2010年12月16日
『子供のケンカ』 に親が!!!(その2)
「こじろう117」・・・『子どものケンカ』 に親が!!!(その1)・・・の続きである。
(その1) では、「自分の長男の学校でのケンカで立腹し、長男の祖父とともに学校に乗りこん
で (ケンカ) 相手の小学6年生の男児を殴ったり蹴ったりして2週間のけがを負わせたトンで
もない母親」 についての事件の内容と、ケガを負わされた男児の身体的、精神的苦痛の可能
性について触れた。この男児、先にS容疑者の長男の足を蹴った?ことが事実だとしても、大人
2人に殴ったり蹴ったりされるいかなる理由もなく、大変に気の毒としかいいようはない。
しかし、それはそれとして個人的には今回のS容疑者およびその父親の所業による好ましくない
影響を最も受けるのは結局、「S容疑者の長男自身」 ではないかと思われるのだ。
一見すると、今回の事件でS容疑者らは長男の仇打ち?、仕返しとして 「かのような行為」 に
及んだと解釈できる。また現在小学6年、つまり11~12才である長男の立場としては、「おかあ
さん、おじいちゃんがボクの味方をしてくれた」 と考え、「ボクのことを思いやってくれるやさしい
家族だ」 とうれしく感ずる部分が大きいかもしれない。
しかし、問題はこの長男がこれから成長した後である。たとえば彼自身に子どもができて今回と
同じような事態に遭遇したとして、S容疑者の行為を反面教師として思い出し、自分の子どもに
しっかりとした本来の教育ができれば理想であるが、母親と同様に、子どもに対する一種のゆ
がんだ愛情で同様のことをするようであれば、それは今回のS容疑者およびその父親の全面的
責任である。
自分自身が小学生高学年の時のこと。学校でクラスメートの一人と些細なことをきっかけに諍い
となり、非常に悔しい思いをすることがあった。その日帰宅して自分の父にその顛末を話したの
だが、その時の自分としては当然、父が自分の味方となり、なぐさめてくれるものと確信してい
た。ところがその父から出たことばは、「その件で反省すべきはお前の方だな。明日その友達に
謝っておいた方がいいだろう」 というものだった。意外な父の一言にかなりのショックを受けたこ
とは事実であるが、その後歳を重ねるにつれその時の父の言わんとしたことが理解できるように
なり、その考え方は現在、さまざまな自分の周りのできごとに対する一つの大きな判断基準と
して役に立っている (と思う)。
親が 「自分の子どもがかわいい」 と思う気持ちはごく自然なものであり、親としての愛情を
注ぐことは当然の務めであろう。昨今はそういった根本的な資質に欠けている親が多く存在し、
虐待などの問題などが頻発しているのも事実である。
しかし、イザ自分の子どもが周囲との接触で何かの問題を投げかけてきたときに、一方的に
子どもの言い分を受け入れるのは間違いである。そういう時こそ客観的立場でよく状況を
把握し、たとえ自分の血を分けた子どもであっても 「間違っている」 「考え方がおかしい」
ことがあればそれをすぐに指摘し、教え諭さなければならない。また相手方に謝罪など必要
と判断すればそれを見届けるくらいするのも親の務めであろう。もちろん自分の子どもこそが
正しいという場面では、それを子どもに伝えるべきであるが、あくまでもそれは子どもたち自
身の問題として解決させるべきであり、やはり直接的関与は基本的に厳禁である。
「犬同士のケンカに飼い主が介入する
のはおかしなこと」 という持論を有
している!? こじろう
(その1) では、「自分の長男の学校でのケンカで立腹し、長男の祖父とともに学校に乗りこん
で (ケンカ) 相手の小学6年生の男児を殴ったり蹴ったりして2週間のけがを負わせたトンで
もない母親」 についての事件の内容と、ケガを負わされた男児の身体的、精神的苦痛の可能
性について触れた。この男児、先にS容疑者の長男の足を蹴った?ことが事実だとしても、大人
2人に殴ったり蹴ったりされるいかなる理由もなく、大変に気の毒としかいいようはない。
しかし、それはそれとして個人的には今回のS容疑者およびその父親の所業による好ましくない
影響を最も受けるのは結局、「S容疑者の長男自身」 ではないかと思われるのだ。
一見すると、今回の事件でS容疑者らは長男の仇打ち?、仕返しとして 「かのような行為」 に
及んだと解釈できる。また現在小学6年、つまり11~12才である長男の立場としては、「おかあ
さん、おじいちゃんがボクの味方をしてくれた」 と考え、「ボクのことを思いやってくれるやさしい
家族だ」 とうれしく感ずる部分が大きいかもしれない。
しかし、問題はこの長男がこれから成長した後である。たとえば彼自身に子どもができて今回と
同じような事態に遭遇したとして、S容疑者の行為を反面教師として思い出し、自分の子どもに
しっかりとした本来の教育ができれば理想であるが、母親と同様に、子どもに対する一種のゆ
がんだ愛情で同様のことをするようであれば、それは今回のS容疑者およびその父親の全面的
責任である。
自分自身が小学生高学年の時のこと。学校でクラスメートの一人と些細なことをきっかけに諍い
となり、非常に悔しい思いをすることがあった。その日帰宅して自分の父にその顛末を話したの
だが、その時の自分としては当然、父が自分の味方となり、なぐさめてくれるものと確信してい
た。ところがその父から出たことばは、「その件で反省すべきはお前の方だな。明日その友達に
謝っておいた方がいいだろう」 というものだった。意外な父の一言にかなりのショックを受けたこ
とは事実であるが、その後歳を重ねるにつれその時の父の言わんとしたことが理解できるように
なり、その考え方は現在、さまざまな自分の周りのできごとに対する一つの大きな判断基準と
して役に立っている (と思う)。
親が 「自分の子どもがかわいい」 と思う気持ちはごく自然なものであり、親としての愛情を
注ぐことは当然の務めであろう。昨今はそういった根本的な資質に欠けている親が多く存在し、
虐待などの問題などが頻発しているのも事実である。
しかし、イザ自分の子どもが周囲との接触で何かの問題を投げかけてきたときに、一方的に
子どもの言い分を受け入れるのは間違いである。そういう時こそ客観的立場でよく状況を
把握し、たとえ自分の血を分けた子どもであっても 「間違っている」 「考え方がおかしい」
ことがあればそれをすぐに指摘し、教え諭さなければならない。また相手方に謝罪など必要
と判断すればそれを見届けるくらいするのも親の務めであろう。もちろん自分の子どもこそが
正しいという場面では、それを子どもに伝えるべきであるが、あくまでもそれは子どもたち自
身の問題として解決させるべきであり、やはり直接的関与は基本的に厳禁である。
「犬同士のケンカに飼い主が介入する
のはおかしなこと」 という持論を有
している!? こじろう