2011年01月08日
『ザ・ちぐはぐ』 ???
世の中には 「ちぐはぐ」 なことや 「そこにいかなる意味があるのか」 と思われること
を平気でする人がいるものである。
先日某紙の記事に 「初穂料から偽1万円札、松山市の神社」 というタイトルのものが
あったが、その内容は、
・・・・・・愛媛県松山市の伊予豆比命神社は3日、お守りなどの縁起物の売上金にあたる
初穂料から、カラーコピーされたとみられる偽1万円札が見つかったと発表した。
本物より小さく透かしもなかった。届を受けた県警が偽造通貨行使容疑で調べて
いる。
神社側の説明によると、1日の午前10時頃、女性職員が社務所の倉庫に保管し
ていた売上げを勘定中に、つるつるした手触りの偽札1枚を発見した・・・・・・
というものである。
「偽札」 に関する犯罪は 「紙幣」 というものがこの世に出現して以来、洋の東西を問わ
ず発生してきたもので、今さらそれにまつわるニュースを耳にしたところでいちいち驚くには
値しないし、この事件?に関してそのこと自体を問題にしても時間のムダとしかいえないだ
ろう。だが見逃せないのは、「 『縁起物』 の購入に 『偽札』 を用いた」 と思われる点
である。そもそも 「お守り」 のような縁起物は、それを購入する側に 「そのご利益とか
効果を 『信ずる気持ち』 」 があってはじめて意味をもつものではないのか。つまりその
ような信心がなければまったく意味をなさないのである。したがってその購入に関しても
「信じて報われるための清い気持ちや行動」 が伴わなければならないわけで、たとえば
「偽札の使用というような反社会的行為の最たるもの」 は、そのことと真っ向から対立す
るとしか考えられないのだ。
偽札を使う人間がそれで 「縁起物」 を手に入れるのはあまりに虫がよすぎる話であり、
さらに 「ご利益を求める」 のはこの上なく無節操でもある。 これこそ 「ザ・ちぐはぐ」
と思える行為で、その心情は不可解そのものといえよう。
飼い主から見て、「ザ・『ちぐはぐ』 」
というような行動を毎日繰り返して
いる!? こじろう
を平気でする人がいるものである。
先日某紙の記事に 「初穂料から偽1万円札、松山市の神社」 というタイトルのものが
あったが、その内容は、
・・・・・・愛媛県松山市の伊予豆比命神社は3日、お守りなどの縁起物の売上金にあたる
初穂料から、カラーコピーされたとみられる偽1万円札が見つかったと発表した。
本物より小さく透かしもなかった。届を受けた県警が偽造通貨行使容疑で調べて
いる。
神社側の説明によると、1日の午前10時頃、女性職員が社務所の倉庫に保管し
ていた売上げを勘定中に、つるつるした手触りの偽札1枚を発見した・・・・・・
というものである。
「偽札」 に関する犯罪は 「紙幣」 というものがこの世に出現して以来、洋の東西を問わ
ず発生してきたもので、今さらそれにまつわるニュースを耳にしたところでいちいち驚くには
値しないし、この事件?に関してそのこと自体を問題にしても時間のムダとしかいえないだ
ろう。だが見逃せないのは、「 『縁起物』 の購入に 『偽札』 を用いた」 と思われる点
である。そもそも 「お守り」 のような縁起物は、それを購入する側に 「そのご利益とか
効果を 『信ずる気持ち』 」 があってはじめて意味をもつものではないのか。つまりその
ような信心がなければまったく意味をなさないのである。したがってその購入に関しても
「信じて報われるための清い気持ちや行動」 が伴わなければならないわけで、たとえば
「偽札の使用というような反社会的行為の最たるもの」 は、そのことと真っ向から対立す
るとしか考えられないのだ。
偽札を使う人間がそれで 「縁起物」 を手に入れるのはあまりに虫がよすぎる話であり、
さらに 「ご利益を求める」 のはこの上なく無節操でもある。 これこそ 「ザ・ちぐはぐ」
と思える行為で、その心情は不可解そのものといえよう。
飼い主から見て、「ザ・『ちぐはぐ』 」
というような行動を毎日繰り返して
いる!? こじろう