2010年04月16日
『思い込み』 は“禁物”!!!
先日の衆院財務金融委員会における K井金融郵政改革担当相(73歳)と自民党の
K泉衆院議員(29歳)の“因縁”の対決の様子は大きく報道された。そのニュースを直
接観れなかった自分はその後YouTubeで確認したが、父親以上に年齢差のある海千
山千のクセもの? K井大臣を相手に、K泉議員の方が優勢であったという見方が一般
的なようである。ことに 「支持率0%の政党に今の民主党は振り回されている」 VS
「支持率で政治が行われるのなら政治家はいらない」 とのクライマックス?では、やは
りどう見てもK井大臣の方が分が悪いと感じた国民が多かったのでないだろうか。
この“世襲の典型・代表”ともいえるK泉ジュニアについては以前(1月30日)「こじろ
う117」でも書いたことがあるが、K井大臣に対決後のコメントで、「人の心理をくすぐる
のは父親譲りでうまい」と評価?されたことからもわかるように、今や瓦解寸前ともいえ
る自民党にあって、日を追うごとにその存在感を増しているかの雰囲気もあり、これから
はいわゆる“上から目線”を自重し、“謙虚さ”を身につければ、一般社会ではともかく
として、「政界」という特殊な場所では案外“大物”になる要素を兼ね備えているのかも
しれない。
さて、先ほどの「支持率」について、たまたま某紙15日朝刊に某国立大学教授によ
る、「内閣支持率依存・・・世論測る新たな指標を」という投稿記事があった。
今の時代、各世論調査による内閣や政党の支持率の数字がかなりの頻度で発表され、
国民の多く、特に政治家自身がそれに「振り回されている」感があることは否定できな
い。その教授はこの現状を「世論調査民主主義」と呼び、「永田町のみならず、社会全
体に何かことが起きると直ちに世論調査の内閣支持率が報道され、それに皆が『納得
する』のが一つのサイクルになっている。今や政治家の世論調査依存は“重症”である」
という趣旨の分析をしていた。
世論調査は文字通りその時点における世論をそのまま反映するものであり、いわば民
意の動向をとらえる唯一のアンテナともいえるものである。しかし、当然のことながら、
その都度すべての国民を対象に調査をしているわけではない。
個人的に問題だと思うのは、その世論調査における支持率の数字だけをもって、その
結果を知らされた一般市民が、「その通りかもしれない」から「たしかにその通りだ」
となってしまうことである。日常から政治の動向というものに強い関心を抱いている
人はそれなりにいるだろうが、大半の国民は必ずしもそうでない。
だから世論調査の結果、たとえば「内閣支持率が△△%」と出た瞬間に、「今の内閣
はその程度か」と決めつけてしまう、つまり自分の目や耳で政治の実態を把握するの
でなく、支持率そのものを「実態」としてとらえ、その通りだと「思い込む」ことが往々に
して行われているのである。
もちろん世論調査は、基本的に無作為に抽出された有権者を対象にして行われるもの
で、それなりに正確な民意が反映されることを否定するつもりはない。だからここで言い
たいのは、その調査の「正確さ」や「信憑性」ということについてではない。大切なこと
は「支持率(民意)」=「自分の意見」とすることではなく、あくまでも「自分自身の意見」
をもつことである、ということなのだ。
政党や個々の議員が世論調査による内閣や政党の支持率の変動に一喜一憂するの
は構わないし、またそうせざるをえないのはよくわかる。しかし、一般国民、市民は民主
主義社会の一員として、表面的な数字のみに安易に流されるのでなく、自らの意思と
考えをもって政治に参画していくのが本来であろう。『思い込み』は“禁物”である。
飼い主の『思い込み』により、数々の
迷惑を被っていることを何とかしてほ
しいと考えている!? こじろう
K泉衆院議員(29歳)の“因縁”の対決の様子は大きく報道された。そのニュースを直
接観れなかった自分はその後YouTubeで確認したが、父親以上に年齢差のある海千
山千のクセもの? K井大臣を相手に、K泉議員の方が優勢であったという見方が一般
的なようである。ことに 「支持率0%の政党に今の民主党は振り回されている」 VS
「支持率で政治が行われるのなら政治家はいらない」 とのクライマックス?では、やは
りどう見てもK井大臣の方が分が悪いと感じた国民が多かったのでないだろうか。
この“世襲の典型・代表”ともいえるK泉ジュニアについては以前(1月30日)「こじろ
う117」でも書いたことがあるが、K井大臣に対決後のコメントで、「人の心理をくすぐる
のは父親譲りでうまい」と評価?されたことからもわかるように、今や瓦解寸前ともいえ
る自民党にあって、日を追うごとにその存在感を増しているかの雰囲気もあり、これから
はいわゆる“上から目線”を自重し、“謙虚さ”を身につければ、一般社会ではともかく
として、「政界」という特殊な場所では案外“大物”になる要素を兼ね備えているのかも
しれない。
さて、先ほどの「支持率」について、たまたま某紙15日朝刊に某国立大学教授によ
る、「内閣支持率依存・・・世論測る新たな指標を」という投稿記事があった。
今の時代、各世論調査による内閣や政党の支持率の数字がかなりの頻度で発表され、
国民の多く、特に政治家自身がそれに「振り回されている」感があることは否定できな
い。その教授はこの現状を「世論調査民主主義」と呼び、「永田町のみならず、社会全
体に何かことが起きると直ちに世論調査の内閣支持率が報道され、それに皆が『納得
する』のが一つのサイクルになっている。今や政治家の世論調査依存は“重症”である」
という趣旨の分析をしていた。
世論調査は文字通りその時点における世論をそのまま反映するものであり、いわば民
意の動向をとらえる唯一のアンテナともいえるものである。しかし、当然のことながら、
その都度すべての国民を対象に調査をしているわけではない。
個人的に問題だと思うのは、その世論調査における支持率の数字だけをもって、その
結果を知らされた一般市民が、「その通りかもしれない」から「たしかにその通りだ」
となってしまうことである。日常から政治の動向というものに強い関心を抱いている
人はそれなりにいるだろうが、大半の国民は必ずしもそうでない。
だから世論調査の結果、たとえば「内閣支持率が△△%」と出た瞬間に、「今の内閣
はその程度か」と決めつけてしまう、つまり自分の目や耳で政治の実態を把握するの
でなく、支持率そのものを「実態」としてとらえ、その通りだと「思い込む」ことが往々に
して行われているのである。
もちろん世論調査は、基本的に無作為に抽出された有権者を対象にして行われるもの
で、それなりに正確な民意が反映されることを否定するつもりはない。だからここで言い
たいのは、その調査の「正確さ」や「信憑性」ということについてではない。大切なこと
は「支持率(民意)」=「自分の意見」とすることではなく、あくまでも「自分自身の意見」
をもつことである、ということなのだ。
政党や個々の議員が世論調査による内閣や政党の支持率の変動に一喜一憂するの
は構わないし、またそうせざるをえないのはよくわかる。しかし、一般国民、市民は民主
主義社会の一員として、表面的な数字のみに安易に流されるのでなく、自らの意思と
考えをもって政治に参画していくのが本来であろう。『思い込み』は“禁物”である。
飼い主の『思い込み』により、数々の
迷惑を被っていることを何とかしてほ
しいと考えている!? こじろう