2010年06月30日

『おかあさんと相談して・・・』!!!(その3)

昨日、一昨日の 「こじろう117」…『おかあさんと相談して…』!!!(その1) および

(その2) の続きである。

事実、真相であってもそれを 「直接口にしない」 ことを 「礼儀」 「たしなみ」 「美徳」

などとするのは、何も仕事に関することだけではない。日常のプライベートな場面でも

枚挙にいとまがないといえるだろう。

たとえば “よくある話” で、

「つき合いはじめて日が浅く、まだとても “親密” とは言い難いが、これから前向きに

交際していこうとする男女がいたとする。ある日のデートで特に何かの記念日でもないの

に男性側から女性にプレゼントが渡された。女性としてはその時点で、その中身のセンス

はともかくとして思いがけないサプライズに、純粋で素直な喜びを隠しきれず、『私も何か

プレゼントすればさらに気持ちが近づくかも』 と期待を膨らませたのも事実だった。とこ

ろがその直後、彼の口から 『実はボクのおかあさんからそろそろ何かプレゼントでもした

方がいいんじゃないの、と言われたんだよ』 などと事実を告げられてしまったその瞬間、

『ガッカリ』 を通り越して、一気に興ざめしてしまった」 というようなものがあるとする。

今の時代、こういう場面で必ずしもこの女性のような感情に至るかどうかはなんともいえ

ないだろう。むしろ、「いや、正直で裏表のない誠実な人だ。かえって好感の度合いが高

まった」 と考える人もそれなりの割合で存在しても決して不思議ではない。しかし、や

はり一般的には、特にそれを告げられる相手の立場になれば 「できれば言ってほしくな

かった」 という種の話になるのではと思われる。

また、「口に出さない方がよい」 ということでいえば、やはり人に何かお菓子でも差し

げようとする場合、さりげなさを強調しようとするあまり、「 “たまたま” あるところを

通りかかったら美味しそうなお菓子があったのでよろしければどうぞ」 などといえば、

相手からは (実際そうでなかったとしても) 「自分の謙虚さをわかってもらいたい」

という意図を見抜かれてしまい、安っぽい人間だと思われてしまうことになりかねない。

他人に対する美辞麗句も、自分に関する謙遜も、一定ラインを越えた瞬間に一気にマイ

ナス効果が増大するのである。(「こじろう117」・・・「社交辞令に『乗っかってしまい』」

参照)

「正直に口に出した方がよいか」、「口に出さないことを 『たしなみ』 『礼儀』 とするか」

の的確な選択ができるかどうかは、毎日さまざまな場面で試されることである。当初の

テーマからは少しそれてしまったが、一番みじめなのは、適切な判断をしていると思って

いるのは実はその当人だけで、周囲には (それこそ口にされなくても) 冷やかな目で

見られているということだろうか。


犬として周囲に 「好感を抱かれたい」 と
いう気持ちは微塵もない!?   こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:08Comments(2)ペット

2010年06月29日

『おかあさんと相談して・・・』!!!(その2)

昨日の 「こじろう117」・・・『お母さんと相談して・・・』!!!(その1)・・・では、

1. 最近のいわゆる “就活” に関して 「企業側から “採用内定” が伝えられた際、

   『お母さんと相談して (入社するかどうか) 決めます』 と答える」 ことについて

   『お母さんと相談・・・』 という部分そのものについては特に問題はなく、また批判の

   対象などにはあたらないと考える。

2. しかし、それではそういうことを耳にしたとき 「自然に受け入れられるか」 「違和感を

   抱くことはないのか」 と問われれば、そうではない。

という旨を述べた。

ではその違和感の “正体” とは何かといえば、それは 「本来言わなくてもいいことを言

う」 あるいは 「口にする必要のないことを (無意識的に) 口にしてしまう」 ということで

ある。

就職面接などを行なう普通の採用担当者であれば、応募者が口に出さないことであっても

ある程度のこと (たとえば今回のように親と相談し、場合によっては親の意見に完全に

左右されること) は当然見抜くことはできるだろうし、その程度のことができなければ

採用担当として失格である。しかし、そういったことを応募者が実際 「口にするか」 と

「口にしないか」 では極めて大きな違いが生じてしまうのである。

「事実を正直に口に出して伝える」 ということは人間同士の信頼関係を築いていくうえ

で欠かせないことはもちろんであるが、社会ではたとえ真実であっても口に出さないこと

が、「たしなみ」 であったり 「美徳」 であったり 「尊いこと」 であったりする場面は数

多く存在する。そして 「口にすべきこと」 と 「口にすべきでないこと」 の区分、区別

ができるかどうかは社会人として求められる第一の資質ともいえるだろう。

したがって今回の 「お母さんと相談して・・・」 の件については、たとえその時点では

学生であったとしても、本来口にすべきでないことを 「ためらわずに、あたりまえのよう

ように口にしてしまう」 というところにその違和感の本質があると考えられるのだ。

たとえば日常の業務の中で重要な顧客や取引先から電話が入り、「担当の△△氏を出して

ほしい」 と言われた際、その担当者が会議中であっても、「△△はただ今会議中です」 と

そのまま伝えないのは常識中の常識である。なぜなら一般的に会議というのはあくまでも

その企業や組織内部の事情によるものであり、顧客側には関係ないことだからである。「こち

らの用件より内部の会議の方が大事なのか」 などとすぐ思われないためにも 「△△はただ

今席を外しております」 あたりがせいぜいであろう。またその担当者が (たとえ接待という

重要な業務で) ゴルフに出かけているような場合に、まさか 「△△は今日ゴルフに行って

いるため出社しておりません」 などとは口が裂けても言えないものだ。「△△は本日出張し

ております」 がせいぜいである。もっとも自分自身がかつて、それなりに名の通った某企業

に電話した際にその 「まさか」 を経験したことがあり、それ以来その企業に対する評価を

少なからず変えざるを得なかったのも事実である。

さらに業務などではなく、普段のプライベートな場面に関しても、「それは口に出すべきでな

ない」 ということ、逆の立場でいえば、「そのことはできれば耳にしたくなかった」 「真相を

知らせないでくれた方がよかった」 という場面はこれまた枚挙にいとまがないほどである

が、それらについては明日の 「こじろう117」 で続きを述べることにしたい。


イタズラしたことを飼い主にとがめられ
ても、正直に自白するどころか逆ギレし
て反抗する!?       こじろう



  


Posted by こじろう117 at 00:50Comments(0)ペット

2010年06月28日

『おかあさんと相談して・・・』!!!(その1)

いつの時代にも当然 “就職活動” というものは存在する。しかし、昨今のいわゆる

“就活” なるものは旧世代のそれとはいろいろと異なる点があると耳にした。

特に目立つのが 「親による関与」 ということらしいが、最近読んだある記事によれ

ば、企業の採用担当者が最も 「とまどい」 を感ずるものとして、

1、 会社説明会出席の予約の電話を、“本人” でなく “親” が直接入れる。

2、 企業側から 「採用内定」 の旨を伝えた際に、 「おかあさんと相談して (入社

  するかどうか) 決めます」 と答える。

などが挙げられるという。

「実際に就職し、仕事をするのはあくまで “本人” であり、“親” ではないのに、イマ

ドキの若者ときたらまったく、どうしようもないねえ・・・・・」 と批判するのは簡単なこと

である。

しかし反面、現代はかつてのような 「終身雇用」 というような概念はほとんど通用し

なくなっているとはいえ、やはり 「就職」 というのは人生の “一大事” であることに

変わりはない。物心ついてまだ十数年程度の人生経験しかない若者が、一人でその

極めて大切な “一大事” に関する賢明な選択および決断をするのには大きなリスク

を伴うことは間違いないだろう。

それではその場合、誰に相談するか。普通はその若者のことを一番よくわかっており、

最も身近な存在である家族、それも親がその対象となるのは当然のことといえよう。

したがって、親が子にとって (影の) 「個人的就職アドバイザー」 として “就活” の

サポートをするのは批判の対象になるどころか、まだ一人前どころか社会的にはヒヨコ

にすぎない自分の子どもに対する “義務である” といっても過言ではない。

といいながら、かといって上記 2、の 「お母さんと相談して・・・・・」 というように企業

側に伝えることを 「自然だと思うか」 とか 「違和感を抱かないか」 と問われれば、

やはり 「自然であろうわけない」し、「違和感も大いに抱いてしまう」 のである。

それではその 「不自然さ」 「違和感」 の “正体” あるいは “本質” とは何である

のか、については明日の 「こじろう117」 で触れることにしたい。


悩みごとを飼い主に相談しても、「どうせ
まともには訊いてくれないだろう」 とあ
きらめている!?       こじろう  


Posted by こじろう117 at 09:56Comments(0)ペット

2010年06月27日

せめてもの “楽しみ”???(その2)

昨日の 「こじろう117」・・・せめてもの “楽しみ”???(その1)・・・の続きである。

かつて “NHK紅白歌合戦” にも出場したほどの大物?歌手 「S野M代」 氏 (55才・

民主・比例) であるが、実は20年ほど前、個人的に “お寿司” を一緒に食べたことの

ある話はさておき、

<6月21日の長野県内各地の演説で>

(街頭演説の途中に大ヒット曲 「飛んでイスタンブール」 を歌うも、足を止めて聴き入

ってくれる人が少ないことを問われ) 「長野県の人は “恥ずかしがり屋” が多いと聞き

ました」

⇒⇒⇒勝手に長野県人を “恥ずかしがり屋” にしないでいただきたい。またそもそも足を

   止めて歌を聴くことに “恥ずかしがり屋” もなにも関係ないのでは。

<6月25日、下北沢での出陣式で>

「政治はもっと遠く、古くさいものだと思っていた。足の引っ張り合いとも思っていた。音楽

のようにスッと心に染み込んで納得のいくメッセージを届けていきたい。下北沢から国会へ

飛んでいけたら、どれだけすごいでしょうか」

⇒⇒⇒前半部分はその通りだとしても、後半は無理やり自分の曲にこじつけたためによく

   意味がわからなくなってしまった。いずれにせよ 「飛んで」 いかなくてもいいので、

   ゆっくり歩を進めてじっくりと政治に取り組んでほしい。

続いて関西お笑い界の大物?タレントである 「Kきん枝」 氏 (59才・民主・比例)。

<6月20日、大阪のイベント会場で>

「こういう場に上がると芸人の性でおもしろい話の二つや三つしたいんですが、『笑いを

タダで供与すると買収になりまっせ』 と選挙管理委員会に言われているしな」

⇒⇒⇒買収にあたるほどのおもしろい話が言えるなら、議員など目指さずにお笑いに専

   念していた方がよほど儲かるのでは。もっとも、こんな程度のギャグではとてもじゃ

   ないが買収されたと思う有権者はいないだろうが。

<6月24日、大阪で菅首相の第一声を聴衆に混じって聴いた後で>

(壇から下りた菅首相と偶然握手をした際、首相がことばもなくあっという間に通り過ぎ

たことについて) 「(タスキをかけていたのに) 私が候補者とはわからなかったのでは。

嵐のように去っていかれました」

⇒⇒⇒本当にその通りだとしたら、こんなに同情する話はないだろう。またギャグだとした

   ら、自虐的とはいえ “買収” にあたるくらいの素晴らしいものといえる。さらに党の

   代表と泡沫タレント候補の関係などこんなものだろうと妙に納得させられる場面で

   もある。


このほかの候補者も連日のように次から次へと “楽しい話” を提供してくれているので、

機会があったらまたぜひ取りあげていきたいものである。


自分にとって 「せめてもの “楽しみ”
とは何であるか」 について自問自答を
欠かさない!?       こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:36Comments(2)ペット

2010年06月26日

せめてもの “楽しみ”???(その1)

「こじろう117」 一昨日の 「こじろうの “憂鬱”!!!」、昨日の 『愚弄』 の極み!!!

に続き、またもや参院選がらみの話になってしまい恐縮である。公示後も今一つその本質的

な部分に関心が持てないなか、今回はタレント・有名人候補が “話題性” という意味では

大変に充実?しているのは間違いないといえる。だからその政策などにまったく期待できな

いぶん、 「せめてもの “楽しみ” 」 としてその候補者たちがどのくらい “おもしろい” 

ことを発言してくれるのか、昨日のN畑氏に続き、雑誌等で報道されたものの中から抜粋し、

勝手にコメント (突っ込み) することにした。

まずは今回の選挙でもダントツに注目され、以前に個人的にも何度か取りあげた女子柔道の

T選手 (34才・民主・比例) のものである。

<6月19日の浦和駅前の演説で>

「連日、サッカーで日本中が盛りあがり、そしてここ浦和には最強のチーム浦和レッズがあ

ります。みなさんのなかにもたくさんの強烈なサポーターの方もいらっしゃると思います。

今夜 (W杯、対オランダ戦当日) ぜひ日本代表のみなさんには頑張っていただきたい。

そんな気持ちで私も応援したいと思います」

⇒⇒⇒「そんな気持ち」 の 「そんな」 とは何なのか、よく意味がわからない。柔道の

   技のキレは超一流でも、演説 (話術) にキレは大したことがないのか。余計なこ

   とだが私服姿の写真を見ると、最近は 「故 “ミヤコ蝶々” 激似度合い」 がさら

   に増したようである。


<6月20日の演説で>

「仕事もがんばる。スポーツもがんばる。そういった社会を築いていかなければ日本の未

来はない」

⇒⇒⇒例の大バッシングを浴びた 「ロンドンでも金」 を意識しての発言だと思われるが、

   一般国民のほとんどは日常、 「仕事でがんばりながら」 スポーツなどさまざまな

   ことでもがんばっているのである。とりたてて 「そういった社会を築いていく」 と

   いう意味がわからない。いっそのこと、「国会議員として歳費などをもらいながら、

   (自分は) スポーツに専念する」 とか 「もがんばる」 の部分を 「でお金をもら

   う」 にして話した方が、聞いている側はスッキリするのではないか。


このほか、かつての大物?歌手や、大物?お笑いタレントなどの発言については、この

続きとして、「こじろう117」・・・せめてもの “楽しみ”???(その2)・・・ にて紹介して

いきたいと思う。


飼い主の日常のまじめな発言の数々を
冷やかな目で見つめる!? こじろう

   

  

  


Posted by こじろう117 at 00:33Comments(2)ペット

2010年06月25日

『愚弄』 の極み!!!

今日もまた参院選関係の話題である。今回の 「史上最低」 といわれるタレント・有名人

候補者のことについては、「こじろう117」・・・『賛否両論』 “激突”???(その1) およ

び (その2) などでも何回か触れてきたが、昨日発売の週刊誌のなかに、大バッシング

を浴びた女子柔道のT選手に劣らぬほどの 「あ然」 としてしまう 「とんでも候補者」 の

実態が書かれた記事を目にしてしまった。

その候補者とは去る4月に結成されたロートル (平均年齢約70才) 政党、「たちあがれ

日本」 (「こじろう117」・・・心配? 『69.6歳のポーズ』!!! 参照) から比例代表

で出馬した元プロ野球G軍の “N畑氏” (56才) である。

以下は、N畑氏の今回の参院選出馬に関する語録である。

<今月6日の街頭演説>

「ちまたではこういう話をされます。 『N畑はG軍監督の目がなくなったから政界に進出す

るのでは?』 (それが) 正解です!」 

<今月18日の出馬激励会>

「 (G軍の) 監督になりたいと思っていました。本当に監督になりたかった・・・。でも、今

は1本の道しか残されていません!」

「政策? 受かってないのに何言ってんの! 今H沼 ( 「たちあがれ日本」 代表) 先生

が語りました。あれが政策です。以上!」

あるスポーツ記者によれば、 「N畑氏の夢はG軍の監督になることでした。今までにも他球団

から監督のオファーはいくつかありましたが、G軍のオファーを待つために断わっていました。

しかし、後輩のH監督が長期政権を築いてしまい、監督になる可能性は限りなく低くなってしま

ったんです」 ということらしく、そこに舞い込んだのが参院選出馬の話で、「立ちあがれ日本」

の仕掛け人であるY新聞社主筆のW辺氏が 「H監督の上をいくためにも議員になれ」 と

口説いた、との話が後援者からあったともいう。

もちろんこのN畑氏、たとえ当選したとしても、まともな政治活動を期待している人は失礼な

がらほとんどいないだろう。しかし、それはそれとしても出馬に至る経緯、つまり 「本来、

目指していた仕事 (監督業) にはどうも就けないことがわかったので、 “しょうがなく”

“とりあえず” は参議院議員にでもなってみようか。そんな自分に政策などあるわけない

のに、妙なことを訊くな」 ということを、ここまで “本音であからさまに” 言われてしまう

と、これはやはり 「あ然」 とするしかないだろう。またこういう話を聞いたこどもたちのなか

には 「参議院とは他の職業に就けない人の “受け皿” にすぎず、その議員は目的意識 

(この場合は政策) など何もなくても務まってしまう」 と考えるようになっても決して不思議

なことではない。

以前も書いたように、それぞれの分野でそれなりに道を極めてきた人たちは、そこに至るまで

の修練などによってそれ相応の “人間的実力”や “人間的魅力” といったものを備えて

いう可能性は高いといえるだろう。したがって今度はそれを 「政治」 という新たな舞台で

生かしていこうという発想自体は間違っているとは思わない。たとえばアメリカ合衆国でも、

元俳優らが歴史にその名を残すような大統領や州知事などを務めた例は少なくない。

しかし、ひとたび政治の世界に入る (ことを志す) からには、やはり本業としてそれに専

念し、有権者の信託に応えるのが筋であり、最低限の義務である。「国会議員になっても

五輪で金メダルを目指す」 と平然と言いのけたり、「監督の目がなくなったので国会議員

でもやるしかない。政策などあるわけない」 と開き直るなどは、国民、有権者を極めて軽

く見ており、 「『愚弄』 の極み」 としかいえないものである。

またそういう候補者を (実際はその程度だとわかっていながら) 自らの政党の単なる票

集めのために利用すべく担ぎ出している連中の “良識や見識” も、大きく問われるべき

であるといえよう。


昨日、早くも選挙カーによる騒音の
洗礼を受け、その苛立ちを飼い主に
ぶつけようとする!?  こじろう















  


Posted by こじろう117 at 00:33Comments(2)ペット

2010年06月24日

『 こじろう 』 の “憂鬱”???

今日24日は参院選公示日。これから投票日までの2週間余り、最も “憂鬱” でピリピリ

した気分になっているのが、わが家の愛犬 「こじろう」 である。

というのも、国政、地方を問わず選挙があるたびに毎回その運動期間中、選挙カーによる

“騒音” に大切な “昼寝” を邪魔されるからである。ことに昨年夏の総選挙の際には、

厳しい残暑に苦しめられたうえ、連日朝から晩まで間断なく通過していく各候補者名や政

党名の 「連呼の嵐」 に心休まるときが全くなく、なんと 「あの 『こじろう』 が食事に手

をつけないほどに弱ってしまった」 と周辺のニュースになったくらいである。

法律で定められ認められている範囲内でどのような選挙運動をしてもそれは基本的に自由

である。実際、候補者が選挙カーから降りて有権者の目の前でじっくりとその政治信条や

政策を訴えることは有効な戦術の一つであろう。しかし、ほぼ数秒で通り過ぎてしまう走行

中の自動車の中から、“執拗に” 候補者名や政党名だけを連呼することに果たしてどれだ

けの意義がある、つまりそのことがどれだけ得票に結びつくのかは甚だ疑問である。もっと

も、いずれにしても走行中の選挙カーの中から候補者名などを連呼するのは公職選挙法に

触れるはずでそのリスクも決して小さくないにもかかわらず、である。ことに選挙戦終盤に

さしかかると “がなりたてる” ような早口で 「△△です。△△です。大変苦戦しており

ます。最後の最後のご支援をお願いします。お願いします」 というトーンの連呼を耳にす

ることが多くなる。たしかに投票直前までどの候補者、政党に投票しようか悩んだ経験は

自分にもあるが、かといってそのようにしつこく連呼されることがそのままその候補者や

政党への投票に結びつくことはまずあり得ないのである。「必死さ」 や 「一生懸命さ」

を強く訴えたい気持は理解できなくもないが、このようなやり方ではただ単に聞かされて

いる方は、「うるさい」 「迷惑だ」 という気になる可能性が高く、むしろその候補者や政

党に対する悪印象だけが植えつけられることにもなりかねない、つまり完全に逆効果では

ないかと考えられるのである。

日常 「あたりまえのように」 行なわれていながら、実はその意義や意味を改めて見出す

ことが難しいどころかむしろ逆効果になっていることは少なくないと思われる。とはいっても

そのことに自分で気づくことができればそれを続けることはないとも考えられるので、周囲

がやさしくアドバイスしてあげるしかないのだが、それにしてもこの選挙期間中の迷惑以外

の何物でもない 「選挙カーからの連呼」 、一向に少なくなる気配がないのは、一般人に

にはわからない何か特別な事情でもあるということなのだろうか。

(「こじろう117」・・・こじろう VS N市の市長選・・・参照)


「犬用の耳詮」 でもあれば、参院選
投票日前日までずっと装着していたい
と考えている!?     こじろう


  


Posted by こじろう117 at 00:28Comments(6)ペット

2010年06月23日

『イメージダウン』 必至!!!(その2)

昨日の 「こじろう117」・・・『イメージダウン』 必至!!!(その1)・・・の続きである。

N市民なら誰でも知っている某大型総合スーパーマーケットの食料品売場に、数年前

からテナントとして入っている 「こだわりの惣菜専門店」 の専属担当者。客と間近で

接していながら 「いらっしゃいませ」 や 「ありがとうございます」 のことばもなけれ

ば、会釈すらもなく、しかも仏頂面でソッポを向いている客を客と思わないような態度に

ついて、一部常連客の間で大変 「評判がよろしくない」 「スーパー全体のイメージ

ダウンにつながっている」 などを耳にしたことに関して昨日は述べた。

そのテナントの担当者がその惣菜専門店の本部でどのような立場にいる人なのかは

もちろんよくわからない。もしかしたら必ずしも望んで (テナント店に) きているわけ

でないどころか、できればこの売り場で仕事をしたくないと思っているのかもしれない。

また、まさかこの大型スーパーの一テナント、しかも食料品売場の一角という目立た

ぬところにいる自分の 「接客に関する一挙手一投足」 を見られているなどとは、夢

にも思っていないのだろう。

しかし個人的にどのような事情があろうと、仕事場がどんなに面白くなかろうと、また

自分にとって不本意な場所であろうと、サービス業に携わる者としてひとたび 「お客様」 

の目の前に立ったからにはそれなりの愛想をふりまき、「お客様」 に気持ちよく買い物

をしていただくことを心がけるのは最低限の義務であり常識でもある。

以前某紙の読者投稿欄に、大手ハンバーガーショップで数カ月アルバイト経験をした

ある女子高校生が書いた文章が掲載されていた。それは、

「・・・、最初はお金のために 『しょうがなく』 接客マニュアルをおぼえたが、たくさん

のお客様と接していくうちに、あるときからは 『いらっしゃいませ』 や 『ありがとうご

ざいます』 ということばが心の底から言えるようになり、自然な笑顔が出せるようにな

った自分に気づき始めました。たしかにいろいろと大変なこともあったけど、人と接する

仕事を通じて単にお金を貯めることができただけでなく、人に感謝する、人に感謝される

ことの素晴らしさを学ぶことができ、本当にこのアルバイトをしてよかったと思います」

というような趣旨のものであったと記憶している。

社会人の場合は、仕事というものをまずは 「生活維持のための手段」 ととらえるの

はあたりまえのことである。しかしサービス業に限らず、自分の仕事 (の結果) が、

何らかの形でさまざまな人々のよろこびにつながったり、社会に何らかの形で貢献して

いるという実感がなければ、それは大変さびしいことであり、仕事に対する誇りも感ず

ることができないということになるだろう。

また経営者や現場の責任者たるもの、自分の目が直接届くところではもちろん、たとえ

そうでないところでも、思わぬ形で自らの組織・企業のイメージダウンにつながる可能

性があることを肝に銘ずる必要があるといえよう。もっともその前に責任者自身がその

場のイメージを悪くしているようでは話にならないが。(6月3日、および 6月4日

「こじろう117」 参照)


「飼い犬としての誇り」 を放棄して
までも目の前にあるものに飛びつこう
とすることがある!?   こじろう









  


Posted by こじろう117 at 00:37Comments(4)ペット

2010年06月22日

『イメージダウン』 必至!!!(その1)

N市およびその周辺に居住していれば、まず知らない人はいないと思われる某大型総合スー

パーマーケット。このクラス (規模) の店舗になるとデパートと同様、各種テナントが入って

いるのが普通である。ただし一口にテナントといっても、衣料品店のように独立した店構えと

精算レジを有する “明らかなテナント” と、食料品売り場の一角にあり精算も集中レジで

行なう、一見それ (テナント) とは気づかない形態のものがある。

「 “その” テナント 」 は後者にあたり、同スーパーマーケット地下食料品売り場奥手の

いわゆる 「惣菜コーナー」 の一角に数年前に出店、それ以来そこを定位置として今日に至

っている。スーパーオリジナルの惣菜とは一線を画し、「素材にこだわる」 「身体にやさしい」

などのコンセプトで、価格も当然割高となっているが、数年にわたりその場に存続していること

からして、一応それなりの売上や利益を上げているのだろうと推測される。

さてそのコーナー、テナント店の専属担当者が一人常駐し、「量り売り」 やそのための 「取り

分け」 などのサービスを行なっているのだが、そのほとんどを任されている30代中盤くらい

の男性スタッフ (たまに別の中年女性スタッフが代わりを務めることがあるらしい) の評判

がすこぶる 「よろしくない」 ということを最近ある筋から耳にした。

自分も今までに数回そのコーナーのそばを通り過ぎたことがあるが、たしかによく見ないと気

づかない 「入館証」 を首から下げている、「 『よゐこ』 とかいうグループ?の 『浜口某』」

によく似ているその男性を見かけたおぼえがあり、一応そのテナントを出している組織では

「それなりの立場にいる人らしい」 ということも何かの拍子に聞いたことがある。

評判がよろしくないといっても、何か積極的にイヤなことをされる (もちろんそういうことがあ

れば論外である) というわけではないが、まず客がどんなに近づいても一切? 「いらっしゃ

いませ」 とか 「ありがとうございます」 などのことばがないだけでなく、仏頂面をしていつ

もソッポを向いているというのだ。たまに笑顔が見られるとすれば、客の目の前でその存在を

無視するように携帯電話でニヤニヤしながらどこかと話をしているときのみらしい。「そこで商品

を手にしても精算は集中レジで行なう」 ということを差し引いても、客を客としてみようとしない

その態度はまるで 「そのスーパーの最高責任者である “悪名高き店長” 」 を彷彿させる

ものである、というもっぱらの噂が飛び交っているというのだ。

近隣の常連客はともかくとして、たまにしかその店舗を訪れない客にとっては、おそらくその

“彼” のことをスーパー自体の店員なのかテナント側の担当者なのか区別することは難しい

かもしれない。ということは、実際には 「一テナントの担当者」 でありながら、その大型

スーパー全体のサービスについてのイメージを大きく損なっている可能性が高いのである。

今の時代、一般的にはそれがその店の “正規の職員” であろうと “パート・アルバイト”

の人たちであろうと、サービスを受ける客側から見ればなんら関係がないことであり、その

ことを理解していない経営者や店舗の責任者はさすがにいないと思うが、さらにそれなりの

規模の店舗ともなれば、たとえ直接指導を行なわない “一テナントの店員” の態度であっ

ても、店舗全体のイメージに影響することを考慮する必要があるということだろう。

以下、店舗のイメージダウンに関わるこの件の本質などについては、明日の 「こじろう117」

でその続きを述べることにしたい。


見ていないフリをしながらも、飼い主
の一挙手一投足に敏感に反応し、行動
している!?       こじろう



  


Posted by こじろう117 at 00:56Comments(0)ペット

2010年06月21日

『あぶない?』 結局、そういうことかい!!!(その2)

「こじろう117」・・・『あぶない?』 結局そういうことかい!!!(その1)・・・の続きである。

昨日は某サイトの 「国内トピックス」 というコーナーの 「毎日が月曜日・・・休みなき過酷

な主婦業とは・・・」 というタイトルの記事を読み進めるうち、休みもなく肉体的、精神的に

擦り切れるように働き続ける主婦の姿をつづった文章の内容に素直に共感し、改めて 「主

婦業」 や 「母親業」 とはいかに大変なものか、と考えさせられたことを述べた。

さらに誰が書いたものかはともかく、久々に情感に訴えるよい文章を読まされたことについ

ても、その時点では満足するものであった。

が、しかしその直後、続き (それは4~5行の間をおいて始まっていた) を読んでいくと

「なんだ、結局そういうことだったのか」 という思いに至らされてしまったのである。

その 「続き」 とは、


「そんな折、 “休めない” “疲れがとれない” 悩める女性たちから絶大な支持を得ている

のが 『ニンニク△△卵黄』 で、発売後わずか半年間で約1万件もの注文が殺到している

のだ。 (中略) 愛用者の女性からは 『朝の目覚めが全く違う』 (中略) 中には、『私の

人生を変えた』 と断言する人までいるほどで・・・」


というものだった。なんということはない、この記事はいわゆる 「某健康食品」 の “PR”

にすぎなかったのである。

よく新聞や週刊誌などにも一見 「記事」 のような形で商品の “PR” をしているページ

は存在するが、その場合は必ず欄外の目立つところに 「“PR” のページ」 とハッキリわ

かるような表示がある。また文頭から普通の記事とはニュアンスや活字の種類までも微妙

に異なっているため、特にもともとその商品に興味がないかぎりは、まず 「真剣に」 読み

進めることは (少なくとも自分の場合は) ありえない。

しかし今回のものは、「国内トピックス」 という、他のタイムリーなニュースやコラムと同一

のところにあったため、約20行ほど読み進めるまで全く区別できなかったのである。気が

ついたときは思わず、「自分としたことがあぶない、あぶない」 と口走ってしまうくらいの

“見事な商品PR記事” であったのだ。

もちろん、この商品について 「あぶない」 といったり、難癖をつけたりするつもりは微塵

もない。また何より前半部分の非常に説得力のある文章は、自分自身で永久保存してお

きたいくらいの 「的を射た」 ものであるから、読んだこと自体を後悔するつもりも毛頭ない。

しかし日常耳にする、「大して必要のないものなのに、話を聞いているうちについ買ってしま

ったのよね」 程度のことならまだよいが、マルチ商法やねずみ講などの被害に遭った人た

ちが、「まずセミナーなどに誘われて 『大変説得力のある話』 に引き込まれ、次第に暗示

をかけられていくさま」 と、今回の件に何か通ずるものがあるのを感じてしまった、といった

ら大げさであるだろうか。

「説得力のある “いい話” 」 を常に 「警戒の念」 をもって聞かなくてはならないとすれば、

それはなんとも 「さびしい世の中」 というものである。


「自分にとって不利になる」 ような
「飼い主の誘導」 には絶対に乗るつ
もりのない!?      こじろう








  


Posted by こじろう117 at 00:17Comments(0)ペット

2010年06月20日

『あぶない?』 結局、そういうことかい!!!(その1)

つい先ほどのこと、「おっと、自分としたことがあぶない、あぶない」 という事件?は、

某サイトの 「国内トピックス」 というコーナーの一記事をクリックしたときに起こった

のである。

その記事のタイトルは 「過酷な現実に “悩める主婦たち” 」 というもので、内容は

次のようなものであった。


「『毎日が月曜日』・・・休みなき過酷な主婦業とは・・・。 休みもなく、肉体的にも精神的

にも擦り切れるように働き続けるのが母親であり、主婦である。

朝起きれば弁当を用意し、ぐずる子どもを引っぱって学校や幼稚園に送り出す。 (中略)

夕食を用意し食べさせはじめたらお風呂を沸かす。同時進行で洗濯物を取り込み、たたん

で収納。その間子どもたちは言うことなんて何一つ聞きやしない。子どもが寝たと思ったら、

今度は旦那の帰宅に合わせニ度めの夕食の支度だ。これが終わればやっぱり後片付け。

平日の5日間はこんな毎日があわただしく過ぎていき、土日ともなれば子どもや旦那が家

にいるぶん、昼食の支度も手を抜くことができない。

『私は何のために主婦になったんだろう』 『女性としての人生は何だったのか』 (中略)

本当はいつも美しくありたい。たとえ少ない睡眠でも毎日家族と過ごしたい。どこかでリセ

ットしなければいけないのはわかっているけれど・・・」


と、ここまで一気に読み進めた時点での感想は、「なるほど、たしかにその通りだ。主婦、

母親を務めることは我々には決して理解できない本当に大変なものだ」 というものであり

加えて、「誰が書いた文章かは知らないが、ずいぶん説得力があるものだ」 と素直に感

動すらおぼえたのである。

「主婦業」 とか 「母親業」 というのは、たしかに単調で地味な部分が多く、苦労のわり

には評価されることが少ない重労働である。また外での仕事と違って基本的に 「休みが

ない」 という点からもその “苛酷さ” がわかるというものであろう。

「俺たちは外に出て一生懸命働いているのに、女 (主婦) は気楽でいいもんだ」 とか

「少しは男の仕事の苦労もわかってみろ。家事くらい手を抜かずにやってみろ」 というよ

うな、極めて 「前時代的な考え方」 をもった 「中高年のどうしようもないオヤジ」 は 

(以前より減ってきてはいるだろうが) まだまだ少なくないだろう。そういう連中には一度

でも 「主婦」 (主夫?) をやらせてみればいい。きっと3日ともたずに根を上げること

は間違いない。もっともそういう 「バカオヤジ」 こそが定年退職後、夫人に愛想を尽か

されては 「行き場」 や 「生き場」 を失うことになるわけで、まさに “勘違いの末に”

自業自得の日々が訪れるというものである・・・。

と、これで 「今回も自分の意見がまとまったぞ」 と思いかけた瞬間、記事の続きが目に

入り、「おっと、自分としたことがあぶない、あぶない」 「なんだ結局、そういうことかい」

ということにつながるわけであるが、その顛末については明日の 「こじろう117」 で

述べることにしたい。


飼い犬としての毎日も、「飼い主が思う
よりはるかに大変だ」 ということを主
張したい!?        こじろう



  


Posted by こじろう117 at 00:10Comments(4)ペット

2010年06月19日

『自白』 が先決???(その2)

昨日の 「こじろう117」・・・『自白』 が先決???(その1)・・・の続きである。

TVや映画などでは、警察署内の 「取り調べ室」 で容疑者に激しく詰め寄り、場合によっ

ては “なぐる” “ける” などまでして自白を強要する場面がよく出てくるが、当然それは

フィクションの中でのことであり、“まともな国家や社会” では本来?、一応?、認められず

ありえないことである。

日常、悪事などを自白させるという場面としてはまず、親や教師などがイタズラをしたこども

から真相を訊き出すようなものが思い浮かぶが、最初から “叱る” のを前提としてそのよ

うな雰囲気を出せば、こどもは正直に言わないか、ある程度は言ったとしても自分の都合の

よいように “脚色” してしまう可能性は十分にある。

上司が若い部下などから不祥事やミスの疑いがあることを訊き出す場合でも、ほぼ同様で

あろう。このような場合、 「ここだけの話だから」 「絶対に叱らないから」 ということを先に

伝えれば真相を訊き出せる可能性は高くなるが、かといって事と次第によっては見逃すこ

とはできず、それなりの叱責や処分などをしなくてはならないことは必至となる。もし最初か

ら “不問に付す” ような条件を出して訊き出しておきながら、その後結局叱責や処分が

なされるとなれば (本来筋違いなこととはいえ) それは 「裏切り行為」 であり、その後

ニ度と正直に真実は語られなくなってしまうだろう。

今回 「14日までに賭博への関与を自己申告すれば情状酌量で厳重注意にとどめる」 と

の理事長の公約?で集められた情報が文科省に提出された際、協会担当者は同省担当者

に 「賭博力士の処分は警察、検察、裁判所が判断すること。協会が酌量することではない」

と激怒して両断されたという。結局武蔵川理事長自身も 「警察がどういう処分をするか待つ

しかない」 として、「自己申告すれば厳重注意に留める」 との口約束を反故にしてしまっ

たわけであるが、当然これに対しては協会内部のあちこちから 「話が違うではないか」 と

いう怒りの声が上がり、訴訟の可能性に言及した親方もいるということで、世間一般的には

ともかく、内部では 「理事長の顔もまるつぶれ」 といったところではないか。

昨日も述べたように、この一連の不祥事は相撲協会内部の問題にとどまらず、今や公益法人

としての存亡にかかわるといってもいい大事である。過ちを犯した力士などはそれなりの厳正

な処分を受けるのは当然である。しかし、やはりそれがたとえ正式な捜査機関の取り調べに

よるものではなく、またそれが書面等によるものでなかったとしても、「訊き出す時の 『約束』 

を反故にする」 というやり方に釈然としないものを感ずるのは自分だけであろうか。


飼い主がオヤツを囮にして 「いうこと
をきかせようとする」 やり方に日ごろ
釈然としないものがある!? こじろう


  


Posted by こじろう117 at 00:01Comments(4)ペット

2010年06月18日

『自白』 が先決???(その1)

サッカーW杯の明るい話題とは対照的に、同じスポーツ界でも “国技” である大相撲の

方は連日 「これでもか」 という程の不祥事が噴出し、報道ラッシュとなっている。

昨日も某紙の社説で 「力士 (一部親方) による野球賭博をはじめとする賭け事に関して

『相撲協会の猛省を促す』」 という論調が展開されていたが、その中に個人的に気になる

部分が一つだけあった。

それは、「期限までに違法賭博の過去を自ら申告すれば情状を酌量して “厳重注意” に

とどめる」 とした今回の調査にあたっての武蔵川理事長の呼びかけに対し、「ことの重大

さがわかっていないのではないか」 「厳重注意で済む話なのか」 という某紙論説委員が

呈した苦言である。(同様のことは相撲協会を所管する文科省幹部も先日述べている)

たしかにこの一連の不祥事、仲間うちのお遊びとは異なり背後に暴力団が介在していると

いう極めて反社会的で悪質なものであるのは間違いない。その意味で 「厳重注意で済む

話なのか」 という疑問や苦言は至極真っ当なものである。

しかし、それはそれとしても今回の問題、未だ明らかなっていない “闇の部分” が数多

く存在することもまた否定できないであろう。したがって問題の本質をしっかり把握するた

めに徹底的な真相の解明が求められ、その手段としてはまず賭博に関わった力士や一

部親方から、具体的関与の内容を吐露・自白させることが何よりも必要なのである。

そこでもし今回、武蔵川理事長が初めから 「関係者には “厳罰で臨む” から、覚悟

して正直に話せ」 などという指示を出していたとすれば 「はたしてこれだけの人数 

(期限の14日までに賭博経験を申告したのは計65人) が関与を自白しただろうか」

という疑問が生じてくるのである。つまり今回それなりの数の力士、一部親方が自ら申

告するに至った大きな理由の一つは 「(とりあえずは) “厳重注意” にとどめる、とい

う理事長の言い方に安心?したからこそではないか」 ということである。

刑事事件などの場合、まずは 「容疑者からいかに自白、供述を引き出すか」 が立件

に向けての大きなポイントになると思われるが、「自白」 というような大げさなものでは

なくても、我々庶民の日常の中で何かトラブルなどが生じた際に 「その関係者に正直に

真相を話させる必要がある」 ことは少なくないだろう。 「話す側が最初から不利になる

ことが明らかな状況で果たして正直に話をするだろうか」 という疑問はごく自然なもの

であると思うが、そのあたりのことは明日の 「こじろう117」 でこの続きとして述べて

みたいと思う。


イタズラの自白は、どんなことがあって
もすることのない!?    こじろう





  


Posted by こじろう117 at 00:58Comments(2)ペット

2010年06月17日

『重傷』 を回避せよ!!!(その2)

昨日の 「こじろう117」・・・『重傷』 を回避せよ!!!(その1)・・・では、「飲酒検問から

何とか逃れようとして、とっさに 『寝たフリ (タヌキ寝入り) をした』 ことで酒気帯び運転

のほかに駐車違反の罪までもが加算されただけでなく、全国にその失態を実名で報道され

てしまった44才の男性の事件」 について、およびこの中年男性のことを笑うのは簡単で

あるが、「日常、窮地に陥ったとき、あるいは陥りかけたときに姑息で浅はかな策を弄する

ことで 『かえって傷を深くしてしまう』 ことは誰にでも起こりうることだ」 ということを述べ

た。今日はその続きである。

たとえばある企業の営業担当者が重要取引先から突然、「取引停止」 を通告 (予告) 

されたとする。このようなときは当然、まず上司などに報告し、組織としての善後策を練る

べきところである。しかしそういう事態になったことそのものにより上司から叱責を受けるこ

とを恐れ、自分自身で何らかの対応策を試みることは珍しくないだろう。ところが結局その

努力?の甲斐もむなしく功を奏さないどころか、取引継続を求めてあまりにしつこく食い下

がることが先方の逆鱗に触れ、そのことについてのクレームを直接上司などに伝えられる

などということになれば、重要取引先を一つ失うという汚点に加え、速やかに報告しなか

ったことで上司からの信頼までも大きく損ねてしまうということになりうる。

家庭内のことでいえば、夫あるいは妻に内緒でつい何かの投資話などに乗って損失を出

してしまったような場合がある。これも最初の段階で妻あるいは夫に正直に告白すれば

いいものを、そのことが発覚する前に損失を取り戻そうとしてさらにムチャを繰り返しては

ますます泥沼にはまってしまい、最終的にはどうにもならないような状態にまで陥ってしま

うとすれば、これも単なる金銭的な問題にとどまらず夫婦関係にも大きなヒビが入ることを

覚悟しなくてはならないだろう。

ひとたび 「まずいことになった (なりかけた) 」 「窮地に陥った (陥りかけた) 」 と

いうような場面を迎えた際は、まず 「いさぎよく自分のおかれた立場の深刻さを自覚し

隠さず、一旦その場でできる限りの 『清算』 を行なうこと」 が第一であり、そうする

ことのみが 「傷をそれ以上深くしない」 「傷を重ねない」 ための最良の方策であると

いえるだろう。

精神的に余裕のない (窮地に陥った際は誰でもそうだろうが) ときの生兵法や姑息で

浅はかな愚策は、いずれとりかえしのつかなくなる “重傷” につながる可能性が極めて

高くなるのである。

とはいうものの、つまり頭ではそのあたりのことはよく理解できていても、イザとなればそう

簡単にうまくはいかないのが 「現実の人生」 というものかもしれないが。


飼い主との 「真の信頼関係とは何か」
と常に自問している!?  こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:31Comments(6)ペット

2010年06月16日

『重傷』 を回避せよ!!!(その1)

先日、某紙で 「飲酒検問避けようと、10m手前で “タヌキ寝入り”」 というタイトルの記事

を見つけた。その内容は、

「金沢中署は今月11日、金沢市の配管業の男性 (44才) を道交法違反 (駐車違反) の

疑いで現行犯逮捕した。発表によると同日早朝、同署員が市内で飲酒検問をしていたところ、

同容疑者のワゴン車が検問手前約10メートルの国道上に止まり、約25分間違法に駐車し

たため事情を訊こうとしたが、同容疑者は車内で寝たフリをして問いかけに答えようとしな

かった。逮捕後署内で呼気検査をしたところ基準値を超えるアルコール分が検出されたこと

で、同署では同容疑者が 『飲酒検問を逃れようとした』 とみて、酒気帯び運転の疑いでも

追及している (記事では実名を公表) 」 というものである。

この続報は目にしていないが、既にアルコール分が検出されていることから、この男性が酒

気帯び運転で検挙されることは間違いないと思われる。まあ、もともと状況的に飲酒検問を

避けることはできなかったとしても、「ヘタな芝居 (タヌキ寝入り) をして罪を逃がれようと

した」 ことで、本来全く関係のない駐車違反という余計な罪まで加算され、まして何よりも

この程度のこと (酒気帯び運転を軽視するつもりは微塵もないが) で 「全国にその失態

が実名で報道されてしまう」 ということになったのは、まさに自業自得とはいえ 「あまりに

大きすぎる代償を支払わされた」 と言わざるをえないだろう。

「まぬけなことをする中年オヤジだ」 と笑ってしまえばそれまでである。しかし、日常何か

の拍子で窮地に陥ったとき、あるいは陥りかけたときに、そこからなんとか脱しようと姑息

で浅はかな策を弄するあまり、「“本来背負う必要のないもの” まで背負ってしまう」 とか

「本来 “軽傷” で済むものまで “重傷” にしてしまう」 というようなことは誰でも経験す

る可能性があるもので、それほど珍しいことでもないのでは、と思われる。

こういうことに関して身近でいかにもありそうな例や、その本質的なことについての分析は

明日の 「こじろう117」 でこの続きとして述べたいと思う。


しでかしたイタズラを糊塗しようとして
先手を打っても、それが裏目に出てしま
い結局は逆切れする!?   こじろう  


Posted by こじろう117 at 06:05Comments(0)ペット

2010年06月15日

賠償請求 “1800万円”!!!(その3)

「こじろう117」・・・賠償請求 “1800万円”!!!・・・(その1)、(その2) の続きである。

昨日の (その2) では、「今回の事件における男性側のメガホンで女性の頭をたたいたと 

いう行為が、偶然でなく 『悪ふざけ』 や 『軽いノリ』 によるものであるとした場合は当然

非難や損害賠償の対象になってもおかしくない」 という旨のことを書いた。今日はその点に

ついての関連で述べてみたい。

昨今、個人的に大変気になる風潮として、安易かつ簡単に 「人の頭をたたく」 というもの

がある。特に目立つのはTVのバラエティ番組やお笑い番組で、芸人が相方や後輩芸人ら

の頭を頻繁にたたくような場面である。これはもちろん最初から台本に書かれていることで

あったり、たたかれる方も “芸の一つ” として承知しているものであったりするものである

ことはわかるが、観ていてそのような行為を “極めて不快なもの” と感ずるのは果たして

自分だけのことであろうか。

日常、軽い合図などの目的で、他人をそっとたたく (他人に軽く触れる) 場面というのは

よく目にするものである。しかし、そういう場合であっても見ていて自然なのはせいぜい肩

や背中など、つまり首より下の部分を対象とするものである。また親がまだことばを理解す

ることができない幼児などに対して 「しつけ」 の一環としてやむをえず体罰を与える場合

であっても、それは最大限譲ってせいぜい脚や手をピシャリと叩く程度のものであろう。だい

ぶ以前には 「げんこつ」 と称する、握りこぶしで頭頂部をゴツンとやる体罰もあったが、

今やそれは許されるものではない。 (「こじろう117」・・・『虐待・暴力』 は論外だ!!!

参照)

「頭部 (首から上) でなければ人をたたくことが無条件に許される」 ということをい

うつもりは微塵もないが、やはり安易であろうとなかろうと 「頭をたたく」 という行為

は単なる 「痛い、痛くない」 「ケガをする、しない」 ということだけでなく、たたかれ

た側の 「人としての “尊厳にかかわる” こと」 といってもそれほど大げさなことで

はないだろう。というのも、頭とは他の動物になく人間だけが所有しうる 「理性」 を

掌る部分でもあるからなのだ。

(その1) で述べたように、もともとスタジアムにおいてスポーツ観戦をするなどは、激

しいぶつかりあいを前提とした祭りのクライマックスのさなかにいるようなもので、偶然

ケガをするなどということはあらかじめ覚悟・了解済のことといってもよいだろう。しかし、

かといってその興奮状態に乗じた悪ふざけが過ぎたり、意識的に人を蹴ったりたたいた

りすることもやはり許されることではない。その意味で、もし今回の事件の当事者男性が

そういうことで女性に対しての行為に及んでいたとしたら、24万円の損害賠償はむしろ

高いものとはいえないだろう。またこの判決は同じような感覚を有する人たちへの一つ

の警鐘といえる面もあるかもしれない。

しかしそれはそれとしても、野球に限らずスポーツ観戦を最も楽しめるのはやはりなんと

いっても選手に一番近いところ、つまりスタジアムなどでにおいてである。今回の事件を

通じて、このようなことにまで 「君子危うきに近寄らず」 という教訓を適用しなければ

ならないとすれば、それは大変さびしい思いに至るというものである。


常日頃、「君子危うきに近寄らず」 
をモットーとして行動しているつ
もりの!?      こじろう
 




  


Posted by こじろう117 at 01:00Comments(2)ペット

2010年06月14日

賠償請求 “1800万円”!!!(その2)

昨日の 「こじろう117」・・・賠償請求 “1800万円”!!!(その1)・・・ の続きである。

「甲子園球場の客席でプロ野球の試合を応援中、男性にメガホンで頭を殴打され、後遺症

などが残ったとして大阪市の女性が男性を相手に約1800万円の損害賠償を求めた訴訟

の判決で、大阪地裁は男性に約24万円の支払いを命じた」 というのが今回のテーマの

元となった報道内容である。

昨日はこれに関して 「本来 “興奮の渦の中” にあるプロ野球の (しかも熱狂的な阪

神ファンによる) 応援中、メガホンが誰彼なく触れることはその応援席にいる人にとって

はあらかじめ想定される、あるいは覚悟すべきものであり、偶然メガホンが頭に当たった

というような状況で損害賠償請求がなされるとすれば、おちおちスタジアム等で興奮しな

がらプロスポーツなどを観戦・応援できないのではないか」 という趣旨のことを述べた。

そのこと自体については特に考えを改めるつもりはないが、今日はこの事件をまた別の

観点で検討せざるをえないことになった。というのもその後、別の報道機関によるこの件

についての記事で、「当事者の男性と女性はそれぞれの勤務先が取引関係にあり、当日

はそれぞれ同僚を連れ7~8人で観戦していた」 という事実がわかったからである。

一口に 「取引関係」 といってもその形態はさまざまであり、双方が対等の関係にある

のかそうでないのかなどによって今回の人間関係がどのようなものであるかも異なってく

るが、いずれにせよ当事者同士はもともと顔なじみであったということはたしからしい。

となれば偶然メガホンが女性の頭に触れたというよりも、男性が “悪ふざけ的” に、

あるいは “軽いノリ” で女性の頭をメガホンで故意にたたいた、という新たな可能性

も生じてくるのである。

そうなるとたとえ男性側に 「危害を加える」 とか 「嫌な思いをさせる」 という明確

な意図がなかったとしても、女性の側に 「故意による行為で被害に遭った」 と解釈

されて全く不思議なことではなく、1800万円という金額はともかくとしても、肉体的

精神的苦痛を被ったことに対する損害賠償を請求するのもそれほど的外れな行為と

はいえなくなるだろう。もしかするとさらなる背景として、たとえば取引関係上男性

側がもともと優位な立場にあり、この日もそういうことを振りかざして女性側をバカ

にした行為がなされたということも十分に考えられる。

昨今、特にTV番組などで 「悪ふざけの度合いが過ぎる」 とか 「軽いノリで安易に

他人の頭をたたく」 というような場面を目にして不快になることが多く、懸念される

風潮だと感じることがあるが、そのあたりのことと今回の事件の本質との関連などに

ついては明日の 「こじろう117」 で考えることにしたい。


飼い主にとっては 「軽いノリ」 で
あっても、「自分にとっては極めて深
刻な問題である」 と感じることが多
く存在する!?      こじろう





  


Posted by こじろう117 at 00:42Comments(2)ペット

2010年06月13日

賠償請求 “1800万円”!!!(その1)

12日各紙朝刊に 「メガホンでケガ 賠償命令・・・阪神ファンが熱狂 女性の頭に当たる」

というタイトルの記事が掲載されていた。

その概要は 「甲子園球場のアルプス席で阪神の得点時にメガホンで頭をたたかれ、ケガ

をしたとして、大阪市の女性が約 “1800万円” の損害賠償を求めた訴訟の判決が11日

大阪地裁であり、裁判官は当時近くにいた男性に慰謝料など計約24万円の支払いを命じた。

男性側は女性をたたいたことを否認したうえで、『熱狂してメガホンで誰彼なくたたき合う応援

は通常起こりうるものだ。仮に女性がケガをしても違法性はない』 と主張していたが、裁判官

は、女性が強い痛みを訴えて後ろを振り向くと男性が “しまった”という表情をしたなどとし

て男性がケガをさせたと認定した。しかし、女性が主張した目まいなどの後遺症については

因果関係を否定した」 というものである。

この記事自体はよく見ていないと見逃してしまうほどの小さいものであるが、プロ野球にか

ぎらず、日頃スタジアムやスポーツ居酒屋?などに足を運びスポーツ観戦をする、それもひ

いきチームの熱狂的な応援にいそしんでいる人たちにとっては、このようなことで今後損害

賠償請求されるとなれば、この事件?のことをただ笑って済ますわけにはいかないのでは

なかろうか。

「自宅で一人、ビールなどのグラスを片手にTVで観戦する」 というのは入場料もかからず

もっとも手軽な (観る) スポーツの楽しみ方であるが、それではなぜ人々は高い?入場

料を払い交通費などもかけてわざわざスタジアムなどに足を運ぶのか、その大きな理由の

一つは、「スタジアムなどで観戦したり応援したりすることでしか得られない、独特の雰囲

気やファン同士の連帯感を十二分に味わえ、楽しめる」 というものであり、さらにそこには

もちろん、 “熱狂” という要素が加えられることになる。最近のことはよくわからないが、

自分の若いころ、つまりひと昔ふた昔前は、ことに西日本の球場 (D球団、T球団、C球団

の本拠地) などでの応援の雰囲気といえばそれは激しいもので、ビジターチームの応援な

どしている人たちは大変危険な目に遭わされたり、ホームチームのファン同士でさえ球場の

あちこちで本気でケンカをしているなどということも珍しくないほどでだったのである。

だからプロ野球に限らずその現場でスポーツ観戦したり応援したりするというのは、まさに

その熱狂の渦の中に入り込むことといってもいいくらいであり、当然それはわざわざそこま

で足を運ぶことの前提になっているのである。もちろんそういう輪の中に入らずプロスポー

ツの高度なテクニックなどを純粋に満喫したいという人もたくさんいるだろうが、その場合

は 「それなりの観客席」 というものが存在し、選択できるようになっている。

今回被害?に遭った女性についても、そういった熱狂的なファン (しかも恐れ多くも “地元

大阪” のTファン) のど真ん中で観戦していることからして、加害?男性が主張している

ように、「熱狂したファン同士の間でメガホンなどが身体に接触する」 などということには

ごく当たり前といってよい 「覚悟」 が必要となるだろう。もし女性が強制的にその場所に

連れてこられたということなら話は別であるが、その可能性は極めて低いと思われる。

したがって、仮に男性のメガホンにより女性の頭がたたかれたというのが事実だとしても、

それが明らかな故意によるものでないとすれば、「この程度のことで損害賠償されるのは

いかがなものであろうか」 という疑問はそれほど的を外したものではないだろう。

以下、この事件についての具体的な検討は明日の 「こじろう117」 でその続きに触れ

ることにしたいと思う。


飼い主の自分に対する数々の過失に
対し、いつか損害賠償請求をしたい
と思っている!?    こじろう





  


Posted by こじろう117 at 00:54Comments(4)ペット

2010年06月12日

『110番』 の必要性???(その2)

昨日の 「こじろう117」・・・『110番』 の必要性???(その1)・・・では、9日の未明に

兵庫県で起きた、「父親 (55才) が長女 (12才) に 『アンタ』 と呼ばれたことに腹

を立て暴行、母親が110番通報してその父親が逮捕される」 という事件につき、先ずは

 「暴行の問題そのもの」 について述べた。今日はその続きとして 「母親による110番

通報の問題」 について言及したい。

昨日も述べたように、その背景など詳しいことがわからないためなんともいえないところは

あるが、いずれにしても長女が (軽いとはいえ) ケガをしているという事実からして、

「父親によるしつけ」 の程度を逸脱していることはたしかである。しかし、これはやはり

「暴行事件」 というより一般的にはどう見ても 「親子ケンカ」 ないしは、その延長上に

位置するものであろう。もしかしたらその父親により 「日常的にDVが繰り返されていた」

あるいは報道では明らかにされていない 「より激しい暴力的行為などがあった」 という

いう事実あれば別にしても、いくらなんでもこの 「55才の父親 VS 12才の長女」 と

いう構図での 「110番通報は行き過ぎ」 という見方や意見が世間の大勢を占めるので

はないだろうか。

その根拠の一つは昨今大きな社会問題ともなっている、「本来必要とは思われない事例、

緊急性や急迫性を伴わない事例による、安易な “110番” “119番” 通報の急増」の 

観点からのものである。今回の件のように (報道から推測される) この程度の 「親子 

ケンカ」 により、いちいち “110番通報” がなされ、それなりの対応がとられることで、

本当に警察の出動が必要とされるような突発事項に対する緊急措置」 に支障等が出る

とすればそれは断じて見過ごすことはできないものである。

しかし、個人的には今回の件での 「母親による110番通報」 で問題にすべきことはさらに

別のところにもあると考える。それはこのまだ12才という少女の将来への影響である。「110

番通報」 により今回のように警察が介入し、しかも刑事事件ともなれば大きな報道の対象と

されるのは自然のなりゆきである。今回の報道でもちろん被害者としての長女の氏名は公表

されてはないが、加害 (容疑) 者の父親は実名が明らかにされている。事件の起きた地域

およびその周辺では 「その事実」 は 「長女の名前が公表されること」 と限りなく近いもの

であることは否定できないだろう。今後もその地域をその一家が生活の拠点にするとすれば、

長女はこれからもずっと事件の当事者として、場合によっては心ない好奇の目にさらされるこ

とになりかねないのである。父親を 「アンタ」 呼ばわりしたことはもちろん好ましいことでは

決してないが、何気ない (まだ12才の少女にとっては 「何気ない」 という表現を用いても

それほど差し支えないと考える) ひとことによって、結果的に自らが 「犯罪者の娘」 として

世間に認知させられることとなるとしたら、それは12才の少女にとってあまりにも大きすぎる

社会的制裁であるといわざるをえないだろう。

母親がどのような状況、心境のなかで今回の 「110番通報」 をしたのかは不明であるが、

保護者たるもの、そのこどもの現在だけでなく将来を見据え、緊急事態とはいえ、いや緊急

事態だからこそ、その行動には日常以上の慎重さが求められるのであり、「最終判断 (今回

の場合は 「110番通報」をするかどうか) をする前に相当の点検・吟味が必要である」 と

いうことを思い知らされる今回の事件であったのではないだろうか。


飼い主の自分に対する行動には、
点検・吟味を怠らないでほしいと
考えている!?    こじろう
 








  


Posted by こじろう117 at 00:51Comments(2)ペット

2010年06月11日

『110番』 の必要性???(その1)

10日の午後、「兵庫県の養護学級教諭 (55才) が自分の中1生の長女 (12才) 

への暴行容疑で兵庫県警東灘署に逮捕された」 とのニュースを目にした。

警察側の発表によると、「同容疑者は9日未明、長女から 『アンタ』 と呼ばれたことに

腹を立て、自宅で長女をあおむけにして脚を引きずるなどし、その背中に軽いけがをさせ、

2人が争っているのを見た同容疑者の妻 (49才) が110番通報をした」 とのことで

ある。

この簡単な報道内容だけではその背景など詳しいことは全くわからず、軽率なことは口

にできないが、やはり首を傾げざるをえない点がいくつか存在するのも事実である。

先ず第一に、この長女がつい最近小学校を卒業したばかりの12才であるにもかかわら

ず、55才の父親に対して 「アンタ」 呼ばわりしたことである。 「近頃の子どもは生意

気だから」 とすませるのは簡単だが、17~8才の高校生くらいならまだしも、まだ親に

対してそのような口をたたくのは早すぎるような気もしないでもない。逆に父親としては、

自分と “その年齢差43” のこどもによるこの手の言動に対し 「腹を立てる」 のは完全

な筋違いで、むしろそのようなことを口にさせるに至った自らの子どもに対する教育の不十

分さを嘆き、反省するのが本来の姿である。またこれまでの親子関係の過程や背景はと

もかくとして、まだ12才という身体的に発達途上にあるこどもを 「あおむけにして脚を引

きずる」、「軽いとはいえケガをさせる」 というのは、場合によっては多少の体罰も容認

される親子の関係であっても、その前提となる 「社会通念上の常識的範囲」 をハッキリ

と逸脱するものであり、到底許されるものとはいえないだろう。

しかし、たしかにこの父親の行為は強い非難に値するものとして、この報道を耳にしたとき

に抱いた最大の違和感は、(その程度に差はあれ) 見ようによっては日常どこにでも転が

っているようないわば 「親子ケンカにすぎないこと」 で、傍らにいた長女の母親 (容疑

者の妻) が 「110番通報をした」 という事実である。このことについての妥当性などや

関連する現在の社会問題については、明日の 「こじろう117」 で詳しく述べることにし

たいと思う。


飼い主の自分に対する教育は果たして
適切なものかとの疑念を、今一つ払拭
できないでいる!?    こじろう







  


Posted by こじろう117 at 01:10Comments(2)ペット

2010年06月10日

“危険でムダで無意味” な走行!!!(その3)

昨日、一昨日の 「こじろう117」・・・“危険でムダで無意味“ な走行!!!(その1) (その2)

・・・の続きである。

片側2~4車線あるような市街地の幹線道路で、それなりに交通量の多い時間帯に「周囲をヒヤリ

とさせるような危険な車線変更、急加速、猛スピードでの追い抜きなどをしてみたところで、結局は

そのしばらく先で追い抜いてきた自動車と一緒に信号待ちすることになることは避けられない」 に

もかかわらず、なぜ大きなリスクを冒してまでそういう “ムダで無意味なこと” をするのか。

その理由・動機として考えられることを4点掲げたうち、昨日は先ずその1. および2. につい

て、いずれも十分な説得力?を有するものではないと思われる根拠を述べた。

今日は最初にその3.「自らの運転テクニックを周囲にアピールしたい、自己満足に浸りたい」 に

ついてであるが、これはハッキリいってそのレベルを少し上げる (いや下げる?) と、 「暴走族

の論理」 となんら変わるところはない。どのようなかたちで自己表現をするか、自己満足を実現

するかは人それぞれであるし、基本的に自由である。しかしその前提に 「周囲や他人に迷惑をか

けない、いやな思いをさせない」 というものがあるのは小学生でも理解できることである。当人は

極めて自己中心的にその (運転) 危険行為の数々を 「カッコいい」 と思っているのだろうが、

周囲にとっては大変な迷惑であり、またそれらにより直・間接を問わずひとたび事故が誘発される

ようなことになれば、「“すみませんでした” では済まされない」 のも当然のことである。したが

って、そのような動機で少しでもかのような運転をすることのあるドライバーには、暴走族による

「反社会的行為」 を非難する資格は全くないどころか、その 「同類」 と見なされることを覚悟

すべきであろう。

最後の4.「自ら所有・使用する自動車の加速、制動性能を見てもらいたい。見せつけたい」 を

動機とする行為は、ある意味で社会人としてもっとも恥ずかしいもの、避けるべきものであり、また

自ら人間的としての器を極めて小さくしているものであるともいえる。たしかにそれなりのパフォー

マンスを有する、つまりそれなりの車格と価格を備えた自動車を所有・使用するということは、一つ

の社会的ステイタスであることは言下に否定はできない。しかし、逆にいえばそのようなステイタス

があるからこそ、それなりの人格や風格も要求されるのである。十分な出力やトルクを備えた自動

車が周囲の自動車の挑発等に一切乗らず、悠然とおだやかに走行していく姿こそが真の 「カッコ

よさ」 というものであろう。たまたま昨日のこと、(今回の話題と舞台は違うが) 高速道路を計

300㎞ほど運転する機会があり、その途中で国産ドライバーズカーとしては一応その車格、価格

ともに頂点に位置するといわれている自動車を見かけたが、その有り余るほどの出力やトルクを

ひけらかすことなく、ほぼ制限速度でゆったりと矢のように直進する姿はほれぼれするほどのも

のであった。反面、(どう見ても車体に無理を強いているような) 激しいエンジン音をたてながら

時速130~140㎞になろうかとするほどの猛スピードで追い越し車線を疾走していく自動車の姿

はどこか滑稽で、そのドライバーや同乗者までもが極めて独善的で安っぽい人間だと推測されて

しまうのである。

以上、いずれにしても冒頭のような運転をする合理性は微塵もなく、その利点についても全く見い

出せないのみならず、、むしろそのドライバーは 「人格、品性、社会的責任感覚などのすべてが

欠落している人物にすぎない」 という評価を下されることが間違いない、という結論に至ったの

である。


散歩中、人通りの多いところを通り
かかると極めておだやかな歩行をし
ようとつとめている!? こじろう





  


Posted by こじろう117 at 00:43Comments(8)ペット

2010年06月09日

“危険でムダで無意味” な走行!!!(その2)

昨日の 「こじろう117」・・・“危険でムダで無意味” な走行!!!(その1)・・・の続きである。

一昨日N市内を自動車で走行中、一見ごく普通?のドライバーがそれなりの交通量のある市街

地で、周囲をヒヤリとさせるような車線変更を繰り返し、急加速をし、猛スピードを出して追い抜

いたりした挙句、結局は先の信号で追い抜いたほとんどの自動車と一緒に 「信号待ちをしてい

る」 という “滑稽で” かつ “ムダ、無意味さが際立つ” 運転の様子を目にする機会があった

が、 「どうしてそんなことをするのかという理由・動機」 については、

1. とにかく急いでいる。緊急事態である。約束の時間に間に合うかどうかの瀬戸際などで
   焦っている。

2. ステアリングを握った途端、人格が変わる。(暴走に向けて) 血が騒ぎ出す。

3. 自らの運転テクニックを周囲にアピールしたい。自己満足に浸りたい。

4. 自らが所有・使用している自動車の加速性能や制動性能を見てもらいたい。見せつけたい。

などが考えられるだろう。

しかし、いずれについても 「それだけの危険を冒すだけの価値があるか」 あるいは 「ムダ

で無意味な運転であるという批判や非難を払いのけるだけの説得力があるか」 といえば、それ

は極めて疑わしい。

先ず、1.について。誰にも緊急的、突発的な用件というものが発生する可能性はあるものだが、

それはそう頻繁に起こるものであるどころか、本当に切羽詰まった、つまり一刻を争うような

事態は普通、せいぜい1年に一度あるかないかというくらいだろう。さらに市街地などの場合

はサイレンのついている緊急用車両でもない限りは自分の思い通りに自動車を走らせること、

すなわち予定通り正確に目的地に到着することは非常に難しい。さらにもし急病人や重傷者を

搬送するとしても、その前提は “安全・安静第一” であり、ほんの少しでも危険を冒すような

運転は論外である。よほどの状況でない限りはそういう時こそ “救急車” に頼るべきである。

(安易に救急車を利用しようとする風潮は見過ごせないが、そのことについてはいずれ改めて

考える機会を作りたいと思っている)

次に、2.について。このような面を持ち合わせている人は案外多いと聞くが、一番困るのは

(ステアリングを握ると人格などが豹変するという) 自覚が当人に無い場合である。普段は

やさしそう、おだやかそうに見えたりしている人が運転する自動車に同乗して、「え、この人

にこんな乱暴な面があったのか」 とか 「こんな運転をして私を危険な目に遭わせるとは

許せない。こんな人にはもうついていけない」 などというドライバーに対する幻滅につなが

るまさに別の意味での大きな “危険性” を有しているのだ。これについては以前 (3月

3日) の 「こじろう117」・・・『豹変』して本性を見抜かれる???・・・で詳しく述べている

つもりなので、ぜひ参照願いたい。

以下、3. および 4. についてなどは、さらに続編で述べるつもりである。


飼い主の前でさえも、切羽詰まって
豹変することのある!? こじろう



  


Posted by こじろう117 at 00:44Comments(4)ペット

2010年06月08日

“危険でムダで無意味” な走行!!!(その1)

昨日の夕方、それなりに交通量の多い時間帯にN市街地の幹線道路 (片側2~4車線) で

自動車を走らせていたときのことである。

最初は自車と同じ車線で背後を走行していたミニバンが、かなり車間距離を詰めてきて接近し

いわゆる 「あおられる」 ような状況になったかと思った瞬間、今度は左側車線のほんの少し

だけ空いた前後の隙間に、「ほぼ真横に滑るような」 かたちで移るというほどのスリル満点

の車線変更をし、その後も同じような走行を繰り返してどんどん前に進んでいった。

しかしそこは市街地、しかも一日の中でも特に自動車通行量の多い時間帯でのこと、1分ほど

の後、数百メートル先の大きな交差点で、そのミニバンが抜き去っていったほとんどの自動車 

(一番最初に?抜かれた自分の車を含む) と結局一緒に信号待ちをすることになってしまっ

たのだ。そのドライバーには申し訳ない?が、その間の必死の?走行が (追いつかれてしま

ったことで) 全く無意味でムダになってしまったのを見て思わず 「大笑い」 してしまう場面

となったのである。

市街地 (中心地) の道路というものは、それが片側だけで数車線もあるような幹線であっ

ても、N市に限らず300~400メートルに一つくらいの割合で信号があるもので、なかには

100メートルにも満たない短い区間に複数の信号すら存在するのだ。さらにそれらの信号は

互いに連動しているのが普通なので、仮に黄色信号を “強行突破” したとしても、そのすぐ

次の信号で赤になり、結局は停車しなくてはならないのは必至である。

だからわざわざ危険を冒し (当人にそういう意識があるかどうかは不明だが) 周囲の自

動車のドライバーを “ヒヤリ” とさせるような突然の車線変更や急加速、猛スピードを

出すなどしても、その後しばらくして追いつかれてしまう可能性が高く、そのような運転は

全くもって 「ムダ」 で 「無意味」 なものになってしまい、さらには周囲のドライバーの

“嘲笑の的” にすらなってしまうのである。

また意外だったのは先のドライバー、「いかにもそういう (乱暴な運転) をしそうな若者」

には見えず、頭髪の薄くなった (失礼) 中高年の男性で、さらにその自動車自体もごく

普通のもの、つまりそういう (乱暴運転に適した) 仕様にはなっていないものだったので

ある。

このような場面を普段目にすることはそれほど珍しいことではないが、そのドライバーとは

たしかに中高年男性やまだ自動車免許を取得して間もないような若い女性であることが少

なくないと (あくまで個人的には) 思えてしまう。

もっともこのようなことを “批判的”? に書きながらも、自分自身も特にかつて若い時分

は 「これに類する (こんなにひどくはないが) 運転を全くしたことがない」 と言えば

それは明らかな偽りになってしまう。

こういう “危険でムダで無意味” な走行をしようとするドライバーの心理や、さまざまな

矛盾についての勝手な分析?などは、明日の 「こじろう117」 にて述べることにしたい

と思う。


日常、家の内外で明らかに無意味と
思われる行動を繰り返しては不思議
がられている!?    こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:38Comments(4)ペット

2010年06月07日

『時給 “177万円” の仕事』???

以前 (3月3日) の 「こじろう117」・・・『報酬』1日当たり “10万円”!!!・・・

では、N県の行政委員の一つである 「教育委員 (非常勤) 」 の1日当たりの報酬額が

10万円を超えるという実態に関し、その常識外の高報酬についての疑問および非常勤行政

職員の報酬は “実際の活動日数” × “日額” にすべきだということについて述べた。

しかし昨日には、宮城県のやはり非常勤行政職員の一つである選管委員一人の報酬がなん

と 「“時給” 換算で “177万円” にのぼった」 という、とんでもない実態が報道されること

でN県の問題などとるに足らないレベルとなり、まさに 「度肝を抜かれた国民」 は少なくない

のではないだろうか。

それは北海道・東北市民オンブズマンネットワークが発表した、「自治体の非常勤行政委員

の報酬ランキング」 に基づくもので、先ほどの最高額は、「年額約121万円の報酬に対し、

年間の総勤務時間がたったの “41分”」 ということから計算されたものであるという。

地方自治法では、非常勤行政職員の報酬は “原則として日額制” とされているが、各自

治体が条例により “月額制” とすることも認められている。だから全国の現状からすれば、

「例外」 と 「原則」 が完全に逆転しているということだろう。N県では以前この件に関し、

「無理を言って 『行政委員』 を引き受けてもらっている」 「 (委員は) 自宅でも電話

をしたり資料を読むなどの業務を行なっている」 などという理由で、当面は “月額制” を

改めるつもりはないようであった。

今回の問題のケースでは、当該行政委員について 「体調を崩し、欠勤も多かった」 とい

う特殊性があるとはいえ、やはりこれだけ 「激しい?報酬金額」 を聞いて、一般の感覚

として 「常軌を逸したもの」 であることは否定できない。またこういう報酬制度が認めら

れる限り、今後も同じような異常事態が生じてしまうことも疑いないだろう。

さらに問題は、「このような報酬制度を自治体側が一向に改めないのは、本来自治体の行

政部門から独立し中立性・専門性が求められるはずの行政委員側が、極めて恵まれた高

い報酬を得ることにより当局に有利な判断などをする可能性があるのでは」 という憶測を

一般国民、市民の間に呼ぶことである。

一般国民、市民に明らかにされていない、知らされていない 「とんでもない非常識」 や

「闇の部分」 は、まだまだとても数え切れないほど存在するということであろう。


飼い主を “癒している” ことに
ついての特別報酬として、オヤツを
もっと増やしてほしい!? こじろう



  


Posted by こじろう117 at 00:56Comments(0)ペット

2010年06月06日

『目的・意味不明。理解不能』!!!(その2)

昨日の 「こじろう117」・・・『目的・意味不明。理解不能』!!!(その1)・・・の続きである。

今までにもよくかかってきた 「ワンルームマンション経営の案内」 という迷惑電話、これまで

のパターンでは一回断われば少なくとも同じ担当者からはしばらくかかってこないのが普通で

あったが、今回は最初の電話のすぐ翌日に性懲りもなくかけてきただけでなく、そのまた直後

に今度はその上司?と思われる 「極めてタチの悪い人物」 から、全くわけのわからない内

容の電話があったのだ。そのおおよそのやりとりは、

先方・・・「マネジメント?のXXだけど、あんた、なんなんだ。おかしいじゃないか」

当方・・・「は?、私が何かおかしいんですか。そもそもあなたいったいどこのだれですか。
      さっきの人の上司ですか。この電話の目的は何ですか」

先方・・・「あんた不動産関係に興味無いっていったんだよな」

当方・・・「もう何回もそういっているんですが」

先方・・・「あんた頭おかしいんじゃないの。だってあんた不動産 (住宅やその土地のこと
      を指しているのか?) に住んでいるんじゃないのか。自分が住んでいるところ
      に興味が無いなんてことがあるのか。えー、どうなんだよ」

当方・・・「は?、すみませんがあなたの言っていることの意味がよくわからないんですが」

先方・・・「あんた、だからおかしいんだよ。なぜこっちの話を聞こうとしないんだよ、えー」

当方・・・「だから、興味が無いうえにそちらから一方的に言っていることをなぜ私が聞かな
      ければならないんですか」

先方・・・「あのねー、そういうことじゃないんだよ。まったくあんた何なんだよ。自分がおか
      しな人間だってわからないのか。えー、どうなんだよ」

当方・・・(もう何も言うことがなくて) 「あー、そうなんですか」

先方・・・「『あー、そうなんですか』 って、何なんだその態度は。無責任な言い方してる
      ってわかんないのか。おかしいんだよ。何なんだあんたは。おい、聞いてるんか」

当方・・・「あのー、何も話すことはないので」

先方・・・「あんた一体なんなんだよ。自分が変だと思わないのか、えー、おい、こら」

当方・・・「これから警察に電話するので、電話切って・・」

と、ここで受話器をたたきつけるような激しい音とともに電話が先方から切られた。

全く無意味な時間を過ごしてしまったが、結局今の相手の電話の目的・意味は何だったのだ

ろうか。

詐欺なら詐欺として、もう 「こいつはどうせカモにはならない」 くらいのことはその前の電話

の段階でいくら連中でもわかっているだろう。にもかかわらず、わざわざ上司?のようなのが出

てきて何の利益にもならないことを口走る理由がどうしてもわからないのである。もしかしたら、

連中独特の論理で、「とにかくなめられてはいけない」 ということなのだろうか。あるいは連中

にも人並みに 「ストレス」 のようなものがあり、それをたまたまタイミングよく?自分に向け

て発散した、つまり今回自分がその 「はけ口」 にでもなってしまったということなのだろうか。

いやもしかしたら、ああいう口調でしつこく話されているうちに 「根負け」 して、結局連中の

“カモ” になってしまう人がいるということだろうか。

いずれにせよ世間一般の常識が通用しないどころか、それ以前に人としてのごく基本的な話

すらできない連中である。いってみれば “狂犬” みたいなもので (いや狂犬にすら失礼か)

ヘタに刺激しないように、挑発に乗らないように、即電話を終えるべきだとする反面、いきなり

切ればそれはそれでまたしつこく嫌がらせの電話が続くという例もあるようなので、やはりここ

はどうしても慎重な対応が必要になるだろう。

こういう連中にも、かつてはまともな仕事をしようと考えていた時期があったのだろうか。ある

いは最初からこういうことに携わることしか念頭になかったのだろうか。人間いずれは歳をとり、

誰でもそれまでの生き方を振り返る時がそれなり来るものだろう。連中はそういう時期を迎えた

ときに、自分の人生を一体どのように総括するのであろうか。


ヘタな人間よりも利口な犬の方がよほど
理解力があると信じている!?こじろう



  


Posted by こじろう117 at 00:39Comments(10)ペット

2010年06月05日

『目的・意味不明。理解不能』!!!(その1)

以前、この  「こじろう117」   (11月21日 、  11月28日、  12月16日 )

で何度も紹介してきた、「マンション経営の案内と称する迷惑電話」 であるが、このたび久々に

かかってきたものは、これまでの中でもその 「シツコサ」 「失礼さ」 「意味不明さ」 などのす

ベてにおいて “群を抜いている” ともいえる “ヒドイ” ものだった。

今回最初の一本は一昨日の仕事中のものである。「『△△』 の 『◇◇』 さんから電話ですが」

と言われた瞬間初めて聞いた名前ではあっても、「ああ、『あの手のものだな』」 とすぐわかった

が、居留守など使ってもどうせまたしつこくかけてくるのは明らかなので、「最初にはっきり断って

おくべき」 と考え、出てみることにした。案の定、若い男の声で型通りの自己紹介 (といっても

非通知でかけてくる電話からして、企業名担当者名ともに本当の名前などとは思えないが) の

あと、お決まりの 「都内のワンルームマンション経営の案内なんですが」 と切り出してきた。

当方・・・「すみませんが、全く興味がないので他の方をあたってくれますか」

先方・・・「ちょっと待ってください。興味がないって、あなた、私まだ何も話していないのに
      なぜ興味がないと言い切れるんですか」(既に口調が荒っぽくなり始めている)

当方・・・「ないものはないんですよ。今までにも何回も同じような電話がかかってきてますか
      らわかるんですよ。ところでなぜこの電話番号がわかったんですか」

先方・・・「それは、め、名簿ですよ」

当方・・・「何の名簿ですか」

先方・・・「名簿は名簿じゃないですか。そんなことよりワンルームマンションの件でしょう」

当方・・・「いや、だから興味が一切ないっていったでしょう。また今忙しくてあなたの相手を
      しているヒマもないんですよ」

先方・・・「だからボク?も忙しい中わざわざ電話しているんじゃないですか」

当方・・・「それじゃすみませんが電話切りますので、もう一切かけないでください」

といって電話を終えた。一般常識の通じない相手とはいえ、一応言葉遣いも含め最低限の礼儀?

は尽くしたつもりである。

昨年の11月~12月の例などもあるが、これでとりあえず少なくとも同じ担当者からはかかって

こないだろうと思っていると、なんと昨日 (つまり翌日) またその人物からかかってきたので

ある。しかも自分の不在中に5回ほどかけてきていたと聞けば、これ以上かけられても周囲に迷

惑がかかると考え、出てみると、

先方・・・「昨日かけた 『△△』 の 『◇◇』 です」

当方・・・「あのう、昨日はっきり断ったんですが。何でまたかけてきたんですか」

先方・・・「いえ、だって昨日はまだボクの説明していなかったじゃないですか」

当方・・・「だから、説明一切いらないんですよ。あなたしつこすぎますよね。そちらの企業
      の正式名称、所在地、電話番号教えてください」

先方・・・「いや、それは言いません」

当方・・・「は?、それじゃお宅と取引しようとする人はどうやって連絡取ればいいんですか」

先方・・・「だから、(少し苛立った口調になり) そちらの近くのファミレスかなんかにボク?
      が行って説明するんですよ。あなた明日の6時といえば仕事終わっていますよね。
      場所はどこにするんですか」

当方・・・「あのう、全く意味がわからないんですが、いずれにしてもあなたと話をする必要
      ないんですよ。ところでこれ以上あなたにしつこく電話されてもこちら迷惑なの
      で、すみませんがあなたの上司か責任者の人と電話代わってもらえませんか」

先方・・・「だからそういう問題じゃないんだよ。あんた人の話ってものがわからないのか」
     (明らかに言葉遣いが乱暴になる)

当方・・・「とにかくもう2度と電話しないでください。電話切りますよ」

と電話を終えた。この手の電話に果たしてまともに付き合い、だまされる (99.9%は詐欺

もしくはそれに準ずるものであることは間違いないだろうから) 人が本当にいるのかといつも

不思議でしょうがないが、いずれにせよ今度こそ当方に電話しても何のメリットもない、つまり

“カモ” になる可能性はゼロで、電話代と時間のムダになる (彼らにそういう観念はないだ

ろうが) だけだから、さすがにこれでしばらくは電話してこないだろうと高を括っていたところ、

(2度目の) “なんと” で、その数分後、今度はその上司?のような人物からかかってきた

のである。それは企業名も言わず、「『マネジメント』 ?の 『XX』 さんから電話です」という

形で回ってきたが、これがなんともとんでもない、信じられないような内容のものであったのだ。

以下その目的・意味不明、理解不能の電話の中身については、明日の 「こじろう117」 で

紹介することにしたい。


飼い主にとって、その目的・意味不明、
理解不能の行動が多すぎる!? こじろう


  


Posted by こじろう117 at 00:41Comments(6)ペット

2010年06月04日

『店長態度最悪』 (その7)!!!

昨日の 「こじろう117」・・・『店長態度最悪』 (その6)・・・の続きである。

なぜ今さら急に店長の 「反省の弁」 を公にしたのか、その真意についていくら推測して

みても始まらないが、「いずれにせよこれまでその店長により不快な思いをさせられ、その

店内で店長と顔を合わせたりすれ違うことを何とかして避けようと思っていた多くの来店客

にとっては喜ばしいことであり、これからはいくらか気持ちよく買い物ができる (店長に

睨みつけられずに済む) ようになる」 ハズだったのだが、「やはり人間そう簡単に変われ

るものではない」 「表面だけ取り繕って体裁を整えても、結局馬脚は露わにされる」 とい

うことが、その後すぐに証明されることになってしまったのはなんとも情けない。

「反省の弁」 が公にされた後の、今からつい2~3日前、その店舗の正面広場で早朝7時

から、恒例の 「朝市」 というイベントが開かれた際のことである。その日は早朝とはいえ、

気温もそれなりに高く、店員の人たちは一人残らず汗だくになって客の応対に追われてい

たのだが、かの店長といえばイベント広場の隅の方にいて、従来の苦虫を噛み潰したような、

かつ早起きがいかにもつらかったという表情で、あくびをしたりタバコをふかしたりしながら

「例の目線」 で人だかりの方を眺めているのを、何人もの主婦らにしっかり目撃?されてし

まったのである。

タバコをふかすこと自体は、そこが所定の喫煙場所である以上他人がとやかくいえることでは

もちろんない。また別に店長自身が現場で接客を行うべきかどうか、どの位置に立っているべ

きかについても客側がどうこう言える筋合いではない。しかし、店長 (店側) にとって忘れて

はならいのは、早朝の7時からの 「朝市」 にわざわざ訪れる客は、普通に考えて近隣の

いわゆる 「なじみ客」 がそのほとんどを占めているということだろう。つまり、たまにその

店舗を訪れる客とは違い、首から吊るしている名札が見えなくてもその顔だけですぐ店長

だとわかるような客がほとんだということである。朝早くから訪れてくれたありがたい (店

の収益上は果たして本当にありがたいかどうかわからないが) 「お客さま」 に対し、直接

応対はしなくても、その目に入るところではやはりそれなりの振る舞いというものは必要な

のではなかろうかということである。まあそれでも 「一店員」 についてのことならば、「ここ

の店員教育はなってないなあ」 と済まされるところであるが、一応 “悪人面” とはいえ、

「店の顔」 として事実メインゲートに役職と名前入りの写真まで飾って?いるのである。

その組織におけるトップとまでいかなくても、人の上に立って指揮命令するような立場の者

はたとえ純然たるプライベートタイムであっても少なくとも人目に触れるような場所ではそれ

なりに恥ずかしくない姿勢や立ち振舞いが求められるのは常識である。まして業務中とも

なればなおさらであろう。

聞くところによるとこの店長、(全国展開しているような超大手流通グループの人事ではごく

普通のことだろうが) 他のほとんどの地元出身の店員と異なり、グループ本部から派遣され

たエリート?スタッフということで、この店舗で何年か店長を務めた後はまた別の大型店の責

任者に異動となるか、あるいはグループ本部の主幹スタッフになるのでは、とされているが、

邪推であることを承知でいえば、自分の次のステップのために、とにかく本部に対して 「仕

事をしている」 ということのアピールに執心するあまり、つまりその方にエネルギーを消費

しすぎるあまり、客と直接関わる業種の最たるものである “小売業” にとって最も大切とも

いえる 「お客様に気持ちよく買い物をしていただく」 という精神がないがしろにされてしま

っているのではないだろうか。

商売に携わる者、たとえそれが一時的なものであろうとも、お客を侮ったり、甘く見ていると

最終的には 「そのツケは必ず自らの身に降りかかってくる」 ことを忘れてはならない。


散歩の際、自分が 「目立つ」 ことを
なぜか極度に嫌う!?    こじろう

  


Posted by こじろう117 at 01:14Comments(2)ペット

2010年06月03日

『店長態度最悪』 (その6)!!!

「こじろう117」・・・店長態度最悪 (その2) (その3) (その4) (その5)・・・

シリーズの “主人公”? である超大手流通グループの中核スーパーマーケットの店長

については、これまで 「(実際、客を目の前にしながら) 客を客とも思わないような立ち

振舞いや尊大な態度」 の数々を取りあげてきたが、つい最近その店舗の入り口にある

「『お客様の声』 に 『私 (店長) が直接お答えします』 コーナー」 に、なんとついに

その 「店長自身に対する批判の声」 と、それに答えた 「(店長) 自らが反省する旨」

を書いた紙が貼り出されたらしく、顧客 (来店者) の間で非常に大きな驚きが広がり、

また話題になっているという話を耳にした。

そのコーナーは、店内に設置されたアンケートボックス?に客が要望や改善の希望を記入し

た用紙を入れ、それに対して店長名で答えるというものであるが、今回その中の一つが、先

述のもので、「店長の客に対する態度が悪い。客の目の前で店員を叱りつけて不快である」

という意見に対し、「申し訳ありませんでした。私自身も反省し態度を変え、店全体も変わ

るようにします」 というような内容が書かれているという。

以前より紹介してきたように、その大型総合店舗を頻繁に利用する (特に店舗近隣の) 

顧客らにより、今までその現店長に対して、

1.「店長」 という名札を首に下げて客の買物現場にいながら、すれ違う客に 「いらっ

  しゃいませ」 や 「ありがとうございます」 などのあいさつもなければ、頭を下げる

  ことすらしない。

2.いつでもえらそうに腕を組み、客の方を睨みつけているようにしている。

3.客の目の前で店員を怒鳴りつけることが頻繁にあり、それを見ている方が不快になる。

などのような感想があり、とにかく大変な悪評判であった。

もちろん店長という職責をどのように果たすのか、どのような店員教育をするのかなどは、

その店舗の内部的問題であり、外部の者 (客側) がそれに対してとやかく言ったりする

筋合いでなければ、そもそもその資格も権利も無いことは論をまたない。

しかし、ひとたび 「店長」 という名札を首に下げて客の目の前に立つ以上は、客を不快

にさせる権利や資格もやはりないのである。また同店の現場で働く店員の人たちは、まじ

めで親切な人がほとんどで、接客等に関して何か問題があるとすれば、それは店長自身

の態度の悪さをおいて他は見当たらないというほどなのである。

今までにも一部の顧客からそのような 「お客の声」 は現店長に何かしら届いていたこと

に疑いはないが、全く改善の様子がないどころかますますひどくなるという状況が続いてい

たのである。(一時よくなりかけたようにも見えたが、実際は見せかけだったようだ)

それが “突然”? 今回のような回答が掲載されたということで、それは今までの事情を

知る人のほぼ全員が一様に大変驚くのも仕方がないといったところだろう。また一方で、

「今さらなぜ?」 「(店長の) 異動、更迭が間近か?」 「グループ本部から何かの指示

があったのか」 などという素朴な疑問が湧いたり、揣摩臆測が飛び交ったりしているのも

また不思議ではない。

まあそれでも何はともあれ、たとえ 「今さら」 だとしてもこれでやっと気持ちよく買物が

できるようになり、「めでたしめでたし」? となりかけたところ、「やはり馬脚というものは

遅かれ早かれ露われてしまうものだ」 というこの話の続きについての具体的なことは、

明日の 「こじろう117」 で述べることにしたい。


飼い主の 「自分に対する態度」 に
改善を要求したい!?   こじろう








  


Posted by こじろう117 at 00:48Comments(0)ペット

2010年06月02日

『貧困ビジネス』 展開???

一昨日、昨日と各紙朝刊に 「大阪市で 『生活保護費詐取』 により、40~50代の

男性3人が逮捕された事件」 の記事が載ったが、その見出しのサブタイトルなどとして、

「『貧困ビジネス』 展開か」 というものがあったのに違和感を抱いた人は自分を含め

実は少なくないのではなかろうか。

「貧困ビジネス」 ということばは、ホームレス支援や貧困問題に取り組むNPO法人の事務

局長で一昨年の年末から昨年の年始にかけて話題になった 「年越し派遣村」 の関係で

よくTVに出ていたY浅氏による造語で、もともとは 「誰にも頼れなくなった存在のその寄る

辺の無さにつけ込んで利潤をあげるビジネス」 ということらしいが、一般の解釈では 「生

活に困窮する人を利用して利益を得ようとする行為」 を指すものであるらしい。

今回の事件で容疑者は、生活保護受給者の転居を市に虚偽申請し、引っ越し費用など数

十万円をだまし取ったなどの疑いがもたれているが、たしかに 「生活に困窮する人を利用」 

という点、つまり 「貧困」 というキーワードは関係しているとしても、果たしてこのようなこ

とを 「『貧困ビジネス』 展開」 などと表現するのは適切なのであろうかという疑問を払拭

することが到底できないのである。「貧困ビジネス」 なる “ことば自体” が先述の通り

よくわからないものであるが、今回はやはり一般にはせいぜい 「貧困詐欺」 と呼ぶべき

ものであり、少なくとも 「△△ビジネス」 というようないい方は全くもってふさわしいもの

とはいえないだろう。したがってここは 「『貧困詐欺』 展開」 などのサブタイトルの方が

まだしっくりくるし、余計なことを疑問に感じる時間も省けるというものである。

新聞や雑誌などでその記事の中身をよく読めばもちろんその本質的な部分は理解できる

わけであるが、多くの場合はまずその記事などの 「見出し (タイトル)」 や 「サブタイ

トル」 により事件の内容を推測しイメージを描くことが普通である。また時間があまりな

いときなどは 「見出し」 = 「事件そのもの」 として判断せざるを得ないのである。

報道の内容を鵜呑みにするつもりはないし、またそうすべきでないことはもちろんであるが、

そうはいっても報道する側の責任として、たとえ記事のタイトルであってもその事件等の

本質をしっかりとらえた、読者にわかりやすいものを提供してほしいものである。


飼い犬として、「生活に困窮するときが
来るかもしれない」とは一度も考えたこ
とのない!?        こじろう














  


Posted by こじろう117 at 00:49Comments(2)ペット

2010年06月01日

『とっさの口実』 は難しい!!!(その2)

昨日の 「こじろう117」・・・『とっさの口実』 は難しい!!!(その1) の続きである。

昨日の内容と重複するところもあるが、見知らぬ人が笑顔で 「かわいいお子さんですね。

抱かせてください」 などと近づいてきたときに、たとえその人が怪しそうな人、不審人物

に見えなかったとしても、自らは何の抵抗もできない3か月の乳児をすぐに差し出すのは、

「母親としてあまりにも軽率かつ無責任である」 という誹りは免れないだろう。そのよう

なとき毅然とした態度で申し出を 「断る」 のも子どもを守るべき保護者としての責任の

一端である。しかし、かといってストレートに 「イヤです」 とか 「困ります」 などともなか

なかいえないものなのだ。ことに地方で地域住民の結びつきが強いようなところではなお

さらということもあるだろう。だからこそ 「とっさに」 にスマートな口実でやんわりと断る

ことができれば苦労しないが、それもなかなか難しいところである。

自分自身の子どもについては、もうとうの昔にそのようなことは終えてしまっているが、そ

れでもこの手のことが他人事と思えないのは、飼い犬 (こじろう) を連れて散歩中など

に同じような場面 (犬と人を同列に並べて恐縮であるが) に遭遇することがあるからだ。

最近はめっきり少なくなってしまい、それはそれで飼い主としてはさびしい気持ちを隠すこ

とは正直できないが、飼い犬を連れて外を歩いていたりすると、「かわいいワンちゃんです

ね。なでてもいいですか」 といわれたり、そういわれる前に近づかれ今にも飼い犬に触ら

れそうになることがある。飼い主として飼い犬のことを、「かわいい」などとほめられるのは

一番うれしい瞬間で、思わず涙ぐんでしまうような場面である。またまさか件の乳児の場合

のように危害を加えられる可能性はないと思うが、逆にこちらの飼い犬の方が、“鋭い牙”

を持ったいわば肉食の猛獣である。触られようとした瞬間に何かの拍子で相手の人に咬み

つくことなどがあれば、それは “大変” などでは済まなくなってしまう。飼い主の立場と

してはその責任において、たとえほんのわずかでも何か他人に危害を加える可能性を考え

れば、やはり “なでられる” などはもってのほかで、“近づかれる” ことさえ断らざるを

えないのである。

ただし、せっかく 「かわいいですね」 と声をかけてくれた人に 「ダメです」 とストレート

に拒絶の姿勢を示すことも本意とはいえない。したがってそういうときには、相手の人に

たとえ少しでもイヤな思いをさせず、かつガッカリさせないようなスマートなとっさの断りの

口実が必要になるのである。「すみません。もし咬みついたらいけないので」 というのでも

こちらの意図は伝わるが、相手を一瞬ギクリとさせてしまう (特に子どもの場合) のは

間違いない。たとえば 「すみませんね。実はここ数日少し体調を崩していて、ちょっとご

機嫌ななめなんですよ」 とでもいえば多少は違うだろう。

人生では業務・公務・プライベートを問わず、人に断りを伝えなくてはならない実にさまざま

な場面がある。少しも躊躇せずはっきりと毅然とした態度、口調でストレートにモノ申さなけ

ればならない場面も数多くあるだろう。しかしまた、せっかくの相手の厚意、好意を踏みにじ

ることのないような (いい意味での) 上手な口実がとっさに出てくるようにしておくことも、

非常に難しいこととはいえ人間関係を円滑にするためには不可欠なのである。


実際は機嫌が悪くないのに、そういう
口実を飼い主に使われることを、快く
思っていない!?     こじろう









  


Posted by こじろう117 at 00:55Comments(0)ペット