2010年12月14日
『太ってなんかいないわよ』!!!(その2)
「こじろう117」・・・『太ってなんかいないわよ』!!!(その1)・・・の続きである。
(その1)では、京都市が行なった肥満に関するアンケート調査で、実際は 「標準」 であるに
もかかわらず、「自分は太っている」 と思っている特に若い女性が多いという記事を紹介して、
そのように考えたり表現したりする裏には、その人の人格や心理が垣間見えて非常に興味深い
ということを述べた。
どんなことでも、それを個人的に 「どのように考えるか」 は内心の問題であり、外からはどうで
もいいことなので、ここではそれを 「他人との会話」 で持ち出す際のこと、つまり 「自分自身
のこと (この件については体型) について 『どのような表現』 を用いるか」 の裏側の心理、
およびそれを受け止める相手側の心情などについて検討したい。
(その1) 冒頭の2人の女性の会話例では、まずAさんの 「私、太っている自分がイヤなのよ」
という自己の体型に対する表現があるが、これは日頃から実際にそう思っている可能性も無くは
ないとしても、相手のBさんから 「 『そんなことはない』 という一言を引き出したい」 という自己
満足に向けた心情が十二分にうかがえる。また自分の方が優位に立っていることを前提とした
「 (太っている) Bさんへの当てつけ」 「優越感」 も見えると考えられるだろう。
だからBさんが本当に (客観的に) 太っているとしたら、このAさんの発言?内容はいかにも
「イヤミなもの」 と、とられる可能性が高い。またその後の 「Bさん、それほどでもないわよ」
というのも一般に (今風にいえば) 「上から目線」 的で、かなり失礼といえるだろう。
一方、Bさんの 「Aさんが太っているというなら、私なんか 『超肥満』 で外も歩けないわ」
といういい方。これは 「本音が少々、否定してほしい気持ち大半」 というところが妥当であ
ると思うが、Aさんのいい方が気に入らない、つまりその優越感を前面に出したもののいい方
に対する若干の反発が垣間見える部分もある。
体型にかかわらずまた老若男女を問わず、日常生活の中では 「こういえば、相手はこう反
応してくれるはず」 という計算がはたらく場面は少なくないだろう。特に、もともと自分にとっ
て優越的なこと、自分が得意になれることにその傾向は強い。たとえば中学生くらいの年代
ですら、自分のとったテストの点数にある程度の自信があるとして、「△△さん、今回のテスト
の点、よかったでしょ?」 などと話を振り、「うん、まあまあだった。ところで◇◇さんは?」
「私はだいたいいつも通りかな」 「エー、それじゃまた今回も95点以上ね。さすがだわ」 とい
う会話が弾むことを期待するものだ。
社会でも仕事、プライベートそれぞれで同じような場面は少なくない。「まず、自分の側から
(見せかけの?) “謙虚さ” を示しつつその話題を俎上に載せ、最終的には相手から 『さ
すがは△△さん』 と言わせて優越感に浸りたい」 というパターン。たまにはそういう手を使う
こともいいだろう。しかし、相手との日頃の人間関係にもよるが、あまりそれを連発してしまう
と、その意図を見抜かれ、 「人々が次第に遠ざかり、気がついたら周囲には誰もいなくなる」
ということを覚悟しなくてはならない。
犬として 「見せかけの謙虚さ」 を示す
必要性は全く感じていない!? こじろう
(その1)では、京都市が行なった肥満に関するアンケート調査で、実際は 「標準」 であるに
もかかわらず、「自分は太っている」 と思っている特に若い女性が多いという記事を紹介して、
そのように考えたり表現したりする裏には、その人の人格や心理が垣間見えて非常に興味深い
ということを述べた。
どんなことでも、それを個人的に 「どのように考えるか」 は内心の問題であり、外からはどうで
もいいことなので、ここではそれを 「他人との会話」 で持ち出す際のこと、つまり 「自分自身
のこと (この件については体型) について 『どのような表現』 を用いるか」 の裏側の心理、
およびそれを受け止める相手側の心情などについて検討したい。
(その1) 冒頭の2人の女性の会話例では、まずAさんの 「私、太っている自分がイヤなのよ」
という自己の体型に対する表現があるが、これは日頃から実際にそう思っている可能性も無くは
ないとしても、相手のBさんから 「 『そんなことはない』 という一言を引き出したい」 という自己
満足に向けた心情が十二分にうかがえる。また自分の方が優位に立っていることを前提とした
「 (太っている) Bさんへの当てつけ」 「優越感」 も見えると考えられるだろう。
だからBさんが本当に (客観的に) 太っているとしたら、このAさんの発言?内容はいかにも
「イヤミなもの」 と、とられる可能性が高い。またその後の 「Bさん、それほどでもないわよ」
というのも一般に (今風にいえば) 「上から目線」 的で、かなり失礼といえるだろう。
一方、Bさんの 「Aさんが太っているというなら、私なんか 『超肥満』 で外も歩けないわ」
といういい方。これは 「本音が少々、否定してほしい気持ち大半」 というところが妥当であ
ると思うが、Aさんのいい方が気に入らない、つまりその優越感を前面に出したもののいい方
に対する若干の反発が垣間見える部分もある。
体型にかかわらずまた老若男女を問わず、日常生活の中では 「こういえば、相手はこう反
応してくれるはず」 という計算がはたらく場面は少なくないだろう。特に、もともと自分にとっ
て優越的なこと、自分が得意になれることにその傾向は強い。たとえば中学生くらいの年代
ですら、自分のとったテストの点数にある程度の自信があるとして、「△△さん、今回のテスト
の点、よかったでしょ?」 などと話を振り、「うん、まあまあだった。ところで◇◇さんは?」
「私はだいたいいつも通りかな」 「エー、それじゃまた今回も95点以上ね。さすがだわ」 とい
う会話が弾むことを期待するものだ。
社会でも仕事、プライベートそれぞれで同じような場面は少なくない。「まず、自分の側から
(見せかけの?) “謙虚さ” を示しつつその話題を俎上に載せ、最終的には相手から 『さ
すがは△△さん』 と言わせて優越感に浸りたい」 というパターン。たまにはそういう手を使う
こともいいだろう。しかし、相手との日頃の人間関係にもよるが、あまりそれを連発してしまう
と、その意図を見抜かれ、 「人々が次第に遠ざかり、気がついたら周囲には誰もいなくなる」
ということを覚悟しなくてはならない。
犬として 「見せかけの謙虚さ」 を示す
必要性は全く感じていない!? こじろう