2010年04月01日
『恐ろしさ』 さえ感じてしまう!!!
自らの失態を棚に上げるだけでなく、推測の域を出ない犯人像を実名で発表する。
法治国家の捜査機関としてあまりに無責任で乱暴なやり方に納得がいかないどころ
か、『恐ろしさ』 さえ感じてしまう国民も多いのではないか。
事件が未解決のまま公訴時効を迎えた15年前の警察庁長官銃撃事件につき、警視
庁が「O真理教(当時)の信者グループが教祖の意思の下で実行した以外考えられな
い」と結論づけたとの報道は、各方面でたくさんの批判の声を集めている。
15年前の事件当時、O真理教が反社会的、暴力的なさまざまな組織犯罪に関与して
いたことはもはや否定しようがない事実とされている。地下鉄サリン事件をはじめと
する世間を震撼させるような凶悪な犯罪を極めて身勝手な理屈により正当化、実行し、
その犠牲になったり被害に遭った善良な市民は数知れず、また未だに事件の後遺症
に悩む関係者も少なくない。組織的テロともいえる同種の犯罪をニ度と許してはいけな
いというのは国家としての大きな課題でもある。
しかし、だからといって実行犯や共犯者を特定できるだけの証拠をそろえることがで
きなかった、つまり容疑者不詳のまま書類送検した事件を、一連のO真理教の事件と
一緒くたにして、その犯行と決めつけ発表することが許されるわけではない。もっとも
警察内部で現在もどのような見解を持っていようが、必ずしも世間一般の知ったこと
ではないが、少なくとも捜査本部を指揮した警視庁公安部長自ら正式な記者会見上
で発表することが一般常識を有する国民の理解を得ることは到底できないだろう。
自らの失態に対する批判を回避しようとして他にその責任をなすりつける。組織間、
個人間を問わずよくみられる構図といえるかもしれないが、それは人間社会で最も醜
悪な一面である。絶対的な権力が背後に控える捜査機関がそういうことを平然と行う
ような国家はとても“民主国家”とはいえないだろう。
警視庁はその“体面”や“公益のためという建前”を捨て去り、15年間にわたる一連
の捜査の迷走ぶりをしっかりと検証したうえで反省し、改めて国民に説明する責任を
果たす必要があるだろう。
自分のミスはできれば棚に上げたい
と思いつつ、結局は自白せざるをえ
ない状況に陥る!? こじろう
法治国家の捜査機関としてあまりに無責任で乱暴なやり方に納得がいかないどころ
か、『恐ろしさ』 さえ感じてしまう国民も多いのではないか。
事件が未解決のまま公訴時効を迎えた15年前の警察庁長官銃撃事件につき、警視
庁が「O真理教(当時)の信者グループが教祖の意思の下で実行した以外考えられな
い」と結論づけたとの報道は、各方面でたくさんの批判の声を集めている。
15年前の事件当時、O真理教が反社会的、暴力的なさまざまな組織犯罪に関与して
いたことはもはや否定しようがない事実とされている。地下鉄サリン事件をはじめと
する世間を震撼させるような凶悪な犯罪を極めて身勝手な理屈により正当化、実行し、
その犠牲になったり被害に遭った善良な市民は数知れず、また未だに事件の後遺症
に悩む関係者も少なくない。組織的テロともいえる同種の犯罪をニ度と許してはいけな
いというのは国家としての大きな課題でもある。
しかし、だからといって実行犯や共犯者を特定できるだけの証拠をそろえることがで
きなかった、つまり容疑者不詳のまま書類送検した事件を、一連のO真理教の事件と
一緒くたにして、その犯行と決めつけ発表することが許されるわけではない。もっとも
警察内部で現在もどのような見解を持っていようが、必ずしも世間一般の知ったこと
ではないが、少なくとも捜査本部を指揮した警視庁公安部長自ら正式な記者会見上
で発表することが一般常識を有する国民の理解を得ることは到底できないだろう。
自らの失態に対する批判を回避しようとして他にその責任をなすりつける。組織間、
個人間を問わずよくみられる構図といえるかもしれないが、それは人間社会で最も醜
悪な一面である。絶対的な権力が背後に控える捜査機関がそういうことを平然と行う
ような国家はとても“民主国家”とはいえないだろう。
警視庁はその“体面”や“公益のためという建前”を捨て去り、15年間にわたる一連
の捜査の迷走ぶりをしっかりと検証したうえで反省し、改めて国民に説明する責任を
果たす必要があるだろう。
自分のミスはできれば棚に上げたい
と思いつつ、結局は自白せざるをえ
ない状況に陥る!? こじろう