2010年04月20日
『最低限のルール』 では???(その2)
昨日の「こじろう117」でも書いた大阪府の市立小学校で起きた 「学級崩壊リポート
非難され 『ショックで通院』」の件の続きである。報道の内容をすべて鵜呑みにするこ
とはできないし、そこまでに至る経緯や背景がわからないと判断できないこともあるが、
一応報道からわかる範囲という前提で、今日は学校側の犯した 「重大な失態」 を中心
に述べてみたい。
それはまず第一に、“女性保護者”の授業参観リポートそのものを保護者会で配布した
ことである。報道では 「(問題の)児童名をペンで消したが、消し方が雑だったことで
その児童名が特定された」 というニュアンスであったが、ここで児童名を “消した”と
か “消し方が雑だった”ということはどうでもいいことである。こういう場合は保護者か
らのリポートの現物(そのコピーなども含む)は、具体的に児童名が入っている、入って
いないにかかわらず、あくまでも “参考資料”として学校関係者の目だけにとどめておく
のが常識である。保護者会に配布資料が必要だとするならば、それは学校側が改めて
作成し直すのが筋だといえよう。つまり 「その作成・配布に関わる全責任は学校側が
背負う」という形にするのが当然であり、それこそが 『最低限のルール』 というもの
である。
昨日も書いたが、女性保護者のリポートに個人的な思惑や都合のよい脚色が全くなく、
信憑性が高ければ高いほどその作成者は周囲から秘匿され、保護されなければなら
ない。なぜなら保護者間で、リポート作成についての「犯人?」探しが行われるであろう
ことは普通に考えて明らかであるし、また表面上は犯人探しが行われないにしても、作
成したのは誰なのかとお互いに疑心暗鬼になり、将来に禍根を残すことにもなりかねな
いからである。
第2に、“5人の保護者”に対してリポート作成者の名前を明かしたことに加え、さらには
その女性保護者を非難したり、謝罪させるなどという機会を与えたことも言語道断であ
る。もちろん 「保護者間で学校外で “勝手にやったこと”」と言い逃れをする可能性も
あるが、それならそれでそこに校長が同席していることの説明がつかない。もし、学校
側として女性保護者の名前を明かしてしまったことに責任を感じ、「何とか女性保護者を
(5人のモンスターたちから)守り、救わなければならない」 として校長がその現場を
突きとめて駆けつけたということであったとしても、実際には2時間以上にもわたり校長
自身はほとんど発言しなかったということをもって結局はたんなる 「お飾り」として同席
していたにすぎず、何の役にも立っていなかったといっても言い過ぎではないだろう。
第3に、これは特にいいにくいことであり、またあたりまえといえばそのとおりであるが、
今回の訴訟に関しておそらく最終的には “和解” というような形で決着がつくとして
もそこで支払われる額の元は国民・市民の税金である。つまり、今回の大失態をしで
かした校長をはじめとする学校関係者の懐は少しも痛まないのである。
今の時代、教育の現場にいるスタッフは 「“非常識の塊” のような一部の保護者」を
抱え、従来とは比較にならないほどのストレスに苛まされていることはよく理解できるし
同情せざるを得ない面も少なくない。しかし、どのような業務においても 「これだけは
遵守しなくてはならないという 『最低限のルール』」 は存在するものである。報道の
内容が事実と大きく異ならない限り、この 『最低限のルール』 を守れなかった学校
関係者、特に責任者である校長に対する同情の余地はないだろう。また、市教委の無
責任と思える対応も見過ごすことはやはり難しいような気がする。
自分のしでかしたイタズラのことを
非難された際に、「逆ギレ」という
ルール違反で対抗する!?こじろう
非難され 『ショックで通院』」の件の続きである。報道の内容をすべて鵜呑みにするこ
とはできないし、そこまでに至る経緯や背景がわからないと判断できないこともあるが、
一応報道からわかる範囲という前提で、今日は学校側の犯した 「重大な失態」 を中心
に述べてみたい。
それはまず第一に、“女性保護者”の授業参観リポートそのものを保護者会で配布した
ことである。報道では 「(問題の)児童名をペンで消したが、消し方が雑だったことで
その児童名が特定された」 というニュアンスであったが、ここで児童名を “消した”と
か “消し方が雑だった”ということはどうでもいいことである。こういう場合は保護者か
らのリポートの現物(そのコピーなども含む)は、具体的に児童名が入っている、入って
いないにかかわらず、あくまでも “参考資料”として学校関係者の目だけにとどめておく
のが常識である。保護者会に配布資料が必要だとするならば、それは学校側が改めて
作成し直すのが筋だといえよう。つまり 「その作成・配布に関わる全責任は学校側が
背負う」という形にするのが当然であり、それこそが 『最低限のルール』 というもの
である。
昨日も書いたが、女性保護者のリポートに個人的な思惑や都合のよい脚色が全くなく、
信憑性が高ければ高いほどその作成者は周囲から秘匿され、保護されなければなら
ない。なぜなら保護者間で、リポート作成についての「犯人?」探しが行われるであろう
ことは普通に考えて明らかであるし、また表面上は犯人探しが行われないにしても、作
成したのは誰なのかとお互いに疑心暗鬼になり、将来に禍根を残すことにもなりかねな
いからである。
第2に、“5人の保護者”に対してリポート作成者の名前を明かしたことに加え、さらには
その女性保護者を非難したり、謝罪させるなどという機会を与えたことも言語道断であ
る。もちろん 「保護者間で学校外で “勝手にやったこと”」と言い逃れをする可能性も
あるが、それならそれでそこに校長が同席していることの説明がつかない。もし、学校
側として女性保護者の名前を明かしてしまったことに責任を感じ、「何とか女性保護者を
(5人のモンスターたちから)守り、救わなければならない」 として校長がその現場を
突きとめて駆けつけたということであったとしても、実際には2時間以上にもわたり校長
自身はほとんど発言しなかったということをもって結局はたんなる 「お飾り」として同席
していたにすぎず、何の役にも立っていなかったといっても言い過ぎではないだろう。
第3に、これは特にいいにくいことであり、またあたりまえといえばそのとおりであるが、
今回の訴訟に関しておそらく最終的には “和解” というような形で決着がつくとして
もそこで支払われる額の元は国民・市民の税金である。つまり、今回の大失態をしで
かした校長をはじめとする学校関係者の懐は少しも痛まないのである。
今の時代、教育の現場にいるスタッフは 「“非常識の塊” のような一部の保護者」を
抱え、従来とは比較にならないほどのストレスに苛まされていることはよく理解できるし
同情せざるを得ない面も少なくない。しかし、どのような業務においても 「これだけは
遵守しなくてはならないという 『最低限のルール』」 は存在するものである。報道の
内容が事実と大きく異ならない限り、この 『最低限のルール』 を守れなかった学校
関係者、特に責任者である校長に対する同情の余地はないだろう。また、市教委の無
責任と思える対応も見過ごすことはやはり難しいような気がする。
自分のしでかしたイタズラのことを
非難された際に、「逆ギレ」という
ルール違反で対抗する!?こじろう