元日の新聞にはさまれてくる“初売り”の広告チラシは全部で1㎝にもなりそうな厚さで、
これだけをみると「不景気もどこ吹く風」という感じがするほどである。
そんなチラシの多くに「福袋」の文字が躍るのもこの日の特徴である。自分も以前は広告
に魅かれて買ってしまった前科?があるが、果たして本当に『福』袋といえるものがどのく
らいあるのだろうか?
以前といってもはるか以前のことであるが、友人の一人が一応名の通ったデパートで年末に
アルバイトをしたあとに聞いた話である。そのデパートでも初売りの準備におおわらわで、
彼がまわされたのが「福袋」への詰め込み作業現場であった。特にジャンルの特定されない
福袋であったとはいえ、詰め込むのは売れ残り商品はもちろんのこと、普通は売り物になら
ないハンパものやキズものならまだしも、本来商品についてくる“おまけ”や“ノベルティ”さら
には“試供品”とまさに「なんでもあり」状態で端からバランスも考えずにとりあえず大きさだけ
揃えろと指示されたというのだ。「こども向け」のものを作ったときも同様で、当時乏しい“お年玉”
を握りしめてどんなものが入っているか本当に楽しみにして買っていくこどもが、家に帰ってそ
れを開いたときのガッカリする顔を思い浮かべると、仕事終了後にアルバイト代を受け取る際に
いいようのない「罪悪感」に苛まされたいうことだった。
今はそんなヒドイことはほとんどないだろうし、また一口に「福袋」といってもいろいろな形態が
あるので一概にはいえないが、やはり「開けてみなければわからない」というその原則的定義
にはほとんど変わりない。したがって単純に足していけば値段以上のものが入っているとはい
え、必要のないものや好みでないもの、衣料品でいえばサイズがあわないものがそれなりに入
っているリスクは避けられないだろう。だから“損得”でいえば同じ金額で自分の気に入ったもの
を買うほうが完全に賢明であると思われる。
しかし「福袋」はまさに“おめでたいお正月ならでは”の“年に一度の買い物”であり、一種のお
遊びとか運試しだと思えばそれで十分である。罪のない『許されるギャンブル』として家族や恋人
どうしの格好の「話題」にするのもいいだろう。
そんな「福袋」(正確には『福箱』というらしいが)に100%満足し、すべてを有効に使い切る
(食べ切る)ツワモノ?もいる。何をかくそう「こじろう」である。昨年5000円の犬用の『福箱』
を家内が注文したところ、届いて以来“これ以上ない”というほどの喜びの表情で毎日そのなか
の新しい袋を開けてもらうことを楽しみにしていたのである。「好き嫌いのまったくない“こじろう”」
ならではの話であるが、こういう使い方ができるのなら素晴らしい。
しかしおかげでその後、家に宅配便が届くたびにそれを自分にきた「福箱」だと思い込む習慣
が身についてしまい、「荷物の入った段ボールを開けろ」とうるさくてしょうがないのは困りもの
である。
今年もあと3日で届く予定の『福箱』
が楽しみでしょうがなく、今日も玄関
で朝から待っている!? こじろう