2010年04月27日
明らかな 『ムダ』 は許されない!!!
官公庁の行うことにはいろいろと 「?」 というものがあるが、昨日の朝、そのことを身
近に感じさせられるものが仕事場に届いていた。それは経済産業省から送られてきた
「△△統計調査のお願い」 というタイトルの封筒にA4サイズの書類が20枚ほど入
った郵便物である。
差出人は経産省所管の某庁長官で送付先の基準は、「総務省 『事業所企業統計調査』
名簿等を基に標本調査論に基づき、無作為抽出方法により選定」 となっている。その
調査の 「趣旨」 には “某庁長官名” でいかにも「もっともらしい」ことが書かれていた
が、問題はその中身である。調査する方はそのことに関する専門的業務に携わっている
ことにより、 「当然」 の内容であっても、調査される側の一般事業所の立場からすれ
ば、そう簡単に回答できるものでなく、またその回答方式も煩雑で面倒なものである。
いいかえれば、この調査を依頼された企業 (担当者) のうち、的確に回答できるとこ
ろがはたしてどれくらいあるのだろうか、またその回答・回収率は一体どの程度のものな
のだろうかと、思わず考えこんでしまうような内容なのである。
この手の統計調査は年に数回送付されてくるが、思い出せる範囲では今回の経産省の
他、厚労省、国交省関連が多いような気がする。もちろん行政の遂行や政策の立案を行う
うえで、さまざまな実態を把握するための統計調査は不可欠である。その意味でそれらの
大半については基本的に問題ないとしても、やはり中には調査することの 「意義」やその
「効果」 につき (ゼロとはいわぬまでも) かなり疑問視されるものもあるのではと推測
されるのだ。
だからそういうものは 「何かの明確な目的のための調査」 でなく、「『調査』 (という
仕事を作り出す) のための調査」なのではないか、とさえ考えられるのである。
また本来、それなりに信憑性の高い統計とするためには、やはりそれなりのデータが必
要となるのだろうが、先ほどのような内容のものはその回答・回収率がそれほど高くな
いと考えられることから、調査対象先も相当の数が必要となる、つまりその送付の費用
だけでも大変な額になることが予想されるのである。民間企業なら同じような調査の必
要があったとしても、「費用対効果」 考えればとても同じことはできないのだ。
調査に限らず、たとえ多少 「ムダ」 になる可能性があるようなことでも、時には実施し
なくてはならないのが行政というものである。利潤の追求を第一にする民間企業との最大
の違いはその点にあるといってもいいだろう。
しかし、「結果としてムダになってしまうことがある」 というのではなく、「最初からムダで
あることを承知で行う」 としたらそれは全く筋の通らぬ話である。
現在、「事業仕分け (第2弾)」 まっただ中である。「事業仕分けなどと大げさに言って
みても、実際に数字に現れる数字は大したことはない」 などと揶揄する声も聞こえて
くることもたしかである。しかし、やはり国民の血税をたとえほんの少額であっても
「ムダ」 にすることはできないのである。今回の仕分け対象は独立行政法人という
ことであるが、どう見ても庶民感覚にそぐわないような 「天下り」 や 「渡り」によって
ごく一部の人間が “不条理” な利益をむさぼっている実態に、国民がさらに厳しい
目を向ける 「きっかけ」 となるだけでもその意義は小さくないだろう。
各種統計による 「犬の習性」に
あてはまらないことが多いという
自覚のある!? こじろう
近に感じさせられるものが仕事場に届いていた。それは経済産業省から送られてきた
「△△統計調査のお願い」 というタイトルの封筒にA4サイズの書類が20枚ほど入
った郵便物である。
差出人は経産省所管の某庁長官で送付先の基準は、「総務省 『事業所企業統計調査』
名簿等を基に標本調査論に基づき、無作為抽出方法により選定」 となっている。その
調査の 「趣旨」 には “某庁長官名” でいかにも「もっともらしい」ことが書かれていた
が、問題はその中身である。調査する方はそのことに関する専門的業務に携わっている
ことにより、 「当然」 の内容であっても、調査される側の一般事業所の立場からすれ
ば、そう簡単に回答できるものでなく、またその回答方式も煩雑で面倒なものである。
いいかえれば、この調査を依頼された企業 (担当者) のうち、的確に回答できるとこ
ろがはたしてどれくらいあるのだろうか、またその回答・回収率は一体どの程度のものな
のだろうかと、思わず考えこんでしまうような内容なのである。
この手の統計調査は年に数回送付されてくるが、思い出せる範囲では今回の経産省の
他、厚労省、国交省関連が多いような気がする。もちろん行政の遂行や政策の立案を行う
うえで、さまざまな実態を把握するための統計調査は不可欠である。その意味でそれらの
大半については基本的に問題ないとしても、やはり中には調査することの 「意義」やその
「効果」 につき (ゼロとはいわぬまでも) かなり疑問視されるものもあるのではと推測
されるのだ。
だからそういうものは 「何かの明確な目的のための調査」 でなく、「『調査』 (という
仕事を作り出す) のための調査」なのではないか、とさえ考えられるのである。
また本来、それなりに信憑性の高い統計とするためには、やはりそれなりのデータが必
要となるのだろうが、先ほどのような内容のものはその回答・回収率がそれほど高くな
いと考えられることから、調査対象先も相当の数が必要となる、つまりその送付の費用
だけでも大変な額になることが予想されるのである。民間企業なら同じような調査の必
要があったとしても、「費用対効果」 考えればとても同じことはできないのだ。
調査に限らず、たとえ多少 「ムダ」 になる可能性があるようなことでも、時には実施し
なくてはならないのが行政というものである。利潤の追求を第一にする民間企業との最大
の違いはその点にあるといってもいいだろう。
しかし、「結果としてムダになってしまうことがある」 というのではなく、「最初からムダで
あることを承知で行う」 としたらそれは全く筋の通らぬ話である。
現在、「事業仕分け (第2弾)」 まっただ中である。「事業仕分けなどと大げさに言って
みても、実際に数字に現れる数字は大したことはない」 などと揶揄する声も聞こえて
くることもたしかである。しかし、やはり国民の血税をたとえほんの少額であっても
「ムダ」 にすることはできないのである。今回の仕分け対象は独立行政法人という
ことであるが、どう見ても庶民感覚にそぐわないような 「天下り」 や 「渡り」によって
ごく一部の人間が “不条理” な利益をむさぼっている実態に、国民がさらに厳しい
目を向ける 「きっかけ」 となるだけでもその意義は小さくないだろう。
各種統計による 「犬の習性」に
あてはまらないことが多いという
自覚のある!? こじろう