2011年08月22日
『悲惨』 の波及!!!
一般に交通事故が “悲惨” なものであることに疑いはないが、その直接の当事者の
身体的・精神的な苦痛は当然として、周囲に及ぼす影響も計り知れず、さまざまな方
面にその 『悲惨さ』 が波及してしまう。
昨日某紙に 「結婚式に向かう車、トラックと衝突・・・・4人死傷」 というタイトルの記事
があったが、その内容は、
・・・・・・・・ 20日午前5:10頃、山形県長井市の国道113号線交差点で、
同市の介護士男性Iさん (31才) の乗用車と、福島県の会社員
Yさん (39才) のトラックが出合い頭に衝突した。
乗用車の後部座席に乗っていた長井市の自営業Tさん (61才)
と妻でIさんの伯母 (59才) が車外に投げ出され、搬送先の病
院で死亡が確認された。
Iさんと、Iさんの父 (58才) もケガを負った。
長井署の発表によると現場は信号機のない交差点で見通しはよか
った。
Iさんら4人はさいたま市で開かれるIさんの妹の結婚式に向かう途
中だった・・・・・・・・・・・
というものである。
信号機のない交差点でどのような状況で事故が起きたのかはこの記事からだけでは
よくわからない。したがってそれそのものに言及のしようはないが、いずれにせよ2人
が死亡した重大事故であり、その原因のいかんを問わず改めて交通事故の悲惨さを
思い知らされるというものだ。
だが特に今回のような事故の場合はその直接の当事者が大変に気の毒であることに
とどまらない面がある。それは事故当時、当該車両の一つの乗員が 「 (家族あるい
は親戚の) 結婚式に向かう途中であった」 ということによるものだ。この事故の発生
により予定されていた結婚式が中止や延期になったのかまではわからないが、少なく
ともそれ (死亡事故のこと) を聞かされた関係者ら、特に主役の新郎新婦に与える
衝撃は決して小さくないだろう。そのまま結婚式が行なわれた場合でも、毎年 “結婚
記念日” を迎えるたびにこの悲惨な事故のことを否応なしに思い浮かべざるをえない
のは大変つらいと思われる。また当日の他の招待客らにとっても、主役にとって人生で
最も幸福であるはずの晴れ舞台であるにもかかわらず、その祝福の思いや表現に多少
なりとも複雑なものが交錯してしまうかもしれない。
社会で生きるということは、自分自身にその原因や心当たりが全くないことにおいても
こういった “悲惨” の波及がいつあるかは全く予測できないものである。しかしいずれ
にせよ、特にこういった報道を見聞きすることで、全くの部外者であっても大変に心痛む
ことに例外はない。
飼い主の運転する自動車に同乗す
る際には、緊張のため心休まるこ
とがなく、尋常でない疲労に襲わ
れる!? こじろう
身体的・精神的な苦痛は当然として、周囲に及ぼす影響も計り知れず、さまざまな方
面にその 『悲惨さ』 が波及してしまう。
昨日某紙に 「結婚式に向かう車、トラックと衝突・・・・4人死傷」 というタイトルの記事
があったが、その内容は、
・・・・・・・・ 20日午前5:10頃、山形県長井市の国道113号線交差点で、
同市の介護士男性Iさん (31才) の乗用車と、福島県の会社員
Yさん (39才) のトラックが出合い頭に衝突した。
乗用車の後部座席に乗っていた長井市の自営業Tさん (61才)
と妻でIさんの伯母 (59才) が車外に投げ出され、搬送先の病
院で死亡が確認された。
Iさんと、Iさんの父 (58才) もケガを負った。
長井署の発表によると現場は信号機のない交差点で見通しはよか
った。
Iさんら4人はさいたま市で開かれるIさんの妹の結婚式に向かう途
中だった・・・・・・・・・・・
というものである。
信号機のない交差点でどのような状況で事故が起きたのかはこの記事からだけでは
よくわからない。したがってそれそのものに言及のしようはないが、いずれにせよ2人
が死亡した重大事故であり、その原因のいかんを問わず改めて交通事故の悲惨さを
思い知らされるというものだ。
だが特に今回のような事故の場合はその直接の当事者が大変に気の毒であることに
とどまらない面がある。それは事故当時、当該車両の一つの乗員が 「 (家族あるい
は親戚の) 結婚式に向かう途中であった」 ということによるものだ。この事故の発生
により予定されていた結婚式が中止や延期になったのかまではわからないが、少なく
ともそれ (死亡事故のこと) を聞かされた関係者ら、特に主役の新郎新婦に与える
衝撃は決して小さくないだろう。そのまま結婚式が行なわれた場合でも、毎年 “結婚
記念日” を迎えるたびにこの悲惨な事故のことを否応なしに思い浮かべざるをえない
のは大変つらいと思われる。また当日の他の招待客らにとっても、主役にとって人生で
最も幸福であるはずの晴れ舞台であるにもかかわらず、その祝福の思いや表現に多少
なりとも複雑なものが交錯してしまうかもしれない。
社会で生きるということは、自分自身にその原因や心当たりが全くないことにおいても
こういった “悲惨” の波及がいつあるかは全く予測できないものである。しかしいずれ
にせよ、特にこういった報道を見聞きすることで、全くの部外者であっても大変に心痛む
ことに例外はない。
飼い主の運転する自動車に同乗す
る際には、緊張のため心休まるこ
とがなく、尋常でない疲労に襲わ
れる!? こじろう