2011年02月13日
『何でもあり』 への抵抗感!!!
「どんぶりもの」 といえば、まず 「天丼」 「かつ丼」 などを思い浮かべる人が多いと思わ
れるが、実際には 「△△新どんぶりコンテスト」 なる催しもあるように、 どんぶりと呼ばれ
る食器に盛られたご飯の上に何かを 「乗せる」 ことで、結局はなんでもかんでも 「○○丼」
が出来上がってしまうのはたしかであるし、かといってそうやって新たに作られた 「 『○○丼』
は 『どんぶりもの』 とはいえない」 と決めつけることもまた難しい。
世の中にはこれと同じように、とりあえずその先頭や末尾に、ある単語 (先ほどの例でいえ
ば、末尾に “丼” ) を付けることにより、とりあえずは 「それらしく」 見えたり聞こえたり
するものの、やはり “???” というものが存在する。
先日あるTVのトーク?番組を何気なく眺めていた際のこと、それぞれのコメンテーター?の
机上に肩書と名前の書いてあるボード?が置いてあるなか、一人の中年?男性のもので、
「女子大生アナリスト ◇◇氏」 というものが目にとまった。 「アナリスト」 といえば、まず
思い浮かぶのが 「証券アナリスト」 であるが、他にもたとえば情報処理関係で 「システム
アナリスト」 くらいは耳にしたことがある。しかし、それではこの 「女子大生アナリスト」 と
は一体なんぞや、という疑問が生じるのにほとんど時間はかからなかった。
その肩書を目にした直後思い浮かべたのは、昨今の就職氷河期を反映した女子大生の就職
動向などを (文字通り) “分析する” 人である。しかし何のことはない、実際にはただ単に
「 “女子大生” が好きで、その見かけの品定めをする」 だけの、「変なおじさん」 にすぎな
かったのだ。もっとも、その時自分自身はその番組を真剣に観ていたわけではなく、それが
どちらかといえば 「お堅い番組ではない」 ということに気付いた瞬間、すぐ納得させられた
わけであるが。
「アナリスト (analyst) 」 は、 「分析者」 とか 「評論家」 という意味で遣われることから
すれば、何かを 「分析したり評論したりする人」 は、とりあえず何でも 「○○アナリスト」 と
呼んで間違いとはいえない。しかし、やはり 「女子大生アナリスト」 は極端な例としても、ま
た 「完全な自称」 はともかく、各種メディアで出す肩書としては、一応はそれを見た人、聞い
た人がある程度納得のいく 「○○アナリスト」 にしてほしいものである。
今から20年ほど前、 「湾岸戦争」 に関するニュースなどで 「軍事評論家」 という肩書を
初めてTVで目にして以来か、大きな航空機の事故が起きた際には 「航空評論家」 が登場、
その後現在に至るまで目にする 「○○評論家」 「○○ジャーナリスト」 の種類は厖大なものが
ある。個人的に 「自称」 で使うのは結構であるが、その肩書を公に出す際には 「何でもか
んでも○○評論家」 のようなものはできるだけ避けないと、「評論家」 という職業全体の価値
をさらに下落させるのは間違いない。
もっとも広辞苑などには 「評論家」 の意味の一つに、「 (評論ばかりして) 実際は何もし
ない人」 という例が載っており、あくまでも 「自嘲的」 「自戒的」 に自らその肩書を用いる
のは大いに結構である。
飼い主が 「イヌというものは・・・」 などと、
「犬のことをいかにも理解している」 かの
ように述べるのに対し、「わかっていないくせに」
と冷めた目で見ている!? こじろう
れるが、実際には 「△△新どんぶりコンテスト」 なる催しもあるように、 どんぶりと呼ばれ
る食器に盛られたご飯の上に何かを 「乗せる」 ことで、結局はなんでもかんでも 「○○丼」
が出来上がってしまうのはたしかであるし、かといってそうやって新たに作られた 「 『○○丼』
は 『どんぶりもの』 とはいえない」 と決めつけることもまた難しい。
世の中にはこれと同じように、とりあえずその先頭や末尾に、ある単語 (先ほどの例でいえ
ば、末尾に “丼” ) を付けることにより、とりあえずは 「それらしく」 見えたり聞こえたり
するものの、やはり “???” というものが存在する。
先日あるTVのトーク?番組を何気なく眺めていた際のこと、それぞれのコメンテーター?の
机上に肩書と名前の書いてあるボード?が置いてあるなか、一人の中年?男性のもので、
「女子大生アナリスト ◇◇氏」 というものが目にとまった。 「アナリスト」 といえば、まず
思い浮かぶのが 「証券アナリスト」 であるが、他にもたとえば情報処理関係で 「システム
アナリスト」 くらいは耳にしたことがある。しかし、それではこの 「女子大生アナリスト」 と
は一体なんぞや、という疑問が生じるのにほとんど時間はかからなかった。
その肩書を目にした直後思い浮かべたのは、昨今の就職氷河期を反映した女子大生の就職
動向などを (文字通り) “分析する” 人である。しかし何のことはない、実際にはただ単に
「 “女子大生” が好きで、その見かけの品定めをする」 だけの、「変なおじさん」 にすぎな
かったのだ。もっとも、その時自分自身はその番組を真剣に観ていたわけではなく、それが
どちらかといえば 「お堅い番組ではない」 ということに気付いた瞬間、すぐ納得させられた
わけであるが。
「アナリスト (analyst) 」 は、 「分析者」 とか 「評論家」 という意味で遣われることから
すれば、何かを 「分析したり評論したりする人」 は、とりあえず何でも 「○○アナリスト」 と
呼んで間違いとはいえない。しかし、やはり 「女子大生アナリスト」 は極端な例としても、ま
た 「完全な自称」 はともかく、各種メディアで出す肩書としては、一応はそれを見た人、聞い
た人がある程度納得のいく 「○○アナリスト」 にしてほしいものである。
今から20年ほど前、 「湾岸戦争」 に関するニュースなどで 「軍事評論家」 という肩書を
初めてTVで目にして以来か、大きな航空機の事故が起きた際には 「航空評論家」 が登場、
その後現在に至るまで目にする 「○○評論家」 「○○ジャーナリスト」 の種類は厖大なものが
ある。個人的に 「自称」 で使うのは結構であるが、その肩書を公に出す際には 「何でもか
んでも○○評論家」 のようなものはできるだけ避けないと、「評論家」 という職業全体の価値
をさらに下落させるのは間違いない。
もっとも広辞苑などには 「評論家」 の意味の一つに、「 (評論ばかりして) 実際は何もし
ない人」 という例が載っており、あくまでも 「自嘲的」 「自戒的」 に自らその肩書を用いる
のは大いに結構である。
飼い主が 「イヌというものは・・・」 などと、
「犬のことをいかにも理解している」 かの
ように述べるのに対し、「わかっていないくせに」
と冷めた目で見ている!? こじろう