2010年12月20日

『罰則』 は何のため???(その2)

「こじろう117」・・・『罰則』 は何のため???(その1)・・・の続きである。

(その1) では、「飲酒運転撲滅」 のために、山口県警の 「飲酒運転の代償がいかに高く

つくものか」 をドライバーに訴え、自覚を促す取組みや飲酒運転に対する厳罰化等について

の某紙の記事の内容を紹介したが、その取り組み自体は当然のこととしても、「なぜ厳罰化

が必要なのか」 という根本の部分について蔑にされているところがあるのではという疑問、

および山口県警幹部による 「人生を台無しにしないよう・・・」 というコメントに対する違和感

について述べたいと思う。

まず、「なぜ、飲酒運転が許されないのか」 についてであるが、それは 「アルコールの摂

取等により、正常に運転する能力を減退させ事故を起こす可能性が高くなる」、 さらにその

事故により 「さまざまな人的、物的被害がもたらされる」 からである。事故を起こすことで

運転する側の 「人生が台無しになる」 のは確かに事実であるが、それはいわば自業自得

といえるものだ。本当に迷惑を被る犠牲者はいうまでもなく、その飲酒運転によって死傷させ

られたり、財物を損壊されたりする人、およびその家族ら関係者なのである。

数年前、当時22才の福岡市男性職員が飲酒運転によりある会社員の運転する乗用車に追

突、同乗していた子ども3人が死亡するといった大変痛ましい事故が起きたが、その職員は

事故直後逃走し、(飲酒の) 隠ぺいを図ろうとしたことが発覚した。現在は被告により上告さ

れ係属中であるが、ニ審の 「危険運転致死傷罪」 でもまだ生ぬるく、「殺人罪」 に等しい

扱いをすべきだ、との世論も大きいと聞く。この元職員については、たしかに飲酒運転という

反社会行為で事故を起こしたことが、後の人生に極めて大きな影響を及ぼしたことは事実で

あろう。しかし、本当に悲しく無念なのは、自分らに何の落ち度もないのに飲酒運転の自動車

によって一方的に尊い命を奪われたり、ケガをさせられたり、物的損害を受けた本人や家族、

周囲の関係者なのである。「飲酒運転の根絶」 を声高に叫ぶ必要があるのは、まずそういう 

「極めて理不尽な形で被害に遭う人たちを作らない」 ことに他ならない。実際に事故を起こし

た、あるいはその予備軍となる飲酒運転者の将来を考えるのはその次である。

したがって 「飲酒運転の撲滅」 を標榜し、そのための施策を講ずるにあたり警察組織として

訴えるべきことは、「飲酒運転により運転者自らの人生を台無しにする」 こと以前に、「飲酒

運転により人生を台無しにされるどころか、最も尊いその生命すら奪われるかもしれない人が

作られる」 つまり、「償っても償いきれない重罪を犯すことになる」 ということではないだろう

か。もっとも、「教員」 などと並び、「警察関係者」 の不祥事 (飲酒運転を含む) に関する

ニュースを耳にしない日がない昨今、まず何をするにもまずはその内部からしっかりしてもらわ

なくてはならないのはいうまでもない。


「なぜ飼い主に叱られるのか」 の根本を
理解しようとする気はさらさらない!?
               こじろう


  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット