2017年05月28日
『食レポタレント』 減少???
その昔、すでに現役を引退し、野球解説者以外でもいわゆる “タレント” として活
躍の場を広げつつあった江本孟紀氏が、あるグルメ番組のレポーターを務める場
面をたまたま目にしたことがある。その番組内で氏が高級店の寿司をほおばった
後の 「うーん。 (あまりにおいしくて?) 言葉はいらん」 というレポート?には
「なんじゃそれ」 と、度肝を抜かれたが、今になって思えば 「うまい」 などとあり
きたりのことをいわれるより、よほどその 「おいしさ」 の度合いを感じとることが
できた・・・ような気がする。
さて昨日の某紙 「石ちゃん、彦摩呂で打ち止め? 食レポタレント減少のワケ」
というタイトルの記事の内容は、
・・・・・・・・・一般に 「食レポ」 といえば 「まいう〜」 の石塚英彦、もはやネタ化
している 「○○の宝石箱や〜」 でおなじみの彦麻呂などの顔が浮かぶ。
しかし最近は彼らのような自分流の表現や決め台詞を持った、いわゆ
る “食レポタレント” が新たに誕生することはなく、アナウンサーや芸
人が、これまでの定石に則って食レポをする姿ばかり目にするように
なってきた。なぜ食レポ界を牽引するようなタレントが表れなくなってし
まったのだろうか。
美味しさを伝える食レポでは、ただ単に “美味しい” はNG。ほかの
言葉で表現しなければならない難しさがある。例えば阿藤快は 「おい
しい」 は言わず表情で表現。この “美味しそうな見せ方” の基礎は、
石塚や彦麻呂、ギャル曽根などにも引き継がれた。 「突撃!隣の晩
ごはん」 のヨネスケは多くの家庭ごはんを軽快なトークと共にレポート。
口に合わないものや本当にまずいものを食べた時は 「なかなかです
ねえ」 という表現でゴマカス方法を考案。ほか斉木しげるは “おいし
い” ときは 「おかわり!」 という言葉に置き換え、広がりを持たせた。
近年、食レポに “特化” したタレントは少なくなった。現在、定評がある
のは、見るからに美味しそうに食べる日本テレビの水卜麻美アナや、大
食いとの兼任であるギャル曽根、豊富な知識で濃い情報を提供するア
ンジャッシュ・渡部建、毒舌でウソやおためごかしをしなさそうなマツコ・
デラックスなど。それぞれ食レポはメインではないが、水卜アナは太る
ことも厭わない姿勢で、マツコは 「マツコなウソでおいしいとは言わな
い」 とのイメージで、おいしさの信憑性を勝ち取っている。
「専任が減少したのは、彦麻呂さんが 『宝石箱や〜』 でブレイクした
のち、食レポを披露しながら美味しそうに見えるコツを公開したことで、
初めて食レポをする人でもそれなりの完成度を見せられることが大き
いかもしれない」 と分析するのはメディア研究家の衣輪晋一氏。 「食
レポは “味” への言及だけではなく、音や見た目や香り、食感を言葉
にするのが定番です。そこに、喉越しなどの感想、また決め台詞の一
つでも入れられれば完璧でしょう」 (衣輪氏)
たとえば鉄板でじゅうじゅうと焼けるステーキなどでよく使用される食べ
る前の音、ハンバーグの切ってみせた断面から肉汁があふれる様子、
さらに 「芳醇な〜」 などといった香りを押さえておけば、誰でも “それ
らしく” 見えるというのだ。 「番組にとってもわざわざ “食レポ専任”
である必要がなくなり、需要が減ったと考えられます」 (同氏)
おいしさを伝えるだけでなく、信用できる食レポが求められる昨今。新
たな表現方法の誕生は以前よりハードルが高くなっているのかもしれ
ない。しかし新たな “おいしさの表現” が生まれなくなるのは寂しいも
のがある。膠着している食レポ界、あっと驚くような食レポを生み出す
スターが現れることを期待したい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
というものである。
自身もいわゆる 「グルメ番組」 はキライでない、どころかむしろ好んで見る方
だが、たしかに 「レポーター」 による誰でも言えるありきたりのコメントに飽き
飽きしているのは事実。それゆえ、江本氏の 「言葉はいらん」 ではないが、ビ
ジュアルだけで (コメントなどなくても番組として) 十分、というところだが、そ
れはそれとして困るのが 「食べ方がキレイとは決していえない」 「品のない音
を立てる」 といったケース。また時間稼ぎ的なこともあるのか、全く不要でくだら
ないなクイズなどをまじえ、仲間内でムダにワイワイ騒いでいる場面も見苦しい。
結局、食べ物関連の番組はシンプルでわかりやすいものが一番だが、その点
でスバラシイのはなんといっても 「テレビ東京」 が放映するもの。余計な演出
がない分、本当においしそうにみえてしまう。
「食レポ」 はできないが、おいしそうに
食べることには自信がある!?
こじろう
躍の場を広げつつあった江本孟紀氏が、あるグルメ番組のレポーターを務める場
面をたまたま目にしたことがある。その番組内で氏が高級店の寿司をほおばった
後の 「うーん。 (あまりにおいしくて?) 言葉はいらん」 というレポート?には
「なんじゃそれ」 と、度肝を抜かれたが、今になって思えば 「うまい」 などとあり
きたりのことをいわれるより、よほどその 「おいしさ」 の度合いを感じとることが
できた・・・ような気がする。
さて昨日の某紙 「石ちゃん、彦摩呂で打ち止め? 食レポタレント減少のワケ」
というタイトルの記事の内容は、
・・・・・・・・・一般に 「食レポ」 といえば 「まいう〜」 の石塚英彦、もはやネタ化
している 「○○の宝石箱や〜」 でおなじみの彦麻呂などの顔が浮かぶ。
しかし最近は彼らのような自分流の表現や決め台詞を持った、いわゆ
る “食レポタレント” が新たに誕生することはなく、アナウンサーや芸
人が、これまでの定石に則って食レポをする姿ばかり目にするように
なってきた。なぜ食レポ界を牽引するようなタレントが表れなくなってし
まったのだろうか。
美味しさを伝える食レポでは、ただ単に “美味しい” はNG。ほかの
言葉で表現しなければならない難しさがある。例えば阿藤快は 「おい
しい」 は言わず表情で表現。この “美味しそうな見せ方” の基礎は、
石塚や彦麻呂、ギャル曽根などにも引き継がれた。 「突撃!隣の晩
ごはん」 のヨネスケは多くの家庭ごはんを軽快なトークと共にレポート。
口に合わないものや本当にまずいものを食べた時は 「なかなかです
ねえ」 という表現でゴマカス方法を考案。ほか斉木しげるは “おいし
い” ときは 「おかわり!」 という言葉に置き換え、広がりを持たせた。
近年、食レポに “特化” したタレントは少なくなった。現在、定評がある
のは、見るからに美味しそうに食べる日本テレビの水卜麻美アナや、大
食いとの兼任であるギャル曽根、豊富な知識で濃い情報を提供するア
ンジャッシュ・渡部建、毒舌でウソやおためごかしをしなさそうなマツコ・
デラックスなど。それぞれ食レポはメインではないが、水卜アナは太る
ことも厭わない姿勢で、マツコは 「マツコなウソでおいしいとは言わな
い」 とのイメージで、おいしさの信憑性を勝ち取っている。
「専任が減少したのは、彦麻呂さんが 『宝石箱や〜』 でブレイクした
のち、食レポを披露しながら美味しそうに見えるコツを公開したことで、
初めて食レポをする人でもそれなりの完成度を見せられることが大き
いかもしれない」 と分析するのはメディア研究家の衣輪晋一氏。 「食
レポは “味” への言及だけではなく、音や見た目や香り、食感を言葉
にするのが定番です。そこに、喉越しなどの感想、また決め台詞の一
つでも入れられれば完璧でしょう」 (衣輪氏)
たとえば鉄板でじゅうじゅうと焼けるステーキなどでよく使用される食べ
る前の音、ハンバーグの切ってみせた断面から肉汁があふれる様子、
さらに 「芳醇な〜」 などといった香りを押さえておけば、誰でも “それ
らしく” 見えるというのだ。 「番組にとってもわざわざ “食レポ専任”
である必要がなくなり、需要が減ったと考えられます」 (同氏)
おいしさを伝えるだけでなく、信用できる食レポが求められる昨今。新
たな表現方法の誕生は以前よりハードルが高くなっているのかもしれ
ない。しかし新たな “おいしさの表現” が生まれなくなるのは寂しいも
のがある。膠着している食レポ界、あっと驚くような食レポを生み出す
スターが現れることを期待したい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
というものである。
自身もいわゆる 「グルメ番組」 はキライでない、どころかむしろ好んで見る方
だが、たしかに 「レポーター」 による誰でも言えるありきたりのコメントに飽き
飽きしているのは事実。それゆえ、江本氏の 「言葉はいらん」 ではないが、ビ
ジュアルだけで (コメントなどなくても番組として) 十分、というところだが、そ
れはそれとして困るのが 「食べ方がキレイとは決していえない」 「品のない音
を立てる」 といったケース。また時間稼ぎ的なこともあるのか、全く不要でくだら
ないなクイズなどをまじえ、仲間内でムダにワイワイ騒いでいる場面も見苦しい。
結局、食べ物関連の番組はシンプルでわかりやすいものが一番だが、その点
でスバラシイのはなんといっても 「テレビ東京」 が放映するもの。余計な演出
がない分、本当においしそうにみえてしまう。
「食レポ」 はできないが、おいしそうに
食べることには自信がある!?
こじろう