「何に対してそう思うのか」 という具体的なことが
まったく見えない。「今の政治は・・・」 というが、本当に真剣になって普段から 「現在
の政治の実態をわかろうと努力などしているのだろうか」 という疑念はぬぐえない。せ
めて毎日、新聞の見出しくらいは読んでいての意見だと思いたいが、具体的な根拠も何
も持たずただなんとなくすべてを 「政治のせい」 と考えているのではないだろうか。
3.や5.については、これもただ 「何も苦労せずに就職したい」 とか 「とにかく給料
は高い方がいい」 という極めて短絡的、無責任的な言い分にしか聞こえない。「いか
なる職種であっても、それに就くためにはそれなりの技能や技術の習得が必要であり、
それなりの努力、修練があって初めてなせるものである」 「報酬 (給与) に差異が
生ずる理由はどこにあるのか」 ということをなにも理解していないとしか思えない。
これから社会に出ようとする若者である。もちろんまだ 「わからないことだらけ」 であ
るのは当然である。しかし、それならそれで最初からいろいろと 「これが気に入らない」
「こうしてほしい」 などと一方的に 「不平・不満・要求」 だけを述べさせるのもまたお
かしな話である。若者にこういうこと (「世の中に言いたいこと」) を発言させるからに
は、まずその前提として 「その世の中のことをどれだけ知ろうと日々努力しているのか」
「自分はその世の中でどのような責任を果たしていくのか」 「その世の中を自分は具体
的にどのように作っていきたいのか」 ということを考えさせることが不可欠である。そうで
なければ、たとえば政治や行政に対して批判的なことをいうばかりで、選挙にすら行ったこ
とがなかったり、自分自身の目や耳でその事象の本質を探ろうとせずに表面的なゴシップ
や風評に踊らされているだけの 「無責任社会人が今後も量産されていく」 ことが避けら
れないのだ。
「飼い主に言いたいこと」 は、山ほど
あるが、一方的に 「不平・不満・要求」
を述べることを潔しとしない!?
こじろう
2010年09月26日
『もはや必要やむなし』!!!(その2)
「こじろう117」・・・『もはや必要やむなし』!!!(その1)・・・ の続きである。
「支払うだけの経済的余裕があるのに払わない」 保護者による、もはや “悪質” の域に
達したかに思える 「給食費未払い」 の問題。かつて 「こじろう117」 でこの件に関し
「赤信号みんなで渡れば・・・」 「 『究極のダメ親』 の増長は許さない」 などで何回も
触れてきたように、それは極めて多岐にわたる悪影響が考えられるものである。
その第一はその行為が、 無責任、非常識極まりない保護者により 「まさに子どもの目の
前で行われている」 という点である。自宅外で飲食をする場合は 「ごちそうになる」 こと
ことを前提としていない限りその代金を支払うのは当然の義務であり、そうしない場合はい
わゆる 「無銭飲食」 という法律上の罪を犯していることになる。たとえば、中学生の子ども
が間違いを犯し (子どもだから多少の間違いを犯すのは許されるとの前提で) ある飲食店
で飲食後その代金を支払わず、店側や警察から連絡を受けその親がその場に駆けつけたと
する。その際、親からの子どもに向かって 「なんてことをしたんだ」 などと発せられた言葉に、
「だってお父さん (お母さん) だって、僕の学校の給食費を 『そんなの払わなくていいんだ
よ』 と言って払っていないじゃないか。これだって同じことだろ」 とでも反論されたとすれば、
一体なんと言いかえせるのだろうか。まあ飲食店での無銭飲食まではともかく、そういう支払
うべきものを支払わない親を見て育った子どもは、今度自分が子の親になった際、まずかな
りの確率で同じことを繰り返すだろう。子どもの目の前 (子どもにわかる範囲) でなければ
非常識なことをしていいというわけでは決してないが、特に子どもの目の前での一つ一つの
行為が 「その子どもの将来に良くも悪くも直結する」 ということを、片時たりとも親は忘れる
わけにいかないのである。
一般に哺乳類および鳥類の一部が他の動物と異なる点が、「子を育てる」 ということである
のは小中学校の理科で学習することである。その場合の 「育てる」 というのは、まず第一
にたとえ自分の食料がなくても子には確保するという本能に基づくものであろう。普通の人は
その収入に限りがあり、その中でさまざまにかかる費用を捻出するものだが、小中学校に通
う子どもをもつ親でいえば、まず何をおいてもその子の 「食に関わる費用」 を確保するのが
いわばその本能に基づいた行動に他ならないといえる。それが給食費を払おうとしない親の
場合はなんと自分自身の “遊興費” にすら優先されてしまうという現状があるのだ。
また、たとえ生活の困窮により 「現実に給食費が支払えない」 という状況であり、かつ、
それなりの救済措置に対する申請をしてもおかしくないにもかかわらず、「どんなことがあっ
ても自分の子どものことだけは周囲に 『迷惑をかけるわけにもはいかない』」 という姿勢
で苦しい家計の中から、何よりも優先して 「給食費を支払う」 保護者も存在していること
に疑いはなく、同じ 「子どもの親」 としてのその姿勢の差はあまりに大きすぎるといわざ
るをえない。
本来は “給食費” という 「子どもの教育の現場」 において、かつ 「子どもの食に直接
かかわる」 ことに、「債権差し押さえ」 措置がとられるのは、その子どもにとっての影響
等を考慮すれば好ましくない、という見解もあるだろう。しかし、結局 「給食費未払い」
に明らかな “悪質性” が見られる親に関しては、その子どもの将来を本当に憂慮するなら
ば、たとえ多少の危険性を伴うとしても 「自分の親がいかに無責任で非常識か」 という
ことをわからせてあげる、 つまり 「自分はこういう親にだけはなりたくない」 と、その親を
いわゆる反面教師にするためのやむを得ない一種の 「荒療治」 としてとらえるしかないの
かもしれない。
飼い主の自分に対する 「荒療治」 だけ
は絶対に避けてほしい、と真剣に願って
いる!? こじろう
「支払うだけの経済的余裕があるのに払わない」 保護者による、もはや “悪質” の域に
達したかに思える 「給食費未払い」 の問題。かつて 「こじろう117」 でこの件に関し
「赤信号みんなで渡れば・・・」 「 『究極のダメ親』 の増長は許さない」 などで何回も
触れてきたように、それは極めて多岐にわたる悪影響が考えられるものである。
その第一はその行為が、 無責任、非常識極まりない保護者により 「まさに子どもの目の
前で行われている」 という点である。自宅外で飲食をする場合は 「ごちそうになる」 こと
ことを前提としていない限りその代金を支払うのは当然の義務であり、そうしない場合はい
わゆる 「無銭飲食」 という法律上の罪を犯していることになる。たとえば、中学生の子ども
が間違いを犯し (子どもだから多少の間違いを犯すのは許されるとの前提で) ある飲食店
で飲食後その代金を支払わず、店側や警察から連絡を受けその親がその場に駆けつけたと
する。その際、親からの子どもに向かって 「なんてことをしたんだ」 などと発せられた言葉に、
「だってお父さん (お母さん) だって、僕の学校の給食費を 『そんなの払わなくていいんだ
よ』 と言って払っていないじゃないか。これだって同じことだろ」 とでも反論されたとすれば、
一体なんと言いかえせるのだろうか。まあ飲食店での無銭飲食まではともかく、そういう支払
うべきものを支払わない親を見て育った子どもは、今度自分が子の親になった際、まずかな
りの確率で同じことを繰り返すだろう。子どもの目の前 (子どもにわかる範囲) でなければ
非常識なことをしていいというわけでは決してないが、特に子どもの目の前での一つ一つの
行為が 「その子どもの将来に良くも悪くも直結する」 ということを、片時たりとも親は忘れる
わけにいかないのである。
一般に哺乳類および鳥類の一部が他の動物と異なる点が、「子を育てる」 ということである
のは小中学校の理科で学習することである。その場合の 「育てる」 というのは、まず第一
にたとえ自分の食料がなくても子には確保するという本能に基づくものであろう。普通の人は
その収入に限りがあり、その中でさまざまにかかる費用を捻出するものだが、小中学校に通
う子どもをもつ親でいえば、まず何をおいてもその子の 「食に関わる費用」 を確保するのが
いわばその本能に基づいた行動に他ならないといえる。それが給食費を払おうとしない親の
場合はなんと自分自身の “遊興費” にすら優先されてしまうという現状があるのだ。
また、たとえ生活の困窮により 「現実に給食費が支払えない」 という状況であり、かつ、
それなりの救済措置に対する申請をしてもおかしくないにもかかわらず、「どんなことがあっ
ても自分の子どものことだけは周囲に 『迷惑をかけるわけにもはいかない』」 という姿勢
で苦しい家計の中から、何よりも優先して 「給食費を支払う」 保護者も存在していること
に疑いはなく、同じ 「子どもの親」 としてのその姿勢の差はあまりに大きすぎるといわざ
るをえない。
本来は “給食費” という 「子どもの教育の現場」 において、かつ 「子どもの食に直接
かかわる」 ことに、「債権差し押さえ」 措置がとられるのは、その子どもにとっての影響
等を考慮すれば好ましくない、という見解もあるだろう。しかし、結局 「給食費未払い」
に明らかな “悪質性” が見られる親に関しては、その子どもの将来を本当に憂慮するなら
ば、たとえ多少の危険性を伴うとしても 「自分の親がいかに無責任で非常識か」 という
ことをわからせてあげる、 つまり 「自分はこういう親にだけはなりたくない」 と、その親を
いわゆる反面教師にするためのやむを得ない一種の 「荒療治」 としてとらえるしかないの
かもしれない。
飼い主の自分に対する 「荒療治」 だけ
は絶対に避けてほしい、と真剣に願って
いる!? こじろう
2010年09月25日
『もはや必要やむなし』!!!(その1)
以前 「こじろう117」 でも何回か取り上げたことのある 「給食費未払い」 問題。
もちろん 「経済的困窮などにより払えない人たち」 の問題ではなく、「払うことができる
のに払おうとしない連中」 についての問題であるが、それに対応するためのある自治体
の 「もはや必要やむなし」 と思われる手段遂行についての記事が23日、西日本新聞
より配信されていた。
タイトルは 「飯塚市教委 給食費滞納7世帯の186万円分 地裁に差し押さえ申請」 と
いうもので、その内容は、
・・・・・飯塚市教委は21日、長期にわたって学校給食費を滞納している7世帯について
地裁飯塚支部に計186万円の債権差し押さえ命令を申し出た、と発表した。
市教委によると給食費滞納による差し押さえは初めて。「分割納入の相談に応じて
もらえず、悪質性が高いと判断した」 としている。
市立学校の給食費は1カ月当たり小学校が一人3900円、中学校は同4400円。
4月現在の滞納額は合計3531万円に達する。
7世帯は昨年12月に法的措置の第一段階として支払督促を受けていたが、それで
も応じないため市教委が今月7日に差し押さえ命令を申し立てした。7世帯の中に
は2000年4月から09年11月までで44万4千円を滞納している世帯もあるとい
う。今後は給与や貯金の一部が差し押さえられる。
市教委はこのほか44世帯に対して、8月に飯塚簡裁に支払督促の申し立てを行な
った。滞納額は計500万円にのぼる。
担当者は 「生活が苦しければ、給食費の分割納入や援助制度もある。相談してほ
しい」 と話している・・・・・
というものである。
「給食費未払い」 に関しては、教育現場や子どもに直結することもあるためか、他の 「未
納」 「未払い」 とは異なり、いわば “聖域” 的扱いにより、断固とした対応措置がとられ
てこなかったところもあるだろう。しかし、人口13万人という決して大きくない飯塚市のよう
な中堅自治体ですら、常時数千万円の滞納額が存在するとなれば、全国規模でみて相当
深刻な事態であろうし、また一部の “悪質性” も考慮すれば、もはやこのような措置は
「必要やむなし」 といわざるをえない。
この (払えるだけの経済的状態にあるにもかかわらず支払わない) 「給食費未払い問題」
は、決して放置できないし、 「あいまいなままにしておけばしておくほど 『正直者がバカ
をみる』 という、ゆがんだ社会構図がますます進展してしまう」 ということはもちろんであ
るが、先述のように 「子どもの教育現場に直結している」 ところで起きている問題だけに、
その弊害は極めて多岐に及ぶことになる。
以下、この件において一番に問題とすべき点、ならびに今回の飯塚市のとった断固たる措
置ついての詳しい検討は 「こじろう117」・・・『もはや必要やむなし』!!!(その2)・・・
で行うことにしたい。( 「こじろう117アーカイブ」・・・ 『赤信号みんなで渡れば・・・』 お
よび 『究極のダメ親』 の増長は許されない・・・参照)
常習的なイタズラに対し、飼い主から
断固たる措置をとられることを恐れて
いる!? こじろう
もちろん 「経済的困窮などにより払えない人たち」 の問題ではなく、「払うことができる
のに払おうとしない連中」 についての問題であるが、それに対応するためのある自治体
の 「もはや必要やむなし」 と思われる手段遂行についての記事が23日、西日本新聞
より配信されていた。
タイトルは 「飯塚市教委 給食費滞納7世帯の186万円分 地裁に差し押さえ申請」 と
いうもので、その内容は、
・・・・・飯塚市教委は21日、長期にわたって学校給食費を滞納している7世帯について
地裁飯塚支部に計186万円の債権差し押さえ命令を申し出た、と発表した。
市教委によると給食費滞納による差し押さえは初めて。「分割納入の相談に応じて
もらえず、悪質性が高いと判断した」 としている。
市立学校の給食費は1カ月当たり小学校が一人3900円、中学校は同4400円。
4月現在の滞納額は合計3531万円に達する。
7世帯は昨年12月に法的措置の第一段階として支払督促を受けていたが、それで
も応じないため市教委が今月7日に差し押さえ命令を申し立てした。7世帯の中に
は2000年4月から09年11月までで44万4千円を滞納している世帯もあるとい
う。今後は給与や貯金の一部が差し押さえられる。
市教委はこのほか44世帯に対して、8月に飯塚簡裁に支払督促の申し立てを行な
った。滞納額は計500万円にのぼる。
担当者は 「生活が苦しければ、給食費の分割納入や援助制度もある。相談してほ
しい」 と話している・・・・・
というものである。
「給食費未払い」 に関しては、教育現場や子どもに直結することもあるためか、他の 「未
納」 「未払い」 とは異なり、いわば “聖域” 的扱いにより、断固とした対応措置がとられ
てこなかったところもあるだろう。しかし、人口13万人という決して大きくない飯塚市のよう
な中堅自治体ですら、常時数千万円の滞納額が存在するとなれば、全国規模でみて相当
深刻な事態であろうし、また一部の “悪質性” も考慮すれば、もはやこのような措置は
「必要やむなし」 といわざるをえない。
この (払えるだけの経済的状態にあるにもかかわらず支払わない) 「給食費未払い問題」
は、決して放置できないし、 「あいまいなままにしておけばしておくほど 『正直者がバカ
をみる』 という、ゆがんだ社会構図がますます進展してしまう」 ということはもちろんであ
るが、先述のように 「子どもの教育現場に直結している」 ところで起きている問題だけに、
その弊害は極めて多岐に及ぶことになる。
以下、この件において一番に問題とすべき点、ならびに今回の飯塚市のとった断固たる措
置ついての詳しい検討は 「こじろう117」・・・『もはや必要やむなし』!!!(その2)・・・
で行うことにしたい。( 「こじろう117アーカイブ」・・・ 『赤信号みんなで渡れば・・・』 お
よび 『究極のダメ親』 の増長は許されない・・・参照)
常習的なイタズラに対し、飼い主から
断固たる措置をとられることを恐れて
いる!? こじろう
2010年09月24日
『見送りはありがたい』 しかし・・・!!!(その2)
「こじろう117」・・・『見送りはありがたい』 しかし・・・!!!(その1)・・・の続きである。
(家族やごく身近ではない人以外の) 人を “見送る” といっても、それには大別して2つ
のパターンがある。
一つは、たとえばプライベートな用事で自宅に招いた友人や知人を見送るような場合である。
その自宅周辺の環境や交通状況などによっても多少の違いはあるだろうが、そのようなとき
には、相手方が辞去する際の交通手段が自動車 (タクシーも同様) であろうと、駅などに
徒歩で向かう場合であろうと、その姿が完全に見えなくなるまで、頭を下げたり手を振るなど
して見送るのが最低限の礼儀 (正しさ) であり常識でもある。
もう一つは業務上の見送りであるが、これはまさに 「時と場合による」 ということになる。
たとえば取引先同士でも、その両者の日頃の力関係やお互いの役職、立場の違いなどさま
ざまな要素によってその見送りの仕方は変わってくるだろう。場合によってはあまりに丁重
にしすぎてしまうことで、かえってギクシャクしたり、気を遣わせたりしてしまうことになりかね
ない。しかし一般に顧客をその担当者が見送るというような場合はやはり、極力丁重にすべ
きである。つまり 「その顧客の姿が見えなくなるまで立ち去らない」 のが礼儀であり、日
頃の感謝の気持ちを示すことのできる絶好の機会ともいえるだろう。
本来、今回知人が自動車販売店の担当者から見送られたケースも基本的にはその例に漏
れないし、その担当者の気持ちは十分に伝わってくるだろう。しかし結果的および現実には
知人 (顧客側) に余計な心理的プレッシャーがかかり、店舗から道路出るときはいつも
不安な気持ちを抱えさせているということになっているばかりか、現実に危険な目に遭わせ
ているのである。意図などしていないのは当然としても、厚意が実際には仇になっているの
だ。
特にさまざまな面で複雑化している現代社会においては、「礼を尽くす」 という基本的で
尊ぶべき行為 (厚意) が、それを受ける方にとって逆効果になる、場合によっては多少
なりとも 「迷惑」 になってしまうことすら珍しくないともなれば、「ややこしいことこの上な
い」 ともいえるだろう。しかし、現実にその中でいろいろなことに間違いなく対応していく
ためには、あらゆる場面において 「常に相手側の立場に立って物事を考える」 ことを遺
漏なく実践していくしかないのである。
「飼い犬にとって本当にうれしいことは
何か」 を飼い主に早く気づいてほしい
と思っている!? こじろう
(家族やごく身近ではない人以外の) 人を “見送る” といっても、それには大別して2つ
のパターンがある。
一つは、たとえばプライベートな用事で自宅に招いた友人や知人を見送るような場合である。
その自宅周辺の環境や交通状況などによっても多少の違いはあるだろうが、そのようなとき
には、相手方が辞去する際の交通手段が自動車 (タクシーも同様) であろうと、駅などに
徒歩で向かう場合であろうと、その姿が完全に見えなくなるまで、頭を下げたり手を振るなど
して見送るのが最低限の礼儀 (正しさ) であり常識でもある。
もう一つは業務上の見送りであるが、これはまさに 「時と場合による」 ということになる。
たとえば取引先同士でも、その両者の日頃の力関係やお互いの役職、立場の違いなどさま
ざまな要素によってその見送りの仕方は変わってくるだろう。場合によってはあまりに丁重
にしすぎてしまうことで、かえってギクシャクしたり、気を遣わせたりしてしまうことになりかね
ない。しかし一般に顧客をその担当者が見送るというような場合はやはり、極力丁重にすべ
きである。つまり 「その顧客の姿が見えなくなるまで立ち去らない」 のが礼儀であり、日
頃の感謝の気持ちを示すことのできる絶好の機会ともいえるだろう。
本来、今回知人が自動車販売店の担当者から見送られたケースも基本的にはその例に漏
れないし、その担当者の気持ちは十分に伝わってくるだろう。しかし結果的および現実には
知人 (顧客側) に余計な心理的プレッシャーがかかり、店舗から道路出るときはいつも
不安な気持ちを抱えさせているということになっているばかりか、現実に危険な目に遭わせ
ているのである。意図などしていないのは当然としても、厚意が実際には仇になっているの
だ。
特にさまざまな面で複雑化している現代社会においては、「礼を尽くす」 という基本的で
尊ぶべき行為 (厚意) が、それを受ける方にとって逆効果になる、場合によっては多少
なりとも 「迷惑」 になってしまうことすら珍しくないともなれば、「ややこしいことこの上な
い」 ともいえるだろう。しかし、現実にその中でいろいろなことに間違いなく対応していく
ためには、あらゆる場面において 「常に相手側の立場に立って物事を考える」 ことを遺
漏なく実践していくしかないのである。
「飼い犬にとって本当にうれしいことは
何か」 を飼い主に早く気づいてほしい
と思っている!? こじろう
2010年09月23日
『見送りはありがたい』 しかし・・・!!!(その1)
昨日ある知人女性と雑談をしていたときのこと。その方から 「この前、あとほんの少し
で自動車が衝突するところだったんですよ」 という思いがけない話が出たので、詳しく
訊いてみることにした。その会話の大まかな内容は、
当方: 「それで、どこでどうされたんですか」
知人: 「いつも自動車をお願いしている販売店で用を済ませ、そこから幹線道路を横切
って右方向に曲がっていこうと駐車場から少し出たところで、右側から直進して
きた自動車に側面から衝突されそうになったんですよ。相手車が急ブレーキを
かけて止まった時はまさに私の車の “数センチ手前” というギリギリの状況
で、相手の運転手にキツクにらまれてしまいました」
当方: 「それは大変な思いをしましたね。ところで右側から直進してくる自動車がよく
見えなかったんですか」
知人: 「いえ、一応見えてはいたんです。実はそのことでいつも恐縮してしまうんです
が、その (自動車) 販売店の私の担当の方が、私の車が見えなくなるまで
ずっとその場に立ったまま頭を下げていただいているんですよ。それがなにか
申し訳なくて、多少ムリをしてでも何とか早く出ていかなくてはいけないと思い、
つい焦ってしまうんです。本当にいつもその時はハラハラドキドキなんです」
当方: 「それではその担当の方にお願い?して、『(見えなくなるまでの) 見送りは
結構です』 とでも言えばいいじゃないですか」
知人: 「それはそうですが、せっかく丁重に見送りしていただくのに 『結構です』 と
もいえなくて。結局いつもほとんど同じことの繰り返しなんですよ」
というものであった。
それにしても、「見送る際にその担当者の人が誘導してくれることはないのか」 という
素朴な疑問はさておき、その販売店の場所は自分もよく知っており、この知人とは逆の
立場で、急にそこから飛び出すように出てくるようにみえる自動車に何度かヒヤリとさせ
られることが今までにも何度かあったので、この知人女性の云わんとすることは非常に
よく理解できる。
自動車販売店にかぎらずことに昨今、その顧客の姿が見えなくなるまで (時にはそれ
なりの長い時間にわたって) 店側の担当者がずっと姿勢を崩さず丁重に見送りをし、頭
を下げ続けている場面に出くわすことが多くなったように思う。それは 「お客様に礼を尽
くした、感謝の気持ちの表れ」 であり、傍で見ていても大変に気持ちのよい振る舞いで
あることに疑いはない。
顧客側からすれば、「また次 (に自動車などを購入するとき) も、ぜひこの担当の方に
お願いしたい」 という気にさせられる一つの大きな要素である。また一般に現代社会の
日常生活の中でさまざまに失われつつある 「礼儀」 がこういう形で見直され、継承さ
れていくのは望ましいことでもある。
しかしそれを大前提として、「それでは今回のこの知人の “悩み?” についてはどの
うにとらえたらよいのか」 については、 「こじろう117」・・・『見送りはありがたい』 し
かし・・・!!!(その2)・・・で考えることにしたい。
出かけようとする飼い主を見送る際、
「ハアー」 という意味不明のため息
をつくことがある!? こじろう
で自動車が衝突するところだったんですよ」 という思いがけない話が出たので、詳しく
訊いてみることにした。その会話の大まかな内容は、
当方: 「それで、どこでどうされたんですか」
知人: 「いつも自動車をお願いしている販売店で用を済ませ、そこから幹線道路を横切
って右方向に曲がっていこうと駐車場から少し出たところで、右側から直進して
きた自動車に側面から衝突されそうになったんですよ。相手車が急ブレーキを
かけて止まった時はまさに私の車の “数センチ手前” というギリギリの状況
で、相手の運転手にキツクにらまれてしまいました」
当方: 「それは大変な思いをしましたね。ところで右側から直進してくる自動車がよく
見えなかったんですか」
知人: 「いえ、一応見えてはいたんです。実はそのことでいつも恐縮してしまうんです
が、その (自動車) 販売店の私の担当の方が、私の車が見えなくなるまで
ずっとその場に立ったまま頭を下げていただいているんですよ。それがなにか
申し訳なくて、多少ムリをしてでも何とか早く出ていかなくてはいけないと思い、
つい焦ってしまうんです。本当にいつもその時はハラハラドキドキなんです」
当方: 「それではその担当の方にお願い?して、『(見えなくなるまでの) 見送りは
結構です』 とでも言えばいいじゃないですか」
知人: 「それはそうですが、せっかく丁重に見送りしていただくのに 『結構です』 と
もいえなくて。結局いつもほとんど同じことの繰り返しなんですよ」
というものであった。
それにしても、「見送る際にその担当者の人が誘導してくれることはないのか」 という
素朴な疑問はさておき、その販売店の場所は自分もよく知っており、この知人とは逆の
立場で、急にそこから飛び出すように出てくるようにみえる自動車に何度かヒヤリとさせ
られることが今までにも何度かあったので、この知人女性の云わんとすることは非常に
よく理解できる。
自動車販売店にかぎらずことに昨今、その顧客の姿が見えなくなるまで (時にはそれ
なりの長い時間にわたって) 店側の担当者がずっと姿勢を崩さず丁重に見送りをし、頭
を下げ続けている場面に出くわすことが多くなったように思う。それは 「お客様に礼を尽
くした、感謝の気持ちの表れ」 であり、傍で見ていても大変に気持ちのよい振る舞いで
あることに疑いはない。
顧客側からすれば、「また次 (に自動車などを購入するとき) も、ぜひこの担当の方に
お願いしたい」 という気にさせられる一つの大きな要素である。また一般に現代社会の
日常生活の中でさまざまに失われつつある 「礼儀」 がこういう形で見直され、継承さ
れていくのは望ましいことでもある。
しかしそれを大前提として、「それでは今回のこの知人の “悩み?” についてはどの
うにとらえたらよいのか」 については、 「こじろう117」・・・『見送りはありがたい』 し
かし・・・!!!(その2)・・・で考えることにしたい。
出かけようとする飼い主を見送る際、
「ハアー」 という意味不明のため息
をつくことがある!? こじろう
2010年09月22日
『厳重注意』 どころの話か???
「こじろう117」・・・『腰を抜かして』 当然???・・・ の続きである。
読売新聞による 「玄関に1メートルの 『オオトカゲ』。64才の主婦 ビックリ」 という記事
の内容は、普段小さなトカゲすらめったに見かけることのない生活を送っている一般市民
にとってなかなか衝撃的なものであり、いったいなぜそんな 「怪物」 が突如住宅街に
出現したのかという疑問を拭い去れずにいたところ、翌日の同紙でその 「オオトカゲ」 の
身元?が判明するとともに、飼い主である 「トンでも中年オヤジ」 の無責任極まりない不
始末を報ずる記事が掲載される次第となった。
そのタイトルは 「オオトカゲ 2度 “脱走” 飼い主に厳重注意」 というもので、
・・・・・16日午後7時20分頃、岸和田市の男性会社員 (48才) から、「ペットのオオト
カゲ (体長1メートル) が逃げ出した」 と府警貝塚署に届け出があったが、約14
時間半後の17日朝、男性の勤務先駐車場近くで確保された。
このオオトカゲは11日にも男性宅から逃げ出し、近くの民家に出没。16日に男性
に返されたばかり。2度にわたるオオトカゲの “脱走” に、同署は厳重に保管する
よう男性に注意した。
このオオトカゲはアフリカ原産。男性は2005年12月にインターネットで購入してい
た。11日は庭で日向ぼっこをさせた際に逃げ出し、15日に、自宅から30m離れた
民家にいるところを府警岸和田署員が捕まえ16日に男性に返されていた。ところが
がその日の午後、男性が勤務先の駐車場で車内の檻に入れたままにしたところ再
び逃走。男性は暑さとニオイ対策のため車の窓を開けていた・・・・・
という内容のものである。
今や史上空前のペットブームともいわれ、自分自身も犬の飼い主という立場である。ペットと
一口でいってもその対象は多種多様であるし、飼育する動機や理由もまたさまざまである。し
かしいかなる理由でどのようなペットを飼育する場合でも共通していえることは、それにより
「基本的に他人に迷惑をかけてはならない」 ということである。「基本的に」 と加えたのは、
「その飼い主がいくら気をつけても第3者からすれば100%完全に迷惑でないとはいえない」
部分、たとえばその動物を 「目にするだけで嫌悪感を抱く」 などということもありうるからで
あるが、それはともかくとしてまず迷惑をかけない第一歩は、「その保管、管理を万全にする
こと」 であることに疑いはない。
今回についてはまず11日に飼い主の中年男性宅から逃走し、その時点で 「見つけた主婦の
腰が抜けそうになった」 だけでなく警察官まで出動させる騒ぎを起こしているのであるが、さら
にその翌日に再度逃走され、またもや警察官を呼んでいるのである。そもそも、通常の責任感
覚を有する人なら、「逃走するたびに警察に通報しなければならないような生き物を飼う」 こと
自体に抵抗を感ずるものだと思うが、それでも 「自分の我を通す」 とするならば、その生き
物にとって最適な環境を整えた 「逃亡する恐れの決してない頑丈な住処」 を用意し、「万全
なる監視態勢をとる」 のが当然である。法を犯さない限りは、周囲からどう思われようと 「猛
獣」 であろうと、「は虫類」 あるいは 「両生類」 であろうと、少なくとも飼い始める時点では
自由だとしても、飼い始めたのちは当然その管理・保管に関してさまざまな法的責任が発生す
るのである。さらにいえば、たとえ法の範囲内でもその自由を享受し、権利を行使するために
は最低限の義務を果たすこと、および決して周囲に迷惑をかけないことが大前提であるのは、
小学生でも容易に理解できることである。
従事している職業や立場、地位などにかかわらず、48才の中年男性のすることとしては、あ
まりにお粗末でかつ無責任であるとしかいいようがないだろう。
今回警察側による 「厳重注意」 がなされたということだが、この 「トンでも中年オヤジ」 に
は形はどうあれ、しっかりと社会的責任をとってもらうことを願いたい。
以前、当時そろって70代に入ろうとするある知人夫妻と話をしたときのことを思い出した。その
直前、夫妻は15年ほど可愛がってきた飼い犬を老衰で失ったばかりだったが、子どもがいない
夫妻はその犬を含めもう40年以上ペットと共に生活していたと聞いていたので、当然その時も
悲しみから早く立ち直れるよう、差し出がましいことは十二分に承知の上で、様子を見ながらそ
れとなく (次の) ペットの話を差し向けてみた。
その際の会話はおよそ次のような内容である。
夫人: 「実はもうペット (犬) は飼わない、いや飼えないんです」
当方: 「◇◇君 (直前まで夫妻が飼っていた犬の名前) のことが忘れられないんですね」
夫人: 「◇◇のことはたしかに悲しく、さみしくて仕方ありません。本当になついてくれた犬で
したから。でも本心はこの悲しみから早く立ち直るためにも、今までのように新しい犬
を見つけたいんです。本当は飼いたくて飼いたくてしょうがないんです」
当方: 「そこまでおっしゃるのに、飼わない、いえ飼えないというのはなぜでしょう」
夫人: 「主人も私も間もなく70才です。おそらく今度の飼い犬の最期を看取ることは不可能と
はいわなくても難しいでしょう。飼い主としての最低限の義務を果たせない可能性があ
るのに、自分本位で勝手なことは絶対にできません」
「かわいいから」 と、一時の感情で飼い始めては、最後まで面倒をみるどころか、「もう飽きた」
とか 「飼える環境でなくなった」 など 「身勝手極まりない理由をつけては、平気でペットを
放り出す」 人たちに、この話を聞いての感想をぜひ尋ねたいものである。
今まで飼い主宅から、および散歩中に
決して逃走を図ったことがないのは、
「臆病だからではない」 と強く主張
したい!? こじろう
読売新聞による 「玄関に1メートルの 『オオトカゲ』。64才の主婦 ビックリ」 という記事
の内容は、普段小さなトカゲすらめったに見かけることのない生活を送っている一般市民
にとってなかなか衝撃的なものであり、いったいなぜそんな 「怪物」 が突如住宅街に
出現したのかという疑問を拭い去れずにいたところ、翌日の同紙でその 「オオトカゲ」 の
身元?が判明するとともに、飼い主である 「トンでも中年オヤジ」 の無責任極まりない不
始末を報ずる記事が掲載される次第となった。
そのタイトルは 「オオトカゲ 2度 “脱走” 飼い主に厳重注意」 というもので、
・・・・・16日午後7時20分頃、岸和田市の男性会社員 (48才) から、「ペットのオオト
カゲ (体長1メートル) が逃げ出した」 と府警貝塚署に届け出があったが、約14
時間半後の17日朝、男性の勤務先駐車場近くで確保された。
このオオトカゲは11日にも男性宅から逃げ出し、近くの民家に出没。16日に男性
に返されたばかり。2度にわたるオオトカゲの “脱走” に、同署は厳重に保管する
よう男性に注意した。
このオオトカゲはアフリカ原産。男性は2005年12月にインターネットで購入してい
た。11日は庭で日向ぼっこをさせた際に逃げ出し、15日に、自宅から30m離れた
民家にいるところを府警岸和田署員が捕まえ16日に男性に返されていた。ところが
がその日の午後、男性が勤務先の駐車場で車内の檻に入れたままにしたところ再
び逃走。男性は暑さとニオイ対策のため車の窓を開けていた・・・・・
という内容のものである。
今や史上空前のペットブームともいわれ、自分自身も犬の飼い主という立場である。ペットと
一口でいってもその対象は多種多様であるし、飼育する動機や理由もまたさまざまである。し
かしいかなる理由でどのようなペットを飼育する場合でも共通していえることは、それにより
「基本的に他人に迷惑をかけてはならない」 ということである。「基本的に」 と加えたのは、
「その飼い主がいくら気をつけても第3者からすれば100%完全に迷惑でないとはいえない」
部分、たとえばその動物を 「目にするだけで嫌悪感を抱く」 などということもありうるからで
あるが、それはともかくとしてまず迷惑をかけない第一歩は、「その保管、管理を万全にする
こと」 であることに疑いはない。
今回についてはまず11日に飼い主の中年男性宅から逃走し、その時点で 「見つけた主婦の
腰が抜けそうになった」 だけでなく警察官まで出動させる騒ぎを起こしているのであるが、さら
にその翌日に再度逃走され、またもや警察官を呼んでいるのである。そもそも、通常の責任感
覚を有する人なら、「逃走するたびに警察に通報しなければならないような生き物を飼う」 こと
自体に抵抗を感ずるものだと思うが、それでも 「自分の我を通す」 とするならば、その生き
物にとって最適な環境を整えた 「逃亡する恐れの決してない頑丈な住処」 を用意し、「万全
なる監視態勢をとる」 のが当然である。法を犯さない限りは、周囲からどう思われようと 「猛
獣」 であろうと、「は虫類」 あるいは 「両生類」 であろうと、少なくとも飼い始める時点では
自由だとしても、飼い始めたのちは当然その管理・保管に関してさまざまな法的責任が発生す
るのである。さらにいえば、たとえ法の範囲内でもその自由を享受し、権利を行使するために
は最低限の義務を果たすこと、および決して周囲に迷惑をかけないことが大前提であるのは、
小学生でも容易に理解できることである。
従事している職業や立場、地位などにかかわらず、48才の中年男性のすることとしては、あ
まりにお粗末でかつ無責任であるとしかいいようがないだろう。
今回警察側による 「厳重注意」 がなされたということだが、この 「トンでも中年オヤジ」 に
は形はどうあれ、しっかりと社会的責任をとってもらうことを願いたい。
以前、当時そろって70代に入ろうとするある知人夫妻と話をしたときのことを思い出した。その
直前、夫妻は15年ほど可愛がってきた飼い犬を老衰で失ったばかりだったが、子どもがいない
夫妻はその犬を含めもう40年以上ペットと共に生活していたと聞いていたので、当然その時も
悲しみから早く立ち直れるよう、差し出がましいことは十二分に承知の上で、様子を見ながらそ
れとなく (次の) ペットの話を差し向けてみた。
その際の会話はおよそ次のような内容である。
夫人: 「実はもうペット (犬) は飼わない、いや飼えないんです」
当方: 「◇◇君 (直前まで夫妻が飼っていた犬の名前) のことが忘れられないんですね」
夫人: 「◇◇のことはたしかに悲しく、さみしくて仕方ありません。本当になついてくれた犬で
したから。でも本心はこの悲しみから早く立ち直るためにも、今までのように新しい犬
を見つけたいんです。本当は飼いたくて飼いたくてしょうがないんです」
当方: 「そこまでおっしゃるのに、飼わない、いえ飼えないというのはなぜでしょう」
夫人: 「主人も私も間もなく70才です。おそらく今度の飼い犬の最期を看取ることは不可能と
はいわなくても難しいでしょう。飼い主としての最低限の義務を果たせない可能性があ
るのに、自分本位で勝手なことは絶対にできません」
「かわいいから」 と、一時の感情で飼い始めては、最後まで面倒をみるどころか、「もう飽きた」
とか 「飼える環境でなくなった」 など 「身勝手極まりない理由をつけては、平気でペットを
放り出す」 人たちに、この話を聞いての感想をぜひ尋ねたいものである。
今まで飼い主宅から、および散歩中に
決して逃走を図ったことがないのは、
「臆病だからではない」 と強く主張
したい!? こじろう
2010年09月21日
『腰を抜かして』 当然???
いわゆる 「トカゲのしっぽ切り」 というようなことは、映画やTVドラマの場面で頻繁に
に出てくるし、実際の社会でもその程度の大小はともかくさまざまな形で行なわれてい
るものであろう。しかし今の時代、日常生活でその 「生きているトカゲ」 を目の前にす
ることはそれほどないだろうし、まして外出先から戻って自宅の扉を開けた瞬間、体長
“1メートル” もある 「オオトカゲ」 がいきなり目の前に現れたら、その驚きはいかば
かりであろうか。
先日、その 「オオトカゲ」 に関するとんでもない事件?が読売新聞の紙面を賑わして
いたが、そのタイトルは、「玄関に1メートルの 『オオトカゲ』。64才の主婦ビックリ」 と
いうもので内容は、
・・・・・15日午後2時半頃、大阪市岸和田市の民家の玄関先に体長1メートルの 「オ
オトカゲ」 がいるのを家人の主婦 (64才) が見つけ、岸和田署に届け出た。
その後土生交番の警察官が駆けつけ、書斎のパソコンラックの下にいるところを
手で捕獲した。
このトカゲ、アフリカ原産の 「ノドジロオオトカゲ」 の成体とみられるが、主婦は
「用事を済ませ家に入ったとたん 『トカゲ』 がいたので、腰を抜かすところだっ
た」 と驚いていた・・・・・
というものである。
記事にはその 「オオトカゲ」 の写真も掲載されているが、一見したところまさに 「ワニ」
を思わせるその堂々たる体躯に、64才の主婦でなくても 「腰を抜かす」 といういい方が
ピッタリくるものである。
その愛好家の人たちには申し訳ないが、目の前に突然 「は虫類」 が現れれば、普通の
人間 (自分もその一人) はどちらかといえば、「ギョッと」 したり、女性なら 「キャー」 な
どと嬌声をあげてもおかしくないと思うが、ましてその体長が1メートルもあり、しかもなか
には 「人間を食べる」 ような種もいる 「オオトカゲ」 ともなれば、これはもう大変な事件
である。
ジャングルでもあるまいし、どうしてこんな 「怪物」 が市街地の民家の玄関に現れたのか
という疑問が当然浮上してくるが、なんとその翌日、この事件に関連して 「とんでもない」
無責任な中年男の存在が明らかになったのである。その詳しい事情などについては、「こじ
ろう117」・・・『厳重注意』 どころの話か???・・・で、空前のペットブームの陰に潜む
決して見過ごせない問題とからめて考えたいと思う。
以前ある公園を散歩中に、体長50センチ
ほどのカメに出くわし、ビックリして思わ
ず後ずさりしたことのある!? こじろう
に出てくるし、実際の社会でもその程度の大小はともかくさまざまな形で行なわれてい
るものであろう。しかし今の時代、日常生活でその 「生きているトカゲ」 を目の前にす
ることはそれほどないだろうし、まして外出先から戻って自宅の扉を開けた瞬間、体長
“1メートル” もある 「オオトカゲ」 がいきなり目の前に現れたら、その驚きはいかば
かりであろうか。
先日、その 「オオトカゲ」 に関するとんでもない事件?が読売新聞の紙面を賑わして
いたが、そのタイトルは、「玄関に1メートルの 『オオトカゲ』。64才の主婦ビックリ」 と
いうもので内容は、
・・・・・15日午後2時半頃、大阪市岸和田市の民家の玄関先に体長1メートルの 「オ
オトカゲ」 がいるのを家人の主婦 (64才) が見つけ、岸和田署に届け出た。
その後土生交番の警察官が駆けつけ、書斎のパソコンラックの下にいるところを
手で捕獲した。
このトカゲ、アフリカ原産の 「ノドジロオオトカゲ」 の成体とみられるが、主婦は
「用事を済ませ家に入ったとたん 『トカゲ』 がいたので、腰を抜かすところだっ
た」 と驚いていた・・・・・
というものである。
記事にはその 「オオトカゲ」 の写真も掲載されているが、一見したところまさに 「ワニ」
を思わせるその堂々たる体躯に、64才の主婦でなくても 「腰を抜かす」 といういい方が
ピッタリくるものである。
その愛好家の人たちには申し訳ないが、目の前に突然 「は虫類」 が現れれば、普通の
人間 (自分もその一人) はどちらかといえば、「ギョッと」 したり、女性なら 「キャー」 な
どと嬌声をあげてもおかしくないと思うが、ましてその体長が1メートルもあり、しかもなか
には 「人間を食べる」 ような種もいる 「オオトカゲ」 ともなれば、これはもう大変な事件
である。
ジャングルでもあるまいし、どうしてこんな 「怪物」 が市街地の民家の玄関に現れたのか
という疑問が当然浮上してくるが、なんとその翌日、この事件に関連して 「とんでもない」
無責任な中年男の存在が明らかになったのである。その詳しい事情などについては、「こじ
ろう117」・・・『厳重注意』 どころの話か???・・・で、空前のペットブームの陰に潜む
決して見過ごせない問題とからめて考えたいと思う。
以前ある公園を散歩中に、体長50センチ
ほどのカメに出くわし、ビックリして思わ
ず後ずさりしたことのある!? こじろう
2010年09月20日
『一方的謝罪・処分』 で終わらせるな!!!(その2)
「こじろう117」・・・『一方的謝罪・処分』 で終わらせるな!!!(その1)・・・の続きである。
小中学生ならともかく、17才の高校2年生ともなれば中学生時の同級生の中には、す
でに就職などして、社会人として活躍している友人がいてもおかしくない。一般社会に
おいて、期限までに提出すべきものをしないことがあれば、その当人が何らかの不利益
を被るのは当然であるし、それ (不利益を被ること) はいわば完全な自業自得であっ
て、文句を言うなど言語道断とされるのが普通である。
教諭および関係各位が今回の件でその暴言、行き過ぎた指導などについてそれなりの
責任をとるのは当然であるだろうし、当該生徒に対して 「ショックを受けてかわいそう」
「暴言によって傷つけられた」 などの同情論や精神的ケアもそれなりに必要だろう。
しかしそれはそれとして、やはり17才ともなれば、 「そういうこと (自分がショックを
受けるようになったこと) は、元来誰のどのような行為にその原因、理由があるのか」
ということをしっかり認識させ、反省させるということもまた大切な教育的配慮というもの
ではないだろうか。「関係者に責任を取らせなくては収まらない」 という、いわば 「大人
側の都合、事情」 を優先するあまり、本質的な部分をないがしろにしてしまうことは許
されないし、それで済ませることは、生徒の将来にとっても決してよい影響を与えるもの
とはいえない。
今回の件で思い出される、10年ほど前に起きた一つの事件がある。それは2人乗りの
オートバイで違法、無謀、迷惑走行を繰り返しては当該地域の周辺住民に多大な迷惑を
かけていた少年を捕らえたN県警のあるベテラン警察官が、暴走行為をやめさせるため
に拳銃を突きつけて諭したことが問題になり、懲戒処分を受けたというものである。
たしかに (身体は立派な大人でも) “少年” に対し、こともあろうに拳銃を突きつけた
こと自体はいろいろな意味で決して容認されることではないだろう。その点で警察官の
行為に行き過ぎがあり、(懲戒が妥当かどうかはともかく) それなりの処分を課すこと
は止むをえないといえる。しかしその警察官が処分を受けたこと、つまり 「拳銃を突き
つけたこと」 だけがクローズアップされるにつけ、その少年があたかも一方的な被害者
のように扱われたり、まして仲間内で、「憎らしいあの警察官を排除できたのはオマエ
のおかげだ。よくやった」 などと英雄視されることなどがあったとすれば、これはまった
くもって言語道断である。それまで日常的にこの警察官の勤務姿勢や仕事ぶりがどうで
あったか、またその処分の妥当性はともかく、少なくともこの事件が起きた根本的原因は
少年の違法、迷惑行為であることは間違いなく、その根本的な部分をあいまいにすること
は許されないのである。
以前、 「こじろう117」・・・『過剰反応』 は考えもの!!!・・・ でも述べたことであるが、
ことに教育現場でにおいてそれぞれの立場を守ることに奔走するあまり、真の教育的配慮
が後回しにされることは少なくないと思われる。「大人の都合」も大切であるが、将来のあ
る子どもたちがそれに翻弄され、本来のあるべき姿を学べないとしたらそれは非常に大き
な憂慮すべき問題であるといわざるをえないだろう。
飼い主に 「おもちゃのけん銃」 を突き
つけられると、本気で逃げ回る!?
こじろう
小中学生ならともかく、17才の高校2年生ともなれば中学生時の同級生の中には、す
でに就職などして、社会人として活躍している友人がいてもおかしくない。一般社会に
おいて、期限までに提出すべきものをしないことがあれば、その当人が何らかの不利益
を被るのは当然であるし、それ (不利益を被ること) はいわば完全な自業自得であっ
て、文句を言うなど言語道断とされるのが普通である。
教諭および関係各位が今回の件でその暴言、行き過ぎた指導などについてそれなりの
責任をとるのは当然であるだろうし、当該生徒に対して 「ショックを受けてかわいそう」
「暴言によって傷つけられた」 などの同情論や精神的ケアもそれなりに必要だろう。
しかしそれはそれとして、やはり17才ともなれば、 「そういうこと (自分がショックを
受けるようになったこと) は、元来誰のどのような行為にその原因、理由があるのか」
ということをしっかり認識させ、反省させるということもまた大切な教育的配慮というもの
ではないだろうか。「関係者に責任を取らせなくては収まらない」 という、いわば 「大人
側の都合、事情」 を優先するあまり、本質的な部分をないがしろにしてしまうことは許
されないし、それで済ませることは、生徒の将来にとっても決してよい影響を与えるもの
とはいえない。
今回の件で思い出される、10年ほど前に起きた一つの事件がある。それは2人乗りの
オートバイで違法、無謀、迷惑走行を繰り返しては当該地域の周辺住民に多大な迷惑を
かけていた少年を捕らえたN県警のあるベテラン警察官が、暴走行為をやめさせるため
に拳銃を突きつけて諭したことが問題になり、懲戒処分を受けたというものである。
たしかに (身体は立派な大人でも) “少年” に対し、こともあろうに拳銃を突きつけた
こと自体はいろいろな意味で決して容認されることではないだろう。その点で警察官の
行為に行き過ぎがあり、(懲戒が妥当かどうかはともかく) それなりの処分を課すこと
は止むをえないといえる。しかしその警察官が処分を受けたこと、つまり 「拳銃を突き
つけたこと」 だけがクローズアップされるにつけ、その少年があたかも一方的な被害者
のように扱われたり、まして仲間内で、「憎らしいあの警察官を排除できたのはオマエ
のおかげだ。よくやった」 などと英雄視されることなどがあったとすれば、これはまった
くもって言語道断である。それまで日常的にこの警察官の勤務姿勢や仕事ぶりがどうで
あったか、またその処分の妥当性はともかく、少なくともこの事件が起きた根本的原因は
少年の違法、迷惑行為であることは間違いなく、その根本的な部分をあいまいにすること
は許されないのである。
以前、 「こじろう117」・・・『過剰反応』 は考えもの!!!・・・ でも述べたことであるが、
ことに教育現場でにおいてそれぞれの立場を守ることに奔走するあまり、真の教育的配慮
が後回しにされることは少なくないと思われる。「大人の都合」も大切であるが、将来のあ
る子どもたちがそれに翻弄され、本来のあるべき姿を学べないとしたらそれは非常に大き
な憂慮すべき問題であるといわざるをえないだろう。
飼い主に 「おもちゃのけん銃」 を突き
つけられると、本気で逃げ回る!?
こじろう
2010年09月19日
『一方的謝罪・処分』 で終わらせるな!!!(その1)
17日の山陽新聞配信の記事に 「宿題未提出の生徒に 『殺すぞ』。 岡山の県立高校
教諭暴言」 というタイトルのものがあった。その内容は、
・・・・・ 岡山県真庭市内の県立高校で、宿題を出さなかった2年生の男子生徒 (17才)
に担任の男性教諭 (25才) が 「殺すぞ」 などと暴言を吐いていたことが
16日わかった。学校側は事実関係を認め 「生徒を傷つけ申し訳ない」 として
いる。
関係者によると教諭は10日午後のホームルーム中、夏休みの課題の一部が未
提出だった生徒に、「出さなきゃ殺すぞ。死なにゃわからんじゃろ」 と脅し、さらに
14日午後、廊下で 「13日までに出す言うたろ。まだ生きとったんか」 などと言
ったという。
生徒はショックを受け15日学校を欠席。16日は登校した。
校長は 「教諭が暴言を認めたため、県教委へ報告した。経緯は調査中だが生徒
に対して言ってはならない内容で大変申し訳ない」 と話している・・・・・・
というものである。
この教諭と当該生徒との日常の関係や、この事件?の背景など詳しいことがわからないので、
いろいろ言うにも限界があるが、まずもってこの教諭の 「殺すぞ」 「まだ生きとったんか」
などという一連の暴言。 「まだ25才という若さ」 を考慮したとしても、やはり教育の現場
でのものとしては不適切であるといわざるをえないし、とても容認されるべきではないだろう。
担任の教諭としてそれなりの教育効果を考えたなどの言い分もはあるだろうが、いかなる理
由があろうとも 「その場にふさわしくない」 「口にしてはならない」 一言というのは社会の
あらゆる場面に存在する。まして人格の可塑性に富む少年少女の目の前である。 「教育現
場においては教育者としてその言動に細心の注意を払わなくてはならない」 ことに関して議
論の余地はないだろう。
しかしそれを大前提としたうえで、この事件に関していえば、「教諭およびその関係者がただ
一方的に謝罪し、処分等が下されて終わりというわけにはいかない」 と個人的には考えたい。
それは、何事にもいえることであるが、まず 「その原因を作った人間や行為」 というものを
無視できないからである。今回、教諭が暴言を吐くに至った直接の原因は当該生徒が義務で
ある課題を提出しないで、教諭からの再三の注意にも耳を貸す姿勢がなかったことにあるの
は疑いがないだろう。前述のように、この教諭と生徒との間にこれまでどういうやりとりや確執
があったかつまりこの事件の背景などは不明であるが、教諭の暴言以前にまず 「義務とされ
ている課題を提出しなかった 『生徒側の非』 」 があるのは間違いない。特にここは小中学
校ではない。たとえば教諭としても生徒にこのような “警告” を発することなく、課題未提出
に対して該当科目の単位を認定しないとか、評定に反映させるとかしようと思えば無条件に
できるのである。その意味で、表面的にはたしかに “暴言” であっても、内容的には進級を
スムーズにしてあげようとする教諭としての “温情” の一つとしてとらえることもできるのだ。
したがって 「生徒は (教諭の暴言により) ショックを受けてかわいそう」 「生徒は学校を
欠席するほど傷ついた」 などの表層的同情論はずいぶん安っぽいものであり、かつ的外れ
であるとさえ言わざるをえない。
以下、過去にもあったこのようなケースにおける 「(片方だけの一方的な) 謝罪・処分」
の問題点については、「こじろう117」・・・『一方的謝罪・処分』 で終わらせるな!!!(その2)
で述べることにしたい。
いうことを聞かなかった際に飼い主から
発せられる 「お叱り」 を暴言とはとら
えない!? こじろう
教諭暴言」 というタイトルのものがあった。その内容は、
・・・・・ 岡山県真庭市内の県立高校で、宿題を出さなかった2年生の男子生徒 (17才)
に担任の男性教諭 (25才) が 「殺すぞ」 などと暴言を吐いていたことが
16日わかった。学校側は事実関係を認め 「生徒を傷つけ申し訳ない」 として
いる。
関係者によると教諭は10日午後のホームルーム中、夏休みの課題の一部が未
提出だった生徒に、「出さなきゃ殺すぞ。死なにゃわからんじゃろ」 と脅し、さらに
14日午後、廊下で 「13日までに出す言うたろ。まだ生きとったんか」 などと言
ったという。
生徒はショックを受け15日学校を欠席。16日は登校した。
校長は 「教諭が暴言を認めたため、県教委へ報告した。経緯は調査中だが生徒
に対して言ってはならない内容で大変申し訳ない」 と話している・・・・・・
というものである。
この教諭と当該生徒との日常の関係や、この事件?の背景など詳しいことがわからないので、
いろいろ言うにも限界があるが、まずもってこの教諭の 「殺すぞ」 「まだ生きとったんか」
などという一連の暴言。 「まだ25才という若さ」 を考慮したとしても、やはり教育の現場
でのものとしては不適切であるといわざるをえないし、とても容認されるべきではないだろう。
担任の教諭としてそれなりの教育効果を考えたなどの言い分もはあるだろうが、いかなる理
由があろうとも 「その場にふさわしくない」 「口にしてはならない」 一言というのは社会の
あらゆる場面に存在する。まして人格の可塑性に富む少年少女の目の前である。 「教育現
場においては教育者としてその言動に細心の注意を払わなくてはならない」 ことに関して議
論の余地はないだろう。
しかしそれを大前提としたうえで、この事件に関していえば、「教諭およびその関係者がただ
一方的に謝罪し、処分等が下されて終わりというわけにはいかない」 と個人的には考えたい。
それは、何事にもいえることであるが、まず 「その原因を作った人間や行為」 というものを
無視できないからである。今回、教諭が暴言を吐くに至った直接の原因は当該生徒が義務で
ある課題を提出しないで、教諭からの再三の注意にも耳を貸す姿勢がなかったことにあるの
は疑いがないだろう。前述のように、この教諭と生徒との間にこれまでどういうやりとりや確執
があったかつまりこの事件の背景などは不明であるが、教諭の暴言以前にまず 「義務とされ
ている課題を提出しなかった 『生徒側の非』 」 があるのは間違いない。特にここは小中学
校ではない。たとえば教諭としても生徒にこのような “警告” を発することなく、課題未提出
に対して該当科目の単位を認定しないとか、評定に反映させるとかしようと思えば無条件に
できるのである。その意味で、表面的にはたしかに “暴言” であっても、内容的には進級を
スムーズにしてあげようとする教諭としての “温情” の一つとしてとらえることもできるのだ。
したがって 「生徒は (教諭の暴言により) ショックを受けてかわいそう」 「生徒は学校を
欠席するほど傷ついた」 などの表層的同情論はずいぶん安っぽいものであり、かつ的外れ
であるとさえ言わざるをえない。
以下、過去にもあったこのようなケースにおける 「(片方だけの一方的な) 謝罪・処分」
の問題点については、「こじろう117」・・・『一方的謝罪・処分』 で終わらせるな!!!(その2)
で述べることにしたい。
いうことを聞かなかった際に飼い主から
発せられる 「お叱り」 を暴言とはとら
えない!? こじろう
2010年09月18日
『迷惑』 この上ない???
日常生活の中で、他人に迷惑をかける人というのはそれなりにいるものだが、ことにその
元となっている原因、理由が身勝手極まりないものは本当に始末が悪い。
産経新聞16日配信の 「駅弁購入をめぐり男女がケンカ 『こだま』 遅れる」 というタイ
トルの記事にあった事件は、その典型のような内容であった。
・・・・・15日午後2:20頃、福岡市博多区のJR山陽新幹線博多駅に停車中だった博多
発新大阪行きの 「こだま」 車内で乗客の男女が大ケンカとなり、発車が15分
遅れるトラブルがあった。
JR西日本は 「男女のケンカで新幹線が遅れたトラブルは聞いたことがない」 と
している。
JR西や福岡県警鉄道警察隊によると、2人は中国地方在住で内縁関係にあり、
男性は60代、女性は40代。駅弁を買うかどうかで言い争いになり、車内で罵り
あう騒ぎになった。
このため駅員からの110番通報で鉄道警察隊が出動。2人に降車を求めたが応
じず、「こだま」 はそのまま発車。さらなるトラブルを防ぐため鉄道警察隊員3人
に監視され、2人は新下関駅で降車したという。
JR西は 「仲直りしたかどうかはわかりませんが、発車後はお互いに冷静になら
れたようです」。
このトラブルで新幹線が上下3本遅れ、約1300人に影響が出た・・・・・
まさに 「あきれてものが言えない」 というものである。
この記事を読んで第一の素朴な疑問は、ナゼこの程度のことで110番通報がなされた
のかということだが、それは裏を返せばそれだけ “激しい” 罵り合い、つまりつかみあ
いの一歩手前?が行われていたとみることができる。この男性は60代、女性は40代で
内縁関係だということだが、その関係がどうであれ 「いい歳をした男女が、人前で大声
で罵りあう」 ことほど世の中で見苦しく恥ずかしいことはない。しかもその原因が本当に
弁当のことだけかはともかく、内容的にはまったくくだらない、いわゆる 「痴話げんか」
にすぎないのである。
さらに 「見苦しい」 ということだけなら、路上でノラネコのケンカでも見たと思えばよいが、
現実に相当数の人々に大きな迷惑をかけているのである。記事によると1300人に影響
が出たということであるが、こういう場合は単なるその乗客の表面的な数で考えるべきで
はない。たとえばその乗客の一人がある会合に向かう途中だったとすれば、この新幹線
の遅れによってその会合自体の開始も遅れることになり、その出席者全員に迷惑がかか
るということにつながるのである。そういう意味ではこの件で迷惑をかけられた人の数は
計りしれない。
結局、それなりの年齢になっているにもかかわらず、こういう極めて身勝手で恥ずかしいこ
とを人前で平然とできる?連中はどこへ行っても多くの人たちの迷惑になることをし続ける
だろう。「自分たちだけの世界」 の中で何をしようと自由であるし、世の中のために何か
貢献してほしいなどということは微塵も期待しないが、せめて他人への悪影響だけは避け
てくれるよう、一歩外に出た際はなんとか 「おとなしく」 していてほしいものである。
散歩の途中、よくノラネコ同士のケンカ
を見ては、「見苦しいなあ」 と思って
いる!? こじろう
元となっている原因、理由が身勝手極まりないものは本当に始末が悪い。
産経新聞16日配信の 「駅弁購入をめぐり男女がケンカ 『こだま』 遅れる」 というタイ
トルの記事にあった事件は、その典型のような内容であった。
・・・・・15日午後2:20頃、福岡市博多区のJR山陽新幹線博多駅に停車中だった博多
発新大阪行きの 「こだま」 車内で乗客の男女が大ケンカとなり、発車が15分
遅れるトラブルがあった。
JR西日本は 「男女のケンカで新幹線が遅れたトラブルは聞いたことがない」 と
している。
JR西や福岡県警鉄道警察隊によると、2人は中国地方在住で内縁関係にあり、
男性は60代、女性は40代。駅弁を買うかどうかで言い争いになり、車内で罵り
あう騒ぎになった。
このため駅員からの110番通報で鉄道警察隊が出動。2人に降車を求めたが応
じず、「こだま」 はそのまま発車。さらなるトラブルを防ぐため鉄道警察隊員3人
に監視され、2人は新下関駅で降車したという。
JR西は 「仲直りしたかどうかはわかりませんが、発車後はお互いに冷静になら
れたようです」。
このトラブルで新幹線が上下3本遅れ、約1300人に影響が出た・・・・・
まさに 「あきれてものが言えない」 というものである。
この記事を読んで第一の素朴な疑問は、ナゼこの程度のことで110番通報がなされた
のかということだが、それは裏を返せばそれだけ “激しい” 罵り合い、つまりつかみあ
いの一歩手前?が行われていたとみることができる。この男性は60代、女性は40代で
内縁関係だということだが、その関係がどうであれ 「いい歳をした男女が、人前で大声
で罵りあう」 ことほど世の中で見苦しく恥ずかしいことはない。しかもその原因が本当に
弁当のことだけかはともかく、内容的にはまったくくだらない、いわゆる 「痴話げんか」
にすぎないのである。
さらに 「見苦しい」 ということだけなら、路上でノラネコのケンカでも見たと思えばよいが、
現実に相当数の人々に大きな迷惑をかけているのである。記事によると1300人に影響
が出たということであるが、こういう場合は単なるその乗客の表面的な数で考えるべきで
はない。たとえばその乗客の一人がある会合に向かう途中だったとすれば、この新幹線
の遅れによってその会合自体の開始も遅れることになり、その出席者全員に迷惑がかか
るということにつながるのである。そういう意味ではこの件で迷惑をかけられた人の数は
計りしれない。
結局、それなりの年齢になっているにもかかわらず、こういう極めて身勝手で恥ずかしいこ
とを人前で平然とできる?連中はどこへ行っても多くの人たちの迷惑になることをし続ける
だろう。「自分たちだけの世界」 の中で何をしようと自由であるし、世の中のために何か
貢献してほしいなどということは微塵も期待しないが、せめて他人への悪影響だけは避け
てくれるよう、一歩外に出た際はなんとか 「おとなしく」 していてほしいものである。
散歩の途中、よくノラネコ同士のケンカ
を見ては、「見苦しいなあ」 と思って
いる!? こじろう
2010年09月17日
『トンでもオヤジ』 の失態!!!
いつの時代でもどこの場所にも、肩書はそれなりにもかかわらず、「トンでも (ない) オヤジ」
というものが存在する。
15日、山梨日日新聞配信の記事に 「セクハラ相談員の職員がセクハラ」 というタイトルの
とても “笑えない記事” があった。その内容は、
・・・・・・山梨県議会は14日、同僚女性に性的な内容を含む不適切な発言をするセクハラを
したとして、同事務局に所属する50代の男性管理職を減給10分の1 (1ヶ月) の
懲戒処分とした。問題発生当時、男性職員は同事務局のセクハラ相談員をつとめて
おり、職場でセクハラ被害に取り組む立場だった。ただ、自らの不適切発言について
は 「セクハラとの認識はなかった」 という。
県議会事務局によると男性職員は7月22日、甲府市内で開かれた同事務局の納涼
会で女性職員に声をかけたが、振り向かなかったため 「そういう態度だと (職場の)
席がなくなるよ」 などと発言。「(通勤時の) 自転車を (女性の自転車) のそばに
とめている」 と話したほか、性的な内容を含む発言もした。
女性から申し出を受けた同事務局が調べ、男性職員は今年5月以降この女性職員を
含む同僚に対し、「(女性職員に) あいさつをされうれしかった」 などと好意を抱いて
いると連想させる発言を繰り返していたという。
同事務局は男性職員の一連の発言がセクハラ行為にあたり、女性職員に精神的苦痛
を与えたと判断、男性職員を減給処分、管理監督責任を問い、所属の課長を厳重注意
とした。また、男性職員をセクハラ相談員から外し、同相談員を一人増員して二人体制
とした・・・・・・
という 「開いた口が塞がらない」 ようなものである。
新聞記事のタイトルにもあるようにこの男性職員、管理職の一員として職場の 「セクハラ相
談員」 であったということだが、「いかにこういう “肩書” がいい加減なものか」 ということ
を示すものである。職制上の肩書でもいい加減なもの (その人物が肩書にふさわしくないも
の) はいくらでも存在するが、特にこのような職場に義務的におかれる 「△△責任者」
「△△相談員」 というものには単なる形式にすぎないものが多いようである。さらに一連の
発言を 「セクハラという認識はなかった」 と言い訳?しているが、バツが悪すぎてすっとぼ
けていっているのでないとしたら、管理職でなくても社会人としてイマドキ相当遅れた感覚の
持ち主、つまり甚だしい 「時代錯誤オヤジ」 と呼ばざるをえないだろう。
またこの職員、 「50代」 ということだが、一般にいわゆる中年男性というのは、少なくとも
素の状態での “外見” とか “雰囲気” に関しては、特に若い女性らには 「最も嫌われ
る存在」 なのである。もし、周囲のことに異性に好かれようと思うなら (そう思わない方が
無難であることは間違いないが) まず身だしなみをしっかり整えるとともに、相当のデリカ
シーを示し、その言動には最善の注意を払うのが最低条件なのである。
「なんでもかんでも 『セクハラセクハラ』 と、うるさい時代になったものだ」 などと (口に
は出さなくても) 考える中年以上の男性は未だにいるようだが、いつまでも 「トンでもない」
認識のままでいると、ますますその居場所が狭まってしまい、一般世間から締め出されて
しまうことを 「現オヤジ世代」 は真剣に考えなくてはならないのだ。
イマドキ 「咥えたばこ」 で街なかを
闊歩している 「トンでもオヤジ」 を
見ると、思わず注意したくなる!?
こじろう
というものが存在する。
15日、山梨日日新聞配信の記事に 「セクハラ相談員の職員がセクハラ」 というタイトルの
とても “笑えない記事” があった。その内容は、
・・・・・・山梨県議会は14日、同僚女性に性的な内容を含む不適切な発言をするセクハラを
したとして、同事務局に所属する50代の男性管理職を減給10分の1 (1ヶ月) の
懲戒処分とした。問題発生当時、男性職員は同事務局のセクハラ相談員をつとめて
おり、職場でセクハラ被害に取り組む立場だった。ただ、自らの不適切発言について
は 「セクハラとの認識はなかった」 という。
県議会事務局によると男性職員は7月22日、甲府市内で開かれた同事務局の納涼
会で女性職員に声をかけたが、振り向かなかったため 「そういう態度だと (職場の)
席がなくなるよ」 などと発言。「(通勤時の) 自転車を (女性の自転車) のそばに
とめている」 と話したほか、性的な内容を含む発言もした。
女性から申し出を受けた同事務局が調べ、男性職員は今年5月以降この女性職員を
含む同僚に対し、「(女性職員に) あいさつをされうれしかった」 などと好意を抱いて
いると連想させる発言を繰り返していたという。
同事務局は男性職員の一連の発言がセクハラ行為にあたり、女性職員に精神的苦痛
を与えたと判断、男性職員を減給処分、管理監督責任を問い、所属の課長を厳重注意
とした。また、男性職員をセクハラ相談員から外し、同相談員を一人増員して二人体制
とした・・・・・・
という 「開いた口が塞がらない」 ようなものである。
新聞記事のタイトルにもあるようにこの男性職員、管理職の一員として職場の 「セクハラ相
談員」 であったということだが、「いかにこういう “肩書” がいい加減なものか」 ということ
を示すものである。職制上の肩書でもいい加減なもの (その人物が肩書にふさわしくないも
の) はいくらでも存在するが、特にこのような職場に義務的におかれる 「△△責任者」
「△△相談員」 というものには単なる形式にすぎないものが多いようである。さらに一連の
発言を 「セクハラという認識はなかった」 と言い訳?しているが、バツが悪すぎてすっとぼ
けていっているのでないとしたら、管理職でなくても社会人としてイマドキ相当遅れた感覚の
持ち主、つまり甚だしい 「時代錯誤オヤジ」 と呼ばざるをえないだろう。
またこの職員、 「50代」 ということだが、一般にいわゆる中年男性というのは、少なくとも
素の状態での “外見” とか “雰囲気” に関しては、特に若い女性らには 「最も嫌われ
る存在」 なのである。もし、周囲のことに異性に好かれようと思うなら (そう思わない方が
無難であることは間違いないが) まず身だしなみをしっかり整えるとともに、相当のデリカ
シーを示し、その言動には最善の注意を払うのが最低条件なのである。
「なんでもかんでも 『セクハラセクハラ』 と、うるさい時代になったものだ」 などと (口に
は出さなくても) 考える中年以上の男性は未だにいるようだが、いつまでも 「トンでもない」
認識のままでいると、ますますその居場所が狭まってしまい、一般世間から締め出されて
しまうことを 「現オヤジ世代」 は真剣に考えなくてはならないのだ。
イマドキ 「咥えたばこ」 で街なかを
闊歩している 「トンでもオヤジ」 を
見ると、思わず注意したくなる!?
こじろう
2010年09月16日
『その根気』 に “脱帽”???
いわゆる 「犯罪」 というものは基本的に社会にとっての害悪であり、その行為が容認
されたり、まして賞讃されたりすることはありえないことだが、中にはその 「手口のあざ
やかさ」 にとどまらず、「根気」 に “脱帽” してしまうことは珍しくない。
つい先日、中日新聞の記事に 「犯行200件供述 詐欺容疑の男 再逮捕」 というタイ
トルの記事があった。その内容は、
・・・・・ 水道の工事業者をかたり代金をだまし取ろうとしたとして、三重県警などによる
合同捜査本部が詐欺未遂容疑で先月逮捕した住所不定無職の35才の男が、
中部などの5県で同様の犯罪を約200件繰り返したと供述していることがわか
った。同本部は13日詐欺容疑で再逮捕した。
捜査関係者によると、同容疑者は三重県のほか計5県での犯行を供述。水道
や電気工事の業者をかたる手口で高齢者などを狙ったという。
再逮捕容疑では4月13日三重県内の無職女性 (65才) 宅で女性に、「以前
電気ブレーカーの工事をしたので代金を支払ってほしい」 と話し、2万円をだま
とったとされる・・・・・
というものである。
容疑者の供述通りであれば、という前提はあるが、「脱帽」 してしまうまず第一の根拠は、
「200件もの詐欺行為をはたらく間によく逮捕されなかった」 ということである。記事の内
容からしておそらく詐欺グループの一員でなく、単独 (個人) の犯行である可能性が高
いと思われるが、よほど巧妙で慎重でないと、これだけの件数の犯行を繰り返すうちには
いわゆる何らかの “ボロ” が出てしまうものだと思うが、それを切り抜けているという手
口は 「あざやか」 というしかないようだ。
第二に脱帽すべき点、ある意味これが最もすごいところといえるが、同じような手口の犯行
を200件も続けたその 「根気」 である。もちろん最初から200件もの犯行を計画してい
たわけではないだろうが、それにしてもその間の “モチベーションの維持” たるや大変な
ものであろう。さらにはこういう罪を犯す非道な人間であっても、何回も犯行を繰り返すうち
にはたとえほんの少しでも 「罪悪感」 に襲われることくらいあっても不思議ではないと思
われるが、そういうことなく平然と詐欺行為を繰り返すことができる神経の太さも大したもの
?である。
第三に脱帽すべきはこの容疑者、これだけの数の犯行を繰り返す間、よく周囲の人間 (特
に家族などがいる場合) に悟られなかったという点である。もっとも周囲の人間が共犯者で
あるとか、見て見ぬふりをしていたという可能性も十分にあるが、そうでないとしたら、一般に
はいわゆるポーカーフェイスなどを維持するにも限度というものがあるというものだろう。
まあいろいろいってみても、この容疑者の犯した罪自体は決して許されないものである。しか
し、これだけの犯行を繰り返してきたその類いまれな 「根気」 に加え、その間捕まることの
なかったほどのあざやかな手口を実行できるその 「能力」 を、法を犯さず、人に迷惑をかけ
ない 「まとも」 なことに生かせなかったのが、(余計なことながら) 何をおいても残念で仕
方がない。
興味を抱いたことには何時間でも集中
して取り組み、飼い主を脱帽させるこ
とのある!? こじろう
されたり、まして賞讃されたりすることはありえないことだが、中にはその 「手口のあざ
やかさ」 にとどまらず、「根気」 に “脱帽” してしまうことは珍しくない。
つい先日、中日新聞の記事に 「犯行200件供述 詐欺容疑の男 再逮捕」 というタイ
トルの記事があった。その内容は、
・・・・・ 水道の工事業者をかたり代金をだまし取ろうとしたとして、三重県警などによる
合同捜査本部が詐欺未遂容疑で先月逮捕した住所不定無職の35才の男が、
中部などの5県で同様の犯罪を約200件繰り返したと供述していることがわか
った。同本部は13日詐欺容疑で再逮捕した。
捜査関係者によると、同容疑者は三重県のほか計5県での犯行を供述。水道
や電気工事の業者をかたる手口で高齢者などを狙ったという。
再逮捕容疑では4月13日三重県内の無職女性 (65才) 宅で女性に、「以前
電気ブレーカーの工事をしたので代金を支払ってほしい」 と話し、2万円をだま
とったとされる・・・・・
というものである。
容疑者の供述通りであれば、という前提はあるが、「脱帽」 してしまうまず第一の根拠は、
「200件もの詐欺行為をはたらく間によく逮捕されなかった」 ということである。記事の内
容からしておそらく詐欺グループの一員でなく、単独 (個人) の犯行である可能性が高
いと思われるが、よほど巧妙で慎重でないと、これだけの件数の犯行を繰り返すうちには
いわゆる何らかの “ボロ” が出てしまうものだと思うが、それを切り抜けているという手
口は 「あざやか」 というしかないようだ。
第二に脱帽すべき点、ある意味これが最もすごいところといえるが、同じような手口の犯行
を200件も続けたその 「根気」 である。もちろん最初から200件もの犯行を計画してい
たわけではないだろうが、それにしてもその間の “モチベーションの維持” たるや大変な
ものであろう。さらにはこういう罪を犯す非道な人間であっても、何回も犯行を繰り返すうち
にはたとえほんの少しでも 「罪悪感」 に襲われることくらいあっても不思議ではないと思
われるが、そういうことなく平然と詐欺行為を繰り返すことができる神経の太さも大したもの
?である。
第三に脱帽すべきはこの容疑者、これだけの数の犯行を繰り返す間、よく周囲の人間 (特
に家族などがいる場合) に悟られなかったという点である。もっとも周囲の人間が共犯者で
あるとか、見て見ぬふりをしていたという可能性も十分にあるが、そうでないとしたら、一般に
はいわゆるポーカーフェイスなどを維持するにも限度というものがあるというものだろう。
まあいろいろいってみても、この容疑者の犯した罪自体は決して許されないものである。しか
し、これだけの犯行を繰り返してきたその類いまれな 「根気」 に加え、その間捕まることの
なかったほどのあざやかな手口を実行できるその 「能力」 を、法を犯さず、人に迷惑をかけ
ない 「まとも」 なことに生かせなかったのが、(余計なことながら) 何をおいても残念で仕
方がない。
興味を抱いたことには何時間でも集中
して取り組み、飼い主を脱帽させるこ
とのある!? こじろう
2010年09月15日
もう 『電話には出られない』???
だいぶ以前から (家庭等の固定) 電話にかかってくるもので、「怪しげなもの」 は
それなりに存在し、それに関する詐欺などもそれほど珍しいことではなかった。しかし、
それらは基本的には 「最初に毅然とした姿勢を示す」 ことにより、それ以上 「しつ
こくされる」 ということはあまりなかったように思われる。
それが最近は 「電話に出ただけ」 で (別のいい方をすれば相手側に自分が 「標的
に選ばれた?時点」 で) 極めて不快で怖い思いをさせられたり、やっかいなことに巻
き込まれるようになることもあるとすれば、家庭の固定電話が鳴っても、もうおちおち受
話機をとることすらはばかれてしまうことになってしまったようだ。
つい先日、「どーもオリゴ糖」 さんの記事で 「迷惑電話」 というタイトルのものを
拝読させていただいたばかりであるが、13日まさにそれに関して 「粗悪なカニ売りつ
けた疑い・・・・・札幌の暴力団組員を逮捕」 という見出しの記事が、新聞紙面を賑わし
ていた。
「カニの押し売り」 ではないが、自分も以前に不動産関係で極めて不愉快にさせられる
電話被害を受けた (「こじろう117」・・・『目的・意味不明。理解不能』!!!(その1)
および (その2)・・・参照) ことなどがあるが、それらに共通しているのは 「自分にと
って全く必要のない商品等を 『いらない』 とはっきり意思表示しているにもかかわらず
その (意思表示した) 時点から相手の口調が急に暴力的脅迫的に変わり、たとえば、
『なぜ必要ないんだ』 などとしつこく迫る。つまりその “本性” がむき出しになる」 と
いう点である。
今回逮捕された容疑者が現役の暴力団組員であると聞けば、そのような激変について
何ら違和感も抱かないというのはともかく、やはり一般には 「気の弱い人」 でなくても、
その種の電話に慣れていない人などにとっては、(再度かかってくる可能性なども考えて
即、切ることもできず) その暴力的な言動や雰囲気、執拗さに押し切られ屈してしまう、
つまりは断わり切れないということになっても決して不思議ではない。
結局、自衛の策としてはもう固定電話が鳴っても 「番号非通知」 であるときはもちろん、
その番号が誰のものか把握できていないときは受話器を一切取らない、あるいはそれな
りの設定にしておくのがベストということになるのだが、必ずしもナンバーディスプレイ機能
が固定電話についているわけではないし、また個人事業の場合などはプライベート・業務
兼用に固定電話を使用することも多いだろうから着信拒否をすることもできず、大変に神経
を遣うことになっているのは間違いない。
今は携帯電話がその役割を果たしているとはいえ、その昔自宅に電話がかかってくること
をいろいろな意味でワクワクドキドキしながら 「心待ち」 にしていた旧世代の人間として
は、このようになってしまったことでの 「さびしい気持ち」 は抑えきれないのである。
固定電話の呼び出し音が響くたびに、
飼い主に対する 「警告」 の一吠え
を欠かさない!? こじろう
それなりに存在し、それに関する詐欺などもそれほど珍しいことではなかった。しかし、
それらは基本的には 「最初に毅然とした姿勢を示す」 ことにより、それ以上 「しつ
こくされる」 ということはあまりなかったように思われる。
それが最近は 「電話に出ただけ」 で (別のいい方をすれば相手側に自分が 「標的
に選ばれた?時点」 で) 極めて不快で怖い思いをさせられたり、やっかいなことに巻
き込まれるようになることもあるとすれば、家庭の固定電話が鳴っても、もうおちおち受
話機をとることすらはばかれてしまうことになってしまったようだ。
つい先日、「どーもオリゴ糖」 さんの記事で 「迷惑電話」 というタイトルのものを
拝読させていただいたばかりであるが、13日まさにそれに関して 「粗悪なカニ売りつ
けた疑い・・・・・札幌の暴力団組員を逮捕」 という見出しの記事が、新聞紙面を賑わし
ていた。
「カニの押し売り」 ではないが、自分も以前に不動産関係で極めて不愉快にさせられる
電話被害を受けた (「こじろう117」・・・『目的・意味不明。理解不能』!!!(その1)
および (その2)・・・参照) ことなどがあるが、それらに共通しているのは 「自分にと
って全く必要のない商品等を 『いらない』 とはっきり意思表示しているにもかかわらず
その (意思表示した) 時点から相手の口調が急に暴力的脅迫的に変わり、たとえば、
『なぜ必要ないんだ』 などとしつこく迫る。つまりその “本性” がむき出しになる」 と
いう点である。
今回逮捕された容疑者が現役の暴力団組員であると聞けば、そのような激変について
何ら違和感も抱かないというのはともかく、やはり一般には 「気の弱い人」 でなくても、
その種の電話に慣れていない人などにとっては、(再度かかってくる可能性なども考えて
即、切ることもできず) その暴力的な言動や雰囲気、執拗さに押し切られ屈してしまう、
つまりは断わり切れないということになっても決して不思議ではない。
結局、自衛の策としてはもう固定電話が鳴っても 「番号非通知」 であるときはもちろん、
その番号が誰のものか把握できていないときは受話器を一切取らない、あるいはそれな
りの設定にしておくのがベストということになるのだが、必ずしもナンバーディスプレイ機能
が固定電話についているわけではないし、また個人事業の場合などはプライベート・業務
兼用に固定電話を使用することも多いだろうから着信拒否をすることもできず、大変に神経
を遣うことになっているのは間違いない。
今は携帯電話がその役割を果たしているとはいえ、その昔自宅に電話がかかってくること
をいろいろな意味でワクワクドキドキしながら 「心待ち」 にしていた旧世代の人間として
は、このようになってしまったことでの 「さびしい気持ち」 は抑えきれないのである。
固定電話の呼び出し音が響くたびに、
飼い主に対する 「警告」 の一吠え
を欠かさない!? こじろう
2010年09月14日
『もう一回だけ』 が止まらない!!!
寝不足である。原因は明らか。昨日、何と10時間ほぼぶっ通しで米国のTVドラマを
観続けてしまったからだ。そのドラマとは、昨年の秋から冬にかけ毎週放映されてい
て、その際HDDにずっと録り貯めておいた 「24 シーズン7」 である。この 「24シ
リーズ」 についてはその 「シーズン6」 まで欠かさず観てきたが、特別忙しかった
わけでもないのになぜか昨年来観る機会がなかったところ、たまたま昨日HDDに録
っておいた別の番組を探しているときにそれ (録画しておいたこと) に気づき、とり
あえず第一話を再生したわけであるが、久しぶりだったこともあり、今までのこのドラマ
シリーズを観る際の教訓?を完全に失念していたことで今回の事態?に陥ったわけで、
我ながら情けないことこの上ない。
一応、観始めた際には 「この回ぐらいまで」 と決めておいたのだが、今までと同じパ
ターンで、その回の終盤に近づくにつれて、「次の回もそのまま観たい」 という衝動
を抑えることができず、「よし、もう一回だけにしよう」 ということが続いた挙句、気が
ついたら?なんと “10時間” も経ってしまったというわけである。
もちろん休日ということと、特にこれといって片付けなくてはならないことがあったわけ
ではないという背景もあるし、またこのドラマ自体に 「常に次回を観たくさせる」 とい
う魅力があるからに他ならないが、やはりこういうものは一気に観続ける環境を用意
せず、面倒でもTVの放映に合わせて毎週1本ずつ観るとか、DVDを借りたりする場合
でも、1枚か2枚ずつにすべきだと、改めて強く反省させられた次第である。
自分はこの年齢になるまで、喫煙の経験はないので推測にすぎないが、たとえば、そ
れまで恒常的にタバコを吸っていた人が理由はどうあれ “禁煙” に踏み切ろうとする
場合も同様のことがいえるのではないだろうか。“禁煙” を思いついた日から 「きっ
ぱりとタバコを断つ」 ということができれば理想であろうが、たいていは 「明日から」
「来週から」 「来月から」 と自分に都合のよいように期日を定めるだろうし、また期限
???となるその当日でさえ、しみじみと 「これが最後の1本か・・・・・」 というふう
に考えるのが普通の人間というものである。そして結局は 「最後だし、もう1本くらい
ならいいか」 となり、その1本が2本、3本となっていくのである。いわゆる 「ダイエ
ット」 などについてもまた然りであろう。
少々飛躍するが、社会人として優秀かどうか、人から信用され評価されるか否かの
分岐点は 「一度決心、決断したことを先延ばししない。できるだけ速やかに確実に
実行に移す」 ことができる度合いで決まるといってもいいかもしれない。日常から
優柔不断な人間はやはり大成する可能性は高くないのである。
もっとも、一度下した “決断” や、表明した “決意” が、何らかの事情で実行でき
なかったことが、かえって 「結果的に効を奏した」 などということもよくあるだろうが、
最初からそういうことを前提とするようでは、「“決断” や “決意” とはいったいなん
なんだ」 となってしまう。
「爪切り」 と 「注射」 だけは先送りに
してほしいと切に願っている!? こじろう
観続けてしまったからだ。そのドラマとは、昨年の秋から冬にかけ毎週放映されてい
て、その際HDDにずっと録り貯めておいた 「24 シーズン7」 である。この 「24シ
リーズ」 についてはその 「シーズン6」 まで欠かさず観てきたが、特別忙しかった
わけでもないのになぜか昨年来観る機会がなかったところ、たまたま昨日HDDに録
っておいた別の番組を探しているときにそれ (録画しておいたこと) に気づき、とり
あえず第一話を再生したわけであるが、久しぶりだったこともあり、今までのこのドラマ
シリーズを観る際の教訓?を完全に失念していたことで今回の事態?に陥ったわけで、
我ながら情けないことこの上ない。
一応、観始めた際には 「この回ぐらいまで」 と決めておいたのだが、今までと同じパ
ターンで、その回の終盤に近づくにつれて、「次の回もそのまま観たい」 という衝動
を抑えることができず、「よし、もう一回だけにしよう」 ということが続いた挙句、気が
ついたら?なんと “10時間” も経ってしまったというわけである。
もちろん休日ということと、特にこれといって片付けなくてはならないことがあったわけ
ではないという背景もあるし、またこのドラマ自体に 「常に次回を観たくさせる」 とい
う魅力があるからに他ならないが、やはりこういうものは一気に観続ける環境を用意
せず、面倒でもTVの放映に合わせて毎週1本ずつ観るとか、DVDを借りたりする場合
でも、1枚か2枚ずつにすべきだと、改めて強く反省させられた次第である。
自分はこの年齢になるまで、喫煙の経験はないので推測にすぎないが、たとえば、そ
れまで恒常的にタバコを吸っていた人が理由はどうあれ “禁煙” に踏み切ろうとする
場合も同様のことがいえるのではないだろうか。“禁煙” を思いついた日から 「きっ
ぱりとタバコを断つ」 ということができれば理想であろうが、たいていは 「明日から」
「来週から」 「来月から」 と自分に都合のよいように期日を定めるだろうし、また期限
???となるその当日でさえ、しみじみと 「これが最後の1本か・・・・・」 というふう
に考えるのが普通の人間というものである。そして結局は 「最後だし、もう1本くらい
ならいいか」 となり、その1本が2本、3本となっていくのである。いわゆる 「ダイエ
ット」 などについてもまた然りであろう。
少々飛躍するが、社会人として優秀かどうか、人から信用され評価されるか否かの
分岐点は 「一度決心、決断したことを先延ばししない。できるだけ速やかに確実に
実行に移す」 ことができる度合いで決まるといってもいいかもしれない。日常から
優柔不断な人間はやはり大成する可能性は高くないのである。
もっとも、一度下した “決断” や、表明した “決意” が、何らかの事情で実行でき
なかったことが、かえって 「結果的に効を奏した」 などということもよくあるだろうが、
最初からそういうことを前提とするようでは、「“決断” や “決意” とはいったいなん
なんだ」 となってしまう。
「爪切り」 と 「注射」 だけは先送りに
してほしいと切に願っている!? こじろう
2010年09月13日
『いかにも』 は、もはや通用しない???
ニュースなどでさまざまな犯罪の報道がなされ容疑者の風貌などが紹介されると、以前
なら 「いかにもこの経歴・風貌なら (こういう犯罪を) しでかしそうだ」 とかいうものが
あったものだが、現在その 「いかにも」 というものが、もはや通用しない?世の中にな
ってしまったかのような感がある。
12日の岐阜新聞発信のニュースに 「万引き女2人組 車から店員振り落とし逃走」 と
いうタイトルの記事があったが、その内容は、
・・・・・ 11日午前2:30分頃、岐阜市の “コンビニエンスストアM” で万引きをした
女2人組が、逃走を止めようとした同店の男性店員 (21才) を車のボンネ
ットに乗せたまま発進し、南西約150メートル先で男性店員を振り落としてそ
のまま逃げた。男性店員は軽傷のもよう。岐阜中署は強盗致傷事件として
逃げた女2人組の行方を追っている。
同署によると、女はいずれも20才くらいで、一人は金髪で白色のTシャツと
紺色のジャージを、別の一人は黒髪で白色のTシャツと半ズボンを着ていたと
いう。車は白っぽい乗用車らしい。女2人は総菜や雑誌、飲料水などを精算
せずに店外に出たため、男性店員が追いかけた。2人が乗り込んだ車の前に
男性店員が立ちふさがったが、二人組は車を発進させボンネットにしがみつ
いていた男性店員を乗せたまま逃走したという・・・・・・
というものである。
この男性店員、年齢からしてもおそらく店のオーナーや店長ではない可能性が高く、アル
バイト店員などであると思われるが、まさに自分の生命を投げ出してまで万引き犯を捕ら
えようとしたその “責任感” や “正義感” は頭が下がるほどのものである。もっとも
「車の前に立ちはだかっている自分を無視してそのまま発進する」 とは思わなかったと
いうのが実際で、「まさか150メートルもの距離を車のボンネットにしがみついたまま走
行され、しかも最後には振り落とされるような事態を想定する」 というのは本来、「映画
やTVドラマの世界におけるワンシーン」 という話であろう。
この事件の発端となった万引きについては、記事の内容から推測する限り、悪びれたり
コソコソしている様子はなく、“堂々と” したもので、こういうものをはたして “万引き” と
称していいのかと思うほどであるが、それはそれとして20才くらいの女性が万引きをは
たらくこと自体は別に今に始まったことではなく、また珍しくもなんともないことである。
しかし、その後車のボンネットにしがみついている男性をそのままにして自動車を走らせ
、しかもそれを振り落とすとなれば、それだけのことが平然とできる人間はかなり限られ
てくるのではないか。過去にも同じような事件の報道を耳にしたことは何度かあるが、そ
の犯人はやはり 「『いかにも』 そういうことをしそうな」 前歴なり風貌なりを兼ね備えて
いるものだった記憶がある。今回それでも、「風貌」 という点と、堂々とした?万引の仕
方からすれば 「さもありなん」 という部分もあるにせよ、やはり20才くらいの女2人組
にしては 「ずいぶん大胆で残忍なことができるものだ」 とある意味感心?すらしてしま
う。もしかしたらこの男性店員も、いずれかのタイミングで瞬時にそのあたりのこと、つまり
「まさかこの若い女性2人組が自分をボンネットに乗せたまま走り去っていくことなどない
だろう」 ということが頭をよぎったからこそ、こうなったのかもしれない。しかし、いずれ
にせよ、「誰が何をしでかすか、まったく予測がつかない」 世の中になってしまったのは
恐ろしいことであるというべきであろうか。
『いかにも』 “こじろうらしい” と飼い主
にいわれるのを複雑な思いで聞いている!?
こじろう
なら 「いかにもこの経歴・風貌なら (こういう犯罪を) しでかしそうだ」 とかいうものが
あったものだが、現在その 「いかにも」 というものが、もはや通用しない?世の中にな
ってしまったかのような感がある。
12日の岐阜新聞発信のニュースに 「万引き女2人組 車から店員振り落とし逃走」 と
いうタイトルの記事があったが、その内容は、
・・・・・ 11日午前2:30分頃、岐阜市の “コンビニエンスストアM” で万引きをした
女2人組が、逃走を止めようとした同店の男性店員 (21才) を車のボンネ
ットに乗せたまま発進し、南西約150メートル先で男性店員を振り落としてそ
のまま逃げた。男性店員は軽傷のもよう。岐阜中署は強盗致傷事件として
逃げた女2人組の行方を追っている。
同署によると、女はいずれも20才くらいで、一人は金髪で白色のTシャツと
紺色のジャージを、別の一人は黒髪で白色のTシャツと半ズボンを着ていたと
いう。車は白っぽい乗用車らしい。女2人は総菜や雑誌、飲料水などを精算
せずに店外に出たため、男性店員が追いかけた。2人が乗り込んだ車の前に
男性店員が立ちふさがったが、二人組は車を発進させボンネットにしがみつ
いていた男性店員を乗せたまま逃走したという・・・・・・
というものである。
この男性店員、年齢からしてもおそらく店のオーナーや店長ではない可能性が高く、アル
バイト店員などであると思われるが、まさに自分の生命を投げ出してまで万引き犯を捕ら
えようとしたその “責任感” や “正義感” は頭が下がるほどのものである。もっとも
「車の前に立ちはだかっている自分を無視してそのまま発進する」 とは思わなかったと
いうのが実際で、「まさか150メートルもの距離を車のボンネットにしがみついたまま走
行され、しかも最後には振り落とされるような事態を想定する」 というのは本来、「映画
やTVドラマの世界におけるワンシーン」 という話であろう。
この事件の発端となった万引きについては、記事の内容から推測する限り、悪びれたり
コソコソしている様子はなく、“堂々と” したもので、こういうものをはたして “万引き” と
称していいのかと思うほどであるが、それはそれとして20才くらいの女性が万引きをは
たらくこと自体は別に今に始まったことではなく、また珍しくもなんともないことである。
しかし、その後車のボンネットにしがみついている男性をそのままにして自動車を走らせ
、しかもそれを振り落とすとなれば、それだけのことが平然とできる人間はかなり限られ
てくるのではないか。過去にも同じような事件の報道を耳にしたことは何度かあるが、そ
の犯人はやはり 「『いかにも』 そういうことをしそうな」 前歴なり風貌なりを兼ね備えて
いるものだった記憶がある。今回それでも、「風貌」 という点と、堂々とした?万引の仕
方からすれば 「さもありなん」 という部分もあるにせよ、やはり20才くらいの女2人組
にしては 「ずいぶん大胆で残忍なことができるものだ」 とある意味感心?すらしてしま
う。もしかしたらこの男性店員も、いずれかのタイミングで瞬時にそのあたりのこと、つまり
「まさかこの若い女性2人組が自分をボンネットに乗せたまま走り去っていくことなどない
だろう」 ということが頭をよぎったからこそ、こうなったのかもしれない。しかし、いずれ
にせよ、「誰が何をしでかすか、まったく予測がつかない」 世の中になってしまったのは
恐ろしいことであるというべきであろうか。
『いかにも』 “こじろうらしい” と飼い主
にいわれるのを複雑な思いで聞いている!?
こじろう
2010年09月12日
極めて 『不可解』 ???(その2)
「こじろう117」・・・極めて 『不可解』???(その1)・・・ の続きである。
女子高生の財布を 「盗んだ」 として逮捕され、その後 “起訴猶予” となったN県職
員の事件。M区検の説明では 「起訴するほど悪質ではない。被害品は返され、本人
も反省している」 ということだが、「悪質ではない」 「被害品」 「本人も反省」 などの
文言から、少なくとも 「盗んだ」 ということについては “疑いのない事実” であるとし
か読み込むことはできない。一方で、県職員の処分を検討中である県人事課としては、
「本人に落ち度があったかどうかを含め調査している」 といっており、これは 「落ち度
があったかどうか」 という表現を用いていることからして、「盗んだ」 という事実を未だ
はっきりと認識していないということになる。
「事実がどうであったのか」 を今ここで検証するつもりは毛頭ないし、そもそもそんなこ
とはできる相談でもない。しかし、47才という年齢の社会人にとって、「 『盗んだ』 と
いう事実があったのかなかったのか」 という点は、結果的に “起訴猶予” になったか
どうかはともかくとして、当人のみならずその家族など周囲の人々、さらには所属する組
織の管理責任者 (上司) らの関係者にとっても、極めて重大な分岐点、ポイントとなる
ところではないか。
今回の記事 (報道) ではその氏名は発表されていないが、所属組織や年齢からだけ
でもその職員のことを特定できる人はたくさんいるだろう。県人事課のいうように 「本人
に落ち度があったかどうか調査している段階」 でこのような記事になったとしたらそれは
それで重大なことである。また他方、M区検の見解通り、つまり本人も認めている (反
省している) 件であるとしたら、「県人事課は今さら何を (落ち度があったか調査して
いる、などと) 寝ぼけたことをほざいているのか」 ということになるのだ。
もっとも、それぞれの方面で 「自分たちの立場やメンツを必死で守る」 ための、表に
現れていない 「さまざまな方策が懸命に講じられている」 のが垣間見えるのは、大変
興味深いところでもある。
さらには調査のなりゆきによっては、(その1) でも少し触れた 「女子高校生の行動の
不可解さ」 も検討しなくてはならないであろう。もしかしたらその女子高校生 (たち)
と県職員との間に以前から 「何かの因縁があったのでは」 とすら勘繰らざるを得ないか
もしれない。
これ以上いろいろ推測しても仕方がないのでこれくらいにしておくが、時間が限られている
際には簡単に見逃してしまうくらいの小さな記事でも、それが一般に信用のおける新聞社
のものであれば、「客観的事実に間違いがあったり、あいまいなものであったりする」 とい
う前提はないのが普通であろう。しかし、中には今回の記事のように、その真実性について
何がなんだかよくわからない、極めて 「不可解」 なものも現に存在するのである。さらには、
そういう記事に当事者として掲載された人は、真実がたとえどうであれ、ある種の (好まし
くない) イメージが世間に植えつけられてしまう可能性が大きいのである。
「マスコミの報道にはそのような側面も大きい」 ということと、その報道に接する側もその
点を考慮した 「能動的な情報収集にいそしまなくてはならない」 ということを今回の件の
結論としたい。
飼い主にとっては 「不可解」 で
あっても、当人 (当犬) にはれっき
とした理由がある行動をとる!?
こじろう
女子高生の財布を 「盗んだ」 として逮捕され、その後 “起訴猶予” となったN県職
員の事件。M区検の説明では 「起訴するほど悪質ではない。被害品は返され、本人
も反省している」 ということだが、「悪質ではない」 「被害品」 「本人も反省」 などの
文言から、少なくとも 「盗んだ」 ということについては “疑いのない事実” であるとし
か読み込むことはできない。一方で、県職員の処分を検討中である県人事課としては、
「本人に落ち度があったかどうかを含め調査している」 といっており、これは 「落ち度
があったかどうか」 という表現を用いていることからして、「盗んだ」 という事実を未だ
はっきりと認識していないということになる。
「事実がどうであったのか」 を今ここで検証するつもりは毛頭ないし、そもそもそんなこ
とはできる相談でもない。しかし、47才という年齢の社会人にとって、「 『盗んだ』 と
いう事実があったのかなかったのか」 という点は、結果的に “起訴猶予” になったか
どうかはともかくとして、当人のみならずその家族など周囲の人々、さらには所属する組
織の管理責任者 (上司) らの関係者にとっても、極めて重大な分岐点、ポイントとなる
ところではないか。
今回の記事 (報道) ではその氏名は発表されていないが、所属組織や年齢からだけ
でもその職員のことを特定できる人はたくさんいるだろう。県人事課のいうように 「本人
に落ち度があったかどうか調査している段階」 でこのような記事になったとしたらそれは
それで重大なことである。また他方、M区検の見解通り、つまり本人も認めている (反
省している) 件であるとしたら、「県人事課は今さら何を (落ち度があったか調査して
いる、などと) 寝ぼけたことをほざいているのか」 ということになるのだ。
もっとも、それぞれの方面で 「自分たちの立場やメンツを必死で守る」 ための、表に
現れていない 「さまざまな方策が懸命に講じられている」 のが垣間見えるのは、大変
興味深いところでもある。
さらには調査のなりゆきによっては、(その1) でも少し触れた 「女子高校生の行動の
不可解さ」 も検討しなくてはならないであろう。もしかしたらその女子高校生 (たち)
と県職員との間に以前から 「何かの因縁があったのでは」 とすら勘繰らざるを得ないか
もしれない。
これ以上いろいろ推測しても仕方がないのでこれくらいにしておくが、時間が限られている
際には簡単に見逃してしまうくらいの小さな記事でも、それが一般に信用のおける新聞社
のものであれば、「客観的事実に間違いがあったり、あいまいなものであったりする」 とい
う前提はないのが普通であろう。しかし、中には今回の記事のように、その真実性について
何がなんだかよくわからない、極めて 「不可解」 なものも現に存在するのである。さらには、
そういう記事に当事者として掲載された人は、真実がたとえどうであれ、ある種の (好まし
くない) イメージが世間に植えつけられてしまう可能性が大きいのである。
「マスコミの報道にはそのような側面も大きい」 ということと、その報道に接する側もその
点を考慮した 「能動的な情報収集にいそしまなくてはならない」 ということを今回の件の
結論としたい。
飼い主にとっては 「不可解」 で
あっても、当人 (当犬) にはれっき
とした理由がある行動をとる!?
こじろう
2010年09月11日
極めて 『不可解』 ???(その1)
れっきとした新聞記事とはいえ、よく目を通して見ても 「何が何だかよくわからない」
ものはあるものだが、10日の某地方紙朝刊にその典型のような 「不可解なもの」 が
あった。
そのタイトルは 「盗みの疑いで逮捕 県職員を起訴猶予 M区検」 というもので、その
内容は、
・・・・・M区検は9日までに、M市内の公園入り口付近で、友人と話していた女子高校生
が数メートル離れた路上に置いた財布を盗んだとして、M署が盗みの疑いで逮捕、
送検した県畜産試験場の男性職員 (47才) を起訴猶予処分とした。
M区検は 「起訴するほど悪質ではない。被害品は返され、本人も反省している」
と説明。財布が置かれた道路と女子高校生のいた場所の間に垣根があり、客観
的に女子高校生の持ち物と分かる状況でなかった点も考慮したとしている。
職員の処分について、同試験場は県人事課が検討中とし、「本人に落ち度があっ
たかどうかを含め調査している」 としている・・・・・・
というものである。
まず第一の疑問。この女子高生、自宅などの屋内でなく公園という不特定多数の人が
出入りするようなところで、「数メートルも離れた路上、しかも垣根を隔てたところに、わざ
わざ財布を置いていた」 という理由がどうもよくわからない。「落とした」 という表現な
らまだかるが、その場合はいくらなんでもこの職員が即 「盗んだ」 ということにはつな
がらないだろう。こういうことは想定したくないが、「落とした」 のではないとしたら、財布
を路上のその場所に 『わざわざ』 置いておき、誰がそれを持ち去ろうとするのか 「観
察でもしていたのではないか」 と思えるほど “不自然” な状況である。
次に、M区検の説明とN県 (人事課) の見解が、“異次元的に” 食い違っているとい
ることである。まずM区検は 「起訴するほど 『悪質ではない』。被害品は返され、本人
も 『反省』 している」 としているが、これは少なくともM区検、県職員双方にとって、
「『盗んだ』 という事実については “共通の認識である”」 ことを示しているとしか解釈
できないだろう。対するN県人事課側は 「本人に 『落ち度があったかどうか』 を含め
調査している」 ということで、こちらは県職員が 「『盗んだ』 という事実」 をまだ認め
ていないということになるのだ。「悪質性」 うんぬんをいう前に、最も大事なことは県職
員が 「(故意に) 財布を持ち去ろうとしたのかどうか」 という事実の確認と認定では
ないのか。
以下、この事件に関して (この記事の内容だけから) 推測されるさまざまな方面への
影響などについては、「こじろう117」・・・極めて 『不可解』???(その2)・・・で検討
したいと思う。
イタズラをすることはあっても、そこに
「悪質性」 はないと主張したい!?
こじろう
ものはあるものだが、10日の某地方紙朝刊にその典型のような 「不可解なもの」 が
あった。
そのタイトルは 「盗みの疑いで逮捕 県職員を起訴猶予 M区検」 というもので、その
内容は、
・・・・・M区検は9日までに、M市内の公園入り口付近で、友人と話していた女子高校生
が数メートル離れた路上に置いた財布を盗んだとして、M署が盗みの疑いで逮捕、
送検した県畜産試験場の男性職員 (47才) を起訴猶予処分とした。
M区検は 「起訴するほど悪質ではない。被害品は返され、本人も反省している」
と説明。財布が置かれた道路と女子高校生のいた場所の間に垣根があり、客観
的に女子高校生の持ち物と分かる状況でなかった点も考慮したとしている。
職員の処分について、同試験場は県人事課が検討中とし、「本人に落ち度があっ
たかどうかを含め調査している」 としている・・・・・・
というものである。
まず第一の疑問。この女子高生、自宅などの屋内でなく公園という不特定多数の人が
出入りするようなところで、「数メートルも離れた路上、しかも垣根を隔てたところに、わざ
わざ財布を置いていた」 という理由がどうもよくわからない。「落とした」 という表現な
らまだかるが、その場合はいくらなんでもこの職員が即 「盗んだ」 ということにはつな
がらないだろう。こういうことは想定したくないが、「落とした」 のではないとしたら、財布
を路上のその場所に 『わざわざ』 置いておき、誰がそれを持ち去ろうとするのか 「観
察でもしていたのではないか」 と思えるほど “不自然” な状況である。
次に、M区検の説明とN県 (人事課) の見解が、“異次元的に” 食い違っているとい
ることである。まずM区検は 「起訴するほど 『悪質ではない』。被害品は返され、本人
も 『反省』 している」 としているが、これは少なくともM区検、県職員双方にとって、
「『盗んだ』 という事実については “共通の認識である”」 ことを示しているとしか解釈
できないだろう。対するN県人事課側は 「本人に 『落ち度があったかどうか』 を含め
調査している」 ということで、こちらは県職員が 「『盗んだ』 という事実」 をまだ認め
ていないということになるのだ。「悪質性」 うんぬんをいう前に、最も大事なことは県職
員が 「(故意に) 財布を持ち去ろうとしたのかどうか」 という事実の確認と認定では
ないのか。
以下、この事件に関して (この記事の内容だけから) 推測されるさまざまな方面への
影響などについては、「こじろう117」・・・極めて 『不可解』???(その2)・・・で検討
したいと思う。
イタズラをすることはあっても、そこに
「悪質性」 はないと主張したい!?
こじろう
2010年09月10日
『逆恨み』 対策は万全か???(その2)
「こじろう117」・・・『逆恨み』 対策は万全か???(その1)・・・の続きである。
「振り込め詐欺 犯」 を捕らえるための 「だまされたふり作戦」 が、N県警として初めて
成功したとの報道。当局としてはたしかにうれしい成果であろうが、はたしてその “作戦”
(の成功) により、一般人の協力者が背負うことになる 「後々のリスク」 をどれだけ想
定・認識し、さらには万全の対策がとられるのかについて、個人的にはどうしても大きな懸
念を拭い去ることができない。
今回の容疑者らがこのまま起訴され有罪となり服役するとしても、特別の余罪などがない
かぎり、おそらく数年で出所してくることになるか、執行猶予となる可能性すら考えられる。
その際、こういう 「社会の常識が一切通じないような連中」 としては今回のことを反省す
るどころかまずは 「こういう目に遭った」 こと、つまり 「 『だまされたふり作戦』 に、まん
まとはまってしまった」 ことに対して、「よくも俺たちをはめやがったな」 と、「逆恨み」 す
ることを十分に考慮しなければならないだろう。まことに身勝手でメチャクチャな話であるが、
「他人をだまそうと思うような連中だからこそ、自分がだまされるのに耐えられない」 と考え
るべきなのである。それもただ単に情報提供をした程度の協力者ではなく、今回のような
ケースでは、犯人に 「顔も名前も自宅の場所すら」 知られているのである。
捜査当局は仕事としてプロとして事件に対応するものだから平気だとしても、たとえばそうい
う理不尽な報復行為に対し、一般市民は対抗する術を持ち合わせていないのが普通である。
それは事件の直後か、あるいは数年後の事件が忘れ去られる頃になるか検討がつかないが、
後にその「作戦」 の協力者、あるいはその人の家族など身近な人に、何らかの危害が及ぶと
したらそれはいろいろな意味で大変な事態である。今もし、自分自身が今回の協力者と同じ
立場で当局に 「ぜひ 『作戦』 に協力してほしい」 と頼まれたとしても、正直なところ自分
としては無条件に 「はい、わかりました。協力しましょう」 と言いきれる自信はとても持ち合
わせていない。
捜査当局としては当然、「協力者の安全はわれわれが責任をもって守ります」 というだろうが、
まさか皇族や閣僚のように、四六時中警護してくれることはありえないのだ。協力させるだけさ
せておいていざ何か起きた時に 「お気の毒さまでした」 と頭を下げられても、そうなってから
では 「取り戻せないもの」 はたくさん存在するのである。
一般市民として治安維持や犯罪防止に 「協力する」 のは当然であるし、ある意味 「義務
である」 ともいえるだろう。しかし、自分自身だけならともかく、家族など身近で大切な人たち
を 「逆恨み」 や 「報復」 の対象にされてしまうリスクまで背負わされるのでは、それこそ、
本末転倒ではないだろうか。万全の 「逆恨み対策」 なくして、このような 「作戦」 が実行
されるのは危険極まりないことである。
飼い主に叱られた後、「逆恨み」 と
思われるようなイタズラをしては
抵抗することのある!? こじろう
「振り込め詐欺 犯」 を捕らえるための 「だまされたふり作戦」 が、N県警として初めて
成功したとの報道。当局としてはたしかにうれしい成果であろうが、はたしてその “作戦”
(の成功) により、一般人の協力者が背負うことになる 「後々のリスク」 をどれだけ想
定・認識し、さらには万全の対策がとられるのかについて、個人的にはどうしても大きな懸
念を拭い去ることができない。
今回の容疑者らがこのまま起訴され有罪となり服役するとしても、特別の余罪などがない
かぎり、おそらく数年で出所してくることになるか、執行猶予となる可能性すら考えられる。
その際、こういう 「社会の常識が一切通じないような連中」 としては今回のことを反省す
るどころかまずは 「こういう目に遭った」 こと、つまり 「 『だまされたふり作戦』 に、まん
まとはまってしまった」 ことに対して、「よくも俺たちをはめやがったな」 と、「逆恨み」 す
ることを十分に考慮しなければならないだろう。まことに身勝手でメチャクチャな話であるが、
「他人をだまそうと思うような連中だからこそ、自分がだまされるのに耐えられない」 と考え
るべきなのである。それもただ単に情報提供をした程度の協力者ではなく、今回のような
ケースでは、犯人に 「顔も名前も自宅の場所すら」 知られているのである。
捜査当局は仕事としてプロとして事件に対応するものだから平気だとしても、たとえばそうい
う理不尽な報復行為に対し、一般市民は対抗する術を持ち合わせていないのが普通である。
それは事件の直後か、あるいは数年後の事件が忘れ去られる頃になるか検討がつかないが、
後にその「作戦」 の協力者、あるいはその人の家族など身近な人に、何らかの危害が及ぶと
したらそれはいろいろな意味で大変な事態である。今もし、自分自身が今回の協力者と同じ
立場で当局に 「ぜひ 『作戦』 に協力してほしい」 と頼まれたとしても、正直なところ自分
としては無条件に 「はい、わかりました。協力しましょう」 と言いきれる自信はとても持ち合
わせていない。
捜査当局としては当然、「協力者の安全はわれわれが責任をもって守ります」 というだろうが、
まさか皇族や閣僚のように、四六時中警護してくれることはありえないのだ。協力させるだけさ
せておいていざ何か起きた時に 「お気の毒さまでした」 と頭を下げられても、そうなってから
では 「取り戻せないもの」 はたくさん存在するのである。
一般市民として治安維持や犯罪防止に 「協力する」 のは当然であるし、ある意味 「義務
である」 ともいえるだろう。しかし、自分自身だけならともかく、家族など身近で大切な人たち
を 「逆恨み」 や 「報復」 の対象にされてしまうリスクまで背負わされるのでは、それこそ、
本末転倒ではないだろうか。万全の 「逆恨み対策」 なくして、このような 「作戦」 が実行
されるのは危険極まりないことである。
飼い主に叱られた後、「逆恨み」 と
思われるようなイタズラをしては
抵抗することのある!? こじろう
2010年09月09日
『逆恨み』 対策は万全か???(その1)
次から次へと新しい手口が出現し、相変わらず話題の絶えない、いわゆる 「振り込め詐欺」
であるが、それに関して7日の某紙夕刊に注目すべき記事を見つけた。
そのタイトルは 「だまされたふり作戦 詐欺未遂容疑で逮捕・・・S署、一般男性と男2人を
おびきだす」 というもので、その内容は
・・・・・S署と県警振り込め詐欺対策室は6日から7日未明、警察官をかたってS市の80代
男性宅に電話し、現金をだましとろうとしたとして、詐欺未遂の疑いで54才と44才
の男2人を逮捕した。電話を不審に思った男性が同署に相談し、警察の 「だまされ
たふり作戦」 に協力。男性宅に来たところを待ち構えていた同署員が逮捕した。
同室によると、「作戦」 での摘発は昨年3月に同室が発足して以来初という。
同署によると、男性宅に警視庁の警察官を名乗る男から電話があったのは6日午前
11時ごろ。「口座が犯罪に使われている。事件に関与していないと証明するため、
お金をおろしておいて」 との内容だったため、男性は同署に連絡。その後、同署な
どの助言を受けながら、男からの指示に従うふりをして 「300万円ほど用意した」
「自宅で渡す」 などと答えていたところ、午後になって容疑者の一人が男性宅に現
れ、もう一人は男性宅近くの車の中にいた。
同室によると一人は容疑を認め、もう一人は 「いただけだ」 と否認している・・・・・
というものである。
この手の詐欺などについては、目の前に犯人がいるものと異なり、捜査当局としても手をこま
ねく場合が多かったり、また特に未遂の場合は証拠不十分で立件しにくいものもあると聞いて
いる。したがってこの 「だまされたふり作戦」 のようなものが、今後 「振り込め詐欺」 の
摘発や防止に功を奏する可能性はそれなりに高いといえるだろう。
しかしこの “作戦”。名称はなかなかカッコいいものであるしその実効性も高そうとはいえ、
それには 「重大なリスクを背負うのでは」 という懸念を個人的に払拭することができない
のである。
捜査当局はその道のプロであり、そういう感覚など有していないのが当然だろうが、一般
市民にとっては、こういうことに手を染める連中というのは少なくとも 「身近な存在」 では
ありえない。「近くに来てほしくない」 「顔を合わせたくない」 「かかわり合いになりたく
ない」 というのが本音であろう。なにしろ世間の常識や良識が通用しないどころか、何の
ためらいもなく平然と法を犯し、他人を不幸にすることで自らの利益をむさぼろうとする最
低の輩たちなのである。
今回のような 「だまされたふり作戦」 を使って、逆に連中を 「だました」 (本来はこうい
うことを 「だました」 とは言わないが) ことがわかった時点で、「彼らの 『逆恨み』 や
『報復』 の対象にならないという保証があるのであろうか」 ということである。ことに今回
逮捕の舞台になったのは、なんと 「協力者の自宅そのもの」 なのである。
以下、このようなケースで考えられるリスクについては 「こじろう117」・・・『逆恨み』 対策
は万全か???(その2)・・・ で触れることにしたい。
都合の悪い時、たまに 「知らないふり作戦」
をとって飼い主を困らせる!? こじろう
であるが、それに関して7日の某紙夕刊に注目すべき記事を見つけた。
そのタイトルは 「だまされたふり作戦 詐欺未遂容疑で逮捕・・・S署、一般男性と男2人を
おびきだす」 というもので、その内容は
・・・・・S署と県警振り込め詐欺対策室は6日から7日未明、警察官をかたってS市の80代
男性宅に電話し、現金をだましとろうとしたとして、詐欺未遂の疑いで54才と44才
の男2人を逮捕した。電話を不審に思った男性が同署に相談し、警察の 「だまされ
たふり作戦」 に協力。男性宅に来たところを待ち構えていた同署員が逮捕した。
同室によると、「作戦」 での摘発は昨年3月に同室が発足して以来初という。
同署によると、男性宅に警視庁の警察官を名乗る男から電話があったのは6日午前
11時ごろ。「口座が犯罪に使われている。事件に関与していないと証明するため、
お金をおろしておいて」 との内容だったため、男性は同署に連絡。その後、同署な
どの助言を受けながら、男からの指示に従うふりをして 「300万円ほど用意した」
「自宅で渡す」 などと答えていたところ、午後になって容疑者の一人が男性宅に現
れ、もう一人は男性宅近くの車の中にいた。
同室によると一人は容疑を認め、もう一人は 「いただけだ」 と否認している・・・・・
というものである。
この手の詐欺などについては、目の前に犯人がいるものと異なり、捜査当局としても手をこま
ねく場合が多かったり、また特に未遂の場合は証拠不十分で立件しにくいものもあると聞いて
いる。したがってこの 「だまされたふり作戦」 のようなものが、今後 「振り込め詐欺」 の
摘発や防止に功を奏する可能性はそれなりに高いといえるだろう。
しかしこの “作戦”。名称はなかなかカッコいいものであるしその実効性も高そうとはいえ、
それには 「重大なリスクを背負うのでは」 という懸念を個人的に払拭することができない
のである。
捜査当局はその道のプロであり、そういう感覚など有していないのが当然だろうが、一般
市民にとっては、こういうことに手を染める連中というのは少なくとも 「身近な存在」 では
ありえない。「近くに来てほしくない」 「顔を合わせたくない」 「かかわり合いになりたく
ない」 というのが本音であろう。なにしろ世間の常識や良識が通用しないどころか、何の
ためらいもなく平然と法を犯し、他人を不幸にすることで自らの利益をむさぼろうとする最
低の輩たちなのである。
今回のような 「だまされたふり作戦」 を使って、逆に連中を 「だました」 (本来はこうい
うことを 「だました」 とは言わないが) ことがわかった時点で、「彼らの 『逆恨み』 や
『報復』 の対象にならないという保証があるのであろうか」 ということである。ことに今回
逮捕の舞台になったのは、なんと 「協力者の自宅そのもの」 なのである。
以下、このようなケースで考えられるリスクについては 「こじろう117」・・・『逆恨み』 対策
は万全か???(その2)・・・ で触れることにしたい。
都合の悪い時、たまに 「知らないふり作戦」
をとって飼い主を困らせる!? こじろう
2010年09月08日
『スマートに』 かわせるか!!!(その2)
「こじろう117」・・・『スマートに』 かわせるか!!!(その1)・・・の続きである。
相手から突然、思いがけないようなひと言が発せられた際、「何と失礼な」 とまではいか
ないまでも、その一言が 「その場にふさわしくない」 「その場の雰囲気が一瞬にして壊
れてしまう」 可能性を考えなくてはならない場合は日常、それなりにあるだろう。
そのようなとき、 たとえば業務中の上司と部下の関係、家庭での親子の関係などの場合、
教育の必要上から時機を逸しないようすぐに注意したり窘めたりせざるをえないこともあり
うる。しかしその必要がないような場合は、その一言にまともに反応し、ムキになって反論
を加えたりすれば、のちに自分自身が虚しさに襲われたり、自己嫌悪に陥ってしまうことが
せいぜいだろう。冷静になれば、その相手方の人物と比較した自分が 「同じかそれ以下の
社会人レベル」 だと気づいてしまうからである。
だが、かといってそのようなときに 「沈黙するわけにもいかない」 のも普通であるとしたら、
そこでいかに 「『スマート』 にかわすことができるか」 が最も重要なこととなる、言いかえ
ればその際にこそ 「社会人としての本物の実力」 が試されることになるのである。
それではその 「スマートさ」 とは何かと言えば、相手にそのひと言が不用意で失礼であ
ることをできる限り 「自ら気づかせる」 それも 「できるだけ簡潔で効果的な方法 (こと
ば) を用いることによって」 である。
若い時分 (30才くらいまで) は、相手の話を “ストレートに” 受け止めがちであるだ
けでなく、それに対して “ストレートに” 反応してしまう、つまりそこにつまらぬ表面的な
「いさかい」 や 「あつれき」 が生ずる可能性も高い。でもそれもある意味では 「若さ
の特権である」 という解釈もあり、ある程度までは容認されるといってもいいだろう。
しかし、それなりの年齢を重ねてきた人間が同じようなことをしてしまえば、(口や表情に
は出なくても) それはいわば嘲笑の対象にすらなってもおかしくない。たとえば 「いい歳
して大人げないねえ」 というものである。さらにそこに 「品性の無さ」 などが加わって
しまえばもってのほかで、もはや救いようがないだろう。
自分自身がそうならないよう常に意識した行動をとることを前提に、男女を問わずもしそう
いう中高年を見かけたり、また現実に立腹することがあったら、「その歳にもなって、未だ
そんな程度の社会的レベルとは “哀れ” なものだ。これまでにも、さらにこれから先に
もこの人はそれなりの “社会的制裁” を受けることになるのは必至だろう。かわいそう
な人だ」 と思ってやり過ごすのが、これまた 「スマートなその場のかわし方」 というも
のかもしれない。
散歩の途中でやたらと威嚇してくる犬
に出会うたびに 「品性のない、かわい
そうな犬だなあ」 と、大人の対応を
心がけている!? こじろう
相手から突然、思いがけないようなひと言が発せられた際、「何と失礼な」 とまではいか
ないまでも、その一言が 「その場にふさわしくない」 「その場の雰囲気が一瞬にして壊
れてしまう」 可能性を考えなくてはならない場合は日常、それなりにあるだろう。
そのようなとき、 たとえば業務中の上司と部下の関係、家庭での親子の関係などの場合、
教育の必要上から時機を逸しないようすぐに注意したり窘めたりせざるをえないこともあり
うる。しかしその必要がないような場合は、その一言にまともに反応し、ムキになって反論
を加えたりすれば、のちに自分自身が虚しさに襲われたり、自己嫌悪に陥ってしまうことが
せいぜいだろう。冷静になれば、その相手方の人物と比較した自分が 「同じかそれ以下の
社会人レベル」 だと気づいてしまうからである。
だが、かといってそのようなときに 「沈黙するわけにもいかない」 のも普通であるとしたら、
そこでいかに 「『スマート』 にかわすことができるか」 が最も重要なこととなる、言いかえ
ればその際にこそ 「社会人としての本物の実力」 が試されることになるのである。
それではその 「スマートさ」 とは何かと言えば、相手にそのひと言が不用意で失礼であ
ることをできる限り 「自ら気づかせる」 それも 「できるだけ簡潔で効果的な方法 (こと
ば) を用いることによって」 である。
若い時分 (30才くらいまで) は、相手の話を “ストレートに” 受け止めがちであるだ
けでなく、それに対して “ストレートに” 反応してしまう、つまりそこにつまらぬ表面的な
「いさかい」 や 「あつれき」 が生ずる可能性も高い。でもそれもある意味では 「若さ
の特権である」 という解釈もあり、ある程度までは容認されるといってもいいだろう。
しかし、それなりの年齢を重ねてきた人間が同じようなことをしてしまえば、(口や表情に
は出なくても) それはいわば嘲笑の対象にすらなってもおかしくない。たとえば 「いい歳
して大人げないねえ」 というものである。さらにそこに 「品性の無さ」 などが加わって
しまえばもってのほかで、もはや救いようがないだろう。
自分自身がそうならないよう常に意識した行動をとることを前提に、男女を問わずもしそう
いう中高年を見かけたり、また現実に立腹することがあったら、「その歳にもなって、未だ
そんな程度の社会的レベルとは “哀れ” なものだ。これまでにも、さらにこれから先に
もこの人はそれなりの “社会的制裁” を受けることになるのは必至だろう。かわいそう
な人だ」 と思ってやり過ごすのが、これまた 「スマートなその場のかわし方」 というも
のかもしれない。
散歩の途中でやたらと威嚇してくる犬
に出会うたびに 「品性のない、かわい
そうな犬だなあ」 と、大人の対応を
心がけている!? こじろう
2010年09月07日
『スマートに』 かわせるか!!!(その1)
先日、自宅で観ていた某TVドラマの一場面でのこと。
その中に出てくる、ある企業の上司 (課長) が、一人の部下をプライベートで自宅に
招き、夫人の手料理をふるまいながら談笑しているところで、その問題のシーンが登場
した。
すでにだいぶアルコールが入ってきているなかの会話で、その部下の方から、「それに
しても課長の奥さんの料理、本当においしいですよね。どこで身につけたんですか。私
も課長のように 『料理だけは上手な』 女性を早く見つけて結婚したいものですよ」 と
いう一言が発せられ、一瞬その上司の表情が曇ったように見えたのだ。作りもののドラマ
のワンシーンにすぎないとはいえ、自分自身もあたかもその場にいるように錯覚してしま
い、思わず下を向いてしまうような 「気まずさ」 を経験することになった。
それはだいぶ酔いが回ってきている中のひと言でもあるし、また 「『料理だけは上手な』
女性」 というのも、おそらくその上司の夫人そのものを指しているわけではないと思われ
るが、そういうことをいわれる方の立場としては、普通に考えて 「ただおだやかに聞き流
す」 というわけにはいかないものだろう。
それまではそれほど真剣に観ていたわけではないのに、そのシーンが出てきた瞬間から
その後の展開、つまり 「その上司がその一言にどういう反応を示すか」 に、俄然興味
が湧いてくるも、結局その上司、即ニコニコ顔に戻り、夫人も気を悪くせず、かつ不用意
な (言った当人はそう思っていないだろうが) 発言をした部下も後に気まずいことにな
らないような、極めて 「スマート」 な受け答えをしたのである。ここまで話しておきな
がら、具体的に 「どういうことばを遣ったか」 という、“最も肝心な部分” が思い出せ
ない自分が、もどかしいやら情けないやらではあるが、いずれにせよこの上司、(部下
には見抜けなかったハズの) 最初の一瞬の表情の曇りを除いては、立腹したり困惑し
たりする様子は一切見せず、ドラマの中とはいえ、その場の和やかな雰囲気にまったく
悪影響を及ぼさない見事な対応ぶり、かわし方を見せたことは確かであった。
われわれの日常生活の中でも、「発した本人が意図しているしていないにかかわらず」
その場の雰囲気を一瞬にして壊してしまう、あるいは相手を困惑させたり立腹させて
しまう一言というものはそれほど珍しくないだろう。そのようなときにどのような態度や
姿勢で臨むべきかということについては 「こじろう117」・・・『スマートに』 かわせ
るか!!!(その2)・・・で、この続きとして触れることにしたい。
目の前に現れる障害物を、うまくかわし
ながら進むことに自信のある!?
こじろう
その中に出てくる、ある企業の上司 (課長) が、一人の部下をプライベートで自宅に
招き、夫人の手料理をふるまいながら談笑しているところで、その問題のシーンが登場
した。
すでにだいぶアルコールが入ってきているなかの会話で、その部下の方から、「それに
しても課長の奥さんの料理、本当においしいですよね。どこで身につけたんですか。私
も課長のように 『料理だけは上手な』 女性を早く見つけて結婚したいものですよ」 と
いう一言が発せられ、一瞬その上司の表情が曇ったように見えたのだ。作りもののドラマ
のワンシーンにすぎないとはいえ、自分自身もあたかもその場にいるように錯覚してしま
い、思わず下を向いてしまうような 「気まずさ」 を経験することになった。
それはだいぶ酔いが回ってきている中のひと言でもあるし、また 「『料理だけは上手な』
女性」 というのも、おそらくその上司の夫人そのものを指しているわけではないと思われ
るが、そういうことをいわれる方の立場としては、普通に考えて 「ただおだやかに聞き流
す」 というわけにはいかないものだろう。
それまではそれほど真剣に観ていたわけではないのに、そのシーンが出てきた瞬間から
その後の展開、つまり 「その上司がその一言にどういう反応を示すか」 に、俄然興味
が湧いてくるも、結局その上司、即ニコニコ顔に戻り、夫人も気を悪くせず、かつ不用意
な (言った当人はそう思っていないだろうが) 発言をした部下も後に気まずいことにな
らないような、極めて 「スマート」 な受け答えをしたのである。ここまで話しておきな
がら、具体的に 「どういうことばを遣ったか」 という、“最も肝心な部分” が思い出せ
ない自分が、もどかしいやら情けないやらではあるが、いずれにせよこの上司、(部下
には見抜けなかったハズの) 最初の一瞬の表情の曇りを除いては、立腹したり困惑し
たりする様子は一切見せず、ドラマの中とはいえ、その場の和やかな雰囲気にまったく
悪影響を及ぼさない見事な対応ぶり、かわし方を見せたことは確かであった。
われわれの日常生活の中でも、「発した本人が意図しているしていないにかかわらず」
その場の雰囲気を一瞬にして壊してしまう、あるいは相手を困惑させたり立腹させて
しまう一言というものはそれほど珍しくないだろう。そのようなときにどのような態度や
姿勢で臨むべきかということについては 「こじろう117」・・・『スマートに』 かわせ
るか!!!(その2)・・・で、この続きとして触れることにしたい。
目の前に現れる障害物を、うまくかわし
ながら進むことに自信のある!?
こじろう
2010年09月06日
『権利』 の勉強も大切だが!!!
その動機はどうであれ、学生時代にアルバイトなどを経験することはさまざまな観点か
ら有益であろうことに個人的には疑いをもっていない。昨今は特に高校生のアルバイト
ですら 「自分で自由に使えるお金 (おこづかい) は自分で稼ぐ」 ということ以上に、
「家計を助ける」 さらには 「家計を支えなくてはならない」 などの理由も多いようなこ
とを耳にすれば、 “有益” どころの話ではなく、その “必要” がますます高まってい
るといえよう。
そんななか、千葉県の某高校の生徒会顧問の教諭 (56才) が、総合学習の時間に
生徒たちのアルバイト体験を通じた 「働くルール」 と称する授業を行なっているという
ことを5日の全国紙A新聞の記事で目にした。
そのタイトルは 「バイトの悩み 学校お助け・・・・・総合学習で 『権利』 教える」 と
いうものである。
同教諭の授業では、「アルバイトでも半年以上同じ職場で働いている場合、有給休暇も
とれる」 など、高校生アルバイトの労働条件に関し 「働くルールを知っていれば、間違
っていると声を上げたり、誰かに相談したりできる。泣き寝入りしないために高校時代に
学んでほしい」 と指導している。また他の学校でも使えるように、クイズ形式で労働法
を学ぶ本 「絶対トクする!学生バイト術」 という本を、同教諭自身で昨春上梓したと
いう。
また神奈川県の高校では45歳の教諭がやはり、1年生の総合学習の時間に 「卒業して
からではなく今、労働法を学び、自分のものにしなくてはいけない」 としてバイト先のト
ラブルを題材にしたクイズを出しているという。「朝礼や後片付けは労働時間に含まれな
い」 とか 「店の品物を壊しても弁償する必要はない (賃金から差し引かれない) 」
などの内容である。
アルバイトといっても今は社会人が従事している場合も多い中、特に高校生の場合など
は労働法に関する知識などが薄弱であると思われることを逆手にとって、理不尽な労働
条件で雇おうとする心ない経営者はそれなりに存在するだろうし、記事にもあるように、早
くから労働者としての正当な権利を学ぶこと自体は決してマイナスとはいえないだろう。
しかしそれはそれとしても、個人的にはその前提となる重要なものをどうしても無視する
ことはできない。それは権利を主張し正当な報酬を得るためには 「まずは誠実にしっ
かりと職責を果たす」 ということである。たとえば、働く先でその報酬を得る立場として
「店の “商品” はもちろんのこと、“什器や備品” を傷つけない」 というのは最低限
の注意義務である。たとえ法律的にそれを弁償する義務がないにせよ、それは万が一
そうしてしまったときに 「それが結果としてわかる」 ということでも高校生の場合には
十分ではなかろうか。最初から 「損傷などしても弁償する必要はない」 などというこ
とばかりを認識させれば、それだけ 「業務を甘く見てしまう」 つまり、「誠実に誠意
を込めて働くことの尊さを多少なりとも軽んじてしまう可能性が生じてしまうのでは」 と
いう懸念を捨てきれないということである。
冒頭で述べた、学生時代、特に高校生のときのアルバイトが “有益” であるというの
は、それがたとえ 「おこづかい」 のためであっても、「自分自身が責任をもってそれ
なりの苦労をしたことに対して初めて、その対価としての “報酬” が得られるという
こと早いうちからを学べる」 という部分が大きいのである。アルバイトとはいえ、労働
者である以上、その 「権利」 を学び主張する姿勢も大切であるが、高校生という立場
である以上は社会人と異なり、まだ人格の形成途上にあることも含め単なる損得だけ
では片付けられないものが存在するのである。それを大人の、しかも直接の教育者の
側から 「絶対トクする!バイト術」 などという形で、「泣き寝入りをしないための方策」
みたいなものだけをピックアップして伝授しようとするのは、いささか順序が違うような
気がするのだが、いかがなものであろうか。
飼い犬としての権利を主張する前提
として、「義務も果たさなくては」
と日夜考えている!? こじろう
ら有益であろうことに個人的には疑いをもっていない。昨今は特に高校生のアルバイト
ですら 「自分で自由に使えるお金 (おこづかい) は自分で稼ぐ」 ということ以上に、
「家計を助ける」 さらには 「家計を支えなくてはならない」 などの理由も多いようなこ
とを耳にすれば、 “有益” どころの話ではなく、その “必要” がますます高まってい
るといえよう。
そんななか、千葉県の某高校の生徒会顧問の教諭 (56才) が、総合学習の時間に
生徒たちのアルバイト体験を通じた 「働くルール」 と称する授業を行なっているという
ことを5日の全国紙A新聞の記事で目にした。
そのタイトルは 「バイトの悩み 学校お助け・・・・・総合学習で 『権利』 教える」 と
いうものである。
同教諭の授業では、「アルバイトでも半年以上同じ職場で働いている場合、有給休暇も
とれる」 など、高校生アルバイトの労働条件に関し 「働くルールを知っていれば、間違
っていると声を上げたり、誰かに相談したりできる。泣き寝入りしないために高校時代に
学んでほしい」 と指導している。また他の学校でも使えるように、クイズ形式で労働法
を学ぶ本 「絶対トクする!学生バイト術」 という本を、同教諭自身で昨春上梓したと
いう。
また神奈川県の高校では45歳の教諭がやはり、1年生の総合学習の時間に 「卒業して
からではなく今、労働法を学び、自分のものにしなくてはいけない」 としてバイト先のト
ラブルを題材にしたクイズを出しているという。「朝礼や後片付けは労働時間に含まれな
い」 とか 「店の品物を壊しても弁償する必要はない (賃金から差し引かれない) 」
などの内容である。
アルバイトといっても今は社会人が従事している場合も多い中、特に高校生の場合など
は労働法に関する知識などが薄弱であると思われることを逆手にとって、理不尽な労働
条件で雇おうとする心ない経営者はそれなりに存在するだろうし、記事にもあるように、早
くから労働者としての正当な権利を学ぶこと自体は決してマイナスとはいえないだろう。
しかしそれはそれとしても、個人的にはその前提となる重要なものをどうしても無視する
ことはできない。それは権利を主張し正当な報酬を得るためには 「まずは誠実にしっ
かりと職責を果たす」 ということである。たとえば、働く先でその報酬を得る立場として
「店の “商品” はもちろんのこと、“什器や備品” を傷つけない」 というのは最低限
の注意義務である。たとえ法律的にそれを弁償する義務がないにせよ、それは万が一
そうしてしまったときに 「それが結果としてわかる」 ということでも高校生の場合には
十分ではなかろうか。最初から 「損傷などしても弁償する必要はない」 などというこ
とばかりを認識させれば、それだけ 「業務を甘く見てしまう」 つまり、「誠実に誠意
を込めて働くことの尊さを多少なりとも軽んじてしまう可能性が生じてしまうのでは」 と
いう懸念を捨てきれないということである。
冒頭で述べた、学生時代、特に高校生のときのアルバイトが “有益” であるというの
は、それがたとえ 「おこづかい」 のためであっても、「自分自身が責任をもってそれ
なりの苦労をしたことに対して初めて、その対価としての “報酬” が得られるという
こと早いうちからを学べる」 という部分が大きいのである。アルバイトとはいえ、労働
者である以上、その 「権利」 を学び主張する姿勢も大切であるが、高校生という立場
である以上は社会人と異なり、まだ人格の形成途上にあることも含め単なる損得だけ
では片付けられないものが存在するのである。それを大人の、しかも直接の教育者の
側から 「絶対トクする!バイト術」 などという形で、「泣き寝入りをしないための方策」
みたいなものだけをピックアップして伝授しようとするのは、いささか順序が違うような
気がするのだが、いかがなものであろうか。
飼い犬としての権利を主張する前提
として、「義務も果たさなくては」
と日夜考えている!? こじろう
2010年09月05日
『陰湿・悪質・卑劣』!!!(その2)
「こじろう117」・・・『陰湿・悪質・卑劣』!!!(その1)・・・の続きである。
(その1) では、ここ一週間ほどの間に栃木県、東京都で起きた2つの 「商品 (食料
品) への危険物混入事件」 の報道を紹介したが、今回はそれらに潜む “陰湿” “悪質”
“卑劣” さ、などにつき具体的に触れてみたい。
まず第一にこれらの犯罪は、「犯人が見えない」 という共通点がある。この手の罪を犯す
連中は 「商品に危険物を仕込むその瞬間」 を除けば現場にその姿はなく、自分にとって
安全なところでいわば 「高みの見物」 を決め込んでいるのが一般的である。「人前で堂々
と犯罪行為に手を染める方がいい」 というわけでは決してないが、「自分の仕組んだ行為
により周囲が大騒ぎになり、関係者が右往左往しているのを眺めては、ほくそ笑んでいる」
という姿は “陰湿” 以外の何物でもない。
第二にこのような危険物 (特に今回は “縫い針” とか “カッターの刃” という、口にした
途端に即、大ケガにつながるようなもの) を、「どこの誰が口にするか」 ということが全くわ
からない、つまり 「何の罪もない善良な人々が被害に遭う可能性がある」 という意味での
“悪質” さである。犯行の動機にはよく “怨恨” があり、(当然だからといってその犯行が
許されるわけではないが) まだその場合はその目的や対象がはっきりしている分、被害を
未然に防ぐなどの手立てを講ずることもできる可能性がある。しかし、このような犯罪はその
被害者や犠牲者が、まさに全くその犯人と関係がなく、まさに老若男女を問わない不特定
多数の人々に及ぶことになりうる。ことに将来のある小さな子どもが口にして生命を落とす、
あるいはその後遺症に一生苦しむことになる、などということは “悲惨の極み” である。
第三に、この手の犯行、世間を騒がせたり震撼させたりしたいという単なる “愉快犯” 的
なものである可能性がある半面、先述のようにそのスーパーマーケットやコンビニチェーンに
「個人的な恨みなどを抱いてのものでは」 という疑いも消すことはできない。いずれもその
悪質性に差はないが、特に後者の場合にはその “卑劣さ” を無視することはできない。相
手がな強大な組織であったとしても、何か言いたいこと、訴えたいことがあればまずは堂々と
口頭や文書などを用いて意見を述べるとかが筋であるし、最終的には法的手段に訴えるとい
うこともできるのである。「相手をなるべくじわじわと追い詰めたい、困らせて窮地に陥らせた
い」 ということでこのような手法をとるということかもしれないが、いずれにしてもこういうやり
方は、「関係者以外の第三者をも大きな危険にさらす」 ということからして、かなり “卑劣”
な手段と断定せざるをえないのである。
(その1) の冒頭でも述べたように、「他人の生命や身体を危険にさらす」 という犯罪は
その手法を問わず許されるものではない。しかしそうはいっても、その “陰湿” “悪質”
“卑劣” の度合いに差があることも否定できない。ことに 「 (小さな子どもを含む) どこ
の誰がどういうふうに被害・犠牲に遭うかわからない」 ような危険を作りだし、しかもそれ
を 「コソコソと陰で見守り、楽しみほくそ笑んでいる」 などという行為はそれらすべての
要素において “最高” (最低?) に位置するものといえよう。そういうことを平然と行な
える連中は 「同じ人間として善良な市民と同じ社会の中で生きる資格のない存在」 と
すらいえるのである。
散歩の最中、「危険なものが落ちて
いないか」 とチェックに余念がな
い!? こじろう
(その1) では、ここ一週間ほどの間に栃木県、東京都で起きた2つの 「商品 (食料
品) への危険物混入事件」 の報道を紹介したが、今回はそれらに潜む “陰湿” “悪質”
“卑劣” さ、などにつき具体的に触れてみたい。
まず第一にこれらの犯罪は、「犯人が見えない」 という共通点がある。この手の罪を犯す
連中は 「商品に危険物を仕込むその瞬間」 を除けば現場にその姿はなく、自分にとって
安全なところでいわば 「高みの見物」 を決め込んでいるのが一般的である。「人前で堂々
と犯罪行為に手を染める方がいい」 というわけでは決してないが、「自分の仕組んだ行為
により周囲が大騒ぎになり、関係者が右往左往しているのを眺めては、ほくそ笑んでいる」
という姿は “陰湿” 以外の何物でもない。
第二にこのような危険物 (特に今回は “縫い針” とか “カッターの刃” という、口にした
途端に即、大ケガにつながるようなもの) を、「どこの誰が口にするか」 ということが全くわ
からない、つまり 「何の罪もない善良な人々が被害に遭う可能性がある」 という意味での
“悪質” さである。犯行の動機にはよく “怨恨” があり、(当然だからといってその犯行が
許されるわけではないが) まだその場合はその目的や対象がはっきりしている分、被害を
未然に防ぐなどの手立てを講ずることもできる可能性がある。しかし、このような犯罪はその
被害者や犠牲者が、まさに全くその犯人と関係がなく、まさに老若男女を問わない不特定
多数の人々に及ぶことになりうる。ことに将来のある小さな子どもが口にして生命を落とす、
あるいはその後遺症に一生苦しむことになる、などということは “悲惨の極み” である。
第三に、この手の犯行、世間を騒がせたり震撼させたりしたいという単なる “愉快犯” 的
なものである可能性がある半面、先述のようにそのスーパーマーケットやコンビニチェーンに
「個人的な恨みなどを抱いてのものでは」 という疑いも消すことはできない。いずれもその
悪質性に差はないが、特に後者の場合にはその “卑劣さ” を無視することはできない。相
手がな強大な組織であったとしても、何か言いたいこと、訴えたいことがあればまずは堂々と
口頭や文書などを用いて意見を述べるとかが筋であるし、最終的には法的手段に訴えるとい
うこともできるのである。「相手をなるべくじわじわと追い詰めたい、困らせて窮地に陥らせた
い」 ということでこのような手法をとるということかもしれないが、いずれにしてもこういうやり
方は、「関係者以外の第三者をも大きな危険にさらす」 ということからして、かなり “卑劣”
な手段と断定せざるをえないのである。
(その1) の冒頭でも述べたように、「他人の生命や身体を危険にさらす」 という犯罪は
その手法を問わず許されるものではない。しかしそうはいっても、その “陰湿” “悪質”
“卑劣” の度合いに差があることも否定できない。ことに 「 (小さな子どもを含む) どこ
の誰がどういうふうに被害・犠牲に遭うかわからない」 ような危険を作りだし、しかもそれ
を 「コソコソと陰で見守り、楽しみほくそ笑んでいる」 などという行為はそれらすべての
要素において “最高” (最低?) に位置するものといえよう。そういうことを平然と行な
える連中は 「同じ人間として善良な市民と同じ社会の中で生きる資格のない存在」 と
すらいえるのである。
散歩の最中、「危険なものが落ちて
いないか」 とチェックに余念がな
い!? こじろう
2010年09月04日
『陰湿・悪質・卑劣』 !!!(その1)
「他人の生命や身体を危険にさらすような犯罪」 はいずれも許されないものであるが、
特にその中でも “陰湿” “悪質” “卑劣” さが際立つ同種の事件についての報道を
ここ1週間ほどで2度も目にすることになった。
一つ目は先週配信された 「コロッケに縫い針 宇都宮市のスーパー」 というタイトル
のもので、
・・・・・・8月26日夕方、宇都宮市のスーパーYから 「商品のコロッケに縫い針が2本
刺さっていた」 と宇都宮東署に通報があった。同署は偽計業務妨害として
捜査している。同店では7月にも同じ総菜コーナーのコロッケから縫い針が
見つかっており、同署は同一犯の可能性もあるとみている。
同署、同店によると、同日午後買い物に訪れた親子連れが総菜コーナーに
陳列されたバラ売りのコロッケ2個に縫い針が刺さっているのを発見。2本
ともに長さは3.5センチで、1本はコロッケ側面に3センチ出ており、もう1本
は先がわずかに出ていた・・・・・・
という内容である。
さらにもう1件は 「コンビニ “L” おにぎり 何者かがカッターの刃」 というタイトル
のもので、
・・・・・・都内にある全国チェーンのコンビニ “L” で8月30日、男性が購入したおに
ぎりにカッターナイフの刃が混入しているのを見つけ、警視庁築地署に届け
出た。同署は威力業務妨害として捜査している。
同署幹部によると、男性は同日昼頃同店でおにぎりを購入、店外で開封し
たところ約1センチの刃がこぼれ落ちたという。男性にけがはなかった。
コンビニ “L” をめぐっては、3月都内4店舗でパン、菓子にカッターナイフ
の刃が混入され、同社本社に 「商品に毒物を混入する」 として現金3000
万円を要求する脅迫文が送られる事件が起きており、同庁で関連を調べて
いる・・・・・・・
という内容である。
この2件の事件に共通しているのは、いずれも食べ物の中に極めて危険なものが混入
されているということだが、先にも述べた、さらにこの手の犯罪に潜む “陰湿” “悪質”
“卑劣” さについての具体的検討は 「こじろう117」・・・・『陰湿・悪質・卑劣』!!!
(その2)・・・・で行うことにしたい。
年に数回、自分の食事の中にクスリを
混入されることを好まない!?
こじろう
特にその中でも “陰湿” “悪質” “卑劣” さが際立つ同種の事件についての報道を
ここ1週間ほどで2度も目にすることになった。
一つ目は先週配信された 「コロッケに縫い針 宇都宮市のスーパー」 というタイトル
のもので、
・・・・・・8月26日夕方、宇都宮市のスーパーYから 「商品のコロッケに縫い針が2本
刺さっていた」 と宇都宮東署に通報があった。同署は偽計業務妨害として
捜査している。同店では7月にも同じ総菜コーナーのコロッケから縫い針が
見つかっており、同署は同一犯の可能性もあるとみている。
同署、同店によると、同日午後買い物に訪れた親子連れが総菜コーナーに
陳列されたバラ売りのコロッケ2個に縫い針が刺さっているのを発見。2本
ともに長さは3.5センチで、1本はコロッケ側面に3センチ出ており、もう1本
は先がわずかに出ていた・・・・・・
という内容である。
さらにもう1件は 「コンビニ “L” おにぎり 何者かがカッターの刃」 というタイトル
のもので、
・・・・・・都内にある全国チェーンのコンビニ “L” で8月30日、男性が購入したおに
ぎりにカッターナイフの刃が混入しているのを見つけ、警視庁築地署に届け
出た。同署は威力業務妨害として捜査している。
同署幹部によると、男性は同日昼頃同店でおにぎりを購入、店外で開封し
たところ約1センチの刃がこぼれ落ちたという。男性にけがはなかった。
コンビニ “L” をめぐっては、3月都内4店舗でパン、菓子にカッターナイフ
の刃が混入され、同社本社に 「商品に毒物を混入する」 として現金3000
万円を要求する脅迫文が送られる事件が起きており、同庁で関連を調べて
いる・・・・・・・
という内容である。
この2件の事件に共通しているのは、いずれも食べ物の中に極めて危険なものが混入
されているということだが、先にも述べた、さらにこの手の犯罪に潜む “陰湿” “悪質”
“卑劣” さについての具体的検討は 「こじろう117」・・・・『陰湿・悪質・卑劣』!!!
(その2)・・・・で行うことにしたい。
年に数回、自分の食事の中にクスリを
混入されることを好まない!?
こじろう
2010年09月03日
『なぜ、事故にならない』 ???
9月に入って最初の 「 (個人的に) 驚愕のニュース」 が飛び込んできた。
それは北海道新聞配信のもので、「ペットの猫死んで・・・高速道路100キロ逆走
検問5か所突破 31才男逮捕」 というタイトルのものである。
その内容は、
・・・・・・ 1日午前5:45分頃、小樽市の札樽道央道の小樽方向への車線で札幌
方向に車が逆走しているのを通行中のドライバーが目撃し、110番通報
した。県警高速隊が1時間半後、約100キロ離れた地点で逆走してい
た軽乗用車を停止させ、道交法違反 (通行区分) の疑いで職業不詳
の31才の男を現行犯逮捕した。
同隊と東日本高速支社によると、100キロもの逆走は道内で異例。同
容疑者は 「かわいがっていた猫が死んで、むちゃくちゃなことがしたか
った」 と供述。パトカーの停止指示に従わず、検問を5か所も突破して
逆走を続けた。道警によると逆走による事故は起きていない。
この事故で同高速道内の一部が約2時間半通行止めになった・・・・・
というものである。
ペットも家族同然とはいえ、あまりの暴挙に 「これも全国的な連日の猛暑のせいな
のでは」 と考えたくもなるが、個人的にはこの事件の動機や原因よりも、「高速道路
を100キロも逆走してよく事故にならなかったものだ」 という方に興味が向いてしま
う。
まず、逆走した当該車両であるが、検問を5か所も突破するような無謀運転をしたとい
うことは、それなりのスピードを出していたと思われるし、通報されるまでにはすれ違
う反対方向 (本来の走行方向) の自動車もあったなかで、よくハンドル操作などを
誤ることなどなかったものだとある意味感心してしまう。もしかしたら 「メチャクチャ
なことをしたかった」 とは言いながら、案外冷静に 「ゲームでも楽しむ感覚だった」
のかもしれないと思えるほどである。
また記事の中の 「逆走による事故は起きていない」 という部分は、当然 「周囲の
車両やすれ違った車両も含めて」 ということだと思うが、通行止めとなる前のそれほ
ど長くない時間内のこととはいえ、時速100㎞前後で走る前提の “一方通行” であ
るハズの道路で、逆走してくる自動車があればまずは相当ビックリしてしまうのが普通
のドライバーというものであろう。特に見通しの良い直線部分であればともかく、カーブ
の多いところなどで目の前に突然猛スピードの自動車が逆走してくれば、一瞬パニック
状態になってもおかしくないくらいである。したがって逆走を自覚?している当該車両は
ともかく、すれ違う立場の車両の方はたとえば衝突を回避するために急ハンドルを切るこ
とで今度は並走している自動車同士が接触したり、路側帯に衝突してバウンドするなど
し、複数台が絡む大事故につながる可能性も十分に考えられるのだ。自動車専用道路
(特に高速道路) での “逆走” は、たとえ短時間でもそれが事故につながらない方
が不思議なくらいなのである。
今回はおそらくまだ早朝の時間帯であり、またN県と同様に “北海道” という地方の
交通量の小さい (と思われる) 高速道路だったこと、さらには比較的早いうちに通報
がなされ、通行止めなどの措置がとられたことが幸いしたようであるが、「もし同じこと
が東名や名神などの高速道路で起きていたら」 などということは、考えることすらした
くないほど恐ろしいことである。
散歩の途中で 「逆走」 を試みては
飼い主に叱られる!? こじろう
それは北海道新聞配信のもので、「ペットの猫死んで・・・高速道路100キロ逆走
検問5か所突破 31才男逮捕」 というタイトルのものである。
その内容は、
・・・・・・ 1日午前5:45分頃、小樽市の札樽道央道の小樽方向への車線で札幌
方向に車が逆走しているのを通行中のドライバーが目撃し、110番通報
した。県警高速隊が1時間半後、約100キロ離れた地点で逆走してい
た軽乗用車を停止させ、道交法違反 (通行区分) の疑いで職業不詳
の31才の男を現行犯逮捕した。
同隊と東日本高速支社によると、100キロもの逆走は道内で異例。同
容疑者は 「かわいがっていた猫が死んで、むちゃくちゃなことがしたか
った」 と供述。パトカーの停止指示に従わず、検問を5か所も突破して
逆走を続けた。道警によると逆走による事故は起きていない。
この事故で同高速道内の一部が約2時間半通行止めになった・・・・・
というものである。
ペットも家族同然とはいえ、あまりの暴挙に 「これも全国的な連日の猛暑のせいな
のでは」 と考えたくもなるが、個人的にはこの事件の動機や原因よりも、「高速道路
を100キロも逆走してよく事故にならなかったものだ」 という方に興味が向いてしま
う。
まず、逆走した当該車両であるが、検問を5か所も突破するような無謀運転をしたとい
うことは、それなりのスピードを出していたと思われるし、通報されるまでにはすれ違
う反対方向 (本来の走行方向) の自動車もあったなかで、よくハンドル操作などを
誤ることなどなかったものだとある意味感心してしまう。もしかしたら 「メチャクチャ
なことをしたかった」 とは言いながら、案外冷静に 「ゲームでも楽しむ感覚だった」
のかもしれないと思えるほどである。
また記事の中の 「逆走による事故は起きていない」 という部分は、当然 「周囲の
車両やすれ違った車両も含めて」 ということだと思うが、通行止めとなる前のそれほ
ど長くない時間内のこととはいえ、時速100㎞前後で走る前提の “一方通行” であ
るハズの道路で、逆走してくる自動車があればまずは相当ビックリしてしまうのが普通
のドライバーというものであろう。特に見通しの良い直線部分であればともかく、カーブ
の多いところなどで目の前に突然猛スピードの自動車が逆走してくれば、一瞬パニック
状態になってもおかしくないくらいである。したがって逆走を自覚?している当該車両は
ともかく、すれ違う立場の車両の方はたとえば衝突を回避するために急ハンドルを切るこ
とで今度は並走している自動車同士が接触したり、路側帯に衝突してバウンドするなど
し、複数台が絡む大事故につながる可能性も十分に考えられるのだ。自動車専用道路
(特に高速道路) での “逆走” は、たとえ短時間でもそれが事故につながらない方
が不思議なくらいなのである。
今回はおそらくまだ早朝の時間帯であり、またN県と同様に “北海道” という地方の
交通量の小さい (と思われる) 高速道路だったこと、さらには比較的早いうちに通報
がなされ、通行止めなどの措置がとられたことが幸いしたようであるが、「もし同じこと
が東名や名神などの高速道路で起きていたら」 などということは、考えることすらした
くないほど恐ろしいことである。
散歩の途中で 「逆走」 を試みては
飼い主に叱られる!? こじろう
2010年09月02日
『見えない恐怖 (敵) 』 に襲われる???
9月に入ったというのに依然厳しい残暑が続く中、食欲が減退するのは人間だけのこと
ではないと思うが、それでも (一度暑い日に自動車内に取り残されて熱中症になりか
けたときを除いて) 「わが家の 『こじろう』 の食欲旺盛ぶりは相変わらずである・・・
・・・ハズ」 であった。それが31日夕方のこと、用意された夕食に手を (口を) 全く
つけようとしなかったと後で聞いた瞬間は、「ついに 『こじろう』 も病院行きか?」
と覚悟を決めたが、実はその (食欲が湧かない) 原因が別の 「目に見えない恐怖
(敵) にある」 ということが判明したのである。
それは31日の午後3時頃から激しく鳴り響いた 「カミナリ」 のせいであった。小さな
こどもなどは別として、現代の人間は一応 「カミナリ (の音) 」 の正体がどういう
ものであるか (専門的なことはともかく) わかっているが、イヌにとっては当然何の
ことかわからないわけであり、「あの 『ゴロゴロ、バリバリ、ドッカーン』 というバカ
でかい音は一体なんなんだ」 と思うことだろう。“目に見える敵” が迫ってくるのなら、
どこかに逃げるなり、追い払うなり、あるいは勇気を振り絞って立ち向かうなりすること
もできるだろうが、視覚的にその正体がわからないものが迫ってくるその恐怖たるや、
想像を絶するほどの大きなものであろうことに疑いはない。
われわれ人間の日常・社会生活においても、いつもさまざまなものに脅かされたり、恐
怖を感じたりしているものであるが、ことにその中でも 「『目に見えない』 『正体がわ
からない』 ものに迫られるほど恐ろしいことはない」 とはっきり言えるだろう。いわゆる
ミステリーの世界でもその種のものは “王道” である。
「カミナリ」 が鳴り響くたびに声を失い、ブルブルと震えながら飼い主に寄り添い、決
して離れようとしない 「こじろう」 を見るにつけ、「 (犬種のわりには) でかい図体
で普段は大きな態度をとっているくせに、イザとなると情けない 『おぼっちゃま』 では
ないか」 と呆れるのは簡単であり、事実バカにして笑ってしまうことが常であるが、
「見えない恐怖 (敵)」 と必死で闘って?いる当人 (当犬) の立場でものを考え
なくてはいけない、と反省するものでもある。
カミナリが鳴り出すと、とにかくブルブル
震えだし、飼い主から絶対離れようとしな
い!? こじろう
ではないと思うが、それでも (一度暑い日に自動車内に取り残されて熱中症になりか
けたときを除いて) 「わが家の 『こじろう』 の食欲旺盛ぶりは相変わらずである・・・
・・・ハズ」 であった。それが31日夕方のこと、用意された夕食に手を (口を) 全く
つけようとしなかったと後で聞いた瞬間は、「ついに 『こじろう』 も病院行きか?」
と覚悟を決めたが、実はその (食欲が湧かない) 原因が別の 「目に見えない恐怖
(敵) にある」 ということが判明したのである。
それは31日の午後3時頃から激しく鳴り響いた 「カミナリ」 のせいであった。小さな
こどもなどは別として、現代の人間は一応 「カミナリ (の音) 」 の正体がどういう
ものであるか (専門的なことはともかく) わかっているが、イヌにとっては当然何の
ことかわからないわけであり、「あの 『ゴロゴロ、バリバリ、ドッカーン』 というバカ
でかい音は一体なんなんだ」 と思うことだろう。“目に見える敵” が迫ってくるのなら、
どこかに逃げるなり、追い払うなり、あるいは勇気を振り絞って立ち向かうなりすること
もできるだろうが、視覚的にその正体がわからないものが迫ってくるその恐怖たるや、
想像を絶するほどの大きなものであろうことに疑いはない。
われわれ人間の日常・社会生活においても、いつもさまざまなものに脅かされたり、恐
怖を感じたりしているものであるが、ことにその中でも 「『目に見えない』 『正体がわ
からない』 ものに迫られるほど恐ろしいことはない」 とはっきり言えるだろう。いわゆる
ミステリーの世界でもその種のものは “王道” である。
「カミナリ」 が鳴り響くたびに声を失い、ブルブルと震えながら飼い主に寄り添い、決
して離れようとしない 「こじろう」 を見るにつけ、「 (犬種のわりには) でかい図体
で普段は大きな態度をとっているくせに、イザとなると情けない 『おぼっちゃま』 では
ないか」 と呆れるのは簡単であり、事実バカにして笑ってしまうことが常であるが、
「見えない恐怖 (敵)」 と必死で闘って?いる当人 (当犬) の立場でものを考え
なくてはいけない、と反省するものでもある。
カミナリが鳴り出すと、とにかくブルブル
震えだし、飼い主から絶対離れようとしな
い!? こじろう
2010年09月01日
『ジャマ』 だけはしないように???
個人的に使用する通信機器やいわゆる家電製品を購入し、使用開始する際に、ある意味
で憂鬱になってしまうことが最近特に多くなった。それはそういったほとんどの製品の機能
があまりにも多種多様で、とても使いこなせそうにないことでのフラストレーションが募る
ためであり、さらにはその分厚い取扱説明書の細かい字を読むことに対する恐怖?なども
そこに加わるからである。
そんなことを考えている折、たまたま先日某紙朝刊に 「過剰な機能省き 『いいモノ』
作って」 というタイトルのある読者による投書が掲載されていた。
その内容は、
・・・・・・ 「適切な価格で、必要な機能だけのものがほしい」。そんなため息をついた
ことはないだろうか。携帯電話、パソコン、ビデオ・・・。機能が必要以上
につき、分厚いマニュアルを熟読しないと扱えない。壊れたかどうかも確認
できない。そんなものの何と多いことか。また、丁寧ではあるが無用なサー
ビスも少なくない。
適度でポイントを押さえた機能やサービスは、利用者を幸せにするが、過剰
で的外れだと逆に不快にしてしまう。それは結果として作る側にも跳ね返る。
安くて簡単、最低限の機能の、他国メーカー製品についてが伸びてしまうの
だ。 (中略)
利用者の気持ちをうまくキャッチして、つい財布のひもが緩むようなモノや
サービスを創出してもらいたい。機能は省く方が絶対に 「いいモノ」 に
なる・・・・・・
というものである。
この投稿者、39歳の会社員の方ということだが、個人的には基本的に 「まことにその
通り」 と言いたくなる。今まさにこの瞬間に使用しているパソコンにしても、購入して
まだ1年足らずとはいえ、まだおそらく用意されている機能の100分の1すら利用して
いないだろうし、これからも個人的に未知の機能を使いこなす気力は到底ないと思われ
る。携帯電話など他の機器にしてもまた然りである。
しかし、とはいえ、多種多様の機能を縦横無尽に使いこなせる人たちも厳然と存在するの
も間違いないわけで、投書にあるように 「機能は省く方が絶対に 『いいモノ』 になる」
と言い切ることにも当然無理はある。むしろ先進技術を駆使できる人たちからすれば、現代
においてわれわれのような “旧石器時代型・典型的アナログ人種” の言い分の方がおか
しいわけで、「なぜレベルの低い方に合わせなければならないのか」 というのが本来の冷
静な分析というものであろう。
いろいろいっても結論としては、“旧石器時代型・典型的アナログ人種” の方が、せめて
先端技術を駆使する人たちの 「『ジャマ』 だけはしないようにしていることが賢明」 という
ことではないだろうか。
普段の遊び道具でも、凝ったもの
よりシンプルなものが一番である
と信じている!? こじろう
で憂鬱になってしまうことが最近特に多くなった。それはそういったほとんどの製品の機能
があまりにも多種多様で、とても使いこなせそうにないことでのフラストレーションが募る
ためであり、さらにはその分厚い取扱説明書の細かい字を読むことに対する恐怖?なども
そこに加わるからである。
そんなことを考えている折、たまたま先日某紙朝刊に 「過剰な機能省き 『いいモノ』
作って」 というタイトルのある読者による投書が掲載されていた。
その内容は、
・・・・・・ 「適切な価格で、必要な機能だけのものがほしい」。そんなため息をついた
ことはないだろうか。携帯電話、パソコン、ビデオ・・・。機能が必要以上
につき、分厚いマニュアルを熟読しないと扱えない。壊れたかどうかも確認
できない。そんなものの何と多いことか。また、丁寧ではあるが無用なサー
ビスも少なくない。
適度でポイントを押さえた機能やサービスは、利用者を幸せにするが、過剰
で的外れだと逆に不快にしてしまう。それは結果として作る側にも跳ね返る。
安くて簡単、最低限の機能の、他国メーカー製品についてが伸びてしまうの
だ。 (中略)
利用者の気持ちをうまくキャッチして、つい財布のひもが緩むようなモノや
サービスを創出してもらいたい。機能は省く方が絶対に 「いいモノ」 に
なる・・・・・・
というものである。
この投稿者、39歳の会社員の方ということだが、個人的には基本的に 「まことにその
通り」 と言いたくなる。今まさにこの瞬間に使用しているパソコンにしても、購入して
まだ1年足らずとはいえ、まだおそらく用意されている機能の100分の1すら利用して
いないだろうし、これからも個人的に未知の機能を使いこなす気力は到底ないと思われ
る。携帯電話など他の機器にしてもまた然りである。
しかし、とはいえ、多種多様の機能を縦横無尽に使いこなせる人たちも厳然と存在するの
も間違いないわけで、投書にあるように 「機能は省く方が絶対に 『いいモノ』 になる」
と言い切ることにも当然無理はある。むしろ先進技術を駆使できる人たちからすれば、現代
においてわれわれのような “旧石器時代型・典型的アナログ人種” の言い分の方がおか
しいわけで、「なぜレベルの低い方に合わせなければならないのか」 というのが本来の冷
静な分析というものであろう。
いろいろいっても結論としては、“旧石器時代型・典型的アナログ人種” の方が、せめて
先端技術を駆使する人たちの 「『ジャマ』 だけはしないようにしていることが賢明」 という
ことではないだろうか。
普段の遊び道具でも、凝ったもの
よりシンプルなものが一番である
と信じている!? こじろう