2011年01月04日
『ここまでやる』 とは!!!
新年早々、「うーむ。そこまでやるか」 と (本来全く関係の無い自分が ) 思わず赤面?
してしまうような話題を見つけてしまった。
それは某紙の 「 『ガッキーです・・・』 自民・谷垣氏、肉声の着ボイス」 というタイトルの
記事によるものだが、その内容は、
・・・・・・・堅苦しい党のイメージを少しでも和らげたいと、自民党は携帯電話サイトで谷垣
総裁と大島副総裁の肉声による 「着ボイス」 のサービスを始めた。
メールの着信通知、電話の着信通知、目ざまし音の3種類。サイトに接続すると
谷垣氏が 「ガッキー (谷垣氏のこと) です。メールが届いたぜ」。大島氏が
地元の青森弁で 「はいはいリモリン (大島氏のこと) だ。はやぐ電話さ出ね
ば悪いだ」 などと話す声をダウンロードできる。
谷垣氏は 「自分の声を聞くとなんか冷や汗が出る」 と感想。
党内には 「ここまでやるとは」 との受け止めもあるが、評価はいかに・・・・・
というものである。
「ボクも 『ガッキー』 です」 と 「谷ガキ氏」 に言われれば、「イヤ、違うよ」 とはたしか
にいえない。だがそれでも元祖?ガッキー、およびその支持者からすれば気持ちはよくない
だろう。ただ一応まだこちらは許せる?として、問題は大島副総裁の方である。
そうでなくても 「怖い顔のおじさん」 として、党の要職にありながらTV画面など、なるべく
表に出ないでほしい」 とまで言わしめた 「例の方」 である。いくらその名前が 「理森」
(ただもり) でも、自ら 「リモリン」 はないだろう。(堅苦しい) イメージを和らげるという
より、もはや 「 (当世風の意味で) キワモノ」 としてしか受け止められないのは自分
だけであろうか。
歴史的政権交代以来、現政権党に対する支持が下降の一歩をたどっている反面、国民の
支持を取り返してしているかに見える “野党第一党” ではあるが、それは自らの力で挙
げた 「得点」 ではなく与党側の 「失点」 によるものが大きい、つまりいわば 「敵失」
に乗じているに過ぎないという見方が一般的だろう。イメージ戦略もたしかに無視はでき
ないがせめてもう少しセンスのあるものを考え出すことはできないのだろうか。身内から
すら 「ここまでやるか」 といわれているようでは、「逆効果」 は必至のような気がしな
いでもない。
「 『オジサン (おじいさん) 』 が若ぶってそのまま時流に乗ろうとしても、所詮は嘲笑
あるいは冷笑の的になるのが関の山である」 のは、政治家の先生方以外のほとんどの
人にはわかりきったことなのである。
「ここまでやるか」 と飼い主に言わせる
ことを誇りに思っている!? こじろう
してしまうような話題を見つけてしまった。
それは某紙の 「 『ガッキーです・・・』 自民・谷垣氏、肉声の着ボイス」 というタイトルの
記事によるものだが、その内容は、
・・・・・・・堅苦しい党のイメージを少しでも和らげたいと、自民党は携帯電話サイトで谷垣
総裁と大島副総裁の肉声による 「着ボイス」 のサービスを始めた。
メールの着信通知、電話の着信通知、目ざまし音の3種類。サイトに接続すると
谷垣氏が 「ガッキー (谷垣氏のこと) です。メールが届いたぜ」。大島氏が
地元の青森弁で 「はいはいリモリン (大島氏のこと) だ。はやぐ電話さ出ね
ば悪いだ」 などと話す声をダウンロードできる。
谷垣氏は 「自分の声を聞くとなんか冷や汗が出る」 と感想。
党内には 「ここまでやるとは」 との受け止めもあるが、評価はいかに・・・・・
というものである。
「ボクも 『ガッキー』 です」 と 「谷ガキ氏」 に言われれば、「イヤ、違うよ」 とはたしか
にいえない。だがそれでも元祖?ガッキー、およびその支持者からすれば気持ちはよくない
だろう。ただ一応まだこちらは許せる?として、問題は大島副総裁の方である。
そうでなくても 「怖い顔のおじさん」 として、党の要職にありながらTV画面など、なるべく
表に出ないでほしい」 とまで言わしめた 「例の方」 である。いくらその名前が 「理森」
(ただもり) でも、自ら 「リモリン」 はないだろう。(堅苦しい) イメージを和らげるという
より、もはや 「 (当世風の意味で) キワモノ」 としてしか受け止められないのは自分
だけであろうか。
歴史的政権交代以来、現政権党に対する支持が下降の一歩をたどっている反面、国民の
支持を取り返してしているかに見える “野党第一党” ではあるが、それは自らの力で挙
げた 「得点」 ではなく与党側の 「失点」 によるものが大きい、つまりいわば 「敵失」
に乗じているに過ぎないという見方が一般的だろう。イメージ戦略もたしかに無視はでき
ないがせめてもう少しセンスのあるものを考え出すことはできないのだろうか。身内から
すら 「ここまでやるか」 といわれているようでは、「逆効果」 は必至のような気がしな
いでもない。
「 『オジサン (おじいさん) 』 が若ぶってそのまま時流に乗ろうとしても、所詮は嘲笑
あるいは冷笑の的になるのが関の山である」 のは、政治家の先生方以外のほとんどの
人にはわかりきったことなのである。
「ここまでやるか」 と飼い主に言わせる
ことを誇りに思っている!? こじろう