2010年04月08日
中年は まだ『こども』か???
先月下旬、宮崎県で小学校の校庭にミカンの苗木約130本を植え、校庭を使えなく
した無職男性と共犯の男性3人が6日、威力業務妨害容疑で逮捕されたとのニュース
を目にした。4人とも容疑を認めているらしく、主犯の男性は「自分の土地に植えて何
が悪いのか」、共犯の男性らは「悪いことだとは思ったが、お金をもらったのでやった」
と供述しているという。
その小学校と主犯の男性とは、約20年にわたり校庭の土地所有権をめぐりいろいろ
とトラブル等があったということだが、そのこと自体のいきさつや法律的判断について
は報道の内容だけからではなんとも言えないし、その資格もない。ただ、驚いたのは
(興味を抱いたのは)その容疑者らの年齢と犯行の中身との関係である。
主犯の男性が59歳、共犯の男性の最高齢は78歳ということであるが、イマドキの
60~70代の高年齢者による犯罪はそう珍しいことでもない。しかし、重機を用いた
ことや4人で行ったことを鑑みても、短期間に130本もの苗木を植えるというのはそ
の年齢の人たちにとってはやはりなかなかの重労働ではないかとも思われる。また、
それ以上に単なる空き地や公園の広場ならともかく、春休み中であったとはいえ、よ
りによって日常フルに使用される小学校の校庭でそれだけのことをするという「発想
力」と「行動力」にある意味“感心”?“敬服“?してしまうのである。
もっとも、いかなるいきさつや理由があろうとも、このような行為は法律的、倫理的、
社会的に許されるものではないし、また容疑者らを擁護するつもりも毛頭ない。しか
し、その「バイタリティ」?は、少なくとも彼らより若い中年の自分にはないものであ
るのはたしかなことだ。
自分らが子どもの頃の60代の人といえば、もうすでに「おじいさん」、「おばあさん」
というイメージが強かったが、現在は平均寿命もずいぶん伸びたとはいえ、また個人
差ももちろんあるにせよ、60歳などという年齢は「まだまだ人生これからが本番」と
いう感覚が普通である時代になった、ということだろうか。
そういう観点では、われわれの年代などはある意味まだ“こども”のようなものであり、
日々の生活で「疲れてしまって」とか「もう年齢が年齢だから(ムリできない)」などと
愚痴めいたことをいえば、高年齢者の方々から「このワカ(若)者めが」ならぬ、「この
バカ者めが」と一喝されてしまうというものかもしれない。
人間でいえばもう“青年”であるが、
いつまでも“少年”の心を失いたく
ない!? こじろう
した無職男性と共犯の男性3人が6日、威力業務妨害容疑で逮捕されたとのニュース
を目にした。4人とも容疑を認めているらしく、主犯の男性は「自分の土地に植えて何
が悪いのか」、共犯の男性らは「悪いことだとは思ったが、お金をもらったのでやった」
と供述しているという。
その小学校と主犯の男性とは、約20年にわたり校庭の土地所有権をめぐりいろいろ
とトラブル等があったということだが、そのこと自体のいきさつや法律的判断について
は報道の内容だけからではなんとも言えないし、その資格もない。ただ、驚いたのは
(興味を抱いたのは)その容疑者らの年齢と犯行の中身との関係である。
主犯の男性が59歳、共犯の男性の最高齢は78歳ということであるが、イマドキの
60~70代の高年齢者による犯罪はそう珍しいことでもない。しかし、重機を用いた
ことや4人で行ったことを鑑みても、短期間に130本もの苗木を植えるというのはそ
の年齢の人たちにとってはやはりなかなかの重労働ではないかとも思われる。また、
それ以上に単なる空き地や公園の広場ならともかく、春休み中であったとはいえ、よ
りによって日常フルに使用される小学校の校庭でそれだけのことをするという「発想
力」と「行動力」にある意味“感心”?“敬服“?してしまうのである。
もっとも、いかなるいきさつや理由があろうとも、このような行為は法律的、倫理的、
社会的に許されるものではないし、また容疑者らを擁護するつもりも毛頭ない。しか
し、その「バイタリティ」?は、少なくとも彼らより若い中年の自分にはないものであ
るのはたしかなことだ。
自分らが子どもの頃の60代の人といえば、もうすでに「おじいさん」、「おばあさん」
というイメージが強かったが、現在は平均寿命もずいぶん伸びたとはいえ、また個人
差ももちろんあるにせよ、60歳などという年齢は「まだまだ人生これからが本番」と
いう感覚が普通である時代になった、ということだろうか。
そういう観点では、われわれの年代などはある意味まだ“こども”のようなものであり、
日々の生活で「疲れてしまって」とか「もう年齢が年齢だから(ムリできない)」などと
愚痴めいたことをいえば、高年齢者の方々から「このワカ(若)者めが」ならぬ、「この
バカ者めが」と一喝されてしまうというものかもしれない。
人間でいえばもう“青年”であるが、
いつまでも“少年”の心を失いたく
ない!? こじろう