2010年09月27日
『不平・不満・要求』 の前に!!!
「若者の声」 なるコーナーが新聞や雑誌に登場することは珍しくない。小学生でも高学年
ともなれば、学校での教科学習とは別に、社会についてさまざまな興味を抱き考える機会
をもつことは極めて重要である。まして、間もなく社会人となる20才前後の若者ともなれば
真剣に社会と向き合い、意見を有することが求められるものだ。しかし、それがただ単に客
観的・傍観者的に世間を見てはそれに対して一方的に不平・不満を述べたり、批判・非難・
要求を繰り返すだけのものなら、むしろそれは必要のないものとさえいえるだろう。
先日某紙の朝刊に20才直前の若者を対象とした 「世の中に言いたいこと」 というコー
ナーがあったが、それは 「担当記者の意図は一体何なのか」 と思わず訝ってしまうよう
な内容で、愕然とさせられるものであった。
その 「世の中に言いたいこと」 の数例を列挙すると、
1. 就職先を増やしてほしい。税金を上げるな、消費税下げろ。物価もう少し安くして。
2. 今の世の中みんなが苦しい。少しでも多くの人が救われる日常がほしい。
3. 将来誰もが就職できる世の中にしてほしい。
4. 今の政治は国民のための政治ではない。国民のことを最優先に考えた政治に変えて。
5. 学生は給料が安い。学生だからって給料が安いのは不満。
というようなものである。
「世の中に言いたいこと」 を求められて、実際に考えていることを率直に述べた若者たち
のことを非難するつもりは基本的にない。しかし、そういう意見を求めるにあたってのプロ
セスやフォローが十分にないとしたら、このような企画はまったくもって意味をなさないど
ころか、有害であるとさえいえるだろう。
たとえばまず上記の1.であるが、「就職先を増やしてほしい」 はまだともかくとしても、
「税金を上げるな、消費税下げろ。物価もう少し安くして」 とただ一方的に要望するので
は、まったくもって小学生低学年以下のレベルである。「なぜ税というものが国家や社会
にとって必要なのか」 「消費税を上げる (下げること) は、その時勢にあってどのよう
な意味をもつのか」 「 “物価” の概念・本体とはそもそも何なのか」 というような根本
的部分について何も考慮せずに、「ただ表面的に自らの出費を抑えたい」 と騒ぎ立て
るのでは、ショッピングセンターで幼児が目についたものを片っ端から指さして 「あれ買
って。これ買って。と駄々をこねている」 のとなんら変わりはない。
2.や4.にしても、その指摘には 「何に対してそう思うのか」 という具体的なことが
まったく見えない。「今の政治は・・・」 というが、本当に真剣になって普段から 「現在
の政治の実態をわかろうと努力などしているのだろうか」 という疑念はぬぐえない。せ
めて毎日、新聞の見出しくらいは読んでいての意見だと思いたいが、具体的な根拠も何
も持たずただなんとなくすべてを 「政治のせい」 と考えているのではないだろうか。
3.や5.については、これもただ 「何も苦労せずに就職したい」 とか 「とにかく給料
は高い方がいい」 という極めて短絡的、無責任的な言い分にしか聞こえない。「いか
なる職種であっても、それに就くためにはそれなりの技能や技術の習得が必要であり、
それなりの努力、修練があって初めてなせるものである」 「報酬 (給与) に差異が
生ずる理由はどこにあるのか」 ということをなにも理解していないとしか思えない。
これから社会に出ようとする若者である。もちろんまだ 「わからないことだらけ」 であ
るのは当然である。しかし、それならそれで最初からいろいろと 「これが気に入らない」
「こうしてほしい」 などと一方的に 「不平・不満・要求」 だけを述べさせるのもまたお
かしな話である。若者にこういうこと (「世の中に言いたいこと」) を発言させるからに
は、まずその前提として 「その世の中のことをどれだけ知ろうと日々努力しているのか」
「自分はその世の中でどのような責任を果たしていくのか」 「その世の中を自分は具体
的にどのように作っていきたいのか」 ということを考えさせることが不可欠である。そうで
なければ、たとえば政治や行政に対して批判的なことをいうばかりで、選挙にすら行ったこ
とがなかったり、自分自身の目や耳でその事象の本質を探ろうとせずに表面的なゴシップ
や風評に踊らされているだけの 「無責任社会人が今後も量産されていく」 ことが避けら
れないのだ。
「飼い主に言いたいこと」 は、山ほど
あるが、一方的に 「不平・不満・要求」
を述べることを潔しとしない!?
こじろう
ともなれば、学校での教科学習とは別に、社会についてさまざまな興味を抱き考える機会
をもつことは極めて重要である。まして、間もなく社会人となる20才前後の若者ともなれば
真剣に社会と向き合い、意見を有することが求められるものだ。しかし、それがただ単に客
観的・傍観者的に世間を見てはそれに対して一方的に不平・不満を述べたり、批判・非難・
要求を繰り返すだけのものなら、むしろそれは必要のないものとさえいえるだろう。
先日某紙の朝刊に20才直前の若者を対象とした 「世の中に言いたいこと」 というコー
ナーがあったが、それは 「担当記者の意図は一体何なのか」 と思わず訝ってしまうよう
な内容で、愕然とさせられるものであった。
その 「世の中に言いたいこと」 の数例を列挙すると、
1. 就職先を増やしてほしい。税金を上げるな、消費税下げろ。物価もう少し安くして。
2. 今の世の中みんなが苦しい。少しでも多くの人が救われる日常がほしい。
3. 将来誰もが就職できる世の中にしてほしい。
4. 今の政治は国民のための政治ではない。国民のことを最優先に考えた政治に変えて。
5. 学生は給料が安い。学生だからって給料が安いのは不満。
というようなものである。
「世の中に言いたいこと」 を求められて、実際に考えていることを率直に述べた若者たち
のことを非難するつもりは基本的にない。しかし、そういう意見を求めるにあたってのプロ
セスやフォローが十分にないとしたら、このような企画はまったくもって意味をなさないど
ころか、有害であるとさえいえるだろう。
たとえばまず上記の1.であるが、「就職先を増やしてほしい」 はまだともかくとしても、
「税金を上げるな、消費税下げろ。物価もう少し安くして」 とただ一方的に要望するので
は、まったくもって小学生低学年以下のレベルである。「なぜ税というものが国家や社会
にとって必要なのか」 「消費税を上げる (下げること) は、その時勢にあってどのよう
な意味をもつのか」 「 “物価” の概念・本体とはそもそも何なのか」 というような根本
的部分について何も考慮せずに、「ただ表面的に自らの出費を抑えたい」 と騒ぎ立て
るのでは、ショッピングセンターで幼児が目についたものを片っ端から指さして 「あれ買
って。これ買って。と駄々をこねている」 のとなんら変わりはない。
2.や4.にしても、その指摘には 「何に対してそう思うのか」 という具体的なことが
まったく見えない。「今の政治は・・・」 というが、本当に真剣になって普段から 「現在
の政治の実態をわかろうと努力などしているのだろうか」 という疑念はぬぐえない。せ
めて毎日、新聞の見出しくらいは読んでいての意見だと思いたいが、具体的な根拠も何
も持たずただなんとなくすべてを 「政治のせい」 と考えているのではないだろうか。
3.や5.については、これもただ 「何も苦労せずに就職したい」 とか 「とにかく給料
は高い方がいい」 という極めて短絡的、無責任的な言い分にしか聞こえない。「いか
なる職種であっても、それに就くためにはそれなりの技能や技術の習得が必要であり、
それなりの努力、修練があって初めてなせるものである」 「報酬 (給与) に差異が
生ずる理由はどこにあるのか」 ということをなにも理解していないとしか思えない。
これから社会に出ようとする若者である。もちろんまだ 「わからないことだらけ」 であ
るのは当然である。しかし、それならそれで最初からいろいろと 「これが気に入らない」
「こうしてほしい」 などと一方的に 「不平・不満・要求」 だけを述べさせるのもまたお
かしな話である。若者にこういうこと (「世の中に言いたいこと」) を発言させるからに
は、まずその前提として 「その世の中のことをどれだけ知ろうと日々努力しているのか」
「自分はその世の中でどのような責任を果たしていくのか」 「その世の中を自分は具体
的にどのように作っていきたいのか」 ということを考えさせることが不可欠である。そうで
なければ、たとえば政治や行政に対して批判的なことをいうばかりで、選挙にすら行ったこ
とがなかったり、自分自身の目や耳でその事象の本質を探ろうとせずに表面的なゴシップ
や風評に踊らされているだけの 「無責任社会人が今後も量産されていく」 ことが避けら
れないのだ。
「飼い主に言いたいこと」 は、山ほど
あるが、一方的に 「不平・不満・要求」
を述べることを潔しとしない!?
こじろう