2010年09月19日
『一方的謝罪・処分』 で終わらせるな!!!(その1)
17日の山陽新聞配信の記事に 「宿題未提出の生徒に 『殺すぞ』。 岡山の県立高校
教諭暴言」 というタイトルのものがあった。その内容は、
・・・・・ 岡山県真庭市内の県立高校で、宿題を出さなかった2年生の男子生徒 (17才)
に担任の男性教諭 (25才) が 「殺すぞ」 などと暴言を吐いていたことが
16日わかった。学校側は事実関係を認め 「生徒を傷つけ申し訳ない」 として
いる。
関係者によると教諭は10日午後のホームルーム中、夏休みの課題の一部が未
提出だった生徒に、「出さなきゃ殺すぞ。死なにゃわからんじゃろ」 と脅し、さらに
14日午後、廊下で 「13日までに出す言うたろ。まだ生きとったんか」 などと言
ったという。
生徒はショックを受け15日学校を欠席。16日は登校した。
校長は 「教諭が暴言を認めたため、県教委へ報告した。経緯は調査中だが生徒
に対して言ってはならない内容で大変申し訳ない」 と話している・・・・・・
というものである。
この教諭と当該生徒との日常の関係や、この事件?の背景など詳しいことがわからないので、
いろいろ言うにも限界があるが、まずもってこの教諭の 「殺すぞ」 「まだ生きとったんか」
などという一連の暴言。 「まだ25才という若さ」 を考慮したとしても、やはり教育の現場
でのものとしては不適切であるといわざるをえないし、とても容認されるべきではないだろう。
担任の教諭としてそれなりの教育効果を考えたなどの言い分もはあるだろうが、いかなる理
由があろうとも 「その場にふさわしくない」 「口にしてはならない」 一言というのは社会の
あらゆる場面に存在する。まして人格の可塑性に富む少年少女の目の前である。 「教育現
場においては教育者としてその言動に細心の注意を払わなくてはならない」 ことに関して議
論の余地はないだろう。
しかしそれを大前提としたうえで、この事件に関していえば、「教諭およびその関係者がただ
一方的に謝罪し、処分等が下されて終わりというわけにはいかない」 と個人的には考えたい。
それは、何事にもいえることであるが、まず 「その原因を作った人間や行為」 というものを
無視できないからである。今回、教諭が暴言を吐くに至った直接の原因は当該生徒が義務で
ある課題を提出しないで、教諭からの再三の注意にも耳を貸す姿勢がなかったことにあるの
は疑いがないだろう。前述のように、この教諭と生徒との間にこれまでどういうやりとりや確執
があったかつまりこの事件の背景などは不明であるが、教諭の暴言以前にまず 「義務とされ
ている課題を提出しなかった 『生徒側の非』 」 があるのは間違いない。特にここは小中学
校ではない。たとえば教諭としても生徒にこのような “警告” を発することなく、課題未提出
に対して該当科目の単位を認定しないとか、評定に反映させるとかしようと思えば無条件に
できるのである。その意味で、表面的にはたしかに “暴言” であっても、内容的には進級を
スムーズにしてあげようとする教諭としての “温情” の一つとしてとらえることもできるのだ。
したがって 「生徒は (教諭の暴言により) ショックを受けてかわいそう」 「生徒は学校を
欠席するほど傷ついた」 などの表層的同情論はずいぶん安っぽいものであり、かつ的外れ
であるとさえ言わざるをえない。
以下、過去にもあったこのようなケースにおける 「(片方だけの一方的な) 謝罪・処分」
の問題点については、「こじろう117」・・・『一方的謝罪・処分』 で終わらせるな!!!(その2)
で述べることにしたい。
いうことを聞かなかった際に飼い主から
発せられる 「お叱り」 を暴言とはとら
えない!? こじろう
教諭暴言」 というタイトルのものがあった。その内容は、
・・・・・ 岡山県真庭市内の県立高校で、宿題を出さなかった2年生の男子生徒 (17才)
に担任の男性教諭 (25才) が 「殺すぞ」 などと暴言を吐いていたことが
16日わかった。学校側は事実関係を認め 「生徒を傷つけ申し訳ない」 として
いる。
関係者によると教諭は10日午後のホームルーム中、夏休みの課題の一部が未
提出だった生徒に、「出さなきゃ殺すぞ。死なにゃわからんじゃろ」 と脅し、さらに
14日午後、廊下で 「13日までに出す言うたろ。まだ生きとったんか」 などと言
ったという。
生徒はショックを受け15日学校を欠席。16日は登校した。
校長は 「教諭が暴言を認めたため、県教委へ報告した。経緯は調査中だが生徒
に対して言ってはならない内容で大変申し訳ない」 と話している・・・・・・
というものである。
この教諭と当該生徒との日常の関係や、この事件?の背景など詳しいことがわからないので、
いろいろ言うにも限界があるが、まずもってこの教諭の 「殺すぞ」 「まだ生きとったんか」
などという一連の暴言。 「まだ25才という若さ」 を考慮したとしても、やはり教育の現場
でのものとしては不適切であるといわざるをえないし、とても容認されるべきではないだろう。
担任の教諭としてそれなりの教育効果を考えたなどの言い分もはあるだろうが、いかなる理
由があろうとも 「その場にふさわしくない」 「口にしてはならない」 一言というのは社会の
あらゆる場面に存在する。まして人格の可塑性に富む少年少女の目の前である。 「教育現
場においては教育者としてその言動に細心の注意を払わなくてはならない」 ことに関して議
論の余地はないだろう。
しかしそれを大前提としたうえで、この事件に関していえば、「教諭およびその関係者がただ
一方的に謝罪し、処分等が下されて終わりというわけにはいかない」 と個人的には考えたい。
それは、何事にもいえることであるが、まず 「その原因を作った人間や行為」 というものを
無視できないからである。今回、教諭が暴言を吐くに至った直接の原因は当該生徒が義務で
ある課題を提出しないで、教諭からの再三の注意にも耳を貸す姿勢がなかったことにあるの
は疑いがないだろう。前述のように、この教諭と生徒との間にこれまでどういうやりとりや確執
があったかつまりこの事件の背景などは不明であるが、教諭の暴言以前にまず 「義務とされ
ている課題を提出しなかった 『生徒側の非』 」 があるのは間違いない。特にここは小中学
校ではない。たとえば教諭としても生徒にこのような “警告” を発することなく、課題未提出
に対して該当科目の単位を認定しないとか、評定に反映させるとかしようと思えば無条件に
できるのである。その意味で、表面的にはたしかに “暴言” であっても、内容的には進級を
スムーズにしてあげようとする教諭としての “温情” の一つとしてとらえることもできるのだ。
したがって 「生徒は (教諭の暴言により) ショックを受けてかわいそう」 「生徒は学校を
欠席するほど傷ついた」 などの表層的同情論はずいぶん安っぽいものであり、かつ的外れ
であるとさえ言わざるをえない。
以下、過去にもあったこのようなケースにおける 「(片方だけの一方的な) 謝罪・処分」
の問題点については、「こじろう117」・・・『一方的謝罪・処分』 で終わらせるな!!!(その2)
で述べることにしたい。
いうことを聞かなかった際に飼い主から
発せられる 「お叱り」 を暴言とはとら
えない!? こじろう