2010年04月13日
『サービス強化』 も結構だが!!!
つい2日ほど前、某紙に 「自動車教習所サービス合戦 (顧客の満足度で勝負) 」 と
いうタイトルの記事を見つけ、その 「サービス強化ぶり」 に驚いてしまった。
たとえばN県内のC自動車学校では、合宿教習中、教習生は系列の会社が経営する
“スポーツクラブ” のトレーニングマシンやプール、スーパー銭湯などを無料で利用で
きる他、合宿施設はバスルーム・洗濯機・電子レンジなどを備え、さらにセキュリティも
万全な個室でまさに一流・高級ホテルをしのぐ居住性、快適性があるらしい。
また同じくI教習所では女性専用の合宿施設を設けたり、期間中に “ケーキバイキング”
等のイベントも開催される。さらに別の教習所では合宿ではなくても、自宅や勤務先まで
送迎してくれたり、受け忘れを防ぐため、教習の日程を携帯にメール送信してくれるなど
のサービスもあるようで、完全に “至れり尽くせり” 状態といえよう。
少子化による 「免許取得適齢期」 を迎える若者の減少や、特に大都市圏などで深刻
な若者の 「車離れ」 という現実に直面し、各自動車学校や教習所がいわば 「生き残
り」 をかけて 「他所に負けないサービスの提供」 による教習生の取り込み競争が激
化しているのも必然の流れではある。
いかなる業種・業界においてもサービスが強化されるのはマイナスではないし、競争に
よる切磋琢磨やレベルアップは自由主義経済における理想的産物である。しかし、この
記事を読んだことで、個人的には一つだけ簡単に払拭できない懸念が生じていることも
またたしかである。
それは当然のことながら、自動車教習所 (学校) の根底にあるのはあくまでも 「教
習」 だということである。自動車に限らず、 「教習」 は楽しく受けた方がいいことはも
ちろんだが、本来の目的は 「教習によって必要な技能や知識、責任感覚をしっかりと
身につける」 こと。ことに自動車を運転するということは 「場合によっては人の生命す
ら奪う可能性もある “走る凶器” を手繰る」 ということである。だから時にはその 「難
しさ」 や「厳しさ」 「責任の重さ」 をそれなりの “つらい思い” の教習のなかで体得
することも必要である。したがって教習生集めに躍起になるあまり、自動車教習所の本
分が損なわれることは絶対に許されることではない。
また特に 「合宿教習」 についてはもう数十年の歴史があるが、かつては 「限られた
日程の中でほぼ確実に修了できる」 ということから、その教習修了生の運転技術を危
ぶむ風潮もあり、 「 “合宿組” だから彼の運転する自動車にはあまり乗らない方が
いいぞ」 などと冗談めかした話を聞いたこともある。
もちろんこれは一種の偏見であり、またひとくくりにして断ずることなどはできないこと
であるが、もし、その “環境的なことがら” 、つまり “付随のサービス” にとどまらず
教習の内容そのものに手心が加えられる、つまり免許が取得しやすくなるようなことが
ほんの少しでもあるとしたらそれは 「言語道断」 である。
自動車免許の問題以外にも、たとえば数年前から “大学全入時代” などといわれる
なか、特に一部の私立大学にはやはり 「生き残り」 がかかっているという現状からか、
「 『名前さえ書ければ合格する』 という大学入試が存在する」 などということが、ま
ことしやかにささやかれてもそれほど違和感を抱かない教育関係者も多いという。そ
れでも大学の場合はその当事者個人の問題であり、他人にとってはどうでもいいこと
といってしまえばそれまでである。しかし先述のとおり、自動車の運転に関しては生半
可な技能や知識、責任感覚では周囲に大変な迷惑がかかるのだ。
「あの教習所は “サービス” がすばらしい」 という評判なら結構だが、「あの教習所
は “卒業しやすくて” すばらしい」 という評判は決してあっては困るのである。個人
的に勝手な懸念が 「現実」 にならないことを願うのみである。
飼い主に食事の量に関する『サービス強化』
をしてほしいと思っている!? こじろう
いうタイトルの記事を見つけ、その 「サービス強化ぶり」 に驚いてしまった。
たとえばN県内のC自動車学校では、合宿教習中、教習生は系列の会社が経営する
“スポーツクラブ” のトレーニングマシンやプール、スーパー銭湯などを無料で利用で
きる他、合宿施設はバスルーム・洗濯機・電子レンジなどを備え、さらにセキュリティも
万全な個室でまさに一流・高級ホテルをしのぐ居住性、快適性があるらしい。
また同じくI教習所では女性専用の合宿施設を設けたり、期間中に “ケーキバイキング”
等のイベントも開催される。さらに別の教習所では合宿ではなくても、自宅や勤務先まで
送迎してくれたり、受け忘れを防ぐため、教習の日程を携帯にメール送信してくれるなど
のサービスもあるようで、完全に “至れり尽くせり” 状態といえよう。
少子化による 「免許取得適齢期」 を迎える若者の減少や、特に大都市圏などで深刻
な若者の 「車離れ」 という現実に直面し、各自動車学校や教習所がいわば 「生き残
り」 をかけて 「他所に負けないサービスの提供」 による教習生の取り込み競争が激
化しているのも必然の流れではある。
いかなる業種・業界においてもサービスが強化されるのはマイナスではないし、競争に
よる切磋琢磨やレベルアップは自由主義経済における理想的産物である。しかし、この
記事を読んだことで、個人的には一つだけ簡単に払拭できない懸念が生じていることも
またたしかである。
それは当然のことながら、自動車教習所 (学校) の根底にあるのはあくまでも 「教
習」 だということである。自動車に限らず、 「教習」 は楽しく受けた方がいいことはも
ちろんだが、本来の目的は 「教習によって必要な技能や知識、責任感覚をしっかりと
身につける」 こと。ことに自動車を運転するということは 「場合によっては人の生命す
ら奪う可能性もある “走る凶器” を手繰る」 ということである。だから時にはその 「難
しさ」 や「厳しさ」 「責任の重さ」 をそれなりの “つらい思い” の教習のなかで体得
することも必要である。したがって教習生集めに躍起になるあまり、自動車教習所の本
分が損なわれることは絶対に許されることではない。
また特に 「合宿教習」 についてはもう数十年の歴史があるが、かつては 「限られた
日程の中でほぼ確実に修了できる」 ということから、その教習修了生の運転技術を危
ぶむ風潮もあり、 「 “合宿組” だから彼の運転する自動車にはあまり乗らない方が
いいぞ」 などと冗談めかした話を聞いたこともある。
もちろんこれは一種の偏見であり、またひとくくりにして断ずることなどはできないこと
であるが、もし、その “環境的なことがら” 、つまり “付随のサービス” にとどまらず
教習の内容そのものに手心が加えられる、つまり免許が取得しやすくなるようなことが
ほんの少しでもあるとしたらそれは 「言語道断」 である。
自動車免許の問題以外にも、たとえば数年前から “大学全入時代” などといわれる
なか、特に一部の私立大学にはやはり 「生き残り」 がかかっているという現状からか、
「 『名前さえ書ければ合格する』 という大学入試が存在する」 などということが、ま
ことしやかにささやかれてもそれほど違和感を抱かない教育関係者も多いという。そ
れでも大学の場合はその当事者個人の問題であり、他人にとってはどうでもいいこと
といってしまえばそれまでである。しかし先述のとおり、自動車の運転に関しては生半
可な技能や知識、責任感覚では周囲に大変な迷惑がかかるのだ。
「あの教習所は “サービス” がすばらしい」 という評判なら結構だが、「あの教習所
は “卒業しやすくて” すばらしい」 という評判は決してあっては困るのである。個人
的に勝手な懸念が 「現実」 にならないことを願うのみである。
飼い主に食事の量に関する『サービス強化』
をしてほしいと思っている!? こじろう