2010年12月03日
問題の 『本質』 はどこか???(その3)
「こじろう117」・・・問題の 『本質』 はどこか???(その1) (その2) の続きである。
(その1) における、「なぜどこへでも子どもを連れて行くの」 というある女性の投稿に対
する “反応・見解” についての検討 (その2) の続きとして、
3. 『現に小さな子どもを育てている最中の母親 (父親) 』 による、「小さな子ども
がいればなんでもかんでもがまんしなくてはいけないのか。周囲がもっと理解してく
れてもいいはず。子どもを育てたことのない人からいろいろ言われたくない」 という
趣旨の反応・見解について・・・・
1. について、でも述べたように、たしかに 「子どもを一人でも育てることがいかに
大変であるか」 は、実際に育ててみなければわからないということはいえるだろう。
また子育て中だからといっても、一人の人間として人生を謳歌してはならないという
いわれも全く存在しない。しかし、それをもって 「なんでもかんでもがまんしなければ
いけないのか」 というように考えるのは、いかにも “的外れ” といえるものだ。
逆にいえば 「子育て中でなくても、日々の生活の中ではがまんしなくてはならない
ことはいくらでも存在する」 からである。さらに 「がまん」 などというのは本来抽象
的な観念であると同時に、その程度や基準などは人それぞれに異なるものである。
同じことでもそれを 「あたりまえ」 ととらえる人もいれば、「苦痛」 とか 「がまん」
などととらえる人もいるだろう。子育てにおいて、さまざまなことに制約を受けること
はほぼ間違いないにしても、中にはそれらを 「無上のよろこび」 と受け止める人た
ちすら少なくないと思われる。そういう人たちにとっては、少なくともその子育て期間
中に、ショッピングなどが自由にできないことを、たとえば 「健康診断の前夜には自
由に飲食などできない」 と同じくらいに考えていても不思議でない。「周囲がもっと
理解してくれてもいいはず」 というのも、「そういうことは要求するものではなく、あく
までも周囲の方から与えられるもの」 というのが常識的な考え方であるのだ。
4. 『その他の傍観者』 による 「店側が禁じないかぎりは、子どもを連れて入ることに
つきどうこう言われる筋合いはないのでは」 などの見解について・・・・・
実際に 「小さなお子様の入店はご遠慮ください」 というようなことをあらかじめ告げ
ている店に入っていくのはいくらなんでも論外であるが、そのように明示されていな
い場合は、子どもを連れて入る、入らないは自由である。しかし、ここで 「自由」 と
か 「権利」 だとかを持ち出すのではあまりにレベルが低いとしかいえないだろう。
さらには、そこでの 「高級店だからダメ」 とか、「大衆店だからOK」 とかの区別
もピントはずれである。たとえ 「大衆店」 内であっても、迷惑かどうかを判断する
のはあくまでも 「迷惑を受ける (可能性のある) 側」 であるからだ。
以上、述べてきたようにどの見解にも一理あると同時に、必ずしも当を得たものでもないと
も考えられる。すべての立場で納得できる結論というのは難しいが、今回の件に関して一
つ確実にいえるのは、「周囲に迷惑がかかっていない。それも自分の基準ではなく、あくま
でも相手側の判断において」 ということであろう。たとえどんな高級店に小さな子どもを連
れて入ろうと、結果として誰にも迷惑がかかっていなければ本来何の問題もないのである。
それよりも、小さな子どもではなく 「いい歳をした大人であったとしても」 結果的に周囲
に迷惑をかけていれば、それは強い非難の対象である。したがってこのような問題を議論
するにあたっては、「小さな子ども」 についてどうだこうだの前に、立派な?社会人、大人
として、子どもたちから見られたときにまず自分自身が 「恥ずかしい言動や行動」 をとっ
ていないかのチェックが先決であるともいえる。
最後になったが、「小さな子どもを連れていく親が何よりも優先して考えなくてはならない
こと」、それは 「連れていかれる “小さな子ども自身” のこと」 である。「店内等で目
を離したスキに何かの危険に巻き込まれる」 などは論外であるが、当人 (子ども) に
とって何も興味がないことに 「付き合わされる」 のは、ことばで表せなくても大変な精
神的苦痛であることには疑いがない。また、ことに今の時期、抵抗力の十分でない小さな
子どもを雑踏の中に連れ出すことで、インフルエンザをはじめとするさまざまなウィルスに
感染、罹患する可能性は非常に高いだろう。そのあたりを総合的に判断すれば (判断
できれば) 一般的な常識を有する親にとって 「どのように行動すべきか」 の答えは自
ずと導き出せるというものである。
(「こじろう117」・・・『常識レベル』 がわかってしまう一言???・・・参照)
苦手な 「人ごみの中」 に連れていかれ
ないよう、必死の抵抗を試みる!?
こじろう
(その1) における、「なぜどこへでも子どもを連れて行くの」 というある女性の投稿に対
する “反応・見解” についての検討 (その2) の続きとして、
3. 『現に小さな子どもを育てている最中の母親 (父親) 』 による、「小さな子ども
がいればなんでもかんでもがまんしなくてはいけないのか。周囲がもっと理解してく
れてもいいはず。子どもを育てたことのない人からいろいろ言われたくない」 という
趣旨の反応・見解について・・・・
1. について、でも述べたように、たしかに 「子どもを一人でも育てることがいかに
大変であるか」 は、実際に育ててみなければわからないということはいえるだろう。
また子育て中だからといっても、一人の人間として人生を謳歌してはならないという
いわれも全く存在しない。しかし、それをもって 「なんでもかんでもがまんしなければ
いけないのか」 というように考えるのは、いかにも “的外れ” といえるものだ。
逆にいえば 「子育て中でなくても、日々の生活の中ではがまんしなくてはならない
ことはいくらでも存在する」 からである。さらに 「がまん」 などというのは本来抽象
的な観念であると同時に、その程度や基準などは人それぞれに異なるものである。
同じことでもそれを 「あたりまえ」 ととらえる人もいれば、「苦痛」 とか 「がまん」
などととらえる人もいるだろう。子育てにおいて、さまざまなことに制約を受けること
はほぼ間違いないにしても、中にはそれらを 「無上のよろこび」 と受け止める人た
ちすら少なくないと思われる。そういう人たちにとっては、少なくともその子育て期間
中に、ショッピングなどが自由にできないことを、たとえば 「健康診断の前夜には自
由に飲食などできない」 と同じくらいに考えていても不思議でない。「周囲がもっと
理解してくれてもいいはず」 というのも、「そういうことは要求するものではなく、あく
までも周囲の方から与えられるもの」 というのが常識的な考え方であるのだ。
4. 『その他の傍観者』 による 「店側が禁じないかぎりは、子どもを連れて入ることに
つきどうこう言われる筋合いはないのでは」 などの見解について・・・・・
実際に 「小さなお子様の入店はご遠慮ください」 というようなことをあらかじめ告げ
ている店に入っていくのはいくらなんでも論外であるが、そのように明示されていな
い場合は、子どもを連れて入る、入らないは自由である。しかし、ここで 「自由」 と
か 「権利」 だとかを持ち出すのではあまりにレベルが低いとしかいえないだろう。
さらには、そこでの 「高級店だからダメ」 とか、「大衆店だからOK」 とかの区別
もピントはずれである。たとえ 「大衆店」 内であっても、迷惑かどうかを判断する
のはあくまでも 「迷惑を受ける (可能性のある) 側」 であるからだ。
以上、述べてきたようにどの見解にも一理あると同時に、必ずしも当を得たものでもないと
も考えられる。すべての立場で納得できる結論というのは難しいが、今回の件に関して一
つ確実にいえるのは、「周囲に迷惑がかかっていない。それも自分の基準ではなく、あくま
でも相手側の判断において」 ということであろう。たとえどんな高級店に小さな子どもを連
れて入ろうと、結果として誰にも迷惑がかかっていなければ本来何の問題もないのである。
それよりも、小さな子どもではなく 「いい歳をした大人であったとしても」 結果的に周囲
に迷惑をかけていれば、それは強い非難の対象である。したがってこのような問題を議論
するにあたっては、「小さな子ども」 についてどうだこうだの前に、立派な?社会人、大人
として、子どもたちから見られたときにまず自分自身が 「恥ずかしい言動や行動」 をとっ
ていないかのチェックが先決であるともいえる。
最後になったが、「小さな子どもを連れていく親が何よりも優先して考えなくてはならない
こと」、それは 「連れていかれる “小さな子ども自身” のこと」 である。「店内等で目
を離したスキに何かの危険に巻き込まれる」 などは論外であるが、当人 (子ども) に
とって何も興味がないことに 「付き合わされる」 のは、ことばで表せなくても大変な精
神的苦痛であることには疑いがない。また、ことに今の時期、抵抗力の十分でない小さな
子どもを雑踏の中に連れ出すことで、インフルエンザをはじめとするさまざまなウィルスに
感染、罹患する可能性は非常に高いだろう。そのあたりを総合的に判断すれば (判断
できれば) 一般的な常識を有する親にとって 「どのように行動すべきか」 の答えは自
ずと導き出せるというものである。
(「こじろう117」・・・『常識レベル』 がわかってしまう一言???・・・参照)
苦手な 「人ごみの中」 に連れていかれ
ないよう、必死の抵抗を試みる!?
こじろう