2011年08月02日
『謝罪』 は本当に必要???
たとえば親が聞き分けのない自分の子どもに対し、 「いい加減にしないと、あんたなんか
(将来) どうなったっておかあさん、知らないからね」 くらいのことをいうのは今でも珍しく
ないだろうし、そんな程度のことで普通の子どもが簡単に傷つくとは考えにくい。
さて昨日某紙に 「教諭、生徒に 『てめえらの将来俺には関係ない』 」 というタイトルの
記事があったが、その内容は、
・・・・・・・島根県の県立Y高校の男性教諭 (42才) が授業中、生徒たちに対し 「てめ
えらの将来がどうなろうと俺には関係ない」 などと暴言を吐いていたことがわかっ
た。
同校によると、男性教諭は7月21日、簿記の授業を受けていた2年生9人に対し
て暴言を吐いた。生徒たちの訴えで学校側が確認したところ男性教諭が認めたた
め、生徒らに謝罪。町教委にも報告した。
同校の生徒は定員割れの状態。同校の教頭は 「少人数の学校を活性化させよ
うとの思いをもっていた教諭で、夏休みを控え生徒を発奮させようとして言ったよう
だが、不適切だった」 と話している・・・・・・・・・・・・・・・・・・
というものである。
この42才の男性教諭。日常どのような生徒指導をしているのか、あるいは他にもいろいろ
と問題発言があるのかどうかなどこの記事を読むだけではよくわからない。今までにも何
かと教員として物議を醸してきた経緯があるのかもしれないので何とも言えないが、逆に
こういった発言をした (生徒側の) 背景についてもまた不明である。つまりもし日頃から
学校及び教諭側としてこの生徒たちに大変に手を焼いてきたという事情などもあったとす
れば、一連の話の流れの中で 「はずみ」 としてこの程度の発言を “暴言” と位置づ
けし、目くじらを立て、しかも生徒たちに謝罪までする理由や必要性が必ずしも存在した
のかは大いなる疑問である。
もちろん人格の可塑性に富む10代の少年少女らに対する物言いにそれなりの慎重さが
求められるのは言うまでもない。また一般に少年少女を指導する立場の親とか教員らで
も指導上その他で過ちがあった場合は彼らの人格を尊重し、素直に謝ることも必要であ
る。しかし、そこに至るまでの経緯をシッカリと検証することなく、また話の中のほんの一
部分だけをとらえて一方的に謝罪させることもまた慎重にすべきではないだろうか。特に
今回の場合は 「学校側の体面」 を保つためにとりあえず緊急的措置 (教員の謝罪)
を採ったのではという疑念も拭えない。
今や教員ら学校関係者に関する不祥事や問題がほぼ毎日、全国のどこかで発生し報道
される現状はたしかに嘆かわしい。だが、教員として不適格である前に社会人として失格
であるような事例は論外として、本来は生徒・保護者側にもその (それが問題となった)
原因等が十分存在するにもかかわらず、とりあえず教委や学校側の体面を保つため、お
よび一部の何かと小うるさい保護者たちからの思慮のない非難や批判をかわすことを優
先するあまり、問題の本質的部分をシッカリ究明することなく教員側の処分を急ぐとい
う風潮はいただけない。
結局そういったことにさまざまな意味で最も悪影響を受けるのが生徒たち自身であるこ
とに疑いはないのだ。
飼い主に叱られる際には、本当に
それだけの理由があるのかをシッカ
リ説明してほしいと思っている!?
こじろう
(将来) どうなったっておかあさん、知らないからね」 くらいのことをいうのは今でも珍しく
ないだろうし、そんな程度のことで普通の子どもが簡単に傷つくとは考えにくい。
さて昨日某紙に 「教諭、生徒に 『てめえらの将来俺には関係ない』 」 というタイトルの
記事があったが、その内容は、
・・・・・・・島根県の県立Y高校の男性教諭 (42才) が授業中、生徒たちに対し 「てめ
えらの将来がどうなろうと俺には関係ない」 などと暴言を吐いていたことがわかっ
た。
同校によると、男性教諭は7月21日、簿記の授業を受けていた2年生9人に対し
て暴言を吐いた。生徒たちの訴えで学校側が確認したところ男性教諭が認めたた
め、生徒らに謝罪。町教委にも報告した。
同校の生徒は定員割れの状態。同校の教頭は 「少人数の学校を活性化させよ
うとの思いをもっていた教諭で、夏休みを控え生徒を発奮させようとして言ったよう
だが、不適切だった」 と話している・・・・・・・・・・・・・・・・・・
というものである。
この42才の男性教諭。日常どのような生徒指導をしているのか、あるいは他にもいろいろ
と問題発言があるのかどうかなどこの記事を読むだけではよくわからない。今までにも何
かと教員として物議を醸してきた経緯があるのかもしれないので何とも言えないが、逆に
こういった発言をした (生徒側の) 背景についてもまた不明である。つまりもし日頃から
学校及び教諭側としてこの生徒たちに大変に手を焼いてきたという事情などもあったとす
れば、一連の話の流れの中で 「はずみ」 としてこの程度の発言を “暴言” と位置づ
けし、目くじらを立て、しかも生徒たちに謝罪までする理由や必要性が必ずしも存在した
のかは大いなる疑問である。
もちろん人格の可塑性に富む10代の少年少女らに対する物言いにそれなりの慎重さが
求められるのは言うまでもない。また一般に少年少女を指導する立場の親とか教員らで
も指導上その他で過ちがあった場合は彼らの人格を尊重し、素直に謝ることも必要であ
る。しかし、そこに至るまでの経緯をシッカリと検証することなく、また話の中のほんの一
部分だけをとらえて一方的に謝罪させることもまた慎重にすべきではないだろうか。特に
今回の場合は 「学校側の体面」 を保つためにとりあえず緊急的措置 (教員の謝罪)
を採ったのではという疑念も拭えない。
今や教員ら学校関係者に関する不祥事や問題がほぼ毎日、全国のどこかで発生し報道
される現状はたしかに嘆かわしい。だが、教員として不適格である前に社会人として失格
であるような事例は論外として、本来は生徒・保護者側にもその (それが問題となった)
原因等が十分存在するにもかかわらず、とりあえず教委や学校側の体面を保つため、お
よび一部の何かと小うるさい保護者たちからの思慮のない非難や批判をかわすことを優
先するあまり、問題の本質的部分をシッカリ究明することなく教員側の処分を急ぐとい
う風潮はいただけない。
結局そういったことにさまざまな意味で最も悪影響を受けるのが生徒たち自身であるこ
とに疑いはないのだ。
飼い主に叱られる際には、本当に
それだけの理由があるのかをシッカ
リ説明してほしいと思っている!?
こじろう