『密室』からの脱出!!!

こじろう117

2009年12月01日 00:26

枝葉末節的な諸問題はそれなりに指摘されながらも、「行政刷新会議」

の『事業仕分け』が国民の高い支持を得て先日その役目を終えた。

「劇場型」的な面が先行して注目され、その点においても賛否両論を呼

ぶことになったことは確かである。(11月19日の『こじろう117』を参照)

「政治」であれ「経営」の場面であれ、そこで行われる会議・打合せ・論議

すべてを”公開”すればいいというわけではない。テーマや内容によっては

“非公開“に「した方がよい」もの、あるいは積極的に「しなければならない」

ものもたくさんあるだろう。

しかし国家の財源は基本的に“国民の血税”によるものであり、今まではそ

の使い途(予算)についての論議が「主役である国民」を締め出した、いわば

『密室』で行われていたわけで、それを主役の目に触れる(見る・見ないは自

由であるが)ところ、すなわち“公開”で行われたことはある意味「あたりまえ」

のことであるにしても、その意義は極めて大きいといえよう。

N県では10年ほど前に県政の「歴史的転換」があり、それから現県政に引き

継がれるまでの評価はプラス・マイナスまさにさまざまで、今ここで言及する

つもりはない。ただしその時を契機として、それまで「まったく」あるいは「ほと

んど」興味をもたなかった県民の多くが県政に目を向けるようになった”功績”

については異論をはさむ余地はほとんどないだろう。それもたとえ「パフォー

マンス的」と揶揄されはしても”開かれた県政”を標榜したことに起因する部分

が小さくなかったと思われる。

政治に対する「関心のうすさ」という点ではかつてのわれわれの世代(特に自

分自身)も偉そうなことは言えず、その証拠に上の世代からは当時「今の若い

連中は自分のことばかり考えやがって・・・」などと愚痴をいわれていたもので

ある。近い将来世の中の主役になる「若者世代」に同じ轍を踏むことなく、政治

などにより関心をもってもらうためにも、より「開かれた」「目に見える」「親しみや

すい」社会にしていくことが必須であろう。


自分の日常の姿を”公開”されていることに
複雑な思いを隠せない!?   こじろう

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