2010年09月05日
『陰湿・悪質・卑劣』!!!(その2)
「こじろう117」・・・『陰湿・悪質・卑劣』!!!(その1)・・・の続きである。
(その1) では、ここ一週間ほどの間に栃木県、東京都で起きた2つの 「商品 (食料
品) への危険物混入事件」 の報道を紹介したが、今回はそれらに潜む “陰湿” “悪質”
“卑劣” さ、などにつき具体的に触れてみたい。
まず第一にこれらの犯罪は、「犯人が見えない」 という共通点がある。この手の罪を犯す
連中は 「商品に危険物を仕込むその瞬間」 を除けば現場にその姿はなく、自分にとって
安全なところでいわば 「高みの見物」 を決め込んでいるのが一般的である。「人前で堂々
と犯罪行為に手を染める方がいい」 というわけでは決してないが、「自分の仕組んだ行為
により周囲が大騒ぎになり、関係者が右往左往しているのを眺めては、ほくそ笑んでいる」
という姿は “陰湿” 以外の何物でもない。
第二にこのような危険物 (特に今回は “縫い針” とか “カッターの刃” という、口にした
途端に即、大ケガにつながるようなもの) を、「どこの誰が口にするか」 ということが全くわ
からない、つまり 「何の罪もない善良な人々が被害に遭う可能性がある」 という意味での
“悪質” さである。犯行の動機にはよく “怨恨” があり、(当然だからといってその犯行が
許されるわけではないが) まだその場合はその目的や対象がはっきりしている分、被害を
未然に防ぐなどの手立てを講ずることもできる可能性がある。しかし、このような犯罪はその
被害者や犠牲者が、まさに全くその犯人と関係がなく、まさに老若男女を問わない不特定
多数の人々に及ぶことになりうる。ことに将来のある小さな子どもが口にして生命を落とす、
あるいはその後遺症に一生苦しむことになる、などということは “悲惨の極み” である。
第三に、この手の犯行、世間を騒がせたり震撼させたりしたいという単なる “愉快犯” 的
なものである可能性がある半面、先述のようにそのスーパーマーケットやコンビニチェーンに
「個人的な恨みなどを抱いてのものでは」 という疑いも消すことはできない。いずれもその
悪質性に差はないが、特に後者の場合にはその “卑劣さ” を無視することはできない。相
手がな強大な組織であったとしても、何か言いたいこと、訴えたいことがあればまずは堂々と
口頭や文書などを用いて意見を述べるとかが筋であるし、最終的には法的手段に訴えるとい
うこともできるのである。「相手をなるべくじわじわと追い詰めたい、困らせて窮地に陥らせた
い」 ということでこのような手法をとるということかもしれないが、いずれにしてもこういうやり
方は、「関係者以外の第三者をも大きな危険にさらす」 ということからして、かなり “卑劣”
な手段と断定せざるをえないのである。
(その1) の冒頭でも述べたように、「他人の生命や身体を危険にさらす」 という犯罪は
その手法を問わず許されるものではない。しかしそうはいっても、その “陰湿” “悪質”
“卑劣” の度合いに差があることも否定できない。ことに 「 (小さな子どもを含む) どこ
の誰がどういうふうに被害・犠牲に遭うかわからない」 ような危険を作りだし、しかもそれ
を 「コソコソと陰で見守り、楽しみほくそ笑んでいる」 などという行為はそれらすべての
要素において “最高” (最低?) に位置するものといえよう。そういうことを平然と行な
える連中は 「同じ人間として善良な市民と同じ社会の中で生きる資格のない存在」 と
すらいえるのである。
散歩の最中、「危険なものが落ちて
いないか」 とチェックに余念がな
い!? こじろう
(その1) では、ここ一週間ほどの間に栃木県、東京都で起きた2つの 「商品 (食料
品) への危険物混入事件」 の報道を紹介したが、今回はそれらに潜む “陰湿” “悪質”
“卑劣” さ、などにつき具体的に触れてみたい。
まず第一にこれらの犯罪は、「犯人が見えない」 という共通点がある。この手の罪を犯す
連中は 「商品に危険物を仕込むその瞬間」 を除けば現場にその姿はなく、自分にとって
安全なところでいわば 「高みの見物」 を決め込んでいるのが一般的である。「人前で堂々
と犯罪行為に手を染める方がいい」 というわけでは決してないが、「自分の仕組んだ行為
により周囲が大騒ぎになり、関係者が右往左往しているのを眺めては、ほくそ笑んでいる」
という姿は “陰湿” 以外の何物でもない。
第二にこのような危険物 (特に今回は “縫い針” とか “カッターの刃” という、口にした
途端に即、大ケガにつながるようなもの) を、「どこの誰が口にするか」 ということが全くわ
からない、つまり 「何の罪もない善良な人々が被害に遭う可能性がある」 という意味での
“悪質” さである。犯行の動機にはよく “怨恨” があり、(当然だからといってその犯行が
許されるわけではないが) まだその場合はその目的や対象がはっきりしている分、被害を
未然に防ぐなどの手立てを講ずることもできる可能性がある。しかし、このような犯罪はその
被害者や犠牲者が、まさに全くその犯人と関係がなく、まさに老若男女を問わない不特定
多数の人々に及ぶことになりうる。ことに将来のある小さな子どもが口にして生命を落とす、
あるいはその後遺症に一生苦しむことになる、などということは “悲惨の極み” である。
第三に、この手の犯行、世間を騒がせたり震撼させたりしたいという単なる “愉快犯” 的
なものである可能性がある半面、先述のようにそのスーパーマーケットやコンビニチェーンに
「個人的な恨みなどを抱いてのものでは」 という疑いも消すことはできない。いずれもその
悪質性に差はないが、特に後者の場合にはその “卑劣さ” を無視することはできない。相
手がな強大な組織であったとしても、何か言いたいこと、訴えたいことがあればまずは堂々と
口頭や文書などを用いて意見を述べるとかが筋であるし、最終的には法的手段に訴えるとい
うこともできるのである。「相手をなるべくじわじわと追い詰めたい、困らせて窮地に陥らせた
い」 ということでこのような手法をとるということかもしれないが、いずれにしてもこういうやり
方は、「関係者以外の第三者をも大きな危険にさらす」 ということからして、かなり “卑劣”
な手段と断定せざるをえないのである。
(その1) の冒頭でも述べたように、「他人の生命や身体を危険にさらす」 という犯罪は
その手法を問わず許されるものではない。しかしそうはいっても、その “陰湿” “悪質”
“卑劣” の度合いに差があることも否定できない。ことに 「 (小さな子どもを含む) どこ
の誰がどういうふうに被害・犠牲に遭うかわからない」 ような危険を作りだし、しかもそれ
を 「コソコソと陰で見守り、楽しみほくそ笑んでいる」 などという行為はそれらすべての
要素において “最高” (最低?) に位置するものといえよう。そういうことを平然と行な
える連中は 「同じ人間として善良な市民と同じ社会の中で生きる資格のない存在」 と
すらいえるのである。
散歩の最中、「危険なものが落ちて
いないか」 とチェックに余念がな
い!? こじろう
『斑尾東急ゴルフクラブ』!!!
『四季 YUZAWA QUATTRO (おもてなし編) 』!!!
『四季 YUZAWA QUATTRO (朝食編) 』!!!
『四季 YUZAWA QUATTRO (夕食編) 』!!!
『K亭 (旬の野菜天ぷらうどん) 』!!!
『かどまん』!!!
『四季 YUZAWA QUATTRO (おもてなし編) 』!!!
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『K亭 (旬の野菜天ぷらうどん) 』!!!
『かどまん』!!!
Posted by こじろう117 at 00:03│Comments(4)
│ペット
この記事へのコメント
あたくしのおかずの中にもよくカミさんの髪の毛が混入してます。
「どうしてあんたのとこだけにはいるのよぉ~」って笑いながら言うんですけど、
これに似てるんでしょうか?
「どうしてあんたのとこだけにはいるのよぉ~」って笑いながら言うんですけど、
これに似てるんでしょうか?
Posted by ヘンリーたまき
at 2010年09月05日 16:30

こういう犯罪はなくなりませんね…。
グリコ森永事件とか、毒入りウーロン茶事件とか…。
またそれを模倣する輩も出てくるし…。
「匿名性」が問題なんでしょうね。
グリコ森永事件とか、毒入りウーロン茶事件とか…。
またそれを模倣する輩も出てくるし…。
「匿名性」が問題なんでしょうね。
Posted by らいおん丸
at 2010年09月05日 21:49

<ヘンリーたまき> さん コメントありがとうございます。
ヘンリーたまきさんのおかずに混入する奥さまの髪の毛は、おそらく 「奥さまのご主人への深い愛情」 が形を変えたものではないでしょうか。
何気ない会話から、ご夫婦の大変睦まじい様子がうかがえます。
ごちそうさまでした。
ヘンリーたまきさんのおかずに混入する奥さまの髪の毛は、おそらく 「奥さまのご主人への深い愛情」 が形を変えたものではないでしょうか。
何気ない会話から、ご夫婦の大変睦まじい様子がうかがえます。
ごちそうさまでした。
Posted by こじろう117
at 2010年09月05日 23:21

<らいおん丸> さん コメントありがとうございます。
そういえば、何年か前に比較的身近なところで 「毒入りウーロン茶事件」 などというものがありました。
いつなんどき自分や家族が被害者、犠牲者になるかわからないこの手の事件。「とにかく自ら気をつけるしか防ぎようがない」 のは悲しいことですね。
そういえば、何年か前に比較的身近なところで 「毒入りウーロン茶事件」 などというものがありました。
いつなんどき自分や家族が被害者、犠牲者になるかわからないこの手の事件。「とにかく自ら気をつけるしか防ぎようがない」 のは悲しいことですね。
Posted by こじろう117
at 2010年09月05日 23:26

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