2009年11月11日
『適材適所』
先の総選挙において歴史的大勝利を収めて発足した民主党政権。
まだ2ヶ月そこらで具体的評価を下すのは早計というものであるが、
国民の期待度No.1とされていた長妻厚生労働大臣が現在「苦戦」
していることは誰の眼にも明らかであろう。
もともと一つの省としての管轄事項の数が尋常ではない巨大官庁
である、「伏魔殿・厚労省」で普通に指揮をとるだけでも並大抵でな
いところに加え、長妻氏の場合は、つい最近までまさにその厚労省
の不祥事等追及の急先鋒として激しく攻撃していた張本人だけに、
まさに「昨日までの敵」の懐に飛び込んでの改革がいかに大変なもの
であるかは想像を絶するものであろう。
権力側に就くことがよりふさわしい人もいれば、権力を監視する側に
就いたほうが生き生きとして活躍できる人もいるだろうが、長妻大臣
には後者の方がより「適材であった」とならないよう、「真の国民のた
め」の厚労行政を断固として進めていただきたいものである。
話は変わるが、『適材適所』といえば一昨年前までドラゴンズのスラ
ッガーであり、現在は「シカゴ・カブス」所属の現役大リーガーである
福留孝介選手のことを書かねばなるまい。
福留選手は甲子園の大スターとして活躍後、社会人を経て99年当然
のようにドラフト1位でドラゴンズに入団した。その天性の打撃センスに
より厳しいプロの世界でも初年度から確かにレギュラーの座をつかんだ
が、00年までは正直なところ「十分に期待に応えた」とはいい難い成
績であった(期待があまりに大きすぎたせいもあるが)。
その原因は、彼が野球を始めて以来ずっと続けてきた内野の守備にあ
ることは明らかであった。アマチュア時代には十二分に通用したその
内野守備でエラーをすることがしばしばあり、それが少なからず打撃面
にも悪影響を及ぼしている可能性が大きかったのである。
転機は01年、彼自身初めての体験である「外野手」へのコンバートで
ある。もともと足も速く肩の強さも折り紙つきだったために、その翌年に
は早くもGグラブ賞を受賞し、同時に首位打者を獲得(G軍松井選手の
三冠王を阻む快挙)する大活躍につながったのである。
その後の福留選手の今日に至るまでの実績については今さら述べる必
要もないが、「もしあの時あのまま内野手を続けていたら」と考えると、彼
にとって「外野手」というポジションがこれ以上ない『適材適所』であったこ
とは疑いようがないだろう。
自分にとって何が『適材』でどこが『適所』であるか、本当にわかっていたら
誰にも苦労はないのである。が、そうもいかないのが人生である。
自分にとっての『適材適所』とは?と、今日も
思案している!? こじろう
まだ2ヶ月そこらで具体的評価を下すのは早計というものであるが、
国民の期待度No.1とされていた長妻厚生労働大臣が現在「苦戦」
していることは誰の眼にも明らかであろう。
もともと一つの省としての管轄事項の数が尋常ではない巨大官庁
である、「伏魔殿・厚労省」で普通に指揮をとるだけでも並大抵でな
いところに加え、長妻氏の場合は、つい最近までまさにその厚労省
の不祥事等追及の急先鋒として激しく攻撃していた張本人だけに、
まさに「昨日までの敵」の懐に飛び込んでの改革がいかに大変なもの
であるかは想像を絶するものであろう。
権力側に就くことがよりふさわしい人もいれば、権力を監視する側に
就いたほうが生き生きとして活躍できる人もいるだろうが、長妻大臣
には後者の方がより「適材であった」とならないよう、「真の国民のた
め」の厚労行政を断固として進めていただきたいものである。
話は変わるが、『適材適所』といえば一昨年前までドラゴンズのスラ
ッガーであり、現在は「シカゴ・カブス」所属の現役大リーガーである
福留孝介選手のことを書かねばなるまい。
福留選手は甲子園の大スターとして活躍後、社会人を経て99年当然
のようにドラフト1位でドラゴンズに入団した。その天性の打撃センスに
より厳しいプロの世界でも初年度から確かにレギュラーの座をつかんだ
が、00年までは正直なところ「十分に期待に応えた」とはいい難い成
績であった(期待があまりに大きすぎたせいもあるが)。
その原因は、彼が野球を始めて以来ずっと続けてきた内野の守備にあ
ることは明らかであった。アマチュア時代には十二分に通用したその
内野守備でエラーをすることがしばしばあり、それが少なからず打撃面
にも悪影響を及ぼしている可能性が大きかったのである。
転機は01年、彼自身初めての体験である「外野手」へのコンバートで
ある。もともと足も速く肩の強さも折り紙つきだったために、その翌年に
は早くもGグラブ賞を受賞し、同時に首位打者を獲得(G軍松井選手の
三冠王を阻む快挙)する大活躍につながったのである。
その後の福留選手の今日に至るまでの実績については今さら述べる必
要もないが、「もしあの時あのまま内野手を続けていたら」と考えると、彼
にとって「外野手」というポジションがこれ以上ない『適材適所』であったこ
とは疑いようがないだろう。
自分にとって何が『適材』でどこが『適所』であるか、本当にわかっていたら
誰にも苦労はないのである。が、そうもいかないのが人生である。
自分にとっての『適材適所』とは?と、今日も
思案している!? こじろう