2010年07月09日

『常識レベル』 がわかってしまう一言???(その3)

『常識レベル』 がわかってしまう一言???(その1) および (その2) の続きである。

今日は昨日までの 「何気ない一言」 というのとは少々異なるが、やはり 「その人の社会

的 『常識レベル』 が知れてしまうと思われること」 に関しての話である。

単に年齢が上であるという理由でやたら “先輩風” を吹かせる、特に中高年の男性をたま

に見かけることがある。言葉遣いもそうであるし相手の呼び方も 「△△ “君”」を多用し、

ヒドイ時には呼び捨てにすることすらあるのだ。学生時代ならもちろん社会においても、“同

一組織内” における 「上司と部下」 あるいは 「先輩と後輩」 の関係では基本的に違

和感はないが、ここで取り上げるのは、「もともとそういう関係ではない」 または 「以前は

そういう関係にあったが今はそうではない」 ケースについてである。

たとえば取引先企業の担当者同士の関係では、たとえ年齢・肩書・キャリアの差がある (一

方がA社の課長で40才、他方がB社の3年目社員で25才のような場合) 、また取引先企業

同士の “力関係” の差があるケースでも、そこでは他組織の “一社会人同士としての立場”

が尊重されるべきで、「△△ “君” 」 という呼び方、ましてや呼び捨てなどは本来許されな

いのが実社会の常識である。しかしそのあたりのことがわかっていない、あるいはどうも勘違

いしているのではという中高年男性はそれなりにいるようである。

さらに、学生時代の先輩・後輩、または同期であった場合、同窓会や仲間内の集まりで当時の

思い出を振り返るような場面は別として、それ以外のとき、たとえばたまたま他組織同士で業

務上のつながりができたような場合は、やはりけじめとしてお互いに敬称を用いるのは当然で

ある。ましてそのような従前の関係が全くないにもかかわらず、単に年下だからといって 「△

△ “君” 」 などと呼ぶようなことをすれば、その人の社会的 「常識レベル」 はかなり劣っ

たものと推測されるであろう。かつては 「師弟」 の関係にあったとしても、その教え子が立

派な社会人になったからには、当然敬称を用いるのが常識のある師匠 (教師) というもの

である。

現政権党の最高顧問の一人で衆院副議長まで務めたW部衆院議員 (78才)。今や 「ご意

見番」 的立場として、歯に衣着せぬ言動は聞いていて時に小気味よく感ずることもあるが、

いくら自分より年齢や議員としてのキャリア等が低いからといって、現職の総理大臣や党幹事 

長(いずれも当時) をつかまえて (直接目の前でなくとも) 「鳩山 “君” が」 とか 「小沢

“君” が」 などといっているのを耳にすると、申し訳ないが政治家としての実績はともかく、

社会人としての 「基本的常識レベル」 は決して高くない、あるいはいかにも 「旧来型の政

治家 “先生” らしいなあ」 と感じざるを得ないのである。


犬としてはすでに 「成人」 している
年齢なのに、相変わらず飼い主からは
「こども扱い」 されることに不満の
ある!?         こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(2)ペット