2012年09月04日
『結果として・・・』???(その2)
「こじろう117」・・・『結果として・・・』???(その1)・・・の続きである。
(その1) では、ブレイク中のお笑いタレント 「スギちゃん」 が番組収録中に
重傷事故に遭った件に関してのTV局側による 「安全には細心の注意を払っ
ていましたが、 『結果として』 事故になってしまいました」 という趣旨のコメ
ントに対し、 「結果として」 という部分が “余計” というよりも、むしろ局側
にとって “マイナス” にしかならない、ということについて触れた。
たとえば得意先企業から 「取引の停止」 を打診され、担当者がそれを撤回
してもらうべく奔走したが、結局は最悪の事態になってしまったとする。その際
の担当者から上司への報告で、 「私としては取引継続のため、精一杯の努
力をし、できるかぎりのことをしました。でも 『結果的に (結果として) 』 取
引停止になってしまいました。申し訳ございません」 などと釈明するとしたら、
それなりに優秀な上司であれば心中で 「なぜ 『結果的に』 などと付け加え
るのか」 と首を傾げるだろうし、さらに本当に部下思いの上司なら 「そうい
うときに 『結果的に』 とか 『結果として』 などという言い方を付け加えると、
君自身の保身への強い執着や姿勢が透けて見えるからやめた方がいい」 と、
ハッキリ忠告・助言してくれるというものだ。
本来社会、特に業務においては 「結果」 がどのように出るかがすべてであ
る。もちろん内容によってはそのプロセスも評価の対象の一部になることもあ
ろうが、良い結果を出すためにこその途中の経過が存在するわけであり、悪
い結果に陥った際に 「結果として・・」 という言い方をすることは、いかにも
「私は私なりに精一杯努力したんです。それは認めてぜひ評価してください」
という小賢しいアピールに聞こえてしまうことに加え、自らの無能さをひけらか
しているのも同然である。
今回の 「スギちゃん」 の事故に関してはTV局側としても、 「安全には細心
の注意を払っていました」 まではまだ一応許せるとして、 「結果として」 と
付け加えることで、それを聞いた側とすれば 「天災が発生したわけでもなく、
いわば人為的なミスで結局事故が起きたことは客観的な事実ではないか。
にもかかわらず、何が 『細心の注意』 だ。笑わせるんじゃない」 ととるのが
オチというものだ。
過ちを犯した際の釈明や謝罪の際はヘタな言い訳はせず、また余計なことを
付け加えず、真摯な姿勢や態度で 「申し訳ございませんでした」 だけに近い
形に留めておくのが無難というものだ。それを聞いている相手の側は (口に
は出さずとも) その心境を読んでいるものであり、場合によってはその薄っぺ
らな釈明が自らの人間性や人格を大きく貶めることになることを自覚しておく
べきだろう。
イタズラを飼い主から咎められた際は、
素知らぬ顔をして 「スットボケる」 の
を一番と考えている!? こじろう
(その1) では、ブレイク中のお笑いタレント 「スギちゃん」 が番組収録中に
重傷事故に遭った件に関してのTV局側による 「安全には細心の注意を払っ
ていましたが、 『結果として』 事故になってしまいました」 という趣旨のコメ
ントに対し、 「結果として」 という部分が “余計” というよりも、むしろ局側
にとって “マイナス” にしかならない、ということについて触れた。
たとえば得意先企業から 「取引の停止」 を打診され、担当者がそれを撤回
してもらうべく奔走したが、結局は最悪の事態になってしまったとする。その際
の担当者から上司への報告で、 「私としては取引継続のため、精一杯の努
力をし、できるかぎりのことをしました。でも 『結果的に (結果として) 』 取
引停止になってしまいました。申し訳ございません」 などと釈明するとしたら、
それなりに優秀な上司であれば心中で 「なぜ 『結果的に』 などと付け加え
るのか」 と首を傾げるだろうし、さらに本当に部下思いの上司なら 「そうい
うときに 『結果的に』 とか 『結果として』 などという言い方を付け加えると、
君自身の保身への強い執着や姿勢が透けて見えるからやめた方がいい」 と、
ハッキリ忠告・助言してくれるというものだ。
本来社会、特に業務においては 「結果」 がどのように出るかがすべてであ
る。もちろん内容によってはそのプロセスも評価の対象の一部になることもあ
ろうが、良い結果を出すためにこその途中の経過が存在するわけであり、悪
い結果に陥った際に 「結果として・・」 という言い方をすることは、いかにも
「私は私なりに精一杯努力したんです。それは認めてぜひ評価してください」
という小賢しいアピールに聞こえてしまうことに加え、自らの無能さをひけらか
しているのも同然である。
今回の 「スギちゃん」 の事故に関してはTV局側としても、 「安全には細心
の注意を払っていました」 まではまだ一応許せるとして、 「結果として」 と
付け加えることで、それを聞いた側とすれば 「天災が発生したわけでもなく、
いわば人為的なミスで結局事故が起きたことは客観的な事実ではないか。
にもかかわらず、何が 『細心の注意』 だ。笑わせるんじゃない」 ととるのが
オチというものだ。
過ちを犯した際の釈明や謝罪の際はヘタな言い訳はせず、また余計なことを
付け加えず、真摯な姿勢や態度で 「申し訳ございませんでした」 だけに近い
形に留めておくのが無難というものだ。それを聞いている相手の側は (口に
は出さずとも) その心境を読んでいるものであり、場合によってはその薄っぺ
らな釈明が自らの人間性や人格を大きく貶めることになることを自覚しておく
べきだろう。
イタズラを飼い主から咎められた際は、
素知らぬ顔をして 「スットボケる」 の
を一番と考えている!? こじろう