2009年11月22日
「再興の日」はくるのか?
この前行ったのがいつだったか思い出せないほど「久しぶりに」ファミリーレストラン
に行く機会があった。最初からそこに行くと決めていたわけではなく、ある人との待
ち合わせに時間と場所の都合で偶然そうなったのである。訪れたのはN市内に確か
10年位前にオープンした某大手「ファミレス」だった。
駐車場に車を入れようとした時点で空きスペースは2台分。もしかたら少し待たされ
る?の心配も杞憂に終わり客席の埋まり具合は30%位だったが、最近利用してい
なかった自分としては、その時間帯(午後11時過ぎ)としてそれが多いのか少ない
のかは判断しかねることである。
若いアルバイト(と思われる)女性が注文をとりにきた。メニューに慣れていない
ため見方がよくわからず焦ってしまい、また連れの人にもこれ以上待たせてはい
けないとも思い、一番目立つところに出ていた「ステーキ丼」と伝えると、オーダーを
とるハンディタイプの機械(なんというのかわかりません)に入力した直後、「すみま
せん、今切らしています。」といわれ、それではとその近くにあった「カキフライ定食」
というと、同じ操作のあと「すみません、今切らしています。」と再びいわれたので、
さすがに「それじゃあ、いったい何ができるんですか」と訊いてしまった。
普通の食堂ならその日の仕入れ状況等により「今日はそのメニューはできません」
といわれても違和感はないが、自分の感覚では「ファミレス」ではそういうことはない
ものと(勝手に)思い込んでいたため、「ショック」ともいえる事態だった。
「ショックとは大げさ」といわれるかも知れないが、自分(と同年代の周りにいた仲間)
にとって「ファミレス」にはある種特別の「思い入れ」があったからである。
ファミレスとの最初の出会いは進学のため上京した○十年前の春であった。当時は
東京でもファミレスの先駆け的存在の”S”が数店、その数年前に関西から進出してき
た”R”、まだ一号店ができて間もない”D”くらいしかなく、初めてその店内に入った時
はその都会的な雰囲気や深夜(まだ24時間営業は一般的でなく、2時頃のクローズ
だったと記憶している)まで営業していること、メニューが当時としてはハイカラ(カラー
写真でいかにも美味しそうにみえた)であることなどが、典型的な「いなか者」には大変
新鮮に映ったものである。普段はもっぱら学食や安定食屋で済ませていても、少し贅沢
をしたいときなどに「ファミレス」を利用するのが楽しみだったというくらいである。
しかしその後数年で「ファミレス」は飛躍的・急速的に店舗を増やすとともに、低価格化
と24時間営業化に伴い、われわれの深夜の格好の「社交場」として数え切れない思い
出が作られる場として貢献してくれることにもなる。
社会人になってからの自分にとってのファミレスは、新鮮さはないかわりに「いつどこの
店に行っても予想されるメニューがそろっていて」、予めどの程度のものが提供されるか
わかっているので大きな期待もないかわりに「ハズレもない」、特に子供が幼少のうちは
「気取ることもなくそれほど気を遣うこともない」などの利点で重宝し続ける存在となる。
ここ数年自分が少し距離を置いてきた(特に意図したものではないが)のとあたかも呼応
するかのように、「ファミレスの凋落」が報道されるようになったことに「複雑な思い」は尽き
ないが、かつては聞くことがなかった「今切らしています」という店員の言葉は単なる「偶然」
だったのか、あるいは「現在のファミレスの姿を象徴する」ことなのか、個人的にはぜひ前者
であってほしいと願いたい。
○十年もたてばどの業種・業界でもそれ相応の変化や淘汰はつきものであり、外食産業
内においてもその例外ではない。しかし、自分の思い出が作られた場がなくなったり廃れ
たりするのはやはりさびしいものである。先ほどのテレビ番組で、「これからのファミレスの
あり方を模索し新たな業態に果敢に挑戦していく」という特集を観たが、ぜひ以前のよう
にいろいろと「使える」ファミレスの再興を望みたいものである。(その際は自分もその繁栄
に貢献する覚悟はできている???)
「ファミレス」はおろか、「ペット同伴可」のカフェにすら連れて
いってもらえないことに納得がいかない!? こじろう
に行く機会があった。最初からそこに行くと決めていたわけではなく、ある人との待
ち合わせに時間と場所の都合で偶然そうなったのである。訪れたのはN市内に確か
10年位前にオープンした某大手「ファミレス」だった。
駐車場に車を入れようとした時点で空きスペースは2台分。もしかたら少し待たされ
る?の心配も杞憂に終わり客席の埋まり具合は30%位だったが、最近利用してい
なかった自分としては、その時間帯(午後11時過ぎ)としてそれが多いのか少ない
のかは判断しかねることである。
若いアルバイト(と思われる)女性が注文をとりにきた。メニューに慣れていない
ため見方がよくわからず焦ってしまい、また連れの人にもこれ以上待たせてはい
けないとも思い、一番目立つところに出ていた「ステーキ丼」と伝えると、オーダーを
とるハンディタイプの機械(なんというのかわかりません)に入力した直後、「すみま
せん、今切らしています。」といわれ、それではとその近くにあった「カキフライ定食」
というと、同じ操作のあと「すみません、今切らしています。」と再びいわれたので、
さすがに「それじゃあ、いったい何ができるんですか」と訊いてしまった。
普通の食堂ならその日の仕入れ状況等により「今日はそのメニューはできません」
といわれても違和感はないが、自分の感覚では「ファミレス」ではそういうことはない
ものと(勝手に)思い込んでいたため、「ショック」ともいえる事態だった。
「ショックとは大げさ」といわれるかも知れないが、自分(と同年代の周りにいた仲間)
にとって「ファミレス」にはある種特別の「思い入れ」があったからである。
ファミレスとの最初の出会いは進学のため上京した○十年前の春であった。当時は
東京でもファミレスの先駆け的存在の”S”が数店、その数年前に関西から進出してき
た”R”、まだ一号店ができて間もない”D”くらいしかなく、初めてその店内に入った時
はその都会的な雰囲気や深夜(まだ24時間営業は一般的でなく、2時頃のクローズ
だったと記憶している)まで営業していること、メニューが当時としてはハイカラ(カラー
写真でいかにも美味しそうにみえた)であることなどが、典型的な「いなか者」には大変
新鮮に映ったものである。普段はもっぱら学食や安定食屋で済ませていても、少し贅沢
をしたいときなどに「ファミレス」を利用するのが楽しみだったというくらいである。
しかしその後数年で「ファミレス」は飛躍的・急速的に店舗を増やすとともに、低価格化
と24時間営業化に伴い、われわれの深夜の格好の「社交場」として数え切れない思い
出が作られる場として貢献してくれることにもなる。
社会人になってからの自分にとってのファミレスは、新鮮さはないかわりに「いつどこの
店に行っても予想されるメニューがそろっていて」、予めどの程度のものが提供されるか
わかっているので大きな期待もないかわりに「ハズレもない」、特に子供が幼少のうちは
「気取ることもなくそれほど気を遣うこともない」などの利点で重宝し続ける存在となる。
ここ数年自分が少し距離を置いてきた(特に意図したものではないが)のとあたかも呼応
するかのように、「ファミレスの凋落」が報道されるようになったことに「複雑な思い」は尽き
ないが、かつては聞くことがなかった「今切らしています」という店員の言葉は単なる「偶然」
だったのか、あるいは「現在のファミレスの姿を象徴する」ことなのか、個人的にはぜひ前者
であってほしいと願いたい。
○十年もたてばどの業種・業界でもそれ相応の変化や淘汰はつきものであり、外食産業
内においてもその例外ではない。しかし、自分の思い出が作られた場がなくなったり廃れ
たりするのはやはりさびしいものである。先ほどのテレビ番組で、「これからのファミレスの
あり方を模索し新たな業態に果敢に挑戦していく」という特集を観たが、ぜひ以前のよう
にいろいろと「使える」ファミレスの再興を望みたいものである。(その際は自分もその繁栄
に貢献する覚悟はできている???)
「ファミレス」はおろか、「ペット同伴可」のカフェにすら連れて
いってもらえないことに納得がいかない!? こじろう