2010年12月31日

『猛省』 すべきは???

日常の生活のなかで 「余計なことをしなければよかった」 と後悔することは誰にも

少なからずあると思うが、特にそのことによって 「御用」 となってしまったとすれば、

(自業自得とはいえ) 悔やんでも悔やみきれないということになるだろう。

先日の某紙に 「酒気帯びであわや事故、相手に 『飲んでいるだろう』 」 というタイ

トルの記事があったが、その内容は、


・・・・・・ 宮崎県警日向署は23日、日向市内の自称自営業K容疑者 (34才) を

     道交法違反 (酒気帯び運転) 容疑で現行犯逮捕した。

     発表によると同日午後7時45分頃、同市内で酒を飲んで軽乗用車を運転した

     疑い。

     K容疑者は自宅で飲んだ後、さらに飲もうと車で外出。市内の男性 (60才)

     の車とぶつかりそうになった。男性に 「お前、飲んでいるだろう」 と言いがか

     りをつけ、飲酒検知機で証明しようと男性を助手席に乗せ同署に出向いた。

     署員が2人を検査したところ、K容疑者から呼気1リットルあたり 0.15ミリ・グ

     ラム以上のアルコール分が検出されたという。男性からは検出されなかった。

     K容疑者は、「しなければよかった」 と “猛省” している・・・・・・・


というものである。

何ともまぬけな事件としかいいようがなく、このK容疑者の行為はまともな神経の持ち主

からすれば信じ難いという類のものである。したがってこの記事を読んで、「なぜこんな

バカなこと、余計なことをしたのか」 について分析するのは時間のムダと思えるが、一

点だけ問題にしたいのは、記事最後の 「K容疑者は 『しなければよかった』 と “猛省”

している」 という部分である。この “猛省” という言葉そのものは記事を書いた記者に

よる表現だと思いたいが、それをいうなら 「K容疑者は 『しなければよかった』 と強く

“後悔” している」 というのがふさわしいのではないか。なぜならこの 「しなければよか

った」 というのはどうみても 「酒気帯び運転」 ではなく、「警察に (飲酒検知のために)

出向いたこと」 に対してとしか思えないからである。

“猛省” とは本来 「強く反省すること」、さらにその “反省” とは 「自らに誤りがないか

どうか振り返り、考えること」 であるはずだ。もっとも、この “猛省” という表現をK容疑

者自身が用いたとすれば、「そんな人格だからこんな非常識?なことをするんだ」 と納得

できるし、記者が (あえて “後悔” でなく “猛省” と) 意図的に用いたとすれば、それ

はそれでなかなかのセンスを感ずるというものであろうか。

さて、“猛省” というほどの事態がどれほどあったかはともかく、“反省” する場面は毎日

欠かさずあったといえる自分自身のこの一年。「来年こそは」 と決意するにしても、「それ

では一体何を・・・」 となってしまう体たらくである。


ときどき “反省” することはあっても、
“猛省” には程遠い?!   こじろう



     



   





  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(6)ペット

2010年12月30日

『味見』 は禁物???

デパートなどで開催される 「全国 味の名品展」 という類の催しにノコノコと出かけていく

と、特に目的の品物がなくてもなんだかんだと買い込んでしまうことは少なくないが、その

原因の一つが、「お味を試してみませんか」 という、ことば巧みな試食の勧誘?であること

に疑いはない。最初躊躇しても、「どうぞどうぞ、一口だけ」 などと迫られる?とイヤともいえ

ず、また断わるのもなにか 「かわいそう」 な気がしてしまうこともあるためつい応じてしまう

のだ。しかし一旦口に入れた以上はそのままその場を去ることもしづらいもので、「それでは

とりあえず (何が 『とりあえず』 なのかよくわからないが) 二袋ください」 などと言いな

がら結局買わされてしまっているパターンである。

さて昨日、某紙に 「 『マグロの味見』 ご注意 強引な訪問販売相次ぐ」 というタイトルの

記事があったが、その内容は、


・・・・・・ 「マグロの味見しませんか」 などと自宅を訪問した業者から魚介類を強引に買わ

      されたとの相談が相次ぎ、国民生活センターは27日、「いらない場合はきっぱり

      と断るように」 と消費者に注意を呼びかけた。包丁でまな板をたたいて脅す悪質

      な例もある。

      生鮮食料品の訪問販売は、契約書の作成を義務付けた特定商取引法の規制対

      象だが、業者が契約書を作成しないため連絡先がわからなくなるケースが多いと

      いう。

      同センターによると、魚介類の訪問販売に関する相談件数は2005年度の20件

      から増加傾向にあり、10年度はすでに44件。被害者の多くは高齢者という・・・


というものである。

デパートの場合にはさすがに 「脅し」 はないが、「味見」 をすることで、「買わないわけに

はいかない」 という心理に追い込まれる点では、この訪問販売の場合も同じであろう。先般

話題になったばかりの 「悪質カニの送りつけ商法」 と並び、また厄介な 「詐欺まがい」 

あるいは 「詐欺そのもの」 といえる商売?が横行するのは困りものだ。国民生活センター

による、 「いらない場合はきっぱり断る」 というのはたしかにその通りだが、現実には普通

の常識人はそれがなかなかできないから苦労するのではないか。

もっとも、先のデパートなどの例でいえば、「ところどころで 『味見』 をしても、実際きっぱり

と (その食品を買うことを) 断わっては渡り歩く」 という人もいるというのを耳にしたことが

あるが、「それはそれでどんなものか」 と感じてしまうから、事はなかなか複雑である。


「味見」 を何よりも楽しみにして
いる!?        こじろう





  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年12月29日

こんなことも 『通用してしまう』???(その2)

「こじろう117」・・・こんなことも 『通用してしまう』???(その1)・・・の続きである。

(その1) では、先日の神奈川新聞にあった 「市職員、異動拒み前の職場に居座り8カ月」

というタイトルの記事を紹介し、たとえば民間企業であれば異動・転勤拒否をした場合には一

般に退職や降格を余儀なくされることを述べた。今回はこの職員および横須賀市の対応に関

して具体的に検討してみたい。

まず、この職員の異動拒否理由の一つ 「今の仕事を覚えきっていない」 というものについて

である。これはその職種の専門性の高さなどにもよるが、たとえば着任して数カ月であるとか

半年程度というのならその言い分も一応は通る可能性がある。しかし、今回の場合は異動の

発令がなされた時点ですでに2年近くが経過しているのだ。かなりの特殊技術などを有する

業務だとしても、簡単には口にできないセリフだろう。さらにいえば 「仕事を覚えきっていない」 

かどうかということはその当人でなく、雇い主である市側が組織として判断すべきことである。

担当者が個々に仕事を 「覚えた」 とか 「覚えていない」 と勝手に言い出したら、組織として

の業務は成り立たないであろう。また逆にいえば、市側がこの職員はこの職種にふさわしくない

と判断したからこそ異動が発令されたとみるべきである。

次に、「次の職場に移ると評価が低くなる」 という言い分。これこそまさに言語道断とされるべ

きものである。この男性、公務員 (市の職員) として、「市民のために」 という意識はゼロで、

「自らに対する評価のため」 に仕事をしている (今までしてきた) のはこの発言から明々白々

であろう。今現在40才ということだが、新卒で採用されたとすれば今から20年ほど前に市職員

に応募した際の面接において、その志望動機に関し 「市民のために尽くしたい」 という趣旨の

一言くらいあったのではないかと思うが、もし約20年の間に 「市民のことはどうでもいい。自分

の評価が第一」 というように変わってしまったとしたら、その原因および背景にあるのは、いわ

ゆる 「お役所体質」 と、それにどっぷりと浸かってしまうことが許される 「お役所仕事」 に他

ならないのではないか。

また今回の問題については当該職員のみならず、市側の対応についても数々の不信が生じて

しまう。その一つは市の総務部長、人事課長、新旧所属課長らの 「体たらく」 ぶりである。異動

命令に何カ月も従わない職員に対し 「強引なことはできず、説得を続けるしかなかった」 と述

べているが、市の幹部が雁首そろえて発する言い訳としては全く通用しないものであり、「それな

らあなた方の存在意義は一体何なのですか」 と問われて当然である。この職員、本来の仕事を

全くしていなかった半年以上の間、給与も賞与もそのまま支給されていたということだが、この

幹部や上司たちはその原資が 「市民の血税」 であるという意識はあるのだろうか。もし、自ら

が経営者として、あるいは個人的な雇い主であったとしても同じように 「説得し続けるしかない」

として給与や賞与を支払い続けるのだろうか。

心配なのは、この 「就職超氷河期」 といわれる時世にあって学生らが、 「公務員にはこんな 

『ごね得』 も通用するのか」 「目指すならやはり公務員だな」 というような意識を有してしまう

ことであるが、横須賀市の幹部たちにはそんなことは思いもよらないことだとしたら、これはもう

本当に嘆かわしいとしか言いようがない。


「ごね得」 は自分の得意技?である
と開き直る?!      こじろう
















  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年12月28日

こんなことも 『通用してしまう』???(その1)

ごく一般の社会常識を有する人なら必ず 「えっ、本当?」 と不思議に思うようなことが、

「お役所」 のなかでは公然と?行なわれていることが珍しくないようだ。

先日の神奈川新聞に 「市職員、異動拒み前の職場に居座り8カ月」 というタイトルの

記事があったが、その内容は


・・・・・・神奈川県横須賀市は21日、今年4月1日付の人事異動に従わず、8か月以

     上も前の職場に居座っている技術職の男性職員 (40才) を停職一カ月の

     懲戒処分にしたと発表した。

     市人事課は 「横須賀市で初めてのケース。調べた限り他市でも同様の例は

     なかった」 と話している。

     発表によると、男性は2008年6月から市民部に勤務していたが、港湾部へ

     の異動に対し、「今の仕事を覚えきっていない。次の職場に移ると評価が低く

     なる」 として拒否。総務部長、人事課長、新旧所属長の数回にわたる説得や

     命令に従わず、市長名の文書による2回の配置替えの職務命令にも従わなか

     った。

     男性は4月以降、市民部の前の職場に来て余分な机を使って自分の専門分野

     の本を読むなどして過ごしていた。4~12月まで給料と夏・冬のボーナスは通

     常通り支給された。

     市人事課は 「強引なことはできず、説得を続けるしかなかった。法律に基づ

     いて適正に処分した」 と話す・・・・・・・


というものである。

民間企業、国の機関、自治体を問わず、一般的に勤め人にとって異動や転勤はつきもので、いわ

ば宿命ともいえるものである。基本的には明らかに法に反する、あるいは誰が見ても理不尽と思

われるもの以外の異動命令に従わなければ、民間企業等では実質的に退職、幸運な場合でも降

格は免れないのが一般的である。もちろん、やむを得ない突発的事情等が発生し、その命令に

にわかに従うことが困難になったり、異を唱えなくてはならないこともあるだろう。しかし、たとえ

そうだとしても、やはりそこにはルールや手順というものが存在する。

それではこの横須賀市の職員のケースにつき、 「どうしてこんなことが 『通用してしまう』 のか」

については、「こじろう117」・・・こんなことも 『通用してしまう』???(その2)・・・で具体的に検

討することとしたい。


飼い主にとって 「こんなイタズラもあるのか」
ということをあたりまえのようにしている!?
                 こじろう

  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(2)ペット

2010年12月27日

『涙があふれてしまう』!!!

先日のS新聞のあるコーナーにあった一枚の写真。記事と一緒に切り抜いたそれを目にする

たびに、自然と涙があふれてしまう。

その写真は週に一度S紙に掲載される 「ペットを飼う」 というシリーズなかの一話に関する

もので、今回は 「 『衝動飼い』 の末に殺処分」 というタイトルの記事の脇に掲載されて

いた。有名なノンフィクション作家K氏によって書かれた記事本文の内容は、


・・・・・・ペットによって 「いやされる」 人は少なくない。懐くことで、「かわいい」 と思う

     気持ちから派生した心理だろう。しかし、犬や猫も大きくなり、病気にもなる。

     飼い主も歳をとる。こうした変化の中で、飼い始めた当時の 「かわいい」 という

     気持ちを持ち続けられるか。

     動物愛護センターを訪ねて回るうち、さまざまなケースに出会った。印象に残って

     いることの一つが、“衝動飼い” の犠牲となる犬や猫たちのことだ。

     「新しいカーペットに合わなくなった」 「引っ越すマンションはペット厳禁だから」

     という理由で、センターに殺処分のための 「引き取り」 を申し出る飼い主は珍

     しくない。

     (中略)

     たしかにペットは人間の都合で飼われる動物だ。とはいえ、途中で投げ出すの

     ではなく、死ぬまで飼う、飼えなくなったら新しい飼い主を探す努力も飼い始めた

     者の責任のはずだ。

     一方で、犬や猫の市場にもブームがあり、それに踊らされて飼い始めるケースも

     “衝動飼い” に近いだろう。

     (中略)

     「ブームの後に捨てられる傾向は全国的に見られます。これは日本特有のもので

     すよ」 ある県の動物愛護センターの所長を務めていた獣医師のことばが、私に

     は忘れられない・・・・・・・


というものであり、その一枚の写真とは 「殺処分装置に送り込まれる犬たち」 というタイトル

がついたもので、10匹ほどの犬が写っているのだが、そのうちの何匹かが 「あどけない」 表

情を浮かべて、「笑っている」 ように見えるのだ。以前、「殺処分される動物たちは、その動物

特有の 『予感』 により、どんなに察知されないよう工夫しても (殺処分されることに) 抵抗

を試みるものだ」 ということを耳にしたことがある。しかし、この写真を見る限りでは、直後に

「自らの人生 (犬生?) に終止符が打たれる」 などとは、「夢にも思っていないだろう」 と

いう雰囲気しか感じられないのだ。あまりにせつなく、何度見ても涙があふれる光景である。

一口で 「ペット (犬) を飼うことは大変である」 といってみても、やはり実際にそれを経験

して初めていえること、あるいは経験しなければ決してわからないこともある。それは自分自身

が数年前に初めて責任者?として犬を飼育し始めて以来身にしみて感じていることである。

しかし、だからといって一度 「生きもの」 に関与した以上はその責任を途中で放り出すことは

決して許されないのだ。さらにそこには、「突発的なことなどにより、自らの身に万が一の事態

があったとしても、引き続き世話ができる人を手配しておく」 ということも当然含まれている。

「子どもにせがまれて 『ペット』 を飼うことにする」 というケースも多いだろうが、そのペット

に対する責任を果たせない親には、「子育て」 そのものの資格がないといえるだろう。

(「こじろう117」・・・『厳重注意』 どころの話か???・・・参照)


飼い犬にとっても 「飼われることは
大変である」 と声を大にして言いた
い!?          こじろう



  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(4)ペット

2010年12月26日

ここまで 『お粗末』 とは!!!(その2)

「こじろう117」・・・ここまで 『お粗末』 とは!!!(その1)・・・の続きである。

(その1) では、別府市で市の職員が公用車を運転する際に、「抜き打ち飲酒チェック」

を行なうことになったという新聞記事の内容と、よりによって公務中のしかも公用車の運転

に関して 「飲酒チェック」 を行なわざるを得ないような現状の 「お粗末さ」 についての

第1点目について述べた。今回は第2~ 4点目についてである。


2. 「財産活用課の職員が公用車置き場前で検知する」 ということについて。

   表向きの名目はともかく公務中に 「一般市民のための仕事」 はなく、いわば 「身内
 
   の不祥事を防ぐためチェックに堂々と時間を割く」 ということに、どれだけの市民の理解

   を得られると思っているのか、ぜひ訊いてみたい。

3. 「市は呼気を検査できるアルコールチェッカー3台を購入した」 という点について。

   この “アルコールチェッカー” なる機器。3台で一体どのくらいの購入費用になるのか

   わからないが、金額の大小はともかく市の会計から支出されているものであるとすれば、

   当然 「一般市民の間でも広く活用できるもの」 でなければならないはずである。

   もしこの公用車運転者の 「不祥事防止」 のためだけのものだとしたら、「市民の血税

   のムダ使い」 というそしりを受けても反論は難しいだろう。

4. 「初日は約50人を検知したが、アルコールが検出された職員はいなかった」 という
   コメントについて。

   このようなコメントを “堂々と” 発表することが、「どれほどの低レベルのものか」 と

   という認識を果たして市の幹部は有しているのか疑問が大いに残ってしまう。


それなりの 「大義名分」 を掲げることによって、「いかにもそれなりの取り組みを行なって

いる」 ように見えてしまうことは少なくない。それでもそれが民間の企業や組織の場合には

結局その代償を払うのは自身である。しかし、「公に仕える」 組織に 「あまりにトンチンカン

なこと」 をされてしまうと、その 「とばっちり」 を一番に受けるのは当事者でなく、あくまで

も一般市民なのだ。

アルコールチェッカーの活用もいいが、その前に「少なくとも公務中、しかも公用車の運転の

前には飲酒してはならない」 という、小学生でもわかることをしっかり教育することに加え、

せめてそのごくごくあたりまえの知識を有している人を (別府市にかぎらず全自治体は) 

採用するよう努めてほしいものである。


イタズラの 「大義名分」 を常に探し
求めている!?       こじろう

   

     


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年12月25日

ここまで 『お粗末』 とは!!!(その1)

小中学校や高等学校などで 「抜き打ち」 の 「持ち物検査」 や 「服装チェック」 など

をされた経験はおそらくほとんどの人が有しているだろう。しかし、「持ち物」 であろうと、

「服装」 であろうと、基本的には直接他人に迷惑をかけたり、また法を犯している可能性

は高くない。しかもまだ小中高生時のことである。なぜチェックを受けるのか、それがなぜ

よくないことなのか理解できなくても不思議ではないし、またついうっかりということもある

だろう。

しかし、この 「抜き打ち検査」 を立派な大人、それも 「公に仕える業務」 に携わる人

たちに、しかも 「法を犯しているかもしれない」 ということで 「行なわざるを得ない」 と

したら、「これほど情けなく、お粗末なことはない」 と思えてしまう。

先日某紙に 「公用車運転に、市職員を飲酒検知・・・別府市」 というタイトルの記事があ

ったが、その内容は、


・・・・・・大分県別府市は20日、公用車を運転する職員に対する乗車前の飲酒検知を始

     めた。しばらくは毎日実施し、その後は「週一回程度、抜き打ち」 で行う。

     市道路河川課の50歳代の主査補が11月、勤務時間外に酒気帯び運転容疑で

     摘発。書類送検されたのを受けた対策。検知は飲酒運転撲滅の機運を高める狙

     いという。

     市は呼気を検知できるアルコールチェッカーを3台購入した。財産活用課の職員

     が公用車置き場前で検知する。アルコール分がわずかでも検知されれば運転手

     を交代させる。

     初日は約50人を検知したが、アルコールが検出された職員はいなかった・・・・・

     ・・・・・・


というものである。

この記事を見て、はたして当の別府市民はどう感じるのだろうか。同市に無関係の者か

らみてもまさに 「突っ込みどころ満載」 であるほどの “お粗末さ” であるが、それを

具体的に検証してみよう。


1. 「飲酒検知は飲酒運転撲滅の機運を高める狙い」 という言い分について。

   「飲酒運転撲滅はまず市職員の率先垂範から」 というのはわかるとしても、それ

   はたとえば市職員がプライベートで運転する時にピッタリくる言い方である。よりに

   よって公務中の、しかも公用車の運転に関していうことではない。ことばの遣い方

   に誤りがあるのは明らかといえる。


以下、この続きは 「こじろう117」・・・ここまで 『お粗末』 とは!!!(その2)・・・で

触れることにしたい。


飼い主による自分の部屋の 「抜き打ち
チェック」 が一番の心配である!?
             こじろう



  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年12月24日

それだけは 『許せない』!!!

極めて嘆かわしいことであるが、「警察関係者の 『不祥事』 に関するニュースを目にしない

日はまずない」 といっていいだろう。したがって、彼らに今さらどんなまぬけな “犯罪” や 

“違反” があっても驚くことはないが、それでも 「やはり許せない」 と思うことは存在する。

それは捜査機関という立場を利用しての 「仲間内による隠蔽工作」 というものである。

先日某紙に 「警官の速度違反お目こぼし、書類送検・停職」 というタイトルの記事があっ

たが、その内容は、


・・・・・・宮崎県警は17日、交通違反をした延岡署地域課の男性警部補 (56才) を停職

     3カ月、違反を見逃した高鍋署交通課の男性警部補 (31才) を停職1カ月の懲

     戒処分にした。

     また2人を道交法違反 (速度超過) と、犯人隠避の各容疑で宮崎地検に書類送

     検した。延岡署の警部補は同日依願退職した。

     発表によると、延岡署の警部補は4月25日午前10時頃、自分の乗用車を運転、

     制限速度時速40kmの県道を時速74kmで走っていたところ、取締中の高鍋署員

     に止められた。警部補は帰省する途中だった。

     取締中の署員に警部補の知人がいたため、違反したのが警察官だとわかった。高

     鍋署の警部補は 「注意にとどめる」 として違反キップを切らなかったという。

     6月上旬に延岡署に匿名の通報があり発覚した・・・・・・・


というものである。

警察官とはいえ、ひとたび職務を離れればそれは人の子、(非難の度合いは一般人より高い

とはいえ) 速度超過で運転しても、それほど不思議なことではないだろう。自分自身も日頃

は渋滞や混雑中でもない限り、制限速度内で運転していると言い切れる自信は全くない。し

かしそれでも一般道で34キロオーバーというのは、「ちょっとやそっと」 というレベルでないこ

とは認めざるを得ないし、その (超過) スピードで取締りの検問に引っ掛かれば、何も文句

は言えず、「いさぎよく?処分を受ける」 ことを余儀なくされるものだ。また取締りする側として

も、さすがにこれだけの超過速度となれば、「一般人」 に対して 「大目に見る」 ということは

まずできないと思われる。

したがって、この56才の警部補 (当時) がプライベートで 「速度超過による運転をした」

ことそのものについて特に何かいうことはなくても、その処分を受けないで済む、さらには仲間

意識から隠蔽しようとした事実は見逃すことはできないし、断じて許すこともできないものだ。

今回はたまたま 「匿名の通報」 があったから発覚したものの、「おそらくこんなことは警察

内部では 『日常茶飯事』 なんだろう」 と一般人に思わせてしまうという意味では、警察組

織の中枢にいるお偉方たちにとっても、この警部補らの行為は 「(なぜ、徹底的、完璧に隠蔽

しなかったのかという点で) それだけは 『許せない』 」 ということになるだろう。


飼い主から見て、「それだけは 『許せない』」
というイタズラは 「今のところ、した覚えが
ない」 と勝手に思っている!?  こじろう







  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年12月23日

『人騒がせ』 にもほどがある!!!

そういう意図があろうとなかろうと、いい歳をした人間による 「人騒がせ」 なこと、そ

れも非常にたくさんの人を巻き込むような愚行は本当に困りものである。

先日某紙に 「 『旦那預かる』 狂言メールで50万円要求」 というタイトルの記事が

あったが、その内容は、


・・・・・・16日午後、宇都宮市内の女性に 「旦那を預かります」 というメールが届き、

     栃木県警が一時、身代金目的の誘拐事件の可能性もあるとみて捜査する騒

     ぎがあった。

     16日午後2時頃、宇都宮市の女性会社員 (62才) の携帯電話に 「旦那

     の携帯で送っています」 「50万円用意して旦那に渡してください」 「警察に

     電話してもいいですが、どうなっても知りません」 などとメールが3通届いた。

     女性は宇都宮南署に通報し、県警は身代金目的の誘拐事件も想定し、事案

     対策室を設置、捜査していた。

     県警は対応を協議し、報道機関に報道の自粛を求める報道協定を締結しよ

     と準備までしたが、午後10時過ぎに夫 (62才) が一人で帰宅。警察官ら

     がいたことに驚いた様子で、「自分でやった」 と狂言を認めたという。県警は

     事情を訊いたうえで厳重注意。動機や経緯などを調べている・・・・・・・


というものである。

いわゆる “狂言” がらみの犯罪 などについては、以前この 「こじろう117」でも何回

か取り上げてきたが、今回に関してはそれらとは根本的に 「質が異なる」 ものである。

詳しいことはこの記事からだけではわからない。だが、おそらく 「夫婦間の 『おふざけ』 

『お遊び』」 の類のものだろう。62才同士の夫婦としては 「どうしようもない、とんでも

ない 『人騒がせ』 なこと」 をしてくれたものである。

推測するにこの事件?の発端は、夫のメールを用いた 「悪ふざけ」 というか 「イタズラ」

であろう。帰宅した際に 「警察官がいて驚いた」 と言っていることからも、「まさかこんな

大騒ぎになるとは思わなかった」 というところだろうが、それはどうみても62才の高年者

の言い分ではない。先日もある10代の少年らがイタズラで110番通報し、補導された事

件が報道されたばかりだが、この 「騒ぎ」 や 「迷惑度の高さ」 はそれをはるかに凌ぐも

ので、ことばを失うほどである。

また、この夫人の行動についても、「そそっかしい」 とか 「おっちょこちょい」 では済まさ

れぬレベルである。たしかに昨今、予想もできないさまざまな事件が発生し、いつ自分自身

や身近な周囲が巻き込まれるかわからないという背景はあるだろう。しかし、それにしても

このメールが “狂言” であると疑うことのできる根拠はいくつも存在する。

まず、「要求?された金額が50万円」 という点。身代金目的の誘拐だとして、イマドキの

50万円がそのリスクに見合うものだとは、小学生でも思わないであろう。

次に、「 (その50万円を) 旦那に渡してほしい」 という内容。「旦那に渡す」 といういい

方は、「この夫人が、一応その夫と接触する」 というようにしか聞こえない。つまり、その

「(犯人側が) 預かっている (ハズの) 夫と “直接” 顔を合わせて、手渡しできる」 と

なれば、これは誘拐でも何でもないのではないか。

さらに、「一刻も早く何とかしなければ」 という気持ちもわからないではないが、警察に通報

する前に、「返信のメールあるいは電話で一応夫本人に確認するくらいのことを考えつかなか

ったのか」 とも思いたくなる。

最後にこの夫婦、警察でもそれなりの 「お灸」 をすえられただろうが、近隣の人たちからも

当面の間は好奇の目で見られ、あれこれと余計なことを勘繰られるだろうことは想像に難くな

い。しばらくは恥ずかしくて外を歩けないかもしれないが、それもこれもいわば 「自業自得」 

というものであろう。


時々変なことをしては、飼い主に 「人
騒がせにもほどがある」 といわれるこ
とのある!?        こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年12月22日

『名店』 のなれの果て!!!(その2)

「こじろう117」・・・『名店』 のなれの果て!!!(その1)・・・の続きである。

(その1) では、数十年にわたり地域では 「名店」 と称され、特に中高年にとって忘れら

れない昔懐かしい味を守り続けてきた (ハズの) 「中華そば屋」 を久々に訪れた際に、

尋常とはいえない 「驚き」 の光景について述べた。それは自分らの先客である家族連れ

が 「中華そばに、決して微量とはいえない、ごく普通の “醤油” を注いで食べている」

というものである。

イマドキのラーメン店には、「かつては考えられなかった程の、その店独自の調味料や薬味

などが各種取り揃えられ、『自分好み』 のラーメンを作り上げるのを一つの楽しみにしてい

る愛好家が少なくない」 ということは、日常ラーメン店に出向くことはあまりない自分でも

耳にしたことくらいある。だが、それにしても 「中華そば (醤油系ラーメン) にごく普通の

醤油を、それもドボドボというくらい注いで食べる」 という光景には、違和感を抱かざるを得

ない。失礼ながら (その時点で) 「その家族連れの味覚はかなり変わったものでは」 と

考えたのも無理はないだろう。

しかしその後、自分らが注文した中華そばが届いたときにすべての合点がいき、その家族

連れの味覚に対する偏見?が自動的に払拭できたのである。

それは最初にスープを一口、二口すすってすぐ自らが発した一言 (といっても周囲には聞

こえない程度の声量で) に現われていた。それは 「味がしない」 というものである。それ

も 「味がうすい」 ではなく、「味が全くない」 である。自分の連れも同様に感じたらしく、直

後自然に無言で顔を見合わせる形にもなった。これではそのまま食べ続けるには 「醤油で

もかけてみるしかない」 ということになるのだが、そうしてみてもこの 「味が存在しない」

状態はいかんともし難く、何とか全体の3分の1ほどを口にした時点で、「箸を置かざるを得

ない」 となった次第である。繰り返すが、先客の家族連れの (その時点における) “奇行”

?を不思議に思い、その味覚を疑ったことを大変に申し訳なく思う。

その2~3日後、ある事情通?の知人とこの件について話す機会があった。その日の出来

事について説明すると、「ああ、それ有名な話ですよ。あの店、何年か前に先代から息子に 

“代替り” して以来、以前とはその味が 『雲泥の差』 といってもいいほどで、もう時間の

問題ですよ。知らなかったんですか」 と言われ、愕然としてまったのである。そういえば時

間帯はたしかにずれていたとはいえ、かつての混雑ぶりからは想像できないほど店の活気

というものを感じなかったし、帰り際に精算した際に厨房内に見えた (今の) 店主らしき

人から 「ありがとう」 のひとことすらなかったのも、何かこの知人の話に通ずるものがあり

そうだ。例の家族連れもおそらく、両親のどちらかが自らの思い出に残る、昔懐かしい味の

「中華そば」 を子どもたちにも食べさせよろこんでもらおうと訪れたところ、自分らと同じよ

うな思いをさせられ、さぞかし落胆したのではないだろうか。

事情通の話の通りだとしたら、先代が数十年にもわたって苦労し営々と築いてきた 「名店」

の信用を、次を任された息子が短期間で台無しにしてしまったということになる。今回はたま

たま飲食店に関する話であるが、こういうことは業種やその規模の大・中・小を問わず、企業

・個人商店でそれほど珍しいことではないだろう。まあ、それでもその経営者や店主個人の

問題だけならそれはそれで自業自得だが、非常に困るのはその配下にいる従業員およびそ

の家族らであろう。「困った無責任 『お坊ちゃん2世』 の問題」 についての具体例は、い

ずれ、「こじろう117」 で取り上げることにしたい。


犬用の (うすい) 味付けでは満足できず、
人間の食べ物をうらやましそうに眺めて
いる!?           こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(2)ペット

2010年12月21日

『名店』 のなれの果て!!!(その1)

「老舗」 とか 「名店」 という称号を 「得るまで」 には、その内部にいる人にしか理解

できないような、並大抵でない苦労や苦心、努力を要するだろうことは想像に難くない。

しかし、それを 「維持し続ける」 のに、それまでと同等、あるいはそれ以上の試練等が

待ち構えていることもまた否定できない。

また、名声を 「得るまで」 には相当の長い期間が必要であるのに対し、それを 「失う」

のは一瞬で済んでしまうこともまた一般的であり、数年前 「ささやき女将」 で話題にな

った関西の超有名老舗料亭の凋落、ほどなくしての廃業はまだ記憶に新しい。

さて先日のこと、創業以来数十年にわたり、その地域一帯の中高年には知らない人がい

ない名店と称されてきた 「中華そば屋」 をある人と二人で久々に訪れる機会があった。

イマドキ流行りの 「それぞれの個性があふれる独創的ラーメン」 もそれはそれで魅力的

であるが、特に中高年にとって昔懐かしい 「昭和の味」 を頑なに守り続けている (ハズ) 

の 「忘れられない味」 を求めて、いそいそと出かけていったのである。

店内の壁に貼られたメニューは相変わらずの 「中華そば」 と、これもかねてから評判の

「餃子」 のみというラインナップ?であるが、むしろそのシンプルゆえに余計に懐かしさ

や期待、楽しみが増幅させられるというものだ。

もともと4~5組も入れば満席になってしまうような規模の店であるとはいえ、当方の他に

は先客として4人の家族連れ (40代くらいの両親と小中生らしき子ども2人) しかいな

いのは、かつての記憶からして少し意外でさびしい気がしないでもなかったが、すでに昼

食としてはピークの時間をすぎていたこともあり、その時点では特に気をとめなかった。

さて 「自らの目を疑うような “事件”? 」 が起きたのは、その (先客である) 家族が

注文した中華そばが届き、食べ始めてから数分後のことである。

店の各テーブルの上には “定番” のコショー、(明らかに餃子用の) ごく普通の醤油と

ラー油と酢、つまようじの筒が置いてあったが、その家族の父親と子ども2人が (どう見て

もごく普通のKメーカーの) 醤油を中華そばに注ぎ (しかもそれなりの量を) 始めたので

ある。

少なくとも自分にとっての 「中華そば (醤油系ラーメン) 」 の常識では、微量とはいえ

ないごく普通の醤油を注いで食べるということがなかったので、その驚きは尋常といえるも

のではなかったが、この “事件”? の続きについては、「こじろう117」・・・『名店』 のな

れの果て!!!(その2)・・・ で触れたいと思う。


飼い主が麺類を食しているのを目にする
度に不思議そうな表情をしている!?
              こじろう

  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(2)ペット

2010年12月20日

『罰則』 は何のため???(その2)

「こじろう117」・・・『罰則』 は何のため???(その1)・・・の続きである。

(その1) では、「飲酒運転撲滅」 のために、山口県警の 「飲酒運転の代償がいかに高く

つくものか」 をドライバーに訴え、自覚を促す取組みや飲酒運転に対する厳罰化等について

の某紙の記事の内容を紹介したが、その取り組み自体は当然のこととしても、「なぜ厳罰化

が必要なのか」 という根本の部分について蔑にされているところがあるのではという疑問、

および山口県警幹部による 「人生を台無しにしないよう・・・」 というコメントに対する違和感

について述べたいと思う。

まず、「なぜ、飲酒運転が許されないのか」 についてであるが、それは 「アルコールの摂

取等により、正常に運転する能力を減退させ事故を起こす可能性が高くなる」、 さらにその

事故により 「さまざまな人的、物的被害がもたらされる」 からである。事故を起こすことで

運転する側の 「人生が台無しになる」 のは確かに事実であるが、それはいわば自業自得

といえるものだ。本当に迷惑を被る犠牲者はいうまでもなく、その飲酒運転によって死傷させ

られたり、財物を損壊されたりする人、およびその家族ら関係者なのである。

数年前、当時22才の福岡市男性職員が飲酒運転によりある会社員の運転する乗用車に追

突、同乗していた子ども3人が死亡するといった大変痛ましい事故が起きたが、その職員は

事故直後逃走し、(飲酒の) 隠ぺいを図ろうとしたことが発覚した。現在は被告により上告さ

れ係属中であるが、ニ審の 「危険運転致死傷罪」 でもまだ生ぬるく、「殺人罪」 に等しい

扱いをすべきだ、との世論も大きいと聞く。この元職員については、たしかに飲酒運転という

反社会行為で事故を起こしたことが、後の人生に極めて大きな影響を及ぼしたことは事実で

あろう。しかし、本当に悲しく無念なのは、自分らに何の落ち度もないのに飲酒運転の自動車

によって一方的に尊い命を奪われたり、ケガをさせられたり、物的損害を受けた本人や家族、

周囲の関係者なのである。「飲酒運転の根絶」 を声高に叫ぶ必要があるのは、まずそういう 

「極めて理不尽な形で被害に遭う人たちを作らない」 ことに他ならない。実際に事故を起こし

た、あるいはその予備軍となる飲酒運転者の将来を考えるのはその次である。

したがって 「飲酒運転の撲滅」 を標榜し、そのための施策を講ずるにあたり警察組織として

訴えるべきことは、「飲酒運転により運転者自らの人生を台無しにする」 こと以前に、「飲酒

運転により人生を台無しにされるどころか、最も尊いその生命すら奪われるかもしれない人が

作られる」 つまり、「償っても償いきれない重罪を犯すことになる」 ということではないだろう

か。もっとも、「教員」 などと並び、「警察関係者」 の不祥事 (飲酒運転を含む) に関する

ニュースを耳にしない日がない昨今、まず何をするにもまずはその内部からしっかりしてもらわ

なくてはならないのはいうまでもない。


「なぜ飼い主に叱られるのか」 の根本を
理解しようとする気はさらさらない!?
               こじろう


  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年12月19日

『罰則』 は何のため???(その1)

さまざまな法律やルール。当然一つ一つに 「存在意義」 というものがあり、それらに反

した者に対する罰則もまた然りである。しかし、それ (存在意義) がいつの間にか本来

とは別の方向に逸れてしまっていると思われることも珍しくない。

先日、中国新聞に 「免職、解雇・・・・・飲酒運転の代償」 というタイトルの記事があった

が、その内容は、


・・・・・・忘年会などで酒を飲む機会が増える時季。飲んで運転すると最高5年以下の懲役

     または100万円以下の罰金の刑事罰が待つ。さらに懲戒免職、退職金0と、代償

     はあまりにも大きい。「飲酒運転の根絶」 を掲げ、年末年始の交通安全運動もス

     タートした。山口県警は 「後で悔やまないように」 とドライバーに自覚を促してい

     る。

     山口県警が2009、10年 (12月9日現在) に飲酒運転で摘発したのは1176

     人。県教委、市、自衛隊が公表した公務員14人が飲酒運転で支払った代償を紹

     介する。

     酒気帯び運転が12人、酒酔い運転が1人、一人が職場で発覚した。うち3人はい

     ずれも執行猶予付きの懲役1年の刑事罰に加え、懲戒免職や依願退職で職場を

     去った。懲戒免職、解雇になったのは14人中6人。別の4人は依願退職した。

     刑事罰は年々重くなっている。07年の道交法改正で、酒酔い運転が5年以下の

     懲役または100万円以下の罰金、酒気帯び運転が3年以下の懲役または50万

     円以下の罰金となった。さらに09年からは行政処分も厳しくなっている。

     県警交通指導課の田中伸二次長は 「人生を台無しにしないよう自覚してほしい」

     と訴えている・・・・・・


というものである。

山口県警にかぎらず、「飲酒運転の根絶」 は全警察組織、さらにいえば全国民の悲願である

ことに疑いはない。そのためには法律の改正、厳罰化、取締りの強化などは当然必要である。

しかし忘れてはいけないのは、そもそもなぜ 「飲酒運転の撲滅」 が必要なのかという、その

根本の部分である。この新聞記事の最後にある山口県警幹部による 「人生を台無しにしない

いよう・・・」 とのコメントに、個人的にはその点でどうも釈然としないところがあるのだが、それ

については 「こじろう117」・・・『罰則』 は何のため???(その2)・・・で具体的に触れるこ

ととしたい。


犬の世界に 「飲酒運転」 というもの
があるとしても、決してそれに手を染
めることはしないと固く誓う!?
             こじろう

  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年12月18日

『責任感覚』 ゼロ???(その2)

「こじろう117」・・・『責任感覚』 ゼロ???(その1) の続きである。

(その1) では、福岡県宮若市の職員が市民の個人情報の掲載された文書を “裏紙”

に再利用するという大きなミスを犯しただけでなく、さらにそれを紛失したという大失態の

記事の内容、およびその件の前提となる同市の内規の矛盾について触れた。

この件を通じ、特に信じ難いことの第2点は、問題の市職員の言い分 「裏紙に未申告

の情報が記載されていることを知らなかった」 というものである。まさか、「この言い分

をもって若干なりとも酌量される」 とは思っていないと信じたいところであるが、普通

プリント (コピー、印刷) などする際に裏紙を用いるとして、「その表面に書かれている

内容を確認しない」 などということがはたしてあるのだろうか、素朴な疑問が湧く。

今回はたまたま 「住民税などの未申告者」 についての個人情報であるが、個人情報

に限らず、機密内容が記載されていることもあるだろう。個人的に何か印刷物などの裏を

使う場合には、たとえそれが単なる広告チラシであったとしてもその内容くらい確認する

のが普通である。この市職員、一つ一つの仕事に関し、責任を有しているという認識があ

るどころか、何も考えておらず、小学生の学級係にも劣るレベルの仕事しかしていないと

判断せざるを得ないのだ。また、これは当然この職員一人にとどまらず、それはその所属

組織全体の市民に対する大変な 「無責任さの現われ」 ともいえるだろう。

最後に最大の問題点は 「これまで個人情報が悪用されたなどの報告はない」 という言

い分である。これもまさか、 「だから結果的に今のところは何も問題ない」 などという

つもりは微塵もないと信じたいが、 「個人情報が悪用されていない」 などということを

(「これまで」 と断わっているとはいえ) なぜ言い切れるのか、本当に不思議である。

個人情報の悪用などというものは、本来目に見えないところ、それを洩らされた当事者

の気づかないところで行なわれるのが一般的ではないのだろうか。つまり、悪用されて

いるとわかったときはもう完全な手遅れで、取り返しのつかない状況に陥っている可能

性が高いのである。だからこそ、絶対に漏えいしないようにともいえる代物なのである

が、そういったことに対する認識が絶対的に不足しているとしか思えない市側のコメン

トしか聞こえない。責任逃れもいいところである。

今さら、こういう 「たるんでる」 以外の何物でもない 「お役所体質」 に驚いても、そ
 
れはもはや時間のムダとしかいえない。しかしせめて  「最低限、これだけはミスしな

いでほしい」 ことすら望めないとしたら、そういう組織は解体してもらうしかない。


しでかしたイタズラが発覚した時には
「すでに手遅れ」 ということが今まで
何度もあった!?      こじろう

  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年12月17日

『責任感覚』 ゼロ???(その1)

「それ」 に関する法律を持ち出すまでもなく、現代社会において 「個人情報」 の保護

は何にもまして優先されるべきであるといっても過言ではない。それにはさまざまな理由

が考えられるが、それらを今さらここで並びたてる必要すらないだろう。また、民間企業で

もその (個人情報の) 取り扱いは厳重にしていることがアピールされているが、ことに

自動的にそれが入手されるところのある公的機関に求められる管理の厳格さが、民間の

比でないことはいうまでもない。

先日某紙に 「税未申告者の個人情報文書を裏紙に再利用、紛失」 というタイトルの記

事があったが、その内容は、


・・・・・・福岡県宮若市税務課の男性職員が、住民税などの未申告者の個人情報が掲載

     された文書を “裏紙” として再利用し、紛失していたことがわかった。

     市の内規では、個人情報を含む文書を業務で利用した後はすぐ廃棄するよう定

     めており、裏紙として再利用することを禁じている。

     市によると職員は10月に開かれた人権問題地域懇談会に出席した際、主催の

     市教委から送られた資料を7枚の裏紙 (A4版) を使ってプリントし、会場のホ

     ールに持参した。うち3枚には2008年度分の住民税と国民健康保険税を申告

     しなかった市民60人の名前、住所、性別、生年月日などが記載されていた。

     懇談会終了後、職員は会場の片付けを手伝っていて資料をなくした。8日に報

     道機関から市に問合せがあり、紛失が発覚。職員は裏紙に未申告者の情報が

     記載されていたことは知らなかった」 と話しているという。これまで個人情報が

     悪用されたなどの報告はないという・・・・・・


というものである。

この市職員の大失態および市の対応や見解。「開いた口が塞がらない」 とはまさにこ

のことのためにあるようないい方である。具体的に検証してみよう。

まず、この市の内規についてである。「個人情報を含む文書を業務で利用した後はすぐ

に廃棄すると定めており」 という部分はその通りだとして 「裏紙として利用することも

禁じている」 という文言には、「はあ?」 という思いを抱かざるを得ない。「廃棄すると

定めている」 のだったら 「裏紙として利用できない」 のはあたりまえのことではない

のだろうか。つまり、なぜあえて 「裏紙として・・・」 などということを追加する必要があ

るのかということである。「廃棄する」 ということが徹底されていれば今回の不祥事?

は完全に防げたわけなのだ。余計と思われることを追記するところに、いかにも無責任

な 「お役所体質」 が垣間見えるのは否定できない。

以下、さらにこの職員および市側の 「言い分」 等から提起される問題点については、

「こじろう117」・・・『責任感覚』 ゼロ!!!(その2)・・・で続きとして触れたいと

思う。


飼い主から 「最近、飼い犬としてたるんで
いる」 と小言をいわれても、軽く受け流
してしまう!?        こじろう
                  

   


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年12月16日

『子供のケンカ』 に親が!!!(その2)

「こじろう117」・・・『子どものケンカ』 に親が!!!(その1)・・・の続きである。

(その1) では、「自分の長男の学校でのケンカで立腹し、長男の祖父とともに学校に乗りこん

で (ケンカ) 相手の小学6年生の男児を殴ったり蹴ったりして2週間のけがを負わせたトンで

もない母親」 についての事件の内容と、ケガを負わされた男児の身体的、精神的苦痛の可能

性について触れた。この男児、先にS容疑者の長男の足を蹴った?ことが事実だとしても、大人

2人に殴ったり蹴ったりされるいかなる理由もなく、大変に気の毒としかいいようはない。

しかし、それはそれとして個人的には今回のS容疑者およびその父親の所業による好ましくない

影響を最も受けるのは結局、「S容疑者の長男自身」 ではないかと思われるのだ。

一見すると、今回の事件でS容疑者らは長男の仇打ち?、仕返しとして 「かのような行為」 に

及んだと解釈できる。また現在小学6年、つまり11~12才である長男の立場としては、「おかあ

さん、おじいちゃんがボクの味方をしてくれた」 と考え、「ボクのことを思いやってくれるやさしい

家族だ」 とうれしく感ずる部分が大きいかもしれない。

しかし、問題はこの長男がこれから成長した後である。たとえば彼自身に子どもができて今回と

同じような事態に遭遇したとして、S容疑者の行為を反面教師として思い出し、自分の子どもに

しっかりとした本来の教育ができれば理想であるが、母親と同様に、子どもに対する一種のゆ

がんだ愛情で同様のことをするようであれば、それは今回のS容疑者およびその父親の全面的

責任である。

自分自身が小学生高学年の時のこと。学校でクラスメートの一人と些細なことをきっかけに諍い

となり、非常に悔しい思いをすることがあった。その日帰宅して自分の父にその顛末を話したの

だが、その時の自分としては当然、父が自分の味方となり、なぐさめてくれるものと確信してい

た。ところがその父から出たことばは、「その件で反省すべきはお前の方だな。明日その友達に

謝っておいた方がいいだろう」 というものだった。意外な父の一言にかなりのショックを受けたこ

とは事実であるが、その後歳を重ねるにつれその時の父の言わんとしたことが理解できるように

なり、その考え方は現在、さまざまな自分の周りのできごとに対する一つの大きな判断基準と

して役に立っている (と思う)。

親が 「自分の子どもがかわいい」 と思う気持ちはごく自然なものであり、親としての愛情を

注ぐことは当然の務めであろう。昨今はそういった根本的な資質に欠けている親が多く存在し、

虐待などの問題などが頻発しているのも事実である。

しかし、イザ自分の子どもが周囲との接触で何かの問題を投げかけてきたときに、一方的に

子どもの言い分を受け入れるのは間違いである。そういう時こそ客観的立場でよく状況を

把握し、たとえ自分の血を分けた子どもであっても 「間違っている」 「考え方がおかしい」

ことがあればそれをすぐに指摘し、教え諭さなければならない。また相手方に謝罪など必要

と判断すればそれを見届けるくらいするのも親の務めであろう。もちろん自分の子どもこそが

正しいという場面では、それを子どもに伝えるべきであるが、あくまでもそれは子どもたち自

身の問題として解決させるべきであり、やはり直接的関与は基本的に厳禁である。


「犬同士のケンカに飼い主が介入する
のはおかしなこと」 という持論を有
している!?       こじろう

  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(6)ペット

2010年12月15日

『子どものケンカ』 に親が!!!(その1)

「子供のケンカに親が出てくる」。たしかに今も昔も変わらない風景?である (と個人的には

思ってしまう)。

さて、先日某紙に 「 『子どものケンカ』 に母、祖父殴りこみ いわき」 というタイトルの記事

があったが、その内容は、


・・・・・・小学6年の長男の同級生を校内で殴ってケガをさせたとして、福島県いわき南

     署は7日、傷害の疑いで、母親のアルバイトS容疑者 (38才) と、その父親

     (68才) を逮捕した。

     2人の逮捕容疑は1日午前8時頃、いわき市内の小学校廊下で長男の同級生

     男児を殴ったり蹴ったりし、頭などに約2週間のけがをさせた疑い。男児の保護

     者が同署に相談していた。

     学校によると先月30日、男児がS容疑者の長男に廊下を走らないように注意

     したことをきっかけに 「長男が (男児に) 足を蹴られた」 などをS容疑者ら

     に訴え、トラブルになったという。

     学校は 「校内は安全な場所でなくてはならないのに、事件が起きてしまい申

     し訳ない」 と話している・・・・・・


というものである。

普段いくら冷静沈着な状況判断ができると自負していても、(程度の差こそあれ) 一般に 

「親」 および 「祖父母」 というものはイザ 「自分の子どもや孫」 のことに関しては熱く

なったり、客観性を欠いてしまうことはそれほど不思議なことではない。しかし、それはあく

までも精神面、内心面でのことであって、周囲に向けた実際の言動や行動に関しては、自

分の子どもであろうとなかろうとやはり 「公平、中立、客観的立場」 をとって臨むのが常

識を有する親 (祖父母) であることはいうまでもないだろう。

この事件では、S容疑者らが長男の 「足を蹴られた」 ことなどに立腹したようであるが、

それにしてももともとはその長男の 「廊下を走る」 という行為が原因だとすれば、暴力

は論外にせよ、一方的に (足を蹴った) 男児だけを責めることはできない。またそもそ

も、学校内での 「子ども同士の問題」 に親が直接顔を突っ込むだけでなく、「複数の大

人で、2週間ものケガをさせるほど殴る蹴る」 などという行為は絶対に許されるものでは

ない。「自分の子どもや孫はかわいいものだ」 などというレベルで考えることは到底でき

ない重大な犯罪であり、ケガをさせられた男児としても、その “身体的” なものにとどま

らない “精神的苦痛” も被ることになるのは必至で、同情の念を禁じ得ない。

しかし今回のこの事件で、個人的に 「より気の毒でかつ心配になってしまう」 のは、こ

のS容疑者の長男の方である。現在小学6年生というこの長男にとって、母親および祖父

のとった言語道断というべき行動が 「長男の将来にどのような影響を及ぼすか」 などに

ついては 「こじろう117」・・・『子供のケンカ』 に親が!!!(その2)・・・で触れてみた

いと思う。


「犬のケンカ」 に飼い主が介入する前に、
「そもそも自分はくだらないケンカなどは
しない主義」 と偉そうなフリをしている
!?             こじろう


  
       


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(2)ペット

2010年12月14日

『太ってなんかいないわよ』!!!(その2)

「こじろう117」・・・『太ってなんかいないわよ』!!!(その1)・・・の続きである。

(その1)では、京都市が行なった肥満に関するアンケート調査で、実際は 「標準」 であるに

もかかわらず、「自分は太っている」 と思っている特に若い女性が多いという記事を紹介して、

そのように考えたり表現したりする裏には、その人の人格や心理が垣間見えて非常に興味深い

ということを述べた。

どんなことでも、それを個人的に 「どのように考えるか」 は内心の問題であり、外からはどうで

もいいことなので、ここではそれを 「他人との会話」 で持ち出す際のこと、つまり 「自分自身

のこと (この件については体型) について 『どのような表現』 を用いるか」 の裏側の心理、 

およびそれを受け止める相手側の心情などについて検討したい。

(その1) 冒頭の2人の女性の会話例では、まずAさんの 「私、太っている自分がイヤなのよ」

という自己の体型に対する表現があるが、これは日頃から実際にそう思っている可能性も無くは

ないとしても、相手のBさんから 「 『そんなことはない』 という一言を引き出したい」 という自己

満足に向けた心情が十二分にうかがえる。また自分の方が優位に立っていることを前提とした

「 (太っている) Bさんへの当てつけ」 「優越感」 も見えると考えられるだろう。

だからBさんが本当に (客観的に) 太っているとしたら、このAさんの発言?内容はいかにも 

「イヤミなもの」 と、とられる可能性が高い。またその後の 「Bさん、それほどでもないわよ」

というのも一般に (今風にいえば) 「上から目線」 的で、かなり失礼といえるだろう。

一方、Bさんの 「Aさんが太っているというなら、私なんか 『超肥満』 で外も歩けないわ」

といういい方。これは 「本音が少々、否定してほしい気持ち大半」 というところが妥当であ

ると思うが、Aさんのいい方が気に入らない、つまりその優越感を前面に出したもののいい方

に対する若干の反発が垣間見える部分もある。

体型にかかわらずまた老若男女を問わず、日常生活の中では 「こういえば、相手はこう反

応してくれるはず」 という計算がはたらく場面は少なくないだろう。特に、もともと自分にとっ

て優越的なこと、自分が得意になれることにその傾向は強い。たとえば中学生くらいの年代

ですら、自分のとったテストの点数にある程度の自信があるとして、「△△さん、今回のテスト

の点、よかったでしょ?」 などと話を振り、「うん、まあまあだった。ところで◇◇さんは?」

「私はだいたいいつも通りかな」 「エー、それじゃまた今回も95点以上ね。さすがだわ」 とい

う会話が弾むことを期待するものだ。

社会でも仕事、プライベートそれぞれで同じような場面は少なくない。「まず、自分の側から

 (見せかけの?) “謙虚さ” を示しつつその話題を俎上に載せ、最終的には相手から 『さ

すがは△△さん』 と言わせて優越感に浸りたい」 というパターン。たまにはそういう手を使う

こともいいだろう。しかし、相手との日頃の人間関係にもよるが、あまりそれを連発してしまう

と、その意図を見抜かれ、 「人々が次第に遠ざかり、気がついたら周囲には誰もいなくなる」 

ということを覚悟しなくてはならない。


犬として 「見せかけの謙虚さ」 を示す
必要性は全く感じていない!? こじろう



  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(2)ペット

2010年12月13日

『太ってなんかいないわよ』!!!(その1)

Aさん・・・「私、自分が太っていてイヤなのよ」

Bさん・・・「えー、そんなにスマートなAさんが太っているっていうのなら、私なんか 『超 

      肥満』 になってしまい、恥ずかしくて外も歩けないわ」

Aさん・・・「そうかしら?。でもBさん、それほどでもないわよ」


この類の (女性同士の) 会話。日常耳にすることはそれほど珍しくない (気がする)。

先日、京都新聞から 「肥満度指数 標準なのに4割が 『私は太い』 京都市調査」 と

いうタイトルの記事が配信されていたが、その内容は


・・・・・・肥満度を表す指数 (BMI) が標準値なのに、「自分は太っている」 と思ってい

     る市民が4割近くいる・・・。こんな結果が京都市の食育に関するアンケートから

     出てきた。特に若い女性でその傾向が強く、市は 「過剰なダイエット志向」 が

     要因とみている。

     市が回答者の身長と体重からBMIを算出し、74.6%が 「標準」、15.4%が

     「肥満」、10.0%が 「やせ」 であった。

     「太っていると思うか」 などを尋ねたところ、「標準」 と判定された人の9.1%

     が 「太っている」、27.0%が 「少し太っている」 と回答した。実際は標準な

     のに 「太っている」 と思っている人が意外に多い結果となった。

     この傾向は若い女性に顕著で、10代では9割以上が 「やせ」 「標準」 である

     にもかかわらず、「少し太っている、太っている」 と答えた人が57.4%もいた。

     20代でも、「やせ」 「標準」 は9割を超えたが、41.6%が 「少し太っている、

     太っている」 と回答した。

     また理想とする体型を聞いたところ、やせている人のうち、51.2%が 「やせ」

     を希望し、「標準」 希望の40.3%を上回った・・・・・・・・


というものである。

年齢をそれなりに重ねてきて 「太っているのは 『健康である証拠』 だよ」 なんてことを

周囲からいわれるようになるのは別として (それはそれで深刻な話にもなるが)、この記事

を読むまでもなく、特に若いうちは 「太っている」 よりも 「やせている」 方にあこがれる

のが一般的であるのは疑いない。

また、日常の会話などでの 「太っている」 とか 「スマート」 とかいうのは、普通は主観的

なものが多いようだが、人が自分自身の体型について 「どのようにな表現を用いるか」 とい

うことについては、その人の人柄や性格、心理状態などが垣間見えるところがあり、非常に

興味深いものがあるといえよう。さらに体型に関することに限らず、さまざまな話題において

「自分自身のことを相手にどう表現するか」 ということで同様のことが分析できるのも確か

なようである。そのあたりの詳しい検討については、 「こじろう117」・・・『太ってなんかいな

いわよ』!!!(その2)・・・で詳しく触れたいと思う。


どんなに太ってもかまわないので、とにかく
食べれるだけ食べたいと常日頃から思ってい
る無類の 「食いしん坊」!?  こじろう

  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(2)ペット

2010年12月12日

朝一番に 『業務終了』???

「営業時間 (対外的業務時間) 」 というものは、一般にその業種、業態、さらには各企業

店舗によって異なるのは当然である。特に 「営業」 というからにはそれぞれにとって最も

効果的、つまり利益が上がる可能性のある時間帯にそれを設定するということもあるし、また

現代では深夜営業、24時間営業の業種も珍しくないからである。

とはいえ、そうはいってもやはり以前から 「この業種の営業はこの時間帯」 という前提で

動いている部分もまだ少なくない。たとえば 「金融機関関係の店舗なら午前9時~」 とい

うようなものであるが、一昨日その 「営業時間」 に関して、 『えっ・・・』 と思わされるこ

と (といっても今までにも何回か経験があるが) があった。

それは某大手生命保険会社の支社 (営業所) に、自分個人の契約で至急確認したいこ

とが発生し、朝電話をしたときのことである。その店舗の営業 (電話受付) 開始時間は、

ごく一般的な午前9時ということはすでに承知していたので、時計を見ながらその9時ほん

の少し過ぎに電話してみると、2~3回のコール音の後に、「はい、△△生命◇◇支社で

す」 という応答?があったが、それはいかにもいわゆる 「留守番設定」 のテープ音だと

いうことはすぐわかった。「まあ、 『留守番設定』 の解除し忘れ、それもほんの数分程度

のことだから (大手生保がすることとしては情けないとはいえ) 仕方がないか」 と思った

直後、驚いたのは 「本日の業務は終了しました。弊社の営業時間は平日の午前9時から

・・・」 のアナウンスが続いたのである。

これからまさにその日の業務が始まろうとするときに (イヤ、実際にはすでに数分前に開始

されていたはずであるが) 、テープ音とはいえいきなり 「本日の業務は終了」 とアナウンス

されてしまえば、(明らかな間違いであることはわかっていても) わざわざ電話をかけた方と

しては、「その後再び電話する気はとりあえず失せてしまう」 というものだろう。

この 「本日の業務は終了しました」 というのは、当然夕方以降の時間帯にかかってきた電

話に対応するもので、事実その方が多いのは間違いないだろう。しかし、今回の自分のよう

に、朝一番で電話する顧客などもいる可能性は十分にあるのだ。まして、今回はすでに本来

の営業時間にたとえ数分とはいえ突入しているのである。

「留守番設定」 にすること自体はいたし方ないとしても、営業時間外であることを知らせるに

は、「弊社の営業時間は平日△△時~・・・」 があれば十分であり、「本日の業務は終了しま

した」 という趣旨のアナウンスがなぜ必要なのか甚だ疑問である。

また、この件に関してもその企業内部のことについて、いつもの癖でつい 「余計な心配」 を

してしまう。それはたとえば、その企業の本部、上層部、担当役員などから、もしその支社

(営業所) などの代表番号 (留守番設定されている電話) に不意に電話があり、今回の

ようなアナウンスを聞かれた場合である (まあ、そういうのは社内専用回線や番号などを使

うことが一般であろうが、「代表番号」 にかかってこないとも限らない)。「この支社の責任者

はこんな恥さらしなことをして、一体全体何を考えているんだ」 ということになりかねず、その

後、そこの責任者 (支社長など) にどのような処分、評価が下されるか想像すると、他人事

とはいえ本当に恐くなってまう。

今回は 「営業時間」 に関するトピックであるが、日常の中では業務、プライベートを問わず

「自分 (たち) だけが気づいていなくて、周囲や外部から見れば 『ずいぶんトンチンカン』

なことが案外多いのでは」 と思えるのだ。


周囲から見れば 「トンチンカン」 な
ことでも、「自分にとっては大切」 と
と思うことが多い!?    こじろう

  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(2)ペット

2010年12月11日

『気持ち』 はわかる???(その2)

「こじろう117」・・・『気持ち』 はわかる???(その1)・・・の続きである。

(その1) では、「包丁を手にしながら」 ゴミ集積場で近所の人のゴミの出し方を注意し

ていて逮捕された62才の男の行為について、その 「手段」 は到底認められないものの、

「ゴミ出し」 の基本的ルールやマナーを守れない連中を何とかしようという 「気持ち」 自

体についてはいろいろと考えさせられるところもあるのでは、ということを述べた。

「ゴミ出し」 の仕方とは、ある意味その (ごみを出す) 人の “本性” “良識” (それ以

前に “社会常識”)、さらに “品性” などを映し出す 「カガミ」 のようなものともいえる。

それはゴミというものは 「袋に 『封』 をして一旦出してしまえば、もう自分のものでは

なくなる」 という意識を生じさせるものだからである。
 
時おり悪質な 「ゴミ出し」 をされたモノについては、自治会の役員らによって袋の中身が、

確認され 「それを出した人を特定して注意する」 ということもあると耳にしたことがあるが、

それもそのゴミの中に 「(人物を) 特定できるだけの材料」 が混入されている」 場合

に限られるものである (それはそうと、いくら役割とはいえ、他人のゴミの中身を調べると

いうのはさまざまな観点から大変苦痛を伴うものであると推測され、一番避けたいタイプの

作業であろう)。

「自分の (出した) ゴミ」 ということが後々もわかるようになっていれば、誰しも普通は、

「みっともないことはできない」 と考えるであろうが、出してしまえば 「後は知らない」 と

考えるか否かで、大きな人間性の差が生ずるのである。さらにはマナー違反をする連中に

は、 「自分だけでなく、他の人もやっている」 という心理がはたらいているのも疑いない。

悪質な 「ゴミ出し」 があるたびに、どこかで誰かにそれなりの余計な負担を生じさせるこ

とになるのは確かである。行政の担当者およびその委託先企業のスタッフなどについては

その処理自体が 「業務」 の一環であるから基本的に問題はないにしても、そうでない人

たち、つまり 「無報酬で本来する必要ないことをさせられる人たち」 にとっては 「たまっ

たものではない」 「迷惑千万」 ということになるのだ。さらに、集積所の近辺の住民にも

悪臭の拡散などの被害をもたらしかねなく、集積所周辺の衛生環境面に与える影響なども

深刻になりうる。

日常、他の場面でいかに 「紳士的・淑女的」「スマート」 と称されるような模範的振る舞い

を示していたとしても、「ゴミ出し」 でルール違反、非常識な行為がたとえ一回だけでもな

されたことがわかれば、その一点のみをもってしてその人に対するすべての 「好感的イメ

ージ」 は崩れ去るくらいに考えるべきである。もっとも他のことに関して 「紳士的・淑女的」 

な振る舞いをする人が、「ゴミ出し」 に限ってそうでないとは考えにくいし、また考えたくも

ないが・・・。


「イヌとしての “紳士的振る舞い” とは
何か」 について、考えるつもりは基本的
に全くない!?        こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年12月10日

『気持ち』 はわかる???(その1)

たしかにその 「気持ち」 は (痛いほど?) よくわかるが、「いくらなんでもそれは

『いきすぎ』 『やりすぎ』 では」 ということはそれほど珍しくない。

先日某紙に 「包丁持ってゴミの出し方注意、62才を逮捕」 というタイトルの記事

があったが、その内容は、


・・・・・・千葉県警印西署は4日、白井市の無職O容疑者 (62才) を銃刀法違反

     (刃物携帯) の疑いで現行犯逮捕した。

     発表によるとO容疑者は同日午後8:40頃、自宅そばのゴミ集積所で、正

     当な理由なく包丁 (刃渡り約17センチ) を持ち歩いた疑い。

     包丁を持ったまま近所の人にゴミの出し方を注意していたという・・・・・・


というものである。

「銃刀法」 などという法律を持ち出すまでもなく、 「包丁を携えて外を歩く」 ということ自

体は、社会的に容認されることではない。その点でこのO容疑者がとった 「手段」 その

ものついては 「ほめられない」 どころか 「強い非難の対象」 であることに疑問の余地

はない。

しかし、たとえば日常のO容疑者の言行や、周囲との関わりなどこの事件?の背景など、

この短い記事の内容からだけではなんともいえないところがあるとして、その前提で、もし

O容疑者の供述通り、つまり 「近所の人たちに “ゴミ出しの注意” をしていた」 という

ことが事実だとすれば、「手段」 は明らかに間違いでも、その 「目的」 については少な 

くとも 「考えさせられるところはある」 といわざるを得ない。

自分の場合はマンション住まいということもあり、この 「ゴミ出し問題」 で直接迷惑など

を被ることはないが、毎早朝の飼い犬の散歩の際に近所にある “ゴミ集積場” の数か

所で次のような光景を目にすることはある。それは


1. 収集の指定日を守っていない

   これは回収の全く行なわれない曜日にゴミ袋が出されていたり、その日の指定ゴミ

   とは違う種類のゴミ袋が出されている。また、曜日は正しくても祝祭日など回収の

   行なわれない日に出されている。

2. 指定袋が使われていない

   コンビニやスーパーのレジ袋や、普通の紙袋などに入れたまま出されている。また

   指定袋が使われていても、詰め込み過ぎでゴミがあふれそれが近くに散乱している。

3. ビン・缶など、分別はされていても、著しい汚れが目立つ

   ビンなどにはまだ何らかの液体および粉状のようなものが入っていたり、内側外側

   問わず、洗浄に相当の手間がかかりそうなほど汚れた状態のものも散見される。


というものである。

今回の記事を通じて、日頃目にするこういった 「ゴミ出し」 に関する問題を考えるキッカケ

を与えられたわけであるが、まさに 「その人間の 『本性』 などを映し出す鏡」 であると

さえいえるこの 「ゴミ出しのマナー」 については、「こじろう117」・・・『気持ち』 はわかる

???(その2)・・・でさらに詳しく考えることにしたい。


毎朝の散歩の際、ヒドイ 「ゴミ出し」
の状況を目の当たりにし、「許せない」
と怒りを露わにする!?   こじろう

  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(4)ペット

2010年12月09日

『奇手』 といわれても???

まさに忘年会シーズンのまっただ中、気になるのはどうしても 「飲酒運転」 である。

ここ数年は、以前と比較して飲酒運転に対する世間の目が厳しくなってきているのは

たしかに実感できるが、毎年この時期の新聞記事などによれば 「飲酒検問」 にひ

っかかるドライバーの数は半端なものではない。ということはやはり潜在的にもまだ

まだ 「飲酒・酒気帯びドライバー」 は相当数存在しているということだろう。

そんな中、先日の某紙に 「飲酒運転防止に 『奇手』  警察が焼酎プレゼント」 と

いうタイトルの記事があり、目にとまった。その内容は、


・・・・・・師走の忘年会シーズン、宮崎県警高岡署は 「飲んだら乗らない」 「絶対

     ダメ、飲酒運転」 と書かれた手作りのラベルを貼った焼酎を配るという、

     異例の飲酒運転撲滅運動に乗り出した。

     「飲酒運転防止を何とか効果的に呼びかける手はないか」 と、同署警察

     協議会メンバーの地域住民が知恵を絞った。地元酒造の会長から無償で

     供された焼酎180本を先月30日から宮崎市などの飲食店に1本ずつ配っ

     た。

     警察が焼酎をプレゼントする 「奇手」 だが、店の目につくところに保管 

     (キープ) してもらい、注意喚起を図るのが狙い。同署は 「このボトルを

     見たら、ハンドルキーパー (運転手役) もキープして」 と呼びかけてい

     る・・・・・・・


というものである。

この記事のタイトルだけを見た時点では、はたして 「どんな 『奇手』 なのか」 と大い

に興味を抱いたが、実際その内容を知って、「まあ、少なくとも今までにない手立てとし 

ての 『奇手』 であること」 は否定できそうにない。しかし、立派な警察組織が 「奇手」

を駆使するというからには、その 「費用対効果」 にそれなりのものをつい期待してしま

いたくなるのは当然だ。

まず今回のこの180本の焼酎。地元酒造の会長から無償?提供されたというもので、そ

の使途について一般市民がいろいろという性格のものではない。どうやってこの焼酎を 

「飲酒運転撲滅に生かそうか」 と知恵を絞ったうえに、「飲酒運転の源」 を逆手にとって

?このような手段を講じたのも 「お堅いはずの警察関係」 にしてはなかなか粋?なこと

をするものだと評価されるかもしれないし、それはそれでいいだろう。

次にこの 「奇手」 の効果である。その飲食店のタイプにもよるが、普通のお客はその店

に入る前に、「その店でアルコール類を口に入れるつもりかどうか」 をあらかじめ決めて

いるのが一般であろう。まあ、出されたメニューの内容によって 「ソフトドリンク (のつも

り) から急きょアルコールに切り替える」 ということもあるだろうが、その方がレアケース

だと思われる。また、宮崎県警のいう 「ハンドルキーパー (運転手役) もキープして」 と

いうのも、もともと運転手役として来店している人はどちらかといえばアルコールを受け付け

ない、あるいは好まない人である可能性が高く、突如自分も酒類を口に入れたくなるという

ことはやはり考えにくい。

つまり元来、飲酒運転を企てるような輩が、このラベルを見て突然 「飲酒運転を躊躇する可

能性は極めて低いのでは」 と考えざるをえないのである。もっとも、だいぶ以前にタバコの

ラベルに 「健康のため吸いすぎに注意しましょう」 という文言が登場した際、禁煙にまで

は至らなくても、少なくとも喫煙の量をそれまでより減らした人がいたのは耳にしているので、

この焼酎につけられたラベルにより、同様に多少飲酒量を小さくする効果くらいはあるかもし

れない。しかし飲酒運転というものは、基本的にはその飲酒量の大小を問われない、絶対

にしてはならないものなのである。 「吸い過ぎは自業自得」 で一応済んでしまう “喫煙” 

とは次元の違う話なのだ。

以上の検討をもって結論を急げば、今回の宮崎県警の取り組みについては


1. 「道具となった焼酎」 については民間からの提供をもって用意されたということで

   あり、またラベルも手作りであることから、コスト (税金のムダ使いなど) 的な

   面での問題は基本的にないと思われる。


2. 「お堅い警察」 のイメージをたとえ少しでも和らげる効果はあるかもしれない。


3. 「本来期待される効果」 については必ずしも十分とはいえそうにない。


あたりで判断するに、「話題性はまずまずとはいえ、はたしてこれを飲酒運転撲滅に向けた

『奇手』 として大きな効果を望むのはいささか無理がある」 というところではないか。


オヤツを余計にせしめるため、自分なりの
「奇手」 を用いることのある!?
               こじろう

  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年12月08日

とんでもない 『引き継ぎ』???

社会では組織に属している以上、必ずといっていいほど 「引き継ぎ」 というものがある。

その中には後任者にとって本当に 「ありがたい」 というものもあれば、「大変困惑する」

というものも少なくないと思われる。

先日某紙の記事でその 「引き継ぎ」 に関して、“とんでもない” モノを見つけてしまった。

記事のタイトルは 「 『手続き面倒』 と自腹賠償、7年間で500万円」 というもので、そ

の内容は、


・・・・・・・岐阜市営の長良川鵜飼で、2003年7月、鵜飼観覧船の事故で負傷した

      乗客2人に対し、市鵜飼観覧船事務所の歴代所長3人が7年間にわたり、

      治療費などとして総額500万円以上を自費で支払っていたことがわかっ

      た。

      市は 「市費で支払うための正規の手続きを怠った不適正処理」 としてい

      る。

      市によると、事故は03年7月29日夜、観覧船が別の観覧船に衝突、団体

      客のうち男女2人が頭や首に軽傷を負った。当時の事務所長は損保会社に

      は報告したものの、「多忙で手続きが面倒」 などの理由で個人的に2人と

      交渉し、治療費や交通費数万円を自費で支払っていたという。

      この事務所長の異動後も後任の所長2人が引き継ぎ、昨年3月まで数万円

      ずつ支払いを続けていた。今年6月、損保会社から市に 「支払い手続きが

      されてない」 と問い合わせがあり、調査して発覚した・・・・・・・


というものである。

「自分の仕事のミスなどを自腹を切って何とかする」 というのは、その良し悪しはともかく

としてそれほど珍しいことではないだろう。だが事故当時の事務所長の 「多忙で手続き

が面倒」 という自腹を切るに至った理由については、「この件を処理すること以上に優先

しなければならない多忙なことがどの程度あったのか」 という大きな疑問は残るし、事故

についても、当時それなりに報道もされたのだろうから、その手続きに関する報告書など

を書くことで 「隠ぺい」 に大きな支障があったとも思えない。いずれにせよ一応れっきと

した行政機関の “所長” を名乗るわりには、その業務遂行能力や適格性に相当な疑問

符をつけざるを得ないものだ。

しかしそんなことより本当に驚くのは、その後任2代の “所長” も、何年にもわたり自腹

で治療費などの賠償金を払い続けていたという事実である。当時の所長の行為はまだわ

からないでもないが、後任の所長らには一体どのような 「引き継ぎ」 がなされ、またいか

なる理由をもって 「払うことを了承したか」 は大変な謎としか言いようがない。ただ一つ想

像できるとしたら、「その2代の所長ともに、当時何らかの形で事故に関わっており、自分ら

にも責任の一端があるとでも考えていた」 ということであるが、まあその可能性はうすいと

思われる。いずれにせよ、一担当者レベルであればまだしも、曲がりなりにもその組織の

“責任者” としては、たとえ今回のことが 「引き継ぎ」 事項であるといわれても、素直に

引き継ぐ必要のあるモノではないどころか、「絶対に受け入れてはならないモノである」 と

して毅然とした態度で (引き継ぎを) 拒否すべきであるのはいうまでもない。それができ  

ないようであれば 「責任者失格」 イヤ、「社会人失格」 の烙印を押されても仕方ないだ

ろう。 

今回の件、詳しい裏事情はよくわからないとはいえ、単なる金銭に関する問題ではないこと

くらい、小学生ですら認識できるだろう。いい歳をしてそれなりの役職に就きながらも理解に

苦しむことをする人がいるのは困りものである。


自分のイタズラによる 「損失」 を
自分で何とかしようとは全く思わ
い!?          こじろう







  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年12月07日

『原因を作っているのは・・・』!!!

「こじろう117」・・・『非常識』 とも違う!!!・・・の続きである。

「こども」 というのは、とにかくいろいろと思いがけないことをするものであるが、それらは

基本的にはすべて、「おとな」 の模倣にすぎず、「こども」 を一方的に責めるのは全くの

筋違いである。

先日某紙に 「リアルな鬼ごっこしたくて・・・イタズラ110番」 という記事があったが、そ

の内容は、


・・・・・・金沢署は先月19日、金沢市の男子高校生 (16才) と男子専門学校生 (16才)

     ら少年3人を軽犯罪法違反 (業務妨害) の非行事実で金沢家裁に書類送致した。

     発表によると、少年3人は8月11日午前3:25頃、金沢市のスーパーマーケット敷

     地内の公衆電話から 「助けてください。変な人に追われています」 などと虚偽の

     内容で110番通報し、警察の業務を妨害したとしている。

     少年らは被害者役や犯人役など惑割分担を決めて電話をしていたという。調べに対

     し少年3人は、「リアルな鬼ごっこがしたかった」 と供述している・・・・・・


というものである。

それでも 「16才の少年」 といえば 「どこまでが許されてどこまでは許されないか」 ぐらい

はわかるだろう、という言い方は一応せざるをえない。しかし今回のような 「緊急出動要請」

関係 (110番および119番) については、昨日も取り上げた 「非常識110番」 でもわか

るように、日常の 「大人のそれに対する姿勢」 に影響を受けているところが極めて大きいと

いえるだろう。すでに「非常識な救急車の出動要請」 に関しての問題はあえて口にしたくな

いほどにヒドイものといえるが、本来全く必要のないことで110番や119番に電話している

「どうしようもない無節操な大人連中の所業」 を目の当たりにしている子どもたちに、いくら

「110番とか119番というのは、緊急やむを得ない時に本当に真剣に電話するところ」 と

教えても、そこに説得力のかけらも見いだせないのは明らかである。

「近頃の子どもときたら、まったく何をしでかすかわからない」 という、大人の小言は、その

まま 「近頃の大人たちときたら・・・」 というモノにおきかえられるのである。苦言や小言を

呈する前に、「その原因を作っているのは一体どこのどいつか」 をまず考えなくてはならな

いのだ。


自ずからの失態の原因は、飼い主側にも
あるのでは、と首を傾げる!?
             こじろう





  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(2)ペット

2010年12月06日

『非常識』 とも違う???

もうだいぶ以前から話題にされていることであり、 「今さら」 という感が強いが、先日

改めてS紙に 「非常識110番 N県警困った」 というタイトルの記事が掲載されてい

た。その内容は、


・・・・・・「携帯電話が壊れた」 「今何時ですか」 。イタズラではないが、本来は通報

     すべき内容でない 「非常識110番通報」 がN県警を困らせている。

     通信指令室によると、月に数件あり、近年増えている印象だという。同課は

     「本当に通報すべき時に混みあってつながらない恐れもある」 とし、安易な

     通報をしないように呼びかけている。

     同課によると、上記の例の他にも、「警報機が鳴りっ放しで困っている」 との

     通報で警察官が駆けつけたところ目覚まし時計がなっていたことや、「あのパチ

     ンコ店は当たらない」 などと愚痴をこぼす電話も頻繁にかかっていくるという。

     N県警に寄せられる110番通報は年間10万件前後。自然災害があったり、冬季

     に各地でスリップ事故が多発するような場合は通報が集中し、つながりにくくな

     ることがある。無言電話やイタズラ電話も多く、10月末までに5000件を超えて

     いる。「非常識通報」 も担当者の本来の業務を妨げたり、緊急事態の把握が遅

     れる可能性がある・・・・・・・


というものである。

110番と同様、119番についてもかねてから 「非常識通報」 が大きな?社会問題と

なっているようだが、ここで両者に差をつけることは本意でない。しかし、そうはいっても

110番の方は “警察” 直結である。ごく普通の感覚を有する人であれば、たとえ正当な

事由のある用件であったとしても 「110番に電話することには、それなりの “ためらい”

や “抵抗” 、あるいは “怖さ” すら感ずるもの」 ではないだろうか。

自分自身も今までの人生で一度だけ “110番” 通報をしたことがある。数年前に夜遅く

一人で自動車を走らせているときのことであるが、たまたま道端に倒れている (寝ている)

人を見かけたからである。その場所や時間帯からして 「酔いつぶれて横になっているだけ」

という可能性も考えたが、万が一のことを考えて一般市民の義務?として一応通報すること

を決心?した。しかしやはりイザ、1・1・0をプッシュするにあたってはそれなりの緊張と逡巡

を伴ったのだ。

また、その真偽は定かでないが、自分の子どもの頃は 「イタズラで “110番” するとすぐ

逆探知 (当時はナンバーディスプレイなどということばはなかったはず) され、ヘタをすれば

逮捕される」 と言われたものでもある。

したがって、上記のような 「とんでもない事由で “110番” 通報する連中」 は、「非常識」

であるという以前に、もしかしたらごく普通の人間としての 「怖れ」 というものを一切感じな

い人たちか、無類の 「大胆さ」 と 「鈍感さ」 を兼ね備えたある意味での 「大物」 になれ

る資質を有する人としてランクされる人たちではないか、とすら思わされてしまうのである。

もしそうだとしたら、できればその潜在的 「大物ぶり」 を 「非常識な行為」 にではなく、何

か 「世の中の役に立つ方向」 で活かしてほしいと願いたいところだ。

さてこんな冗談?を言えているうちはまだいいが、実際にはこういう 「とんでもないことをす

るどうしようもない連中」 が原因?で、やはり 「とんでもないことをする少年たち」 が先日

現れてしまったのである。その事件については 「こじろう117」・・・「原因を作っているのは

・・・」・・・で触れたいと思う。


その格好の「大胆さ」 にかけては人後
(イヤ犬後?) に落ちない自信を持って
いる!?           こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年12月05日

『ランク付け』 必要???

日常、週刊誌や月刊誌などに目を通す際、「△△ランキング」 ということばの威力は

絶大で、それだけで大変な好奇心をそそられるといっても過言ではないだろう。少なく

とも自分の周囲にはさまざまな 「ランキング大好き」 という人が多く存在している。

しかしその中に、「ランキングする意味がはたしてあるのか」 と首を傾げざるを得ない

ような項目があるのも確かである。それももともと 「不真面目」 なものや、「パロディ」

のようなものであればともかく、国や自治体が関与するようなものにまで、「?」 と思わ

されてしまうことがある。

先日各紙に、「『家族力』・・・親子で何でも話せますか」 というアンケートに基く調査

結果に関する記事が掲載されたが、その内容は、


・・・・・・子育ての実態などについて調査、研究している 「S家族研究所」 (東京)

     は、中学生以下の子どもがいる20~40代の男女を対象に独自の 「家族

     力検定」 を実施。鹿児島県が1位となり、福島県が最下位だった。

     「子どもに昔自分が好きだった歌やアニメを話している?」 「自分の親や

     配偶者の親の年齢や誕生日をちゃんと覚えている?」 などの質問に、そ

     れぞれ5つの選択肢を設けて0~10の点数を付けた。

     インターネットを通じ、47都道府県からそれぞれ50人、計2350人の回答

     をまとめた。

     同研究所によると、「家族力」 は親子の間で何でも言える、聞けるといった

     コミュニケーションの力。

     研究所は結果をKDDIに提供、携帯電話のコンテンツ開発などに使われると

     いう・・・・・・・


というものである。

「家族力」 とは個人的には初めて耳にすることばだが、この調査そのものについての、「子

育てや家族関係の実態を把握するうえで意味がある」 ということを否定するつもりはない。

そもそも民間の研究所が調査をし、それを同じく民間の企業に提供することにつき外部の

人間からとやかく言われる筋合いはまったくないのだ。何か言われてもこの研究所にとって

は 「余計なお世話だ」 にすぎないだろう。

しかし、それでもここでどうしても個人的かつ勝手に 「釈然としない」 部分を申しあげれば、

それはここに 「家族力検定上位10都府県」 という 「ランキング」 がセットで発表されて

いることである。そのトップは鹿児島、以下②京都、③高知、④長野、の後には九州の県が

続き、さらに ⑧東京、⑨香川、⑩福島 ということだが、(その結果の方から言及するのは

潔くないのは承知しているとして) そこに一貫した地域性などは全く見いだせない。記事の

なかには一応、「10位までのうち、7自治体を西日本が占めた」 というくだりがあるが、説

得力のある分析?とは程遠いだろう。もっともこの調査、「インターネットを通じ、『47都道

府県』 からそれぞれ (均等に) 50人の回答を得た」 ということなので、自動的に 「都

道府県」 別のデータになるのは仕方ない?が、それをあえて 「ランキング」 にする必然性

や必要性は感じられないのである。ことに全体の “最下位 (47位)” に勝手に?ランク

されてしまった福島県民にとっては 「いい迷惑」 ともいえるだろう。

冒頭にも述べたような 「ランキングの威力」 は素直に認めざるを得ない。しかし思慮もない

ままに 「なんでもかんでもランク付けしてしまう」 ことにより、受け止める側に本来不必要

と思われる誤解、曲解、偏見などを招く可能性もあることを 「ランキング公表側」 は自覚

してほしいものである。


イヌの世界にもさまざまなランキングが
存在するが、「我関せず」 の姿勢を貫い
ているつもりの!?      こじろう  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年12月04日

『不良老人』 予備軍???

店舗などで陳列してある商品を勝手に持ち去れば、だれが考えても明らかな “窃盗” 

であり、これはさすがに相当の覚悟?がなければ普通はまず手を染めないであろう。

しかし、これが野山 (といっても完全な私有地) に自生しているようなモノになると 

「少しくらいいいだろう」 と勝手に解釈して持ち帰ったり、あるいは確信犯的に盗みを

はたらく 「不心得者」 それも立派な?中高年者が、結構存在するようだ。

先日静岡新聞の記事に 「山芋泥棒12人 “御用” 私有地に侵入、厳重注意」 という

タイトルの記事があったが、その内容は、


・・・・・・静岡県湖西市の私有地に入って自然薯を盗んだとして、湖西署は先月25日、

     窃盗容疑で静岡市など在住の40~60代の男、計12人を摘発、厳重注意して

     土地所有者に返却させたと発表した。掘られた自然薯は43本 (43万円相当)

     にのぼり、同署は住民の苦情を受けて警戒にあたっていた。

     同署によると男らは10月から11月23日にかけて同市内の山中に勝手に入り、

     スコップなどを使って直径約60㎝、深さ約1mの穴を掘り、自生していた自然薯

     を盗んだとされる。いずれも微罪で反省もしていることから逮捕までせず、厳重

     注意にとどめた。

     住民から 「山芋泥棒が多発して困っている。注意してもやめない」 との苦情を

     受け、現場一帯をパトロールしたところ、市道に車をとめて山に入ろうとする不審

     者や、自然薯を持って下山する男を相次いで発見。口コミで情報が広がったと見ら

     れ、中には自然薯を入れる段ボールまで用意したケースもあったという・・・・・・


というものである。

まずこの記事を読んでの大きな違和感は、当局側が 「いずれも微罪で反省もしていることか

ら厳重注意にとどめた」 という判断、見解である。そもそもこの摘発の発端は、土地所有者

からの 「山芋泥棒が多発して困っている。注意してもやめない」 という苦情であり、それを

受けてわざわざ警察当局が動いたのである。 「注意してもやめない」⇒⇒⇒ 「警察が動く」

⇒⇒⇒「反省している」⇒⇒⇒「逮捕せず厳重注意にとどめる」 という構図がどうもしっくりこ

ないのは自分だけであろうか。状況からすれば、多少の個人差こそあれ 「ほんの出来心」

からの窃盗とはとてもじゃないが思えず、それどころか極めて悪質な計画的犯行であり、これ

を 「微罪」 などと言いきるにはかなり無理があるのだ。

こういう連中の頭にあることは、


1. 自然に生育しているものだから問題ない。少しくらいかまわない。

2. 自分だけでなく、ほかの連中もやっている。

3. 多少何か言われても 「とぼけ通せばよい」。

4. まさか、警察にまでは通報しないはずだ。


あたりだろうが、極めて自己中心的であり、その人格に品性のかけらも感じられない。

1. の 「少しくらいかまわない」 というのは、土地所有者 (正当な権利保持者) 側が

いうことであり、勝手にとっていく側が判断することではない。2. および3. については

いかにも 「こういうことを平然とする連中」 の考え方である。いい歳をしてこういうことを

「恥ずかしいこと」 と思わないような輩が、案外企業や組織体のなかで要職?に就いて

いたりすることもあるようだが、今回の件はプライベートなこととはいえ、このような品格を

大きく欠いている連中のもとで働かされる人たちは本当に哀れであろう。さらにこういう連

中の反省など 「ただの “フリ” にすぎない」 ことも十分に予想され、時と場所を変えて

同じことを繰り返す可能性はかなり高い。

今回の件で “逮捕” でなく “厳重注意” として処理されたのには、「さまざまな政治

的な力がはたらいた」 という裏事情があるかもしれない。しかし、こういう 「図々しさの

カタマリ」 のような中高年に対しては、一度くらいは 「本当に痛い目に遭わせること」

をしてあげないと、その後そのまま流行り?の 「不良老人」 に成り下がってしまう可能

性が高いし、何よりも若い世代に示しがつかないのである。


「不良飼い犬」 にならないように常日頃
から気をつけている様子は全くない!?
               こじろう





  


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(2)ペット

2010年12月03日

問題の 『本質』 はどこか???(その3)

「こじろう117」・・・問題の 『本質』 はどこか???(その1) (その2) の続きである。

(その1) における、「なぜどこへでも子どもを連れて行くの」 というある女性の投稿に対

する “反応・見解” についての検討 (その2) の続きとして、


3.  『現に小さな子どもを育てている最中の母親 (父親) 』 による、「小さな子ども

   がいればなんでもかんでもがまんしなくてはいけないのか。周囲がもっと理解してく

   れてもいいはず。子どもを育てたことのない人からいろいろ言われたくない」 という

   趣旨の反応・見解について・・・・

   1. について、でも述べたように、たしかに 「子どもを一人でも育てることがいかに

   大変であるか」 は、実際に育ててみなければわからないということはいえるだろう。

   また子育て中だからといっても、一人の人間として人生を謳歌してはならないという

   いわれも全く存在しない。しかし、それをもって 「なんでもかんでもがまんしなければ

   いけないのか」 というように考えるのは、いかにも “的外れ” といえるものだ。

   逆にいえば 「子育て中でなくても、日々の生活の中ではがまんしなくてはならない

   ことはいくらでも存在する」 からである。さらに 「がまん」 などというのは本来抽象

   的な観念であると同時に、その程度や基準などは人それぞれに異なるものである。

   同じことでもそれを 「あたりまえ」 ととらえる人もいれば、「苦痛」 とか 「がまん」

   などととらえる人もいるだろう。子育てにおいて、さまざまなことに制約を受けること

   はほぼ間違いないにしても、中にはそれらを 「無上のよろこび」 と受け止める人た

   ちすら少なくないと思われる。そういう人たちにとっては、少なくともその子育て期間

   中に、ショッピングなどが自由にできないことを、たとえば 「健康診断の前夜には自

   由に飲食などできない」 と同じくらいに考えていても不思議でない。「周囲がもっと

   理解してくれてもいいはず」 というのも、「そういうことは要求するものではなく、あく

   までも周囲の方から与えられるもの」 というのが常識的な考え方であるのだ。

4. 『その他の傍観者』 による 「店側が禁じないかぎりは、子どもを連れて入ることに

   つきどうこう言われる筋合いはないのでは」 などの見解について・・・・・

   実際に 「小さなお子様の入店はご遠慮ください」 というようなことをあらかじめ告げ

   ている店に入っていくのはいくらなんでも論外であるが、そのように明示されていな

   い場合は、子どもを連れて入る、入らないは自由である。しかし、ここで 「自由」 と

   か 「権利」 だとかを持ち出すのではあまりにレベルが低いとしかいえないだろう。

   さらには、そこでの 「高級店だからダメ」 とか、「大衆店だからOK」 とかの区別

   もピントはずれである。たとえ 「大衆店」 内であっても、迷惑かどうかを判断する

   のはあくまでも 「迷惑を受ける (可能性のある) 側」 であるからだ。


以上、述べてきたようにどの見解にも一理あると同時に、必ずしも当を得たものでもないと

も考えられる。すべての立場で納得できる結論というのは難しいが、今回の件に関して一

つ確実にいえるのは、「周囲に迷惑がかかっていない。それも自分の基準ではなく、あくま

でも相手側の判断において」 ということであろう。たとえどんな高級店に小さな子どもを連

れて入ろうと、結果として誰にも迷惑がかかっていなければ本来何の問題もないのである。

それよりも、小さな子どもではなく 「いい歳をした大人であったとしても」 結果的に周囲

に迷惑をかけていれば、それは強い非難の対象である。したがってこのような問題を議論

するにあたっては、「小さな子ども」 についてどうだこうだの前に、立派な?社会人、大人

として、子どもたちから見られたときにまず自分自身が 「恥ずかしい言動や行動」 をとっ

ていないかのチェックが先決であるともいえる。

最後になったが、「小さな子どもを連れていく親が何よりも優先して考えなくてはならない

こと」、それは 「連れていかれる “小さな子ども自身” のこと」 である。「店内等で目

を離したスキに何かの危険に巻き込まれる」 などは論外であるが、当人 (子ども) に

とって何も興味がないことに 「付き合わされる」 のは、ことばで表せなくても大変な精

神的苦痛であることには疑いがない。また、ことに今の時期、抵抗力の十分でない小さな

子どもを雑踏の中に連れ出すことで、インフルエンザをはじめとするさまざまなウィルスに

感染、罹患する可能性は非常に高いだろう。そのあたりを総合的に判断すれば (判断

できれば) 一般的な常識を有する親にとって 「どのように行動すべきか」 の答えは自

ずと導き出せるというものである。

(「こじろう117」・・・『常識レベル』 がわかってしまう一言???・・・参照)


苦手な 「人ごみの中」 に連れていかれ
ないよう、必死の抵抗を試みる!?
               こじろう




    


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット

2010年12月02日

問題の 『本質』 はどこか???(その2)

「こじろう117」・・・問題の 『本質』 はどこか???(その1)・・・の続きである。 

(その1) では、某サイトでのある女性による 「なぜどこへでも子どもを連れて行くの?」

というタイトルの投稿の内容およびそれに対する “反応・見解” の代表例を紹介した。

今回はその “反応・見解” について、本当に問題の本質をとらえているのかを検証して

みたい。


まず1. 『かつて実際に “母親 (父親)” として小さなこどもを育てた経験がある人』

    による、「近頃の母親は自分たちが楽しければそれでよいと考えている。こどもが

    小さいうちはさまざまなことをしたくてもがまんすべき」 という趣旨の見解につい

    て・・・・

    たしかに一般に 「子育て」 というものは、想像以上の苦労や (親自身の生活に)

    犠牲を伴う部分は少なからずあるものだ。その点、「こどもを産み、育てる」 という

    ことにはそれ相応の自覚と責任は絶対に必要とされるだろう。しかし、人間、自分が

    その渦中にいるときはともかく、一旦そこから離れると、とかくそれを乗り切ったという

    自信から自分たちはあたかも完璧にそのことを成し遂げたかのような満足感に浸り、

    後に続く者を 「自分たちとは違い、甘えている」 と、みなしたがる傾向がある。だが

    実際にそれなりの苦労やがまんをして子育てに勤しんできたことがその通りだとすれ

    ば、逆に今その渦中にある人たちを一方的に批判、非難するよりは、自分たちの経験

    を踏まえ 「そういうときはこういう考え方、対処の仕方があるのでは」 という方向で

    見守るのが本来の “子育ての先輩” としてのあるべき姿だともいえるのではないだ

    ろうか。


次に2.  『小さな子どもを育てたことがない。またこれからもそのつもりはない人』 による、

    「どうしてもそういうことを楽しみたければこどもなど育てるな。都合のよいときにだけ

    “母親面” “父親面” するな」 という趣旨の見解について・・・・・

    まずこういう立場の人が何か発言しようとすると、「自分で経験もしていないくせに偉

    そうなことをいうな」 とその発言の行為自体を認めようとしない人たちがいるが、それ

    はかなりの暴論である。人間いろいろな境遇、立場があり、もちろんそれらをわきまえ

    て発言することは必要だが、立場が違うからと言ってなにもいえないということは決し

    てない。むしろ立場が異なる方が客観的な見方ができるともいえるのだ。

    しかし、それはそれとしても、「そういうことを楽しみたければ子どもなど育てるな」 と

    いうのもやはり明らかに乱暴な意見とせざるをえない。特に少子化に歯止めのかかる

    気配のないわが国の現代社会においては大げさにいえば、「たとえ一人の子どもでも

    産んで育てること」 は一つの大きな社会貢献ともいえる。もちろん、それによりいろ

    いろと社会から保護を受け、援助されていることも事実ではあるし、またそういうこと

    (社会貢献など) を最初から意識して子どもを育てているかといえば、そうではない

    のが一般的かもしれない。しかし今、子どもが存在しない限り、将来の社会もまた存

    在しえないのは自明の理である。まずはそこのところを十二分に意識、理解したうえ

    での発言が求められるというものだろう。


以下、(その1) における、3. および4. についての検討、さらにこの件のまとめにつ

いては 「こじろう117」・・・問題の 『本質』 はどこか???(その3) で述べることに

したい。


「近頃の飼い犬は甘えている」 という批判
は必ずしも的を射ていないと考えている!?
                こじろう

       

      


Posted by こじろう117 at 00:03Comments(0)ペット