2010年12月27日

『涙があふれてしまう』!!!

先日のS新聞のあるコーナーにあった一枚の写真。記事と一緒に切り抜いたそれを目にする

たびに、自然と涙があふれてしまう。

その写真は週に一度S紙に掲載される 「ペットを飼う」 というシリーズなかの一話に関する

もので、今回は 「 『衝動飼い』 の末に殺処分」 というタイトルの記事の脇に掲載されて

いた。有名なノンフィクション作家K氏によって書かれた記事本文の内容は、


・・・・・・ペットによって 「いやされる」 人は少なくない。懐くことで、「かわいい」 と思う

     気持ちから派生した心理だろう。しかし、犬や猫も大きくなり、病気にもなる。

     飼い主も歳をとる。こうした変化の中で、飼い始めた当時の 「かわいい」 という

     気持ちを持ち続けられるか。

     動物愛護センターを訪ねて回るうち、さまざまなケースに出会った。印象に残って

     いることの一つが、“衝動飼い” の犠牲となる犬や猫たちのことだ。

     「新しいカーペットに合わなくなった」 「引っ越すマンションはペット厳禁だから」

     という理由で、センターに殺処分のための 「引き取り」 を申し出る飼い主は珍

     しくない。

     (中略)

     たしかにペットは人間の都合で飼われる動物だ。とはいえ、途中で投げ出すの

     ではなく、死ぬまで飼う、飼えなくなったら新しい飼い主を探す努力も飼い始めた

     者の責任のはずだ。

     一方で、犬や猫の市場にもブームがあり、それに踊らされて飼い始めるケースも

     “衝動飼い” に近いだろう。

     (中略)

     「ブームの後に捨てられる傾向は全国的に見られます。これは日本特有のもので

     すよ」 ある県の動物愛護センターの所長を務めていた獣医師のことばが、私に

     は忘れられない・・・・・・・


というものであり、その一枚の写真とは 「殺処分装置に送り込まれる犬たち」 というタイトル

がついたもので、10匹ほどの犬が写っているのだが、そのうちの何匹かが 「あどけない」 表

情を浮かべて、「笑っている」 ように見えるのだ。以前、「殺処分される動物たちは、その動物

特有の 『予感』 により、どんなに察知されないよう工夫しても (殺処分されることに) 抵抗

を試みるものだ」 ということを耳にしたことがある。しかし、この写真を見る限りでは、直後に

「自らの人生 (犬生?) に終止符が打たれる」 などとは、「夢にも思っていないだろう」 と

いう雰囲気しか感じられないのだ。あまりにせつなく、何度見ても涙があふれる光景である。

一口で 「ペット (犬) を飼うことは大変である」 といってみても、やはり実際にそれを経験

して初めていえること、あるいは経験しなければ決してわからないこともある。それは自分自身

が数年前に初めて責任者?として犬を飼育し始めて以来身にしみて感じていることである。

しかし、だからといって一度 「生きもの」 に関与した以上はその責任を途中で放り出すことは

決して許されないのだ。さらにそこには、「突発的なことなどにより、自らの身に万が一の事態

があったとしても、引き続き世話ができる人を手配しておく」 ということも当然含まれている。

「子どもにせがまれて 『ペット』 を飼うことにする」 というケースも多いだろうが、そのペット

に対する責任を果たせない親には、「子育て」 そのものの資格がないといえるだろう。

(「こじろう117」・・・『厳重注意』 どころの話か???・・・参照)


飼い犬にとっても 「飼われることは
大変である」 と声を大にして言いた
い!?          こじろう



  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(4)ペット